盆踊りの鉄火場・大阪で揺れる音頭文化の灯火「泉州音頭」(大阪府)【それでも祭りは続く】
日本には数え切れないほど多くの祭り、民俗芸能が存在する。しかし、さまざまな要因から、その存続がいま危ぶまれている。生活様式の変化、少子高齢化、娯楽の多様化、近年ではコロナ禍も祭りの継承に大きな打撃を与えた。不可逆ともいえるこの衰退の流れの中で、ある祭りは歴史に幕を下ろし、ある祭りは継続の道を模索し、またある祭りはこの機に数十年ぶりの復活を遂げた。 なぜ人々はそれでも祭りを必要とするのか。祭りのある場に出向き、土地の歴史を紐解き、地域の人々の声に耳を傾けることで、祭りの意味を明らかにしたいと思った。 大阪独自の盆踊りカルチャー 日本広しといえども、大阪ほど独特の盆踊り文化を持つ地域はない。盆踊りに魅せられて10年以上、日本各地の盆踊りを見てきた私も、そう断言できる。本稿では、その大阪のユニークな盆踊り文化を紹介するとともに、盆踊り関連のとある芸能団体が直面する継承課題について触れていきたいと思う。 さて盆踊りというと、みなさんはどのような光景を想像するだろうか。もっとも一般的なのは、会場の中央に紅白の垂れ幕がかかったヤグラが立ち、スピーカーから流れる「炭坑節」や「東京音頭」などのCD音源に合わせて人々が踊るという形態だろう。あるいはヤグラの上で音源に合わせて「ドンドンカッカ」と太鼓を打ち鳴らす人がいる、そんな光景もお馴染みであろう。私が現在住んでいる東京でも、そういったタイプの盆踊りが主流だ。 東京都多摩市の盆踊り。CDの音源にわせて、ヤグラの上で生太鼓を演奏する ところが、大阪に目を移すと、その状況はまったく異なってくる。まず、(地域差はあるものの)大阪ではCDなどの音源をかけて踊る様式が主流というわけではない。そういったものと並行して「生音頭」、つまり生歌と生演奏で踊るタイプの盆踊りが盛んに行われている。これだけでも関東出身の私にとっては驚きなのであるが、生音頭の演奏には三味線や太鼓などの伝統的な和楽器のほか、エレキギター、エレキベース、時にはシンセサイザーといった楽器が導入されることもある。「盆踊り=日本の古き良き伝統文化」というイメージで会場に足を運ぶと、とても面食らうはずだ。 大阪府八尾市で開催された河内音頭イベント(2016)。音頭は生歌。お囃子に和太鼓、三味線のほか、エレキベース、シンセサイザーが入っている さらに独特なのが、音頭を専門とした会派・流派が複数存在することだ。落語や講談の世界における「〜一門」のような感じに近く、たとえば同じ会派に所属するメンバーは原則的に「初音家」「三音家」など同じ家号を芸名として名乗る。メンバーが師弟関係で結ばれている点も演芸の世界と似ている。地域によっては青年団が自ら音頭を取ることもあるが、こうしたセミプロの会派に謝礼を払って依頼する地域も多い。 こういった音頭のグループを「音頭会」と呼ぶことがあるが、音頭会は盆踊り大会に呼ばれると、音頭や楽器演奏といった演者としての役割だけでなく、スピーカーやミキサーなどの音響機器の持ち込みから設営まで、裏方仕事も一手に担う。会によっては音響設備だけでなく、自前のヤグラを所有する団体もあるというから驚きだ。もはや立派な「興行団体」と呼んでもいい。こうした音頭会とそこに所属する音頭取りは「百派千人」と呼ばれるほど大阪に数多く存在し、互いにしのぎを削って活動している。 とある大阪の盆踊りイベントの搬入を見学させていただいた際の写真。ここにあるのが音頭会の自前の音響機材 イベントではヤグラの資材を自分たちで持ってきて組み立て、即席盆踊り会場を作り上げることもある 音頭取りたちは、オフシーズンは稽古場で練習を重ね、夏の本番に備える(オフシーズンでも、関西には年中踊りたい盆踊り好きも多いので、イベントに呼ばれて演奏することはある)。盆踊りのハイシーズンはやはり8月で、いくつかの盆踊り大会に出演する。出演日が被った時は、1日で複数の盆踊り会場をハシゴすることもある。また各会が毎年恒例で出演している「受け持ちヤグラ」を何箇所か持っており、一昔前は、国取り合戦のように音頭会同士が自分たちの受け持ちヤグラを増やそうと激しくしのぎを削った時期もあったという。また、花代(おひねり)を稼ぐために個人でさまざまな盆踊り会場に現れる、流しの音頭取りや太鼓打ちといった存在もかつては見られたそうだ。 大阪の二大音頭、河内音頭と江州音頭 ここまでの話で、いかに大阪の盆踊りシーンが唯一無二であるかがおわかりいただけたと思う。まさに大衆演芸の世界と地域の盆踊り文化が融合したような状況を呈しているのだが、歴史をさかのぼれば実際に、現在大阪の盆踊りで定番となっている「河内(かわち)音頭」や「江州(ごうしゅう)音頭」といった曲が、落語や講談・浪曲のように大衆芸能の一つとして演芸場で披露されていたこともあったようだ。 