ショパン国際ピアノコンクール2025レポート<後編>【森岡 葉のピアニスト取材雑記帳】
10月2日から約3週間にわたってワルシャワで開催された第19回ショパン国際ピアノコンクールの取材に行ってきました。ピアニストを目指す若者たちのあこがれの舞台で繰り広げられた熱演の模様をレポートします。 第3次予選(10月14日~16日) 10月14日から始まった第3次予選の課題は、従来と大きな違いはなく、第2番と第3番のソナタから1曲とマズルカが必須の課題で、45分~55分の制限時間内に自由曲を弾くことができます。ソナタでは大規模な作品の構築力、マズルカではポーランドの民族舞曲に込められたショパンの想いにどこまで迫れるか、自由な選曲ではピアニストとしてのセンスと能力、そうしたものが問われる厳しいラウンドです。 初日の午前の部に座ったすぐ近くの席に2015年の第2位のシャルル=リシャール・アムランさんがいらっしゃいました。何度かインタビューさせていただいているので、「あなたが出てからもう10年経つんだね」「ちょうどポーランドで演奏会があるので、若い人たちの演奏を聴きに来たんだよ」などとおしゃべりしました。 第3次予選の審査は、審査員がコンテスタントの演奏を聴き終わった直後に提出した点数を、1次10パーセント、2次20パーセント、3次70パーセントの割合で総合して順位を出したとのことです。ファイナリストが10名ではなく11名になったのは、9位から12位の点数が僅差だったため、11名にするかどうか話し合いが行われ、その結果11名になったそうです。結果発表は、これまでのようにほぼ予定時刻通りでしたから、話し合いはスムーズだったのでしょう。 惜しくもファイナルに進めなかったセミファイナリストのなかで、とくに印象に残っている人について書きたいと思います。 なんと言ってもショックだったのは、牛田智大さんがファイナルに進めなかったこと。第1次予選から第3次予選まで、安定した実力を発揮し、真摯にショパンに向き合う清々しい演奏を繰り広げ、聴衆を感動で包みました。とくに第3次予選の《前奏曲Op.45》から《マズルカOP.56》への流れの美しさは心に沁み、さらに《幻想曲》、《ピアノソナタ第3番》で会場全体が彼の演奏に引き込まれていくのを肌で感じました。 前回19歳で参加し、2023年の第2回ショパン国際ピリオド楽器コンクールでは優勝を果たしたエリック・グオさんも残念でした。フォルテピアノの演奏経験を活かした繊細なニュアンスに富んだ表現が魅力的でした。 前回のファイナリストのイ・ヒョクさんと弟のイ・ヒョさんも、それぞれタイプは異なりますが、優れたテクニックとのびやかな感性で魅力的な演奏を楽しませてくれました。近年ポーランドで暮らし、エヴァ・ポブウォツカ氏に師事している2人は、流暢なポーランド語を話すことでも話題となりました。 コンクール後に17歳の誕生日を迎える中国のウー・イーファン(Yifan Wu 呉一凡)さんも、ユニークな個性を持つ逸材だと感じました。今後の成長が楽しみな存在です。 ショパンの命日の聖十字架教会でのミサ(10月17日) ファイナリストが発表された翌日はショパンの命日で、ショパンの心臓が眠る聖十字架教会で、彼の遺言に従ってモーツァルトの《レクイエム》が演奏されます。 ご存知のようにショパンは、1849年10月17日にパリで亡くなり、マドレーヌ寺院で行われた葬儀で、ショパンの遺言によりモーツァルトの《レクイエム》が演奏されました。遺体はパリに埋葬されましたが、「心臓は祖国に持ち帰ってほしい」という彼の願いに従って、姉のルドヴィカが心臓だけをワルシャワに持ち帰り、聖十字架教会の柱の中に収めました。そして、命日のミサでもモーツァルトの《レクイエム》が演奏されるようになったのです。 ショパンコンクールが10月に開催されるようになったのは1970年の第8回大会からですが(それまでは、ショパンの誕生日をはさんで2月から3月にかけて開催されていました)、ファイナルの前日が命日にあたるようスケジュールが組まれています。 例年、オーケストラと合唱で演奏されるモーツァルトの《レクイエム》ですが、今回はピアノ独奏版(リストの弟子カール・クリングヴォルト編曲)をロシアのピアニスト、ヴァディム・ホロデンコが演奏しました。ピアノはピリオド楽器のエラールで、1850年代に製造されたものということでした。 