人生の転機となったチャリティコンサート【指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】
ある時は指揮者、またある時は作曲家、そしてまたある時はピアニスト……その素顔は世界平和と人類愛を追求する大阪のオバチャン。ヨーロッパを拠点に年間10ヵ国以上をかけ巡る指揮者・阿部加奈子が出会った人、食べ物、自然、音楽etc.を通じて、目まぐるしく移りゆく世界の行く末を見つめます。 充実の日本滞在 皆さん、こんにちは! 今年は久しぶりに日本で夏を過ごしました。 日本の暑さは、関西弁で言う「アカンやつ」です! 特に蒸し暑いのには参りました。私が住むオランダのハーグでは、例年より気温が低くて日中でも16度くらいでしたから、夜になると厚手の上着が必要なくらい。その差なんと20度! しかしお陰様で体調を崩すこともなく、滞在中は演奏会、ラジオ収録、指揮法講座、カンファレンス……と、ほとんど休むことなく音楽にどっぷり浸かった毎日でした。今回は自作(IWBC委嘱作品《ダンシングマニア》)の初演を自分で指揮するという機会にも恵まれ(実は、人生で初めて!)、新作を丁寧に演奏していただくことがいかに作品や作曲者にとって幸せなことか、改めて認識しました。やはり、どの作品も一つ一つ大切に取り組まなくては!と意を新たにした次第です。 NHK FMでは「ヨーロッパ夏の音楽祭」をテーマに、評論家の舩木篤也さんとモンペリエ音楽祭についてお話ししました。 8月に水戸で開催されたIWBCカンファレンスで、陸上自衛隊中央音楽隊を指揮しました。 モニターの前で釘付けになった「あの日」 さて、前回までは私がどのようにして指揮者の道に進んだかをお話してきました。外国で指揮者として身を立てるためにがむしゃらに勉強してきた私ですが、指揮科を卒業後は歌劇場の副指揮者というポストに着任。徐々に指揮者としての活動範囲を拡げ、もうすぐ40代に手が届くという頃、人生の転機となる出来事が起きました。2011年3月11日に発生した東日本大震災です。 私は、当時住んでいたパリで地震の発生を知りました。朝、いつものようにパソコンをつけると、SNSを通じて目に飛び込んできたのが「大地震発生」の投稿。慌ててネットでニュースを検索し、ようやく日本に何が起きたのかを知りました。それからは次々とアップされてくる動画に圧倒され、2日間パソコンの前から動けなくなってしまいました。 日本は終わってしまうのではないか。あまりの衝撃で、そんなことまで頭をよぎりました。被災し救助を待つ人たちの映像を目にして、ただただ胸を痛めながらモニターの前で動けずにいる自分が歯がゆくて仕方ありませんでした。私が医師や救助隊員なら、今、この時に人命を救うことができるのに……。でも自分にできることといえば音楽しかない。それがとても不甲斐なく思えました。 しかし2日目の夜、このままではいられない!と奮い立ちました。祖国がこんな大変な目に遭っているのだから、何か自分にできることをしたい。音楽家としてできることはないだろうか。その気持ちを周囲の音楽家仲間に話したところ、みんな同じ思いを抱いていることがわかりました。何人もの音楽家が、義援金を集めるためのチャリティコンサートを行うことを自発的に考えていたのです。 そこでパリ在住の日本人の音楽仲間を中心に、「東日本大震災チャリティコンサート実行委員会」を立ち上げました。メンバーの多くが学生だったこともあり、パリ生活が一番長い私が実行委員長を引き受けることに。数ヵ月にわたって行うチャリティコンサートの準備を急ピッチで進めることになったのです。 コンサート会場での義援金集め 一刻も早く義援金を送りたい。私たちの思いはただその一つでした。実行委員会が発足した時点で、すでにいくつかの室内楽コンサートが計画されていたので、まずはその開催準備に奔走しました。最終的に、3月と4月で計7回の室内楽コンサートを開催。その会場探し、参加者募集、プログラム作成、広報など、実行委員はみんな寝る間も惜しんで作業しました。 「何か手助けをしたい」と思っていたのは、フランスの人たちも同じでした。