盆踊りの鉄火場・大阪で揺れる音頭文化の灯火「泉州音頭」(大阪府)【それでも祭りは続く】

復興の島に鳴り響く太鼓の音・三宅島の牛頭天王祭(東京都三宅村)【それでも祭りは続く】

日本には数え切れないほど多くの祭り、民俗芸能が存在する。しかし、さまざまな要因から、その存続がいま危ぶまれている。生活様式の変化、少子高齢化、娯楽の多様化、近年ではコロナ禍も祭りの継承に大きな打撃を与えた。不可逆ともいえるこの衰退の流れの中で、ある祭りは歴史に幕を下ろし、ある祭りは継続の道を模索し、またある祭りはこの機に数十年ぶりの復活を遂げた。
なぜ人々はそれでも祭りを必要とするのか。祭りのある場に出向き、土地の歴史を紐解き、地域の人々の声に耳を傾けることで、祭りの意味を明らかにしたいと思った。

大阪独自の盆踊りカルチャー

   日本広しといえども、大阪ほど独特の盆踊り文化を持つ地域はない。盆踊りに魅せられて10年以上、日本各地の盆踊りを見てきた私も、そう断言できる。本稿では、その大阪のユニークな盆踊り文化を紹介するとともに、盆踊り関連のとある芸能団体が直面する継承課題について触れていきたいと思う。

   さて盆踊りというと、みなさんはどのような光景を想像するだろうか。もっとも一般的なのは、会場の中央に紅白の垂れ幕がかかったヤグラが立ち、スピーカーから流れる「炭坑節」や「東京音頭」などのCD音源に合わせて人々が踊るという形態だろう。あるいはヤグラの上で音源に合わせて「ドンドンカッカ」と太鼓を打ち鳴らす人がいる、そんな光景もお馴染みであろう。私が現在住んでいる東京でも、そういったタイプの盆踊りが主流だ。

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東京都多摩市の盆踊り。CDの音源にわせて、ヤグラの上で生太鼓を演奏する

   ところが、大阪に目を移すと、その状況はまったく異なってくる。まず、(地域差はあるものの)大阪ではCDなどの音源をかけて踊る様式が主流というわけではない。そういったものと並行して「生音頭」、つまり生歌と生演奏で踊るタイプの盆踊りが盛んに行われている。これだけでも関東出身の私にとっては驚きなのであるが、生音頭の演奏には三味線や太鼓などの伝統的な和楽器のほか、エレキギター、エレキベース、時にはシンセサイザーといった楽器が導入されることもある。「盆踊り=日本の古き良き伝統文化」というイメージで会場に足を運ぶと、とても面食らうはずだ。

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大阪府八尾市で開催された河内音頭イベント(2016)。音頭は生歌。お囃子に和太鼓、三味線のほか、エレキベース、シンセサイザーが入っている

   さらに独特なのが、音頭を専門とした会派・流派が複数存在することだ。落語や講談の世界における「〜一門」のような感じに近く、たとえば同じ会派に所属するメンバーは原則的に「初音家」「三音家」など同じ家号を芸名として名乗る。メンバーが師弟関係で結ばれている点も演芸の世界と似ている。地域によっては青年団が自ら音頭を取ることもあるが、こうしたセミプロの会派に謝礼を払って依頼する地域も多い。

   こういった音頭のグループを「音頭会」と呼ぶことがあるが、音頭会は盆踊り大会に呼ばれると、音頭や楽器演奏といった演者としての役割だけでなく、スピーカーやミキサーなどの音響機器の持ち込みから設営まで、裏方仕事も一手に担う。会によっては音響設備だけでなく、自前のヤグラを所有する団体もあるというから驚きだ。もはや立派な「興行団体」と呼んでもいい。こうした音頭会とそこに所属する音頭取りは「百派千人」と呼ばれるほど大阪に数多く存在し、互いにしのぎを削って活動している。

