「才能」よりも大切なこと【指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】
ある時は指揮者、またある時は作曲家、そしてまたある時はピアニスト……その素顔は世界平和と人類愛を追求する大阪のオバチャン。ヨーロッパを拠点に年間10ヵ国以上をかけ巡る指揮者・阿部加奈子が出会った人、食べ物、自然、音楽etc.を通じて、目まぐるしく移りゆく世界の行く末を見つめます。 2025年の抱負 みなさん、こんにちは! いよいよ暮れも押し詰まってきましたね。みなさんにとって2024年はどんな一年だったでしょうか。 私にとって今年は「携わる仕事の種類が急激に増えた」一年でした。それにともなって交友関係にも大きな変化を感じています。音楽的にも人間的にも尊敬できる、才能ある方々とたくさん知り合い、お互いに世界各地を転々としながら連絡を取り合う……そんな新しい交流の仕方が多くなってきました。 新年も、欧州と日本を行き来する生活は続きそうです。特に、2025年11月1日には横浜みなとみらいホールから作曲委嘱をいただいたオルガンとオーケストラのための新作を、自分の指揮で初演します! オーケストラは今年5月に初共演した神奈川フィルハーモニー管弦楽団、オルガンは横浜みなとみらいホール・オルガニストで大学の同級生でもある近藤岳さん。横浜みなとみらいホールの素晴らしいオルガンで信頼する共演者の方々に自作を演奏していただけると思うと、今から身震いするほど楽しみです! 少し先になりますが、ぜひ来年の手帳に予定を入れておいてくださいね。 「才能」ってなんだろう? こうして一年中世界のあちこちで仕事をしていると、いろいろな才能と巡り会う機会があります。世界に名だたるトップ奏者や世間の耳目を集める早熟の天才もいれば、マスタークラスや音楽院の試験などでは開花する前の原石みたいな才能にも出会います。音楽の世界ではことさら若い才能が話題を集めがちですが、果たして「才能」ってなんなのでしょう? 「天才」といって私が思い出すのは、昨年ベルリン・フィルの首席トランペットに就任したダヴィッド・ゲリエ(David Gurrier, 1984~)君。彼は知人でもあるのですが、7歳でトランペットを始めて10代で数々の国際コンクールで優勝、一躍脚光を浴びるものの18歳でホルンに転向し、わずか数年後にフランス国立管弦楽団首席ホルン奏者に就任、リヨン国立高等音楽院ではホルン科教授も務めたあと再びトランペットに戻り、フランス国立放送管弦楽団の首席奏者を務め、その後ベルリン・フィルに入団……という超人的なキャリアの持ち主です。以前、彼のリサイタルに行ったことがありますが、一晩でいったい何種類楽器を持ち替えたかわからない(笑)。管楽器はほとんど全部吹けるんです。さらに最近は並行してヴァイオリンも始めたそうで、一年でチャイコフスキーの協奏曲が弾けるようになったとか(!)。一口に「天才」といっても彼の場合、10年後に何をしているか誰も予測できません。これはかなり特殊な例かもしれませんが、そんな「才能」もありますね。 神様が定めたエコシステム かくいう私自身も、わりと幼少の頃から周囲に「才能がある」とか「天才だ」と言われたり期待されたりすることが多かったので、「才能とは何か」ということを昔からよく考えていました。 私が思うに、人は誰しも何らかの才能を持って生まれてきているんです。ただ世の中には騒がれやすい才能とそうでない才能があるというだけで。生まれたときの時代や社会の有り様によって、そういう差はあるかもしれません。でも、そうやって持って生まれた何らかの才能を発揮して、社会に貢献することで人類は発展してきたのだと思います。 もともと才能とは個人差の大きいものですが、それが発露するまでの時間にも個人差があります。音楽の才能は特にそれが顕著かもしれません。いつの時代も「天才少女・天才少年」がもてはやされるのはある意味自然なことで、早熟な才能は人々に人間の可能性や未来への希望を感じさせてくれるんですよね。ただし草木と同じで、きちんと水をやって世話をしなければ才能は育っていきません。