明治期に発行されていた大阪の文芸誌『小天地』(1901、金尾文淵堂書店)にて、井垣外骨なる人物が大阪の千日前で見物した江州音頭の模様を次のようにレポートしている。 「この江州音頭と云ふものは餘程(よほど)妙なもので貝祭文の化けたのとでも言つて宜(よ)からう。一段の高座で唸り初めると(原文ママ)、それに連(つれ)て三人の女が御麁末(おそまつ)の浴衣に桃色メリンスの扱帯(しご)きを幅廣(はばひろ)くぐるぐる巻にして、音頭に和して踊るのであるが、如何なる文句の處(ところ)でも踊りは同じ事で其(その)合の手はオヤマカオサヽノヤッチキドッコイショと不思議なことをいふが折々は聞くに堪えぬ猥褻な文句をいつて居た其中(そのなか)で一つ二つ書いて置かう。(後略)」 (金尾文淵堂書店『小天地 2(3)』より) この話の続きは、とにかくその文句の内容が下品で、たまらず小屋から逃げ出したという顛末だが、この文章だけを見ると、江州音頭はいかにも下品な見せ物という印象を受けるかもしれない。しかし、そのルーツをたどれば、近世以降に念仏踊りの踊り唄として生まれた「歌念仏(うたねぶつ)」に行き着く。丁野(ようの)永正『近江の夏まつり 江州音頭』(2020、サンライズ出版)によると、近世のはじめ、念仏を唱えるのに鉦を叩きながら節をつけて歌うのが流行り、それが変じて仏教の唱え言から、だんだんと面白おかしい物語を歌って人々を楽しませる方向へとシフトしていったという。 歌念仏に関連して「歌祭文(うたざいもん)」という芸能もある。これは神仏に告げる「祭文(さいもん)」という祝詞のような文章に節を付け、娯楽的に歌ったもので、室町期頃に山伏・修験者たちによって大道芸能化した。上で引用した文章で井垣が言及している「貝祭文」はこの歌祭文から派生した芸能で、別名「デロレン祭文」ともいう。山伏の使う法螺貝を口につけ、三味線の音を「デロレンデロレン」と擬音化した合いの手を唱えたことから、この名がついた。 こうした歌祭文や貝祭文が関西地方で地域の盆踊りと結びつき、「祭文音頭」「祭文踊り」として踊られるようになる。音頭研究家の村井市郎によると、この祭文音頭と貝祭文をミックスした「八日市祭文音頭」が幕末〜明治初年頃に滋賀県の八日市市(現・東近江市)で誕生。その後、兵庫・大阪へと人気が波及し、見せ物小屋や寄席・芝居小屋で盛んにかけられるようになる。このムーブメントの中から技巧的に優れた音頭取りの名人も生まれ、弟子を引き連れて一門を構える者も現れた。やがて、当時大阪で同じく流行っていた河内音頭との差別化から「江州音頭」と呼ばれるようになり(諸説あり)、現在に至る。 江州音頭発祥の地の碑(滋賀県東近江市)。横で踊るのは筆者 いまでは「見せ物」としての江州音頭を見ることはほぼなくなったが(本場滋賀県では室内でじっくりと音頭を聞かせる「座敷音頭」という文化をまだ保存している)、滋賀や大阪を中心とする関西地方では河内音頭とならぶ盆踊りの定番曲としてすっかりと定着している。 また河内音頭の歴史にも触れておくと、そのルーツは江戸中期から後期にかけて交野郡(かたのぐん=現在の大阪府交野市周辺)で発生した「交野節」にある。この交野節を基礎に、説経節、祭文、チョンガレなどの語り物芸能の影響を受けた「歌亀節(うたかめぶし)」が幕末から明治初期に誕生。これが先述した江州音頭のように盆踊り歌としてだけでなく、大衆演芸として流行した。 交野節、歌亀節などの伝承河内音頭は、現在も大阪の一部地域で演奏されるほか、レコードなどで鑑賞することができる さらに大正期になると浪曲のメロディーを取り入れた、より「聞かせる」演芸として河内音頭は進化。その勢いは戦後も劣らず、浪曲の要素をより大胆に取り入れた「浪曲音頭」が登場。その浪曲音頭を勉強した大阪市平野区の鉄砲光三郎という音頭取りが、曲をテンポアップしたり、フォークギターなどを取り入れるなどして「民謡鉄砲節」として売り出す。1961(昭和36)年に発表されたLP『民謡鉄砲節』は大ヒット。参天製薬のCM出演も果たした。ちなみにエレキギターが河内音頭に導入されたのも、民謡鉄砲節が台頭した昭和30年代に入ってからのことらしい。鉄砲光三郎自身も、1963(昭和38)年に発売した『民謡鉄砲節 第三集』にてスティールギターを取り入れたハワイアン風の河内音頭を披露。「民謡」という枠組みに縛られない音楽的探求がはかられていく。 これまでも河内音頭は積極的に浪曲文化との接触を図ってきたが、昭和40年代からは京山幸枝若(きょうやまこうしわか)、広沢駒蔵など本職の浪曲師が進出。「浪曲河内音頭」として人気を博す。この成功に刺激され、河内音頭の音頭取りが急増するとともに、ますます音頭の研究とレベルアップがなされていくことになった。...