【インタビュー】憎しみを直球で受けながら人を信じることをやめない。『オノ・ヨーコ』翻訳家に聞く、世界にオノ・ヨーコが必要な理由

【インタビュー】憎しみを直球で受けながら人を信じることをやめない。『オノ・ヨーコ』翻訳家に聞く、世界にオノ・ヨーコが必要な理由

オノ・ヨーコの決定版伝記として『オノ・ヨーコ』(デヴィッド・シェフ著)が発売された。ビートルズを解散させた悪女、うさんくさい変人などという不当な評価を受けてきたオノ・ヨーコ。世界中に嫌われ、壮絶な差別を受け、それでも人類をあきらめずに大真面目に戦争反対を、愛を、平和を訴え続けたオノ・ヨーコ。本書の翻訳家である岩木貴子さんに話を聞いた。

自分のオノ・ヨーコ像はほとんどが偏見?

――本書の翻訳を手掛ける前、オノ・ヨーコに対してどのような印象を持っていましたか?

本書ではヨーコに対するさまざまな不当な評価について触れていますが、それこそ私自身が彼女に対してもともと持っていた印象でした。たとえば、変な歌唱法を使っていて金切り声ばかりでろくに歌えない、パフォーマンスがうさんくさいといったもの。だからこそ今回の本でオノ・ヨーコ側のストーリーが読めることを楽しみにしていました。翻訳をしたことでその印象がくつがえった部分もあれば、印象通りのままだったところもありましたが、とても翻訳しがいのある本だったことはたしかです。結局、もともと持っていた印象の多くは偏見に基づく差別で、自分もそれに加担していたということに気づいてショックでした。

――とくにどんな部分で印象が変わりましたか?

大きく変わったのはジョン・レノンとの関係性です。これまでは“ジョン・レノンの奥さん”という視点で見ていたから、ジョンが“主”でオノ・ヨーコは“従”だと思っていたのですが、その点を誤解していました。ジョンはヨーコでないと尊敬できなかったでしょうし、アーティストであるジョンにインスピレーションを与えて、新たな高みに引っ張り上げるのはヨーコにしか無理でした。

ヨーコの楽曲を色眼鏡なしで聴いてみたら……

――オノ・ヨーコの音楽に対する印象は変わりましたか?

変わりましたね。今まではジョンとヨーコの楽曲を聴いても、うさんくさい人というバイアスがかかっていたからか、「ヨーコがまた変な声出してる」と思うだけでした。しかし今回、ヨーコ自身の楽曲を色眼鏡なしではじめて聴いたところ、この人って本当に才能のあるミュージシャンなんだ! 素晴らしい音楽を作っていたんだなと思いました。申し訳ないというか……懺悔の気持ちですね。ただ、著者の解説による楽曲のバックグランド情報も頭に入っている状態で聞いているので、今度はまた別のバイアスがかかっているかもしれませんが(笑)。

――難しい楽曲が多いという印象がありましたが、聴きやすい楽曲もありますね。

彼女はポップスを意外と重視していたんですね。尖ったアバンギャルドな前衛音楽の部分と、王道なポップスの部分の二面性がある人だということを知らなくて。前衛のイメージばかり見ていたのだと気づきました。とてもクレバーで、かつ懐が深いのですが、ひとくくりにはできないアーティストです。ひとつだけ取り上げてわかった気になっていたら、オノ・ヨーコのことはまだ理解できていないのです(笑)。

違和感も含めて受け入れる懐の深さ

――懐の深さはどういうところで感じられましたか?

音楽の幅の広さもそうなんですけど、とくに感じたのはアートからですね。当時のボーイフレンドのサム・ハヴァトイから、「初期のアート作品をブロンズで再現したらどうか」という提案があったときのことです。ヨーコはその発言に大きなショックを受けて、「私のアートを根本的に理解していない」と泣くほど怒ります。しかしその後、「泣くほど私を動揺させるということは、何かあるはずだ」と考え直し、結果的に今の時代(1980年代当時)にはブロンズの方が合っているかもしれないと、サムの提案を受け入れたのです。アートの素人から見ると、明らかにブロンズじゃないでしょ! と思うのですが、ヨーコは人の意見を聞き、今の時代にはこうなのかもしれないという違和感も含めて取り入れることで、人に訴えかける作品にしている。60年代には自由だったものが、今(80年代)の世の中はこう変化してしまったのよということを見せてくれているところに懐の深さを感じます。

