解散危機を乗り越え前に進む「上三坂のヤッチキ踊」(福島県いわき市三和町上)【それでも祭りは続く】
日本には数え切れないほど多くの祭り、民俗芸能が存在する。しかし、さまざまな要因から、その存続がいま危ぶまれている。生活様式の変化、少子高齢化、娯楽の多様化、近年ではコロナ禍も祭りの継承に大きな打撃を与えた。不可逆ともいえるこの衰退の流れの中で、ある祭りは歴史に幕を下ろし、ある祭りは継続の道を模索し、またある祭りはこの機に数十年ぶりの復活を遂げた。 なぜ人々はそれでも祭りを必要とするのか。祭りのある場に出向き、土地の歴史を紐解き、地域の人々の声に耳を傾けることで、祭りの意味を明らかにしたいと思った。 きっかけはYouTubeの動画 継承の危機を迎えている郷土芸能に対して、必ずしも地域のメンバーではない人間が個人としてできるサポートにはどのようなものがあるのか。これは、個人的にここ数年考え続けているテーマでもあるのだが、地域の外側から継承に取り組む実践者の一つのロールモデルとして私が参考にしているのが、福島県いわき市を中心に、地域の民俗や芸能についての調査・記録に長年取り組んでいる“地域文化活動家”の江尻浩二郎さんだ。 江尻さんの主要なテーマの一つが、いわき市三和町上三坂地区に伝わる「上三坂のヤッチキ踊」(県指定重要無形民俗文化財)の起源と伝播である。ヤッチキ踊とは、非常に躍動的な動きと、エロチックな歌詞が特徴的な輪踊り。かつては「櫓こわし」とも呼ばれ、踊り子が他所まで遠征して、ヤッチキの激しい踊りでその地域の踊りの輪を崩したと、そんなエピソードも残されている。 この芸能に関して、これまでの記録や調査が非常に少ないなか、江尻さんはコロナ禍以前から丹念に現地や周辺地域、さらには遠く九州や北海道でも聞き取り調査を重ね、さらにリサーチだけにとどまらず、積極的な情報発信やイベント開催などの継承活動に取り組み、いつの間にか、自らも保存会のメンバーとなってしまった。 私がヤッチキ踊のことを知ったのは、まさにこの江尻さんが2020年3月、YouTube上で公開したヤッチキ踊に関する動画がきっかけであった。それまでの調査結果を集大成した、前中後編にわたる大作で、その熱量、面白さに圧倒され、総計3時間以上ある動画も苦もなく視聴できてしまった。 「一体この人は何者だろう」。あまりの衝撃に、動画視聴後、思わず私から連絡を取ったのが交流の始まり。そこから一緒に飲んだり、互いの企画にゲストとして誘い合ったりと、関係はいまも継続している。 江尻さんの出身地は福島県いわき市小名浜である。上三坂も同じいわき市ではあるが、車で1時間ほどの距離にある隔たった地域にあり、つまり上三坂からの人からしたら江尻さんは「部外者」といってもいい存在だ。それでも現地の方と持続的に「良い」関係性を築きつつ、「外」と「内」、その間にある境界線を軽やかにまたぎながら、郷土芸能を盛り立てている。なぜそのようなことが実現できているのか、今回は特別編として、江尻浩二郎さんにヤッチキ踊に関わるようになった経緯から、郷土芸能に対する思いまでお聞きした内容を、インタビュー形式でお届けする。 ※記事中の写真は特に注記のないかぎり、すべて江尻浩二郎氏提供 今回お話を伺った江尻浩二郎さん <プロフィール> 福島県いわき市小名浜出身。地域文化活動家、リサーチャー、ライター。全国放浪後、海外の国際機関に勤務。震災後に帰郷して地元のコミュニティFM、同じく地元の大学非常勤講師を経て、現在はフリーランスとして地域文化・医療・福祉などの分野で活動している。いわき市地域包括ケア推進課によるプロジェクト「igoku」では主にリサーチを担当。県指定重要無形民俗文化財「上三坂ヤッチキ踊」の保存会メンバーでもあり、その記録や継承に地域外から携わっている。 父親から聞かされた津波の話 ――江尻さんが地域の歴史や民俗に興味を持ったきっかけはなんだったんですか? 