指揮者はどんな勉強をしているの?【指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】

「現代音楽」ってなんだろう?【指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】

ある時は指揮者、またある時は作曲家、そしてまたある時はピアニスト……その素顔は世界平和と人類愛を追求する大阪のオバチャン。ヨーロッパを拠点に年間10ヵ国以上をかけ巡る指揮者・阿部加奈子が出会った人、食べ物、自然、音楽etc.を通じて、目まぐるしく移りゆく世界の行く末を見つめます。

新作オペラ、無事終演!

みなさん、こんにちは! 先月、前回の連載でも少しお話した新作オペラ《ウンム》の公演(会場:オランダ国立歌劇場)が無事終わりました! 3日間の公演はすべて完売、とても盛り上がって最後はお客さんも一緒に大合唱! オペラハウスとは思えない熱狂ぶりでした。

新作オペラ《ウンム》の作曲家、ブシュラ・エル・トゥルクのインタビュー動画(英語)。オランダ国立歌劇場の公式チャンネルより。
指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録01
《ウンム》終演後に、キャスト、スタッフ、歌劇場総監など、勢揃いで記念撮影。

成功裏に終わってホッとしましたが、実をいうと最初は結構心配していました。今回演奏したアムステルダム・アンダルシア・オーケストラは、メンバーのほとんどがアラブ音楽のエキスパートで、楽譜の読めない人が少なからずいます。いわゆる西洋クラシック音楽のオーケストラと違って、普段「指揮を見ながら演奏する」という経験もないし、微分音(半音よりも狭い音程)もたくさん出てくる。私にとってはいつもと違う、新しい指揮法を編み出さなくてはならないような状況でした。

さらに、最初のリハーサル後に気づいたのですが、半分以上のメンバーは英語が通じません。モロッコ、チュニジア、アルジェリアなど北アフリカ出身の演奏者が多いのです。ですからリハーサルも、フランス語で説明したあとに同じことをもう一度英語で言い直しながら進めなくてはなりませんでした。

そんな幾多の困難がありましたが、オーケストラのメンバーもすごくがんばってくれて、「指揮を見ながら演奏する」という新しい経験をむしろ楽しんでいたようです。最後は「指揮を見るっていいね、なんか安心する」なんて言っていました(笑)。

偶然、公演最終日が私の誕生日だったんですが、サプライズでメンバーたちがバースデーソングを演奏してくれて、思わず胸がいっぱいに。今回のオペラプロジェクトを通じて、多様なバックグラウンドを持つ才能豊かなメンバーたちと創作のプロセスを共有できたことは、私にとってかけがえのない経験となりました。

指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録01
オランダ国立歌劇場で迎えた誕生日。サプライズでみんなからの寄せ書きと花束をプレゼントされ、思わず涙ぐんでしまいました。

指揮者はどんな勉強をするのか

「指揮者の人は、本番で演奏する曲をどうやって勉強するのですか?」と、ときどき聞かれます。演奏者にくらべて、指揮者の勉強方法というのは想像しにくいかもしれませんね。

リハーサルが始まるまで、指揮者はひたすらスコアの勉強です。私の場合、スコアを受け取ったらまず全体をパラパラ読んで、曲の構造を把握します。音楽作品というのは、言ってみれば「バーチャルな彫刻」のようなものです。最初に全体像がきちんと頭に入っていないと、細部のバランスが取れません。作品がどういう構造になっているのかを把握するために、音楽のまとまりごとにスコアの上で赤と青の鉛筆で区切っていきます。これは、新作初演のときも古典作品のときも同じです。ちなみにこちらはオペラ《ウンム》で使用したスコア。最後の最後まで何度も変更が加わって、もはや解読が困難な状態に(笑)。

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本番直前の《ウンム》のスコア。
(画像は加工しています)

赤青鉛筆を使っているのは、たとえば強弱を書くときにフォルテは赤、ピアノは青、という風に書き分けるためです。そのほかにも、大きな区切りでは赤を、さらに細かい区切りでは青を使ったりしています。奏者にキューを出さなければならない大事な箇所なども、赤で印をつけます。これは別にそういうルールというわけではなくて、私のやり方ということですけどね。

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パリ音楽院指揮科卒業試験の課題曲だった新作のスコア。もう少し若い頃は、赤と青のほかにも色鉛筆をたくさん使っていました。
(画像は加工しています)
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普段愛用している赤青鉛筆と書き込み用のペン。