パリ国立高等音楽院の教授陣によるコンサートが開催され、パリにある楽器製作会社や教会、さまざまな文化施設も演奏会のために会場を提供してくださいました。私もできるだけコンサート会場に足を運んで、籠や箱を持って客席を回り、義援金の協力をお願いしました。 こうしたチャリティコンサートの舞台裏で大きな力を貸してくださったのが、パリを拠点に活動するアーティストたちから成る「ジャポネード」というボランティア団体です。ジャポネード代表の故・齋藤しおりさん(残念ながらご病気のため2016年に44歳の若さで亡くなられてしまいました)の素晴らしいイニシアチブのもと、一連のチャリティコンサートで集まった義援金は適切に管理され、最終的に全額無事に被災地に送ることができました。大勢のボランティアスタッフを統括し、細やかにケアしてくださったのも彼らでした。数人で立ち上げたチャリティコンサートは、いつのまにか志を同じくする多くの方々によって支えられていたのです。 チャリティでも経費はこんなにかかる 一方で、ある程度のまとまった義援金を送るためには規模の大きなイベントも必要です。私たちは実行委員会が発足した当初から、オーケストラのコンサートを開くことを考えていました。しかし、どうやって? オーケストラのコンサート制作は、室内楽とは桁違いに人手もコストもかかります。そんな大規模なイベントをオーガナイズするノウハウは私たちにありませんでした。 ちょうどその頃、ユネスコに勤務する日本人職員の方たちともつながりができ、彼らもまた何かしたいと思っていることを知りました。そこで副委員長の松宮圭太さんの提案で、ユネスコ・パリ本部の国際会議場をコンサート会場として提供してもらえないか、打診してみることに。彼の作った企画書を携えて打ち合わせに行くと、私たちの熱意に共感してくださったユネスコ職員の方々のご厚意で、休日に会議場を使わせてもらえることになりました。ただし、会場費は無料ながら、休日に稼働する人件費が必要とのこと。チャリティコンサートでもこんなに経費が必要なのかと、私は初めて思い知りました。 しかしここでも松宮さんが力を発揮。以前、日本の音楽財団で働いていた経験から笹川日仏財団に連絡を取って相談したところ、なんと「必要な経費は援助するので、演奏会で集まった義援金は全額、被災地に送ってください」と快く申し出てくださったのです。ここから、オーケストラのコンサートに向けた準備が進み始めました。 すべてボランティアの手によって開催 会場が決まったら、次は演奏者です。SNSを通じてオーケストラへの参加を呼びかけたところ、1日で100人以上の音楽家たちが手を挙げてくれました。学生や駐在員などのアマチュアプレーヤーから、プロオケの首席奏者まで、大勢の方がこのコンサートのために参加表明をしてくれたのです。楽器奏者だけではありません。歌でも参加したいと、オペラハウスの歌手やソリストなどプロの声楽家を含む約40人が合唱団を結成してくれました。 しかし演奏者だけではコンサートは成り立ちません。広報、チケット販売、楽器運搬用トラックの手配からパート譜の準備、出演者用の軽食手配などに加え、通常のコンサートホールには備えられている演奏者用の椅子や譜面台の手配・運搬など、仕事は山積み。そうしたありとあらゆる準備を手伝ってくれた舞台裏のボランティアが約200人。ですからコンサートに関わった人たちは総勢400人くらいになっていたのではないでしょうか。 その人たちに効率良く役割を振り分ける作業や演奏者リストの作成、リハーサルの連絡、著作権の申請など、実行委員も仕事を分担して、それぞれが遠隔でできることをやり、全員が裏方に徹して、文字通り寝ずの3週間が続きました。 1350席のチケット販売を一手に引き受けてくれたのは、会場探しの際に力を貸してくれたユネスコの日本人職員の方でした。チケットは早々に完売となったのですが、たった一人でそれをさばいた彼女がどれほど大変だったか。想像に難くありません。 たくさんの人の思いのこもった音楽 いよいよ迎えた本番当日。「東日本大震災チャリティコンサート」のプログラムは次のように決まりました。 武満徹《弦楽のためのレクイエム》 ラヴェル《ピアノ協奏曲ト長調》(ソリストは荻原麻未さん)...