遺影を背負う盆踊り「木江の盆踊り」(広島県豊田郡大崎上島町)【それでも祭りは続く】
日本には数え切れないほど多くの祭り、民俗芸能が存在する。しかし、さまざまな要因から、その存続がいま危ぶまれている。生活様式の変化、少子高齢化、娯楽の多様化、近年ではコロナ禍も祭りの継承に大きな打撃を与えた。不可逆ともいえるこの衰退の流れの中で、ある祭りは歴史に幕を下ろし、ある祭りは継続の道を模索し、またある祭りはこの機に数十年ぶりの復活を遂げた。 なぜ人々はそれでも祭りを必要とするのか。祭りのある場に出向き、土地の歴史を紐解き、地域の人々の声に耳を傾けることで、祭りの意味を明らかにしたいと思った。 地域で故人を弔うという風習 2025年8月、広島県の離島・大崎上島の木江(きのえ)地区で行われている盆踊り「あら盆供養盆踊り大会」に参加した。 当地の盆踊りは一風変わっており、踊りの際にその年、新盆を迎えた故人の遺影を遺族や地域の人が背負って踊る。遺影や位牌を抱えて踊る盆踊りが、瀬戸内地方のいくつかの地域で伝わっているという話はかねてから噂に聞いており、数年前から訪問の機会をうかがっていた。しかし、開催情報というのが世の中にほとんど出回っていない。そのため、二の足を踏んでいたが、このまま機会を逃がしていては、いつかその伝統も絶えてしまうかもしれない。空振りに終わっても、まずは行ってみようということで、ようやく重い腰をあげたのだった。 実際にその盆踊りを目の当たりにすると感動は大きく、自分もこのように弔われたら心地いいだろうなとも思った。旅を終えてから、さっそくその動画をSNSに投稿。すると私同様、感銘を受けた人は多かったようで、多くの反響が寄せられた(Xで2025年12月7日時点で5,346Like)。遺影を背負って盆踊りをするという、ある意味ではショッキングな光景ではある。しかし、多くの反応は好意的なもので(希少な文化への驚き、消えゆく伝統への郷愁、故人を重んじる姿勢への共感など)、この反響もまた、私にとっては印象深いものだった。 しかし肯定的な意見が集まるほどに、私たち日本人の中にある、ある種の引き裂かれるような感覚を意識せずにはいられない。地域で故人を弔う風景に心を温め、憧れのような感情を抱く一方で、現実として、私たちの「死」はいま、地域社会から大きく乖離している。将来、自分自身の葬儀に地域の人が参列してくれると期待できる人は、どれほどいるだろうか。むしろ私たちは、自らの意思で地域住民を葬儀から遠ざけてはいないだろうか。もっと言えば、知人や友人の参列すら望まず、煩わしい儀式を避け、ひっそりと弔う・弔われることを肯定する声も、決して少なくないはずだ。 「日本人」と大きく括ってしまったが、これは私自身の中にある問題意識である。遺影を背負う盆踊りを支えている「弔い」の社会システムに迫ることで、この「引き裂かれた意識」の正体を探ってみたいと思った。 瀬戸内エリア特有の盆踊り文化 旅のレポートに入る前に、大崎上島の盆踊りについて、まず全体像を整理しておきたい。そもそも私がこの盆踊りの存在を知ったのは、木下恵介「大崎上島の盆踊りについて」(『広島商船高等専門学校紀要』2018年 第40巻)という論文がきっかけである。現在、インターネット上で閲覧できる資料の中では、大崎上島の盆踊りを体系的に扱った、ほぼ唯一の資料と言ってよいだろう。 同報告書では、木江地区のほかに矢弓区、原田区の盆踊りも紹介されている。同じ島内でも地区によって盆踊りの形態には多少の違いがあるものの、初盆の霊を供養することを目的としている点、CDやテープといった音源ではなく、音頭取りが「口説き」と呼ばれる物語形式の唄を歌い、それに合わせて踊り子が踊る点は共通している。また地区によっては、盆踊りの最後に手拭いを使った「手拭い踊り」が披露されることや、遺影を手にしたり、背負ったりすることがあるとも記されている。 他の資料も見ると、大崎上島・旧東野町の郷土史である馬場宏著『移りゆくとき ふるさと東野シリーズ7』には、かつて音頭取りが傘をさして口説きを歌ったという話が紹介されている。この様式は、連載第10回で取り上げた沼島(兵庫県南あわじ市)の盆踊りにも通じるものだ。