全体像が頭に入ったら、スコアの上の段から順に、パートごとに上から一段ずつ楽譜を横に読んでいきます。これは、私が指揮科の学生だったときに参加したマスタークラスの教授から教わった方法です。頭の中で楽器の音を鳴らしながら一段ずつ読んでいくと、その奏者の気持ちになることができるんです。「ここのフルートは20小節も休みがあるから、次に入るところでキューを出してあげないといけないな」「ホルンはここでこんなに長いパッセージを吹いていて息がつらいんだな」ということに気づける。そうして、最初に把握した全体像に細部を肉付けしていきます。次のパートを読むときは前に読んだパートが頭のどこかに残っているので、なんとなく思い出しながら読んでいくと、最後の一段を読み終える頃には全体の響きのイメージが思い浮かべられるようになります。

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スコアを勉強中! 写真:©Ryota Funahashi

頭の中のバーチャル・オーケストラを鳴らす

ここまで、音を出さずにひたすらスコアを読みます。ピアノを弾きながらスコアリーディングすることもほとんどありません。頭の中のバーチャルなオーケストラを鳴らしているからです。

オペラプロダクションの場合、通常最初の稽古はオケの代わりにピアノ伴奏をつけて行うのですが、今回の《ウンム》の場合、ピアノの音と実際のオーケストラの音があまりにも違うのでかえって歌手が混乱してしまう、ということがありました。なにしろ使われている楽器がカマンチェ(中東地域の弦楽器)やドゥドゥク(アルメニアの木管楽器)といった民族楽器で、微分音だらけのアラブ音楽を演奏するわけですから、当然といえば当然です。

もちろん、古典作品でもリハーサルではじめて音を出してみたら頭の中でイメージしていた音と違った、ということはあります。この楽器とこの楽器が同時にこのくらいの音量で鳴ると、片方が聞こえなくなってしまうとか。そういうことは実際に経験して学んでいくしかありません。

その意味でいうと、私がパリ音楽院のオーケストレーション科時代に学んだことはとても大きかったですね。オーケストレーション科の授業では、メンデルスゾーンやシューマンなど重要な作曲家の代表作を取り上げて、作品で使われているオーケストレーションの特徴や効果を通常の授業で学ぶのですが、年に2回、作曲家のスタイルを模して自分でオーケストレーションした曲を実際にオーケストラに演奏してもらう機会があります。学生はそこでパート譜の書き方なんかも徹底的に学ぶわけです。読みづらい譜面だったりすると「こんな汚い楽譜、読めるか!」といって演奏してもらえなかったりしますからね。

そうやって偉大な作曲家のオーケストレーションを学びながら、同時に自分が頭の中でイメージした響きが実際のオーケストラとどう違っているかということも経験として蓄積されていくわけです。この頃に学んだことは、その後指揮者としてやっていく上でも大いに役立っています。

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オーケストレーション科の恩師、マルク=アンドレ・ダルバヴィ先生と。

イマジネーションの力

スコアに書かれた記号を読み取って頭の中に響きをイメージする、そういう訓練をソルフェージュといいますが、これって決してソルフェージュだけの問題ではなくて、イマジネーション能力なんだと思います。イマジネーションというのは、ある意味忍耐が必要なことでもあります。楽譜に書かれた一つの旋律をじっとにらんで、「これをクラリネットで演奏するとどうなるだろう? あるいはチェロなら?」とじっくり時間をかけてイメージすることが重要なんです。

いまはなんでもすばやく情報を処理することが求められるので、なかなかそういう時間をもつ余裕がないですよね。でも、これって本当は音楽をやる上でとても大事なことだと思います。

学生の頃、私の指揮を聴いたクルト・マズアさんから、「録音を聞いちゃだめだ」とたしなめられてハッとしたことがありました。そのとき、決して録音を聞いて勉強していたわけではなかったのですが、たまたま手元にあったCDを何度か聞いていて、無意識のうちに覚えてしまっていたのです。私はわりと小さい頃から聞いた音楽をすぐに再現することが得意で、それは便利な面もあるのですが、音楽家として解釈を追求する上では邪魔になることも多いと知りました。なぜなら、誰かの模倣をすることは、音楽家として成熟するためのステップを無視してしまうことを意味するからです。

だから普段、録音を聴くときはできるだけ最新のものから昔の名盤まで、偏りなくたくさん聴くようにしています。録音された時代背景や、当時使われていた楽器の条件を踏まえて、それがどう音楽に影響しているかを参考にしながら聴きます。また、自分が「好きだな」と思う録音に出会ったら、なぜそう思うのか、どこに惹かれるのか、分析しながら聴くこともあります。

そして、仕事がオフの日はできるだけ自然の中に身を置いて、草花や生き物たちと対話しながらイマジネーションを膨らませています。芸術性を高めるのに、自然と触れ合うことってとても重要だと思うんです。そうやって、せわしない日々の中ではあまり使うことのない脳部位を働かせることによって、人の感性はもっと豊かなものになるはず。私はそう思っています。(つづく)

指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録01
私が芸術監督を務めるドーム交響楽団の本拠地、オーヴェルニュ地方は自然豊か!