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とある大阪の盆踊りイベントの搬入を見学させていただいた際の写真。ここにあるのが音頭会の自前の音響機材
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イベントではヤグラの資材を自分たちで持ってきて組み立て、即席盆踊り会場を作り上げることもある

   音頭取りたちは、オフシーズンは稽古場で練習を重ね、夏の本番に備える(オフシーズンでも、関西には年中踊りたい盆踊り好きも多いので、イベントに呼ばれて演奏することはある)。盆踊りのハイシーズンはやはり8月で、いくつかの盆踊り大会に出演する。出演日が被った時は、1日で複数の盆踊り会場をハシゴすることもある。また各会が毎年恒例で出演している「受け持ちヤグラ」を何箇所か持っており、一昔前は、国取り合戦のように音頭会同士が自分たちの受け持ちヤグラを増やそうと激しくしのぎを削った時期もあったという。また、花代(おひねり)を稼ぐために個人でさまざまな盆踊り会場に現れる、流しの音頭取りや太鼓打ちといった存在もかつては見られたそうだ。

大阪の二大音頭、河内音頭と江州音頭

   ここまでの話で、いかに大阪の盆踊りシーンが唯一無二であるかがおわかりいただけたと思う。まさに大衆演芸の世界と地域の盆踊り文化が融合したような状況を呈しているのだが、歴史をさかのぼれば実際に、現在大阪の盆踊りで定番となっている「河内(かわち)音頭」や「江州(ごうしゅう)音頭」といった曲が、落語や講談・浪曲のように大衆芸能の一つとして演芸場で披露されていたこともあったようだ。

   明治期に発行されていた大阪の文芸誌『小天地』(1901、金尾文淵堂書店)にて、井垣外骨なる人物が大阪の千日前で見物した江州音頭の模様を次のようにレポートしている。

「この江州音頭と云ふものは餘程(よほど)妙なもので貝祭文の化けたのとでも言つて宜(よ)からう。一段の高座で唸り初めると(原文ママ)、それに連(つれ)て三人の女が御麁末(おそまつ)の浴衣に桃色メリンスの扱帯(しご)きを幅廣(はばひろ)くぐるぐる巻にして、音頭に和して踊るのであるが、如何なる文句の處(ところ)でも踊りは同じ事で其(その)合の手はオヤマカオサヽノヤッチキドッコイショと不思議なことをいふが折々は聞くに堪えぬ猥褻な文句をいつて居た其中(そのなか)で一つ二つ書いて置かう。(後略)」
(金尾文淵堂書店『小天地 2(3)』より)

   この話の続きは、とにかくその文句の内容が下品で、たまらず小屋から逃げ出したという顛末だが、この文章だけを見ると、江州音頭はいかにも下品な見せ物という印象を受けるかもしれない。しかし、そのルーツをたどれば、近世以降に念仏踊りの踊り唄として生まれた「歌念仏(うたねぶつ)」に行き着く。丁野(ようの)永正『近江の夏まつり 江州音頭』(2020、サンライズ出版)によると、近世のはじめ、念仏を唱えるのに鉦を叩きながら節をつけて歌うのが流行り、それが変じて仏教の唱え言から、だんだんと面白おかしい物語を歌って人々を楽しませる方向へとシフトしていったという。

   歌念仏に関連して「歌祭文(うたざいもん)」という芸能もある。これは神仏に告げる「祭文(さいもん)」という祝詞のような文章に節を付け、娯楽的に歌ったもので、室町期頃に山伏・修験者たちによって大道芸能化した。上で引用した文章で井垣が言及している「貝祭文」はこの歌祭文から派生した芸能で、別名「デロレン祭文」ともいう。山伏の使う法螺貝を口につけ、三味線の音を「デロレンデロレン」と擬音化した合いの手を唱えたことから、この名がついた。