オーケストラと合唱の演奏だと思っていたので、ちょっとびっくりしましたが、生涯にわたってピアノのための作品だけを書き続けたショパンの命日にふさわしいと思いながら、興味深く聴きました。 ショパンの時代のエラールのピアノでモーツァルト《レクイエム》のピアノ独奏版(クリングヴォルト編曲)を演奏するヴァディム・ホロデンコ この日のミサには多くの人が詰めかけ、ショパンの心臓が収められた柱に祈りを捧げていた。三重県の菰野ピアノ歴史館の岩田光義さん(左)、ピアニストの楠原祥子さん(中央)と ピアノ独奏版の楽譜が掲載された冊子が配られた ファイナル(10月18日~20日) 10月18日から3日間にわたって行われたファイナルの課題も、従来と変わりました。これまでファイナリストはピアノ協奏曲の第1番か第2番を選択して、オーケストラと演奏することになっていましたが、今回はそれに加えて晩年の傑作《幻想ポロネーズ》を弾かなければならないのです。協奏曲は、ショパンが20歳前後の若い時期の作品なので、後期の作品を加えて、より深い音楽性、精神性を評価の材料にしたいという意図のようですが、オーケストラがステージ上にスタンバイした状態で《幻想ポロネーズ》を弾くことになり、これは想像以上にファイナリストにとって負担が大きく、オーケストラのメンバーにとっても大変だったようです。 審査は、やはり点数方式で、前のラウンドの得点を、1次10パーセント、2次20パーセント、3次35パーセント、ファイナル35パーセントという割合で合算するとのこと。最終結果の発表が、予定よりはるかに遅れて午前2時半になったのは、「ファイナリストを点数順に並べた後、各順位は3分の2以上の審査員が同意することで確定する」という規定があるためだったとのことでした。そして、その方法では永遠に決まらないので、最終的に点数順そのままの順位を発表することになったようです。 さて、入賞者たちのファイナルでの演奏について、少し書きたいと思います。コンチェルトで共演したのは、ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団。指揮は、音楽監督のアンドレ・ボレイコ氏。今回、オーケストラのスコアは、ショパン研究所がショパンの意図をより反映させるべく1年以上にわたる準備を経て再編集したものを使ったとのこと。生前のオリジナル版に最も近く復元され、かつ演奏家のニーズに合わせて編集されたとの説明がありました。聴いていて、あれ? と思った方もいるかもしれませんね。 17歳で第4位になってから10年の歳月を経てショパンコンクールのステージに戻ってきたエリック・ルーさん(アメリカ)は、持ち前の透明感のある美音と内省的なアプローチにさらに磨きがかかり、《幻想ポロネーズ》を味わい深く聴かせてくれました。10年前は第1番のコンチェルトを弾きましたが、今回は第2番。19歳のショパンが初恋に胸をときめかせながら書いた作品に、エリック・ルーさんのピュアで清冽なキャラクターが合っていると感じました。第2楽章のラルゲットの美しさは、まさに絶品。第3楽章のきらめくようなパッセージも生き生きとして素敵でした。コンクール期間中、プレッシャーに押しつぶされそうになって苦しかったと、結果発表の翌日のインタビューで語っていましたが、「それでも、世界中のショパンを愛する人たちの前で自分自身を試したかったのです。受賞は10年間のショパンとの旅のひとつのゴールであり、新たなスタート地点です」とも語ったエリック・ルーさんの今後の活躍が楽しみです。 ファイナルの演奏が終わった直後のエリック・ルーさん。ホッとしたのか、やっと笑顔を見ることができた 第2位のケヴィン・チェンさん(カナダ)は、優れた技巧を活かして《幻想ポロネーズ》、《ピアノ協奏曲第1番》を清々しく聴かせてくれました。ある意味で、第1位のエリック・ルーさんと対照的なキャラクターのピアニストと言ってもいいかもしれません。ショパンの音楽の魅力をくっきりとした輪郭で美しく描き出し、新鮮な印象を残しました。すでに数々のコンクールで優勝に輝いている20歳の俊英が今後どのように発展していくのか、目が離せません。 ハノーファー音楽演劇メディア大学のアリエ・ヴァルディ氏のもとで共に学んでいるチェン・ズーシーさん(右)とサッカー・ゲームに興じるケヴィン・チェンさん(左)...