ただし、同書には遺影を背負うといった風俗についての言及は見られない。 ところで、大崎上島以外にも、遺影を用いる盆踊りは存在するのだろうか。調べてみると、いくつか類例が見つかる。たとえば香川県坂出市の「櫃石(ひついし)の盆踊り」では、過去1年間に亡くなった人の位牌を、家族や親戚が布に包んで背負い、交代しながら踊るという。また、愛媛県松山市・怒和島(ぬわじま)の元怒和地区では、盆踊りで遺影を背負うだけでなく、親族同士が仮装して踊る風習もある。この怒和島の盆踊りは、2023年に愛媛朝日テレビが取材しており、その様子は現在もYouTube上の公式映像で視聴できる。映像では、遺影を納めた箱が花などで華やかに飾られ、地元の人びとが明るく故人を送り出そうとする気概が伝わってきた。 愛媛ニュースチャンネル【eat愛媛朝日テレビ】より(2023年8月21日放送) さらに、インターネット上で個人の発信をたどると、愛媛県松山市・中島、今治市・大三島、大分県津久見市・保戸島などでも、遺影を背負う盆踊りが行われているという記述が見つかる。こうした盆踊りが、瀬戸内エリアの離島を中心に伝承されていることは、たいへん興味深い事実である。遺影や位牌を抱えたり背負ったりする盆踊りが、どのように生まれ、どのような経路で広がっていったのか。深く掘り下げていけば、きっとおもしろい研究テーマとなるだろう。この点については、今後の宿題としたい。 さて、次からいよいよ、大崎上島の盆踊り模様をレポートしていきたいと思う。 レンタサイクルで島を横断 大崎上島へのアクセスは、そこまで困難なものではない。空路や、島に架かる橋がないので、基本はフェリーや高速艇での移動となるが、島内にアクセスできる港は本州や四国に5つもある。いずれも、航行時間は10〜60分程度だ。私は広島県広島市の竹原港からフェリーに乗り、島へ上陸するルートを選んだ。 広島市の竹原港からフェリーで大崎上島へ向かう 大崎上島の周辺には、大小いくつかの島が点在している。なかでも一際大きい「生野島(いくのしま)」は、大崎上島の北端に近接し、竹原港からの航路は、その合間を縫いながら進んでいくよう設定されている。島と島の間を船で分け入っていくような感覚は面白く、始終、私は外のデッキスペースに居座り船の進む先を眺めていた。 フェリーの船上から大崎上島を眺める。右端に見切れているのが生野島 ちょうどお盆の時期であったが、港は帰省で賑わうという様子もなかった 島に到着すると、私は港に隣接する「大崎上島町観光案内所」へと一直線に向かった。島の移動手段として予約していたレンタサイクルを確保するためだ。建物の前に着くと、開け放たれたドアから思いもかけず、盆踊り唄と思しき音楽が聞こえてくる。ああ、やっぱり盆踊りのシーズンなんだな、と実感する。 「今日は、島で盆踊りありますか?」 受付でレンタルの手続きをしながら、スタッフさんに何気なくそう聞いてみると、「盆踊りに興味あるんですか?」と、その表情に笑顔が灯る。それから、事務所にいた観光案内所のスタッフさんが総出になって島の盆踊り情報や、おすすめのスポットを教えてくれた。 2020年設立という、まだ歴史の浅い観光案内所。中に入ると、おしゃれな物産などが並んでいる 話を聞くと、案内所のメンバーの多くは島外からの移住者だという。島の文化に関心が深く、盆踊りについても毎年自分たちで各地に足を運び、情報を集めている。ただ、まだすべての集落を回りきれているわけではなく、木江の盆踊りについては未知の領域だそうだ。そう聞くと、なおさら自分の目で確かめに行きたくなる。 レンタサイクルにまたがり、さっそく木江地区を目指すことにした。だが、その道のりは自転車乗りにとって少々手ごわい。大崎上島は「島」とはいえ、面積は43.11平方キロメートルあり、芸予諸島に点在する有人島の中でも中規模クラスの大きさを誇る(200近くある島々のうち最大は、愛媛県の大三島で64.54平方キロメートル)。しかも目的地の木江の町は、私が上陸した東野地区の白水港から見ると、ほぼ島の反対側に位置している。そこへ向かうには、島の海岸線に沿って延びる環状道路をぐるりと走るか、あるいは最短ルートとして、内陸の丘陵地を山越えしていくか、いずれかの道を選ばなければならない。...