   こうした歌祭文や貝祭文が関西地方で地域の盆踊りと結びつき、「祭文音頭」「祭文踊り」として踊られるようになる。音頭研究家の村井市郎によると、この祭文音頭と貝祭文をミックスした「八日市祭文音頭」が幕末〜明治初年頃に滋賀県の八日市市(現・東近江市)で誕生。その後、兵庫・大阪へと人気が波及し、見せ物小屋や寄席・芝居小屋で盛んにかけられるようになる。このムーブメントの中から技巧的に優れた音頭取りの名人も生まれ、弟子を引き連れて一門を構える者も現れた。やがて、当時大阪で同じく流行っていた河内音頭との差別化から「江州音頭」と呼ばれるようになり(諸説あり)、現在に至る。

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江州音頭発祥の地の碑(滋賀県東近江市)。横で踊るのは筆者

   いまでは「見せ物」としての江州音頭を見ることはほぼなくなったが(本場滋賀県では室内でじっくりと音頭を聞かせる「座敷音頭」という文化をまだ保存している)、滋賀や大阪を中心とする関西地方では河内音頭とならぶ盆踊りの定番曲としてすっかりと定着している。

   また河内音頭の歴史にも触れておくと、そのルーツは江戸中期から後期にかけて交野郡(かたのぐん=現在の大阪府交野市周辺)で発生した「交野節」にある。この交野節を基礎に、説経節、祭文、チョンガレなどの語り物芸能の影響を受けた「歌亀節(うたかめぶし)」が幕末から明治初期に誕生。これが先述した江州音頭のように盆踊り歌としてだけでなく、大衆演芸として流行した。

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交野節、歌亀節などの伝承河内音頭は、現在も大阪の一部地域で演奏されるほか、レコードなどで鑑賞することができる

   さらに大正期になると浪曲のメロディーを取り入れた、より「聞かせる」演芸として河内音頭は進化。その勢いは戦後も劣らず、浪曲の要素をより大胆に取り入れた「浪曲音頭」が登場。その浪曲音頭を勉強した大阪市平野区の鉄砲光三郎という音頭取りが、曲をテンポアップしたり、フォークギターなどを取り入れるなどして「民謡鉄砲節」として売り出す。1961(昭和36)年に発表されたLP『民謡鉄砲節』は大ヒット。参天製薬のCM出演も果たした。ちなみにエレキギターが河内音頭に導入されたのも、民謡鉄砲節が台頭した昭和30年代に入ってからのことらしい。鉄砲光三郎自身も、1963(昭和38)年に発売した『民謡鉄砲節 第三集』にてスティールギターを取り入れたハワイアン風の河内音頭を披露。「民謡」という枠組みに縛られない音楽的探求がはかられていく。

   これまでも河内音頭は積極的に浪曲文化との接触を図ってきたが、昭和40年代からは京山幸枝若(きょうやまこうしわか)、広沢駒蔵など本職の浪曲師が進出。「浪曲河内音頭」として人気を博す。この成功に刺激され、河内音頭の音頭取りが急増するとともに、ますます音頭の研究とレベルアップがなされていくことになった。

   こういった大阪の独自の音楽世界とその革新は長らく関西圏外では知られることがなかったが、1970年代初頭、ノンフィクション作家の朝倉喬司(あさくらきょうじ)、評論家の平岡正明(ひらおかまさあき)らに「発見」されたことで一部の好事家たちの間で認知されるようになり、やがて生まれた「本物の音頭取りを東京に呼ぼう」という機運は、現在まで続く東京錦糸町での盆踊り大会「すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り」(1981〜)の開催へとつながっていった。ちなみに筆者も河内音頭を初めて体験したのが、このすみだ錦糸町河内音頭大盆踊りだった。

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70年代から80年代にかけて、東京で河内音頭が普及されていく過程を記録した、全関東河内音頭振興隊 編『日本一あぶない音頭 河内音頭の世界』
(1991、JICC出版局)
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毎年夏に、東京都江東区の墨田区竪川親水公園で開催される「すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り」