――ジョンとの関係性においてはいかがでしょうか。

ジョンとの関係は恋人とか夫婦というだけではありませんでした。ジョンが亡くなった後は、自らにジョンのレガシーの守り手としての使命を課しています。たとえばナイキのCMで「インスタント・カーマ」の使用許諾を出したときのこと。やはり世間からは批判されるわけです。金儲けだと。しかしヨーコはこう返します。「これで何百万人もの人々に『インスタント・カーマ』を聴いてもらえて、80万ドルがもらえて、そのお金はユナイテッド・ニグロ・カレッジ・ファンドにまわした。それが、私があの曲で得たものです。何か問題でも?」
何十年もさまざまなことで批判されて叩かれ続けてきた女性ですが、自分のプライドよりも、ジョンと一緒に訴えてきたメッセージは世界にとって大切なのだから守らなくてはいけないという強い使命感があったと思います。正しいものや良いもののために尽くせるところに彼女の懐の深さを感じます。

――ヨーコは、こんなにも自分を受け入れてくれない世界に対してあきらめませんね。

本当にそう思います。ヨーコが受けてきた差別は壮絶で、世界中の見も知らぬ他人から憎まれ、その憎しみを直球で受けるわけです。たとえば彼女が妊娠をしたときのこと。それまでは妊娠がわかるとすぐに公表していたのですが、彼女は何度も流産を繰り返していたので、今回は少し待ってほしいとジョンに言います。今であれば普通のことですよね。妊娠を公表すると「針が刺さった人形」などが送られてきたそうなんです。子供が生まれないようにと。そういった悪意をヨーコは若い頃からずっと浴びせられ続けてきたのです。それなのに、人類に対する愛情を失わないでポジティブな愛のメッセージをずっと訴え続けられたのがすごい。さらには、人を疑わない純真な気持ちを持ち続けてもいます。ジョンの死後、多くの人に裏切られたり信頼につけ込まれたりしたのに、それでも人を信じることをやめませんでした。

ヨーコ本人の声にできるだけ近づけるために

――本書を翻訳するときに苦労された点はありますか?

原文がわりと淡々としていて、大げさに盛り上げようとするわけでもなく、ただ事実を述べていくという感じで書かれています。おそらく著者が意図的に選んだ文体だと思ったので、無意識のうちに自分の価値判断が入り込まないように、できるだけ原文と同じように淡々と訳すように心がけました。ただ、英語はポンポンポンと事実だけ述べる文体でもそんなに違和感がないのですが、日本語で同じようにするとつまらない文章になってしまいます。そこで、どうしても単調になってしまうくだりでは流れを作ってバランスを取るようにしました。

――セリフについてはいかがでしょうか。

本書ではヨーコの声を伝える一端を担っていたので、特にセリフの役割語(編注:語り手の性別や職業など、属性を想起させる話し方)では悩みました。役割語は表現を豊かにしてくれるものではありますが、今の時代、くびきから解放した方がいいのではないかという意見もあります。できるだけ使いたくないという思いがある一方で、ヨーコ本人の声に近づけたかったのです。ヨーコの若い頃の動画を見ると、山の手言葉のような話し方をしています。日本語で話している最近の動画は見つけられなかったのですが、文章を見ると割とくだけた話し方をしているようです。それぞれの時代の雰囲気が伝わるように、おさえながらも役割語は使いました。

――ヨーコはアメリカの大学に入学するまでは主に日本で、日本語を使って生活していたわけですが、ヨーコの発言の中で翻訳しづらい部分はありましたか?

いくつか翻訳しづらい箇所がありました。それは日本人だからということではなくて、ヨーコが英語を学んだ事情が関係していると思います。彼女は最初にアメリカ英語に触れているので、その影響が一番強いと思うのですが、ジョン・レノンと過ごした時代は彼からイギリス英語の影響も受けているはずです。そのためか、イギリス英語とアメリカ英語のどちら側から見ればいいのか……と悩む部分がありました。言語からはそれがはっきり読み取れないのです。
私自身はもともとイギリス英語を勉強したのちにアイルランドに留学してアイルランド英語に触れ、翻訳の仕事をするようになってからアメリカ英語を意識的に取り入れて勉強しました。アメリカ英語とイギリス英語は単純にワードチョイスだけの違いではなく国民性による感覚の違いもあるので、その部分についてはヨーコの英語に少し惑わされました。おそらくアメリカ英語がベースにあるのだろうということで、本当に悩んだある箇所ではアメリカ育ちの翻訳家の友人に解釈を確認したりもしました。

