再生と創造で新たな歴史を紡いでいく「赤沼の獅子舞」(埼玉県春日部市)【それでも祭りは続く】

再生と創造で新たな歴史を紡いでいく獅子舞「赤沼の獅子舞」(埼玉県春日部市)【それでも祭りは続く】

日本には数え切れないほど多くの祭り、民俗芸能が存在する。しかし、さまざまな要因から、その存続がいま危ぶまれている。生活様式の変化、少子高齢化、娯楽の多様化、近年ではコロナ禍も祭りの継承に大きな打撃を与えた。不可逆ともいえるこの衰退の流れの中で、ある祭りは歴史に幕を下ろし、ある祭りは継続の道を模索し、またある祭りはこの機に数十年ぶりの復活を遂げた。
なぜ人々はそれでも祭りを必要とするのか。祭りのある場に出向き、土地の歴史を紐解き、地域の人々の声に耳を傾けることで、祭りの意味を明らかにしたいと思った。

子どもや女性が活躍する獅子舞

   祭りの中でも獅子舞が好きで、特に関東地方を中心に伝わる「三匹獅子」という形態の獅子舞を好んで見学している。本連載でも三匹獅子舞については過去に取り上げた(第6回「田倉の三匹獅子」)。

   同じ三匹獅子でも、地域によって演目の内容が異なったり、獅子頭の形状に違いがあったりと、細かな差異がある。一方で、獅子舞の演じ手が男子、かつ長男に限る、というしきたりはどの地域でも共通であるように思われる。「家督」という概念が希薄化したいまでは、さすがに長男限定という縛りはほぼなくなったように感じるが、それでも依然として「獅子舞は男子が舞うもの」というルールを頑なに維持している地域は多い。女性が演者として参加するにしても、笛や太鼓を担当するケースが大半であるように思う。

   一方で、女性が舞い手として活躍している地域もある。埼玉県春日部市赤沼に伝わる「赤沼の獅子舞」もその一つだ。赤沼の獅子舞では、2019(令和元)年より女性が獅子の舞い手として参加しており、さらに1990年代より子どもも獅子舞に参加している。私が初めて赤沼の獅子舞を見学したのは2024(令和6)年10月のこと。それと知らずに訪問したので、子どもや女性が獅子として舞っているのを見て驚いた。

それでも祭りは続く 第22回01
2024(令和6)年、秋の例大祭の様子。赤沼では夏と秋に獅子舞の奉納が行われ、夏は豊作を祈願する「弓くぐり」が演じられ、
秋は収穫の祝いと感謝を意味する「魚釣り」や「種まき」などの演目が奉じられる
それでも祭りは続く 第22回02
2026(令和8)年、夏の例大祭。写真は「稲荷(とうか)の舞」。狐にさらわれた子どもには福がもたらされるという
それでも祭りは続く 第22回03
子ども獅子舞(2024)

   獅子舞に限らず、祭りの担い手不足に悩む全国の地域では、昔からのしきたりをどこまで守るべきか、その判断に苦しんでいるところが多いように思う。なぜ、赤沼の人々は柔軟に変化することができたのか。そのヒントを探るため、赤沼の獅子舞を守る「赤沼獅子舞社中」の方々に話を聞いてみることにした。

最年少の獅子舞は3歳

   取材を依頼したところ、夏の例大祭に向けて神社の集会場で稽古をする様子を見学させてもらえることになった。折しも取材当日は梅雨真っ盛りの土砂降りで、ずぶ濡れになりながらようやく建物の入り口に辿り着くと、今回の取材を取