   河内音頭に衝撃を受けた朝倉喬司は、その魅力を東京に広めようと「全関東河内音頭振興隊」を立ち上げ、精力的な啓蒙活動を展開した。そんな全関東河内音頭振興隊の面々が思い思いに河内音頭の魅力を綴った、1991年発行の『日本一あぶない音頭 河内音頭の世界』を読むと、70〜80年代、大阪府外の人間から、河内音頭がいかに異質の音楽に映ったか、当時の衝撃がありありと伝わってくる。

「日本のリズム・アンド・ブルースとでも言うしかないスタイルによる、アナーキーでやりすぎと逆捩(さかね)じとアテツケの世界」(伊達政保)
「河内音頭は一見、郷土芸能のようなフリをしているが、私の理解でははっきりと近代に成立した都市音楽である」(ジャーナリスト・朝倉喬司)
「自由奔放にエレキ・ギターを駆使し、踊り手たちはマンボと称するモダンな振りを作り出して若者たちもピョンピョン飛び跳ねながら踊る河内音頭こそ、真の民謡――つまり民衆の歌だと思う」(音楽評論家・中村とうよう)
(いずれも『日本一あぶない音頭 河内音頭の世界』より)

   同じく全関東河内音頭振興隊メンバーであった鷲巣 功(わしずいわお)も、後年出版した『河内音頭』(2019、株式会社Pヴァイン)にて、当時の衝撃を「西洋の模倣ではなく、こんなに躍動感を湛えた、しかも同時代的に生きている『音楽』がこの国にもあったんだ」と綴っている。

   河内音頭や江州音頭は変化を恐れず技術革新を追求し続けることで、現在に至るまで大衆の支持を集めてきた。歴史的に見れば、音頭取りの生歌で踊る盆踊りはかつて各地で見られたが、今や全国的にも希少となり、「無形民俗文化財」として保護される対象になっている。そのような古式のスタイルが、大阪では今もごく当たり前の盆踊りの風景として息づいている。大阪の盆踊り文化の特異性は、まさにそこにある。

盆踊りの宝庫・大阪南部の「泉州」エリア

   大阪の各地では、いまでも盆踊りが盛んに行われており、これまで紹介してきたような「大阪特有」と呼べる独自の文化をよく残していて、盆踊りそのものが廃れる気配は、今のところ見当たらない。しかし、「伝統継承」という課題がないというわけでもない。ここからは、私が数年来付き合いのある「泉州音頭 宝龍(ほうりゅう)会」という音頭会の活動を取り上げ、彼らの伝統継承に熱く取り組む姿を紹介してみたいと思う。

   まず、泉州音頭とは何か?という説明から始めよう。これまで何度も触れてきた河内音頭。この「河内」とは、古代の律令制のもとで定められた旧国名のことである。そして河内国の南には、かつて「和泉(いずみ)」という別の国があった。この地域は現在でも通称「泉州(せんしゅう)」と呼ばれ、古くから盆踊りが盛んな土地として知られる。研究者の間では「盆踊りの宝庫」とも評されており、地域ごとの特色を色濃く残した盆踊りや、それにまつわる文化が今なお数多く受け継がれている。

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岸和田市壬生(はぶ)の「壬生鼓(はぶこ)踊り」(市無形文化財)。「ぶち」と呼ばれる巨大な石鹸のようなバチで太鼓を叩くのが特徴
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泉佐野市南中樫井の「樫井(かしい)さんや踊り」。大阪では珍しい徹夜踊り。ここでしか見られない独特の風習がいくつも残っている

   そういった比較的多様性が維持された泉州の中でも、河内における河内音頭や江州音頭のように、大衆の支持を集め、地域を代表する音頭として根付いているものがある。それが「泉州音頭」だ。泉州地域には、この泉州音頭の音頭会が30会派以上存在するといわれており、人気の高さがうかがえる。

