
ラヴェルとドビュッシー【指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】
ある時は指揮者、またある時は作曲家、そしてまたある時はピアニスト……その素顔は世界平和と人類愛を追求する大阪のオバチャン。ヨーロッパを拠点に年間10ヵ国以上をかけ巡る指揮者・阿部加奈子が出会った人、食べ物、自然、音楽etc.を通じて、目まぐるしく移りゆく世界の行く末を見つめます。 日本でオール・フレンチプログラム! 皆さん、こんにちは。 5月は東京女子管弦楽団第6回定期演奏会と武満徹作曲賞本選会の指揮があったため、日本に来ていました。ハーグはまだ涼しかったのですが、日本は早くも夏を思わせるような暑さの日がありますね。 東京女子管弦楽団の公演はオッフェンバック《天国と地獄》、ラヴェル《ボレロ》、ベルリオーズ《幻想交響曲》という傑作ぞろいのオール・フレンチプログラム。意外にも日本ではフランスものを演奏する機会が少ない私にとって、大変意欲をかきたてられるプログラムでした。今回がはじめての共演となる東京女子管弦楽団の皆さんもすばらしく、3日間のリハーサルの間にどんどん音楽を進化させ、本番は熱演を披露してくださいました。 5月15日に行われた東京女子管弦楽団第6回定期公演の様子。(写真提供:東京女子管弦楽団、撮影:松尾淳一郎) アンコールで演奏したバレエ《くるみ割り人形》より「花のワルツ」 今年はラヴェルの記念年 今年はラヴェルの生誕150周年の記念年なんですよね。たくさんの名作を遺したラヴェルですが、なかでも特に《ボレロ》は数十秒に一度、世界のどこかで演奏されているというくらい、いまなお広く愛されています。私が近現代のフランス音楽を好きになったのも、小学生の頃に父が聴かせてくれた《亡き王女のためのパヴァーヌ》がきっかけでした。子どもの頃の私にとって、ラヴェルの音楽はまるで精巧に作られた機械仕掛けのようで、「いったいどうやったらこんな風に書けるんだろう?」と不思議に思っていたものです。分解して一つ一つの部品を眺めながら、「そうか、こういう風になってるのか」と調べたくなる気持ちにかられる、というような。ラヴェルのお父さんはエンジニアだったので、彼の理数系的な思考回路はお父さんから受け継いだものなのかもしれません。一方、ラヴェルのお母さんはスペインとの国境にほど近いバスク地方の出身で、ラヴェルも母親を通じてバスクの文化に強く影響を受けていたといいます。 ラヴェル(Maurice Ravel, 1875~1937) ちょうど昨年の3月、ラヴェルの生誕地であるバスク地方のシブールという港町でバスク交響楽団を指揮する機会がありました。実は私もラヴェルと同じ3月生まれで、演奏会の最後にはサプライズでバースデーソングの演奏をプレゼントしてもらった素敵な思い出があります。会場はシブールの小さな教会でしたが、ほかの地方では見られないような木造のすごく美しい建物でした。バスクの文化って、同じヨーロッパの中でも何かが根本的に違うんですよね。ラヴェルは生後3か月でパリに移ってしまったのでバスクで育ったというわけではないんですが、母親のことを大変慕っていたためバスク文化にも特別な愛着を持っていたようです。 2024年3月、シブールの教会で行われたバスク交響楽団の演奏会の模様 シブールの教会の正面図。装飾が美しかった。 バスクの人たちにとってもラヴェルは特別な存在です。バスク交響楽団が本拠地にしている音楽院は、彼の名を冠して「モーリス・ラヴェル音楽院」といいます。今年4月に私が音楽監督を務めているアンサンブル・オロチのトルコツアーがあったのですが、そこで演奏した《展覧会の絵》は、パリ音楽院時代からの友人で、バスク出身・現在ラヴェル音楽院の作曲科教授をしているジョエル・メラ(Joël Merah, 1969-)君が編曲した作品でした(ちなみに、彼は2003年の武満徹作曲賞第1位受賞者でもあります)。ムソルグスキーの《展覧会の絵》にロシア語の歌が入るのですが、時折ラヴェルのコンチェルトの一部が入ったり、ラヴェル風のオーケストレーションが施されたりしていて、やはりバスク出身の彼にとってラヴェルは特別な存在なのだとわかります。 今年4月、トルコのアンカラで行われたアンサンブル・オロチの演奏会。 実はドビュッシー派 私もパリ音楽院時代、楽曲分析の卒業試験でラヴェルの《ラ・ヴァルス》を取り上げたりしましたから(連載第1回参照)、ラヴェルは非常に大事な作曲家です。ですが、実をいうと昔から私はドビュッシー派なんです。ドビュッシーの書く音楽は、従来の西洋クラシック音楽の考え方と根本的に違っていて、自分にとって身近に思えるのはドビュッシーなのです。 ドビュッシー(Claude Debussy, 1862~1918) それに対してラヴェルの音楽は、響きは非常に複雑に聴こえるけれども、実はジャズの理論で説明することができます。普通の三和音の上に付加和音と呼ばれる音を積み重ねていって、一見不協和音のように聴こえるけれども、実際はきっちり西洋音楽の理論に基づいて作曲している。要するに機能和声なんですね。ラヴェルに比べるとドビュッシーの方が断然前衛的だと思います。 《牧神の午後への前奏曲》演奏中に起きた不思議な出来事 ドビュッシーについてはもうオタクというくらい詳しい私ですが、中学生の頃に忘れがたい不思議な経験をしたことがあります。当時、アバド指揮によるベルリン・フィルの大阪公演があり、父が奮発して私の分のチケットも買ってコンサートへ連れて行ってくれたことがありました。 公演の最初の曲が《牧神の午後への前奏曲》だったのですが、曲が始まると同時に、光のプリズムのような色が目の前に現れました。……と、ここまではいつものことだったのですが、その日はそれだけで終わりませんでした。どこからかふわーっと香りが漂ってきたかと思えば口の中にはいろいろな味が広がり、さらには指先に何かが触れるような感触まで感じられたのです。これまで経験したことのない出来事に、驚きのあまり圧倒されているうちに曲が終わると、やがて感覚も元に戻りました。 音楽を聴くと、ハッブル望遠鏡で撮影した宇宙のような色彩が見えるのはいつものことなのですが、味や匂いや感触まで感じられたのはそのときがはじめてでした。こういう現象を一般に「共感覚」と呼ぶことをあとで知ったのですが、本来ならば独立して知覚されるはずの感覚が、神経器官の複雑さゆえに一種の混線を引き起こすことがあるようです。けれども、五感すべてが混線するというのは私にとってこのときが最初で最後でした。 なぜ《牧神の午後への前奏曲》のときにこの現象が起きたのかはわかりません。しかし、中学生のときにこの曲を、見て・匂って・味わって・触って・聴いた経験は強烈で、私がドビュッシーに特別な思いを持っているのはこのときの経験と無縁ではないのかもしれません。(つづく)...