私の出身地はいわき市の小名浜(おなはま)というところなんですけど、多くの地域と同じく、別に教科書読んでても出てこないし、なんとなく「歴史」って自分とは関係のないTVや本の中のことだと思ってました。でもいま考えれば、私はちっちゃい頃から家族とか親戚とかが語る昔話が妙に好きで、例えば戦争の時みんなであそこに逃げたんだみたいな話を、すごく面白がって聞いてましたね。 江尻さんの故郷、小名浜 その中でも非常に印象的だったのが、小学校3年生だったと思うんですけど、突然親父に出されたクイズでした。簡潔に言うと「小名浜に昔津波が来たとき、富ケ浦(現在は公園整備されている高台)と熊寺(町中にあるお寺)、どちらに逃げた人が助かったか」というものなんですが、正解は熊寺でした。その理由は、私の住む「中島」という地区はかつての中州(島)であり周辺より少し高いということ、そして富ケ浦に行くには川を渡らなければならないんですけど、津波は川を上るので、川を渡る時にみんな流されてしまったということの2点でした。身近な災害の話も衝撃だったんですが、この「自分の住んでいる場所にもその成り立ちや、名も知れぬ多くの人々の暮らしがあった」という感覚が、その後地域に関心を抱く大きなきっかけになったんだと思います。 ――現在、お仕事としては、どのようなことをされているのですか? 歴史の調査などもお仕事としてやられているのでしょうか? 少し前までは、地元の大学の非常勤講師として留学生に日本語や日本文化の授業を行っていましたが、現在は大学を辞めまして、完全にフリーランスです。主にリサーチや執筆、時には文化的なプロジェクトのメンバーとしてお仕事をいただいたりしてます。 いわゆる「歴史」ではなく「民俗」っぽいほうに興味があるので、そういう部分を担当することが多いですね。大きなプロジェクトで言うといわき市の文化事業「いわき潮目文化共創都市づくりの芸術祭に3年間携わったり、また変わったところだと、同じくいわき市の地域包括ケアプロジェクト「igoku」※に2018年から参加してまして、地域の民俗や文化を掘り起こしながら福祉の文脈で記事を執筆したり、調査結果をもとにフェスの企画にも関わったりしています。 ※「地域包括ケア」の推進を目的としたいわき市のコミュニティデザイン・プロジェクト。市職員と地元クリエイターがチームを組んだ「いごく編集部」が、デザインやエンターテインメントを活用して、一般に扱いづらいとされる「老い・病・死」をテーマに情報発信や体験型イベントを実施。住み慣れた地域で自分らしく暮らし続けられる環境づくりを目指している。2019年にグッドデザイン金賞を受賞。 ――いわき市内や、小名浜地域でのツアーガイドなどもされていますよね。以前、僕も参加させていただいた江尻さんが案内する「十十王申す復活プロジェクト」※も面白かったです。ちなみに、郷土芸能にも昔から関心はあったのですか? 20代から日本のあちこちを旅してまして、最初は自分の興味を絞らず、なんでも貪欲に見てやろう聞いてやろうという気持ちだったんですが、そのうち「結局自分は民俗学っぽいものが好きなのかも」と気づきまして。また芸能で言うと、子どものころ一緒に住んでた伯母が家で三味線を弾いてたこともあり、なんかそういう音環境が落ち着くなあと思ったり。で、気づけばどの地域に行っても芸能をチェックするようになり、特に神楽には一時期めちゃくちゃハマりまして、それこそ日本中見て回りました。 ※江戸時代の磐城平(いわきたいら)で行われていた、念仏踊りを伴った巡礼行事「十十王申す(とじゅうおうもうす)」を、現代に復活させる試み。 いわきの城下町周辺に点在する十王堂跡などを徹夜で歩いて巡る市民参加型のまち歩き・巡礼プロジェクトとして展開されている。江尻さんと、大阪府在住のコモンズ・デザイナー・陸奥賢さんとの共同プロジェクト。 鰐浦を見下ろす(長崎県上県郡上対馬町)※現・対馬市上対馬町 大分県豊後高田市に伝わる「ホーランエンヤ」という祭り 銀鏡神楽の風景(宮崎県西都市)...