   また、泉州音頭には大きく二つの系統がある。一つは南河内に伝わる「改良節」という音頭にルーツを持つとされる「和泉音頭」。もう一つは、泉北(大阪府南部の中央エリア)の音頭取り・秀若が考案したとされる「和泉江州」だ。いずれも江州音頭とメロディーは似ているが、和泉音頭はメジャー調で素朴かつ豪快、和泉江州はマイナー調で哀愁に満ちた節が特徴である。和泉江州は誕生以来、たいへんな人気を博したようで、現在も泉州音頭の音頭取りの多くが和泉江州を歌っており、泉州音頭の主流となっている。

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2017年、筆者が初めて大阪で遭遇した泉州音頭の音頭会(たちばな会)も「和泉江州」の系統だった

   今回、紹介する「宝龍会」は、泉州で活動する数ある音頭会の中の一つだ。結成されたのは二十数年前。泉州音頭の名門とされる花沢会から分派した白龍会、そこの音頭取りであった弘若(ひろわか=現・宝龍会会長)が、師匠の玉秀と独立し玉秀会を結成。そこからさらに独立して宝龍会を立ち上げた。現在主流の和泉江州ではなく、昔ながらの「和泉音頭」の伝統を守り、活動を続けている。

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宝龍会の師匠筋に当たる音頭会「花沢会」。現在も活動中で、過去にはレコードを出した実績もある

   筆者がこの宝龍会と関わることになったのは、2018年のことだ。江州音頭・河内音頭・泉州音頭を大阪府の三大音頭と称することもあるが、江州音頭や河内音頭の圧倒的な知名度に比べると、泉州音頭は府内でもいまだ「知る人ぞ知る」という通好みの存在かもしれない。

   江州音頭や河内音頭の後塵を拝する状況を打破すべく、宝龍会としては泉州音頭をいかにして盛り上げるか、日々思案を重ねていたようだ(こういった話はあとから聞いたことだが)。そんな折、東京で盆踊りブームが起きているという話を聞きつけ、Twitter(現・X)で積極的な情報発信に乗り出す。宝龍会のブレーン兼スポークスマンであり、会長・弘若の右腕でもある宝龍弘丸(ひろまる)、通称「シュウさん」は「違う層(大阪府以外の人たち)に響くようなきっかけを作りたいなと、いつも思ってたんや」と、当時を振り返る。

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シュウさん(宝龍弘丸)

   自分も細かい経緯は忘れてしまったが、そういった流れの中で、当時盆踊り好きとして情報収集をしていた筆者も大阪からの電波をキャッチし、Twitterを通じて交流が始まったのだと思う。

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宝龍会が音頭に呼ばれている会場の一つ、和泉市桑原町自治体の盆踊り大会(2019)
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岸和田市加守町2丁目の盆踊り大会(2023)
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とある盆踊り大会の打ち上げに混ぜていただいた(右上が筆者)

東京公演・オンライン盆踊り・クラファンを実現

   交流を深める中で、「東京で公演をしたいから、イベントを企画してくれないか、会場は100人入りを希望」という相談がシュウさんから寄せられた。面白そうだけど、そんなイベントができるのだろうか? ノウハウはないまま、ともかく周りの踊り仲間たちに声をかけ、「実行委員会」を結成。ポスターの作成、集客用の事前イベントの企画などに奔走し、2019年3月、なんとかイベント「泉州ナイト」の開催にこぎつけた。東京では河内音頭や江州音頭よりもさらに知名度のない泉州音頭のイベントながら、多くの人の協力を得て、会場の外まで客があふれる満員御礼の盆踊り大会となった。

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第1回 泉州ナイトの告知ビジュアル
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第1回 泉州ナイトの様子。会場である本所地域プラザBIG SHIP(東京都墨田区)が鮨詰め状態となった
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2022年の第2回大会では、なんと会場にヤグラを設置した

   ちなみにこのイベント、確かにお膳立てをしたのは東京の実行委員会(盆踊り好き有志たちの集まり)であったが、交通費やホテル代はすべて音頭取りたちの自腹。当時、イベントの宣伝記事として宝龍会のみなさんにインタビューをさせてもらったのだが、その時のシュウさんの言葉が忘れられない。