自分が“何を知らないか”には気づきにくい

――翻訳をする際には、事前にリサーチをするそうですが、どのぐらいの時間をかけるものなのでしょうか。

実は翻訳そのものよりもリサーチの方に時間がかかっているのですが、リサーチをしっかりやっておくと翻訳がスムーズに行えます。翻訳におけるリサーチの重要性は7~8割だと言っても過言ではありません。なので、今回も知り合いの翻訳家にリサーチで協力していただいています。なぜ大切かというと、知らないことは訳せないからです。当たり前なのですが(笑)。たとえばある物事や現象について書かれているとして、そのことについて知らないと、本当の意味では訳せません。言葉を他言語に置き換える=翻訳ではないからです。時代背景の知識が必要ですし、点だけで存在している事象はないので、ある程度まとまりで調べないといけません。そうしないと、自分が“何を知らないか”ということに気づけないのです。知っているつもりになってしまうのが一番危険です。実感がないまま言葉だけ拾って訳していると、他言語を挟んだ伝言ゲーム状態になってしまいます。

――本書のなかでとくに気に入っている文章はありますか?

ヨーコはよく空を眺めていて、空についてよく言及しています。空を眺めるという行為は、単純に空がきれいだね素敵だねということではなくて、本当にギリギリの、生きるか死ぬかのところに追いやられていた彼女が救いを求めて行っていたことです。オフィスの天井にも描くほど空が好きです。そんなヨーコについて娘の京子がこう語ります。

「世界を変えられると文字通り信じて、それをやってのけた……今はもう静かに暮らせる。風の音に耳を傾けて、空を見上げながら」

子供時代は何とか生き続けるために空を見上げていたヨーコが、今は穏やかな気持ちで空を見上げているというところに胸がギュッとなります。

翻訳に迷った「ヴァルネラビリティ(脆弱性)」という単語

――本書を翻訳する中で、ヨーコやヨーコの作品に共感した部分があれば教えてください。

ヨーコは前衛芸術の人なので何においてもアバンギャルドなわけなんですが、フェミニズムの分野でもかなり先を行っていたことに驚きました。たとえば世界中の女性に苦しみの記憶を共有してもらう《アライジング》という作品は、#MeTooの先駆けとも言えます。来場者が自分の受けた性被害を共有するくだりには、嗚咽しながら訳したくらい心を揺さぶられました。ある来場者はこの作品に#MeTooと500回書きつけたそうです。ほかにも、彼女が1964年に初演した《カット・ピース》という作品は、これまででもっともゾッとさせられ、心をつかまれるフェミニスト・アート作品に殿堂入りしています。

――《カット・ピース》は「第二次世界大戦以降でもっとも影響力があった米国のプロテスト・アート25作品」にも選ばれるほど衝撃を与えた作品ですね(注:この作品では、舞台に上がったオノ・ヨーコの前にはさみがひとつ置かれ、「観客はひとりずつ舞台にあがって彼女の服から一部布地を切り取る」ように指示を受ける。最初のうちは「おずおずと礼儀正しくヨーコに近づきハサミを使って」いるが、だんだんと興奮した男性客が加害性を見せ始めたと伝えられている)

舞台上でヨーコは嗜虐的な男性客などに毎回裸にされてしまったそうなのですが、実はここで裸にされているのはヨーコではなく、男性の加害性だと思いました。原書の中でこの作品の説明として「ヴァルネラビリティ(vulnerability)」という言葉が使われています。この言葉は「脆弱性」と訳されることが多いのですが、私は本書で使われている「ヴァルネラビリティ」がこの文脈で意味するのは女性の脆さや弱さではないと思いました。とはいえ「男性の加害性」としてしまうと主張が原文よりも強すぎてしまうので、ちょっとぎこちないのですが「女性の加害されやすさ」と訳しました。

想像を絶する強さで世界と対峙

――著者のデヴィッド・シェフさんは白人男性です。アジア人女性であるヨーコの描き方についてはどのように感じましたか?

東洋人であるヨーコが当時投げ込まれた世界で直面したことを、バイアスをほとんど感じさせない形で書いています。フェミニストであるヨーコの発言や作品がきちんと評価されるように、正当な形で、最善の形で出していると感じました。「ヨーコ何言ってるんだ?」となりそうなところも、なぜヨーコがそう言ったのか、なぜそんな状況になっているのか、という客観的な情報とともに描き出しています。そういう意味でも、かけがえのない伝記です。