著者出演情報

▼2025年5月15日(木) 19時00分開演

東京女子管弦楽団 第6回定期演奏会
指揮:阿部加奈子
出演:東京女子管弦楽団
会場:紀尾井ホール
URL:https://tokyowo.art/-/2024-1126-2/

[曲目]
オッフェンバック:喜歌劇「天国と地獄」序曲
ラヴェル:ボレロ
ベルリオーズ:幻想交響曲 Op. 14

▼2025年5月25日(日) 15時00分開演

2025年度 武満徹作曲賞本選演奏会
審査員:ゲオルク・フリードリヒ・ハース
指揮:阿部加奈子
出演:東京フィルハーモニー交響楽団
会場:東京オペラシティ コンサートホール
URL:https://www.operacity.jp/concert/award/finalists/2025.php

[曲目]
審査員ハース氏による譜面審査の結果、最終選考に残った3ヶ国4名の作品(世界初演)
チャーイン・チョウ(中国):潮汐ロック
我妻 英(日本):管弦楽のための《祀》
金田 望(日本):2群のオーケストラのための《肌と布の遊び》
フランチェスコ(イタリア)・マリオッティ:二枚折絵

▼2025年7月26(土)、27(日)

日生劇場ファミリーフェスティバル
物語付きクラシックコンサート「アラジンと魔法の歌」
指揮:阿部加奈子
演出:眞鍋卓嗣
作曲・編曲・音楽アドバイス:加藤昌則
出演:又吉秀樹(アラジン)、岡田誠(ランプの精)、宮地江奈(カンタービレ)、町英和(魔法使いムーサ)
演奏:ニッセイシアターオーケストラ
会場:日生劇場
URL:https://famifes.nissaytheatre.or.jp/

▼2025年9月5日(金)、6日(土)、7日(日) 14時00分開演

藤原歌劇団公演《ラ・トラヴィアータ》(共催:新国立劇場・東京二期会)
指揮:阿部加奈子
演出:粟國淳
出演:
ヴィオレッタ:迫田美帆(5日)、田中絵里加(6日)、森野美咲(7日)
アルフレード:笛田博昭(5日、7日)、松原陸(6日)
ジェルモン:須藤慎吾(5日、7日)、押川浩士(6日)
フローラ:古澤真紀子(5日、7日)、北薗彩佳(6日)
ガストン:堀越俊成(5日、7日)、工藤翔陽(6日)
ドゥフォール:江原啓之(5日、7日)、アルトゥーロ・エスピノーサ(6日)
ドビニー:坂本伸司(5日、7日)、大塚雄太(6日)
グランヴィル:豊嶋祐壹(5日、7日)、相沢創(6日)
アンニーナ:石井和佳奈(5日、7日)、萩原紫以佳(6日)
ジュゼッペ:濱田翔(5日、7日)、原優一(6日)
使者:江原実
召使:岡山肇
合唱:藤原歌劇団合唱部、新国立劇場合唱団、二期会合唱団
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
会場:新国立劇場オペラパレス
URL:https://www.jof.or.jp/performance/2509-la_traviata

※2025年4月23日現在の情報です

プロフィール

阿部加奈子

阿部加奈子

指揮者/作曲家/ピアニスト。
オランダ在住。東京藝術大学音楽学部作曲科を経て、パリ国立高等音楽院にて作曲に関連する6つの課程とともに日本人として初めて同音楽院指揮科で学び、フォンティス総合芸術大学大学院指揮科(オランダ)にて修士号を取得。パリ国立高等音楽院在学中より、ヨーロッパを活動の拠点に、指揮者、ピアニスト、作曲家として多方面で活躍する。2025年11月に横浜みなとみらいホールの委嘱による作曲家・阿部加奈子の新作を、阿部自身の指揮にて神奈川フィルハーモニー管弦楽団が初演する予定である。
公式ホームページ:https://www.kanakoabe.com/(英語、フランス語、日本語)

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