「ずっと俺らは(筆者注:音頭の活動を)ボランティアでやってるわけで。何でお前らそんなことするんやって言われたら、誰も分かれへんと思う。でも、これ(昔ながらの泉州音頭)はなくしたらあかんと思てるし、まあ自分も好きだし(中略)赤字、全部赤字。(中略)でも俺らは、大好きな泉州音頭が消えていきつつある雰囲気を感じたから、ここは必死な動きをしていかなあかんちゃう?っていうて。目先のお金を追ってどんどん消えていくよりも、こうやって赤字のことをやって、『ここに泉州音頭あり』って旗立てる方がええん違うかって俺は思って」
(「東京イベント開催記念! 大阪のディープサウスで人々を熱狂させる盆踊り「泉州音頭」とは何なのか!? 実際の音頭取りに聞いてみた【後編】」(オマツリジャパン)より)

   新型コロナウィルス感染症が蔓延したのは、イベント開催から一年後の2020年のことだ。今年の盆踊り大会は軒並み中止という気配が濃厚になるなか、宝龍会は「オンライン盆踊り」という斬新すぎるイベントを2020年6月に敢行。オンライン会議サービスZoomとYouTubeで音頭取りと踊り子をつなぎ、バーチャル世界での盆踊り大会を実現した。私も開催に向けていろいろとサポートをさせてもらったが、平均年齢50歳のアナログおじさんたちが、ネット環境の構築に四苦八苦しながら、ほぼ自力で遅延のないオンライン配信にこぎつけたのには驚かされた。

それでも祭りは続く 第21回20
それぞれの自宅にいる音頭取りたちが、音頭、三味線、太鼓を同時演奏で同期させるという神業を実現。またスーパーチャットでの投げ銭も呼びかけた
それでも祭りは続く 第21回21
シュウさんの自宅。配信のためにパソコンやオーディオインターフェースの購入、ネット回線の開通など、かなりの投資をしたという
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オンライン盆踊り大会の取り組みはテレビにも取材された

   コロナ禍が落ち着きはじめた2022年には『発会二十周年記念音頭大会』開催のためのクラウドファンディングを実施。コロナ禍の活動休止で経費が底をつく中、なんとかイベントを開催したいと右も左もわからない状態でプロジェクを立ち上げた。その結果、目標金額の950,000円を達成し、同年7月には2回目の東京公演も実現した。

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宝龍会が立ち上げた、クラウドファンディングのページ

   遠く東京の人間たちも巻き込んで関東遠征を2度も実現し、コロナとなればオンラインイベントを立ち上げ、資金が尽きればクラファンを実施しと、ここまでアグレッシブに活動する大阪の音頭会は皆無と言ってもいいのではないだろうか。なぜそこまでするのか。クラウドファンディングのページに掲載された文面を引用してみたい。

泉州地域は日本有数の『盆踊り大会密集地域』です。(中略)それぞれの村の方々にとっては今でも『自分の村の年中行事の一つ』であり、他の地域の盆踊りに興味などありません。その為、他の地域の影響を全く受けないまま古来のスタイルを残したままの盆踊り大会も非常に多いです。一番残念なのは、それが貴重な文化という事に誰も気づいていないという事なのです。(中略)幸い近年では、東京を中心に『盆踊りブーム』が起き、各地の盆踊り大会やイベントに積極的に踊りに行く『盆踊ラー』なる方々が出現し、我が宝龍会の櫓やイベントにも遠くから多数お見えになるようになってきました。(中略)この様に、地元以外の場所でブームを作って頂く事により『逆輸入的』に、泉州の地でも再確認されるのではないか?と考え、宝龍会は積極的にイベント活動をしています。
(MOTION GALEERY内 宝龍会 クラウドファンディングページより)

   もちろん、自らの会派の存続をかけた取り組みという側面も多分にあるだろう。しかしその先には、「泉州の古くて貴重な文化の価値を、地元の人たちにこそ気づいてもらいたい。そのために泉州音頭を盛り上げていきたい」という強い思いがあるのだと思う。