「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人」という言葉があるように、どんな才能も不断の努力なしにはありえないのです。 私に言わせれば、才能とは「神様からの預かりもの」。持って生まれたその人だけの占有物ではないと思うのです。神様から預かっているものですから、その人は一生懸命それを磨いて、与えられた恩恵を社会に還元しなければなりません。そうすることによって社会はより良く豊かになり、人類は存続していく……。「才能」とは、そんな「神様が定めたエコシステム」に含まれているものではないかと思います。 没個性社会から「創造性を促す共同体」へ 本人の努力に加えて、社会もそれを温かく見守る必要があります。若い時だけちやほやするのではなく、その才能がその後どんな枝を拡げ、どんな花を咲かせ、どんな実を結ぶのか、最後まで見届けるべきでしょう。一つの才能が花開くためには、多くの人の援助が必要なこともあります。そうやって社会で才能を見守り育てていくことは、誰か一人の栄誉や利益のためではなく、社会全体の繁栄に繋がるのです。今の資本主義社会にはそうした視点が欠けているように思います。 日本は戦後、高度成長期を経て先進国の仲間入りをしました。しかしその急成長を生み出した大量生産・大量消費モデルというのは、没個性を促すシステムでもあるんですよね。日本は今でもその影響が続いていて、「創造性を促す共同体」という考え方が足りないのではないかという気がします。もっと、人とは違う感性を大切に育んでいく余裕が社会全体にほしいところです。 才能を磨くための「人間力」 「才能」について考えるときに私が合わせ鏡のように思い出すのが「人間力」です。才能を磨くためには、それ相応の「人間力」を得る必要があります。そして、それは「才能」や「天才」とは違って、努力によって誰でも高めることができるものです。人は才能「だけ」あってもだめで、成長するためには必ず他者を必要とします。他者の手助けを得ようとする時、この「人間力」がとても重要な要素になってくるのです。 「人間力」というと抽象的ですが、具体的にいうとコミュニケーション能力、共感力、忍耐力、自己管理力、好奇心、学習能力などがここに含まれるでしょうか。とりわけ私が大事だと思うのが学習能力で、これは何か失敗したときにとことん自分と向き合って、どこに原因があったのか、どうすれば回避できたのか、学び取って次の成長に繋げる能力のことです。 とはいうものの、私自身は子どもの頃からずっと優等生タイプで、失敗することをすごく恐れているところがありました。でも、今になってみると「若い頃にもっと挫折を経験しておけばよかった!」と痛感します。なぜなら、失敗の経験ほど自分自身を大きく成長させてくれるチャンスはないですから。 私の人生でこれまで一番の失敗といえば、離婚でしょう(笑)。それまでは、自分にそんなことが起こるなんて信じられない!というくらい、ありえないことだと思っていました。でも、まったく後悔していません。離婚してはじめて、「あ、自分の名前でやっていいんだ」と気づいたんです。結婚してからずっと封印していた作曲(連載第1回参照)も再開しました。フランス人作曲家の元夫は決して「後ろに下がってろ」というタイプではありませんでしたが、無意識に「夫を支えなければ」「自分が前に出てはいけない」と自制していたんですね。40代になってはじめて味わった大きな挫折でしたが、それがなければ今の私はありません。来年、「日本で自作の協奏曲を自分で指揮する」なんて、当時の自分が知ったらびっくりするでしょう(笑)。この経験から得たことは大きかったと今は思います。 「才能」よりも大切なこと 今や「人生100年」と言われる時代です。時には挫折して落ち込んだり、人と比べて「才能がない」と思い悩んだりすることもあるかもしれませんが、それは長い人生のほんの一部。5年後、10年後にどうなっているかなんてわかりません。それよりも挫折から学び、自分の感性を磨いていくことが、その人の人生を豊かで幸せなものにするではないでしょうか。そしてそれは、「才能」よりもずっと大切なことだと思うのです。(つづく) 前の記事 第7回へ 著者出演情報 ▼2024年12月20日(金) 19時00分開演...