――デヴィッドさんは「ヨーコを聖人にも罪人にも仕立て上げようとはしていない」と書いていますね。

ヨーコは懐が深い一方でエゴがすごく強いし、情け容赦ない面もある。ヨーコのことを知り尽くしている著者は、友人だからこそそのように描いたのだと思います。しかし、圧倒的なエゴがなかったらヨーコはとっくの昔に倒れていて生き残れなかったかもしれません。悪意をぶつけてくる世界に対して、「あなたたちはそう言うかもしれないけど、私はこうなのよ」と対峙できたのは、想像を絶する強さです。

冷笑と分断の時代にこそ読まれてほしい

――本書が発売されたタイミングについてはどう思いますか?(原書は2025年4月、日本語版は2025年6月に発売)

今出たことに大きな意義があると思っています。その理由のひとつが、ヨーコが92歳でご健在でいらっしゃるということです。もうひとつは、世の中の状況がどんどん悪化していて、冷笑と分断の時代になってしまっているからです。だからこそひとりでも多くの方に読んでほしいと思っています。私が翻訳したからということではなく、何語であっても世界中で読まれてほしい本です。
本書を読むと伝わってくるのは、精神的に衰弱したりうつ状態になったりとボロボロになりながらも人を信じる気持ちや世界を良くしたいという気持ちを失わないで、ひたすら愛のメッセージを伝え続けたヨーコの姿。ただのパフォーマンスじゃないかと言う人もいると思うんですけど、パフォーマンスなんですよ当然。彼女がやっていたことはパフォーマンスアートです。パフォーマンスアートとは、人々をギョッとさせたり、驚かせたり、普通はやらないようなことをやることで「常識」をくつがえすもの。こういう冷笑と分断の時代だからこそ、大真面目に愛のメッセージを伝える人がいることがすごく大事なのだと思います。今こそ世界にはオノ・ヨーコのパフォーマンスアートが必要です。

――愛や平和を大真面目に伝えることの難しさを感じますね。

虐殺はだめだ差別や排除はだめだという当たり前だと思っていた言葉がどんどん力を失っていく現状にめげそうになってしまうのですが、オノ・ヨーコもジョン・レノンも、どんなにバカにされてもあきらめなかったんですよね。ある意味、自ら道化役を買って出てたわけです。ポジティブなメッセージを打ち出して、自分たちの名声を戦略的に使って、平和のために道化を演じたのです。

――読者に伝えたいメッセージはありますか?

Imagineという言葉をどう訳すか悩みました。Imagineは日本ではカタカナの「イマジン」と訳されて曲名になっているので名詞として受け止められている印象なのですが、これは動詞で、命令であり指示なんですよ。「想像して」「想像しなさい」「想像してごらん」という。ヨーコのインストラクション作品の中の動詞は一般的には「~しなさい」と訳されることが多いのですが、「イマジン」という言葉に関しては「想像しなさい」と訳してしまうと楽曲「イマジン」の歌詞とトーンが違ってしまう。英語では「想像しなさい」もImagine、「想像してごらん」もImagineですべて同じなので、このあたりが日本語に翻訳するときの難しさです。
つまり、Imagineは「想像してごらん」というヨーコとジョンから私たちへの指示。分断と排除の時代だからこそ、想像力が重要です。皆がもっとほかの人たちの生活や境遇を想像すれば、世の中はヨーコとジョンが思い描いたラブ&ピースの世界に近づけるのではないでしょうか。これから先、気候変動も進み世界が人類の生存にとって厳しい環境になっていく中、個では生き残れず、集団の力で生存を図るしかない。自分さえよければいいという発想では立ち行かないと思います。だからこそ、他者を思いやることを可能にする想像力はこれまで以上に大きな意味を持つのではないしょうか。本書を読んでぜひイマジンしていただきたいですね。愛を込めて。

取材・文/國井麻梨


本記事で紹介した商品

『オノ・ヨーコ』

『オノ・ヨーコ』

(発行:ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)


発売日:2025年6月27日
仕様:A5判縦/422頁
定価:3,850円(税込)

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プロフィール

岩木貴子(いわき・たかこ)

翻訳家。早稲田大学第一文学部、ダブリン大学文学部卒業。主な和訳書に『ジョン・レノン 誰が彼を殺したのか』、『フレディ・マーキュリー~孤独な道化~』(ヤマハ)、『セールスライティング・ハンドブック増補改訂版』(翔泳社)、『CREATIVE SCHOOLS―創造性が育つ世界最先端の教育』(東洋館出版社)、『人々の声が響き合うとき 熟議空間と民主主義』(早川書房)など、主な英訳書にListen to the Voice of the Earth (Japan Publishing Industry Foundation for Culture)、Knowledge Management and Risk Strategies (World Scientific)など、著書に『刺さる英語 マーケティング翻訳術』(三修社)がある。

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