泉州の盆踊り文化を守りたい

   実際のところ、泉州という地域には、府内の他のエリアよりも独特の盆踊りの風習が残っているケースが多いように感じる。

   たとえば同じ泉州音頭でも、地域によって踊り方が細かく異なるという点も特徴だ。他の盆踊りであれば、河内音頭ならこの踊り、江州音頭ならこの踊り、東京音頭ならこの踊り、と多少のバリエーションはあれど、ある程度「定番の振り付け」というのが存在するのが基本だが、泉州音頭には「定番の踊り」というものがない。地元の人の踊りに合わせるしかないのだ。

   また泉州では、贔屓にしている音頭取りに対してお花(おひねり)を渡すという風習もある。お花をあげると、音頭取りが最後に音頭に合わせて名前を読み上げてくれる。この風習だけでも十分ユニークだが、ある地域では、地上からヤグラの上までロープを張り、受付でお花を渡すとポチ袋が洗濯バサミでロープにくくりつけられ、それを上から音頭取りが引っ張り上げて受け取るという、アクロバットな技を目にすることができる。



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樫井さんや踊りでは笹にポチ袋を付けて踊っている子どもたちに持たせる文化がある

   よそ者にとっては「保存するべき貴重な文化」となるが、地元の人にとっては貴重でもなんでもない毎年恒例の当たり前の光景。だからこそ、文化はあっけなく消えてしまう。シュウさんは次のように危機感を募らせる。

   「(泉州にはそれぞれの地域に独自の踊りがあるのに)他の地域から来た踊り子が違う踊りをしたり、『泉州音頭はこう踊らなあかん』と逆に教えてしまったり。ほら、泉州の踊り子たちはみんな消極的やから、『プロが来てくれた』ってすぐ染まってしまうねん。ある時から泉州の盆踊り会場に他所からの踊り子が増えるようになって、(踊りが壊れてしまう)危険性がごっつい増えたんや。それでホームページで踊り子たちに、宝龍会が主催するイベントではどんな踊りを踊ってもいいけど、地域の盆踊りではそこの踊りを守ってくださいって呼びかけることをはじめた。それを10年くらい続けていくうちに、ようやくその値打ちっちゅうものが、みんなに浸透してきたんやないかな」

それでも祭りは続く 第21回25
浴衣を着込むでもなく地元の人たちは普段着姿で気取らずに踊る

   シュウさんの言う通り、泉州では地元の人も積極的に踊りに参加する様子は見られない。民舞のように指先までピンときれいに伸ばして踊るという雰囲気はなく、子どもたちがキャーキャー叫びながら走り回り、大人たちは踊るというより、ダラダラと歩きながら適当に足を合わせ、音頭を聞きながら楽しむという感じ。きれいに踊ることよりも、その場の空気感や音頭に浸ることを大切にしているように感じる。そして、この雰囲気も音頭取りたちも楽しんでいる。「消極的な踊り子たちをいかに躍らせるか、これが面白いんや」とシュウさんは言う。

子どもの頃から求め続けた泉州音頭の節

   大阪府の貝塚市で育ったシュウさん。もちろん幼い頃から泉州音頭に親しんできた。

   「子どもの頃から音頭が好きやって。『この音楽、ええなあ』っていう感じで。それで、近所の市街地の方にあったヤグラで、白龍会を見たと思うんねん。あとで会長に聞いたら、『そこ(の盆踊り大会)に行ったことがある』って言っとったからな。ヤグラに幕(泉州の音頭取りは、師匠に認められたら自分の名前が刺繍された幕を作ることを許される)を垂らしてやってるのを見て、町内のおっちゃんの音頭より上手いなって。あの音頭ええな、また聞いてみたいなと思って、次の年も遊びに行くようになって」

   いわば追っかけのような形で、毎年そのヤグラに遊びに行くようになったが、ある時から、その盆踊り大会自体がなくなってしまう。「その時は子どもやから、そのおっさんら(音頭取り)がどっかから雇われて来てるなんて思いもせえへんかった」とシュウさん。少年時代のシュウさんにとって、盆踊り大会がなくなるということは、永遠にその音頭が聞けなくなることを意味していた。

   その後も、音頭に対する思いは止まず、大人になってもカセットテープで泉州音頭を聞くなどして関心を深めていた。「自分も音頭を取ってみたい」思いは募り、25歳の頃、近所で襲名披露大会を催していた音頭会に勢いで入会。しかし、そこの会派の音頭が、自分が子どもの頃に惚れ込んだメジャー調の泉州音頭(いわゆる『和泉音頭』)ではなかったため、すぐに脱会。当時、泉州音頭の主流はマイナー調の「和泉江州」であった。

   その後、一緒にブルースバンドを組んでいた同僚が「昔、音頭会でギターを弾いていたことがあるよ」と打ち明けて来たことで事態が一変。実際にギターを弾いてもらうと、それが探し求めていた和泉音頭の節だった。さっそく、その会のメンバーを紹介してもらおうと同僚に紹介を依頼したが、電話番号が変わってしまったのか、連絡を取ることができなかった。ちなみに同僚に教えてもらったその連絡先は、現在の宝龍会の会長・弘若師匠の電話番号だった(当時、白龍会に所属)。

   それから10年が経つも、相変わらず、あの頃に聞いた泉州音頭は頭の片隅にあった。ある時、仕事仲間からの紹介で、ようやくシュウさんは連絡をし損ねた弘若師匠の連絡先を知ることになる。弘若師匠が宝龍会を立ち上げて数年後のことだ、

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ちなみにシュウさんの本職は看板屋

   「電話を教えてもろて、その場でかけてな。(弘若師匠に)ちょっと音頭をやってみたいんやけどって言ったら、えらい喜んでくれて。『今日、きいや』言うから、その晩に行って。ほんだら会長が『泉州音頭いうたかて、2つあるど』って言うて、『それっ』て歌い出した。2つ目の節を聞いた時に、『ああああ、それそれ! それがやりたいんですわ!』って言うたら、えらいうれしそうな顔して。当時、というか今でもそうやねんけど、この節(和泉音頭)を弟子をとってでも教えていたのは、弘若だけやねん。ほんまラッキーやった」

   子どもの頃に憧れた泉州音頭の節に、約20年を経てようやく会うことができたシュウさん。音頭に惚れ込み、追求し続けてきたという歴史。泉州音頭と泉州の盆通り文化を守りたいというシュウさんの熱い思いの源泉はここにある。

「当たり前のこと」が失わなれるとき

   文化財としてではなく、生きた盆踊り文化が今も脈々と受け継がれている大阪。しかしだからこそ「保護の対象」として意識されにくく、ちょっとしたきっかけで文化が失われてしまう危うさも、どこかに潜んでいるのかもしれない。大阪の盆踊りカルチャーに長く接する中で、そんな不安を拭えずにいる。

   そして、こういったリスクは、大阪の盆踊りだけの話ではない。身近な町内会の盆踊り大会でさえ、実は「当たり前のもの」ではないのかもしれない。気づかぬうちに消滅の危機に直面し、ある日突然、目の前から消えてしまうこともあるのかもしれない。

   伝統文化の継承に貢献するために、まず何ができるか。その問いへの答えは、身の回りにある「当たり前」を当たり前と思わずに見つめ直すこと、そこからまずは始まるのではないだろうか。(了)


Text:小野和哉

プロフィール

小野和哉

小野和哉

東京在住のライター/編集者。千葉県船橋市出身。2012年に佃島の盆踊りに参加して衝撃を受け、盆踊りにハマる。盆踊りをはじめ、祭り、郷土芸能、民謡、民俗学、地域などに興味があります。共著に『今日も盆踊り』(タバブックス)。
連絡先:kazuono85@gmail.com
X:hhttps://x.com/koi_dou
https://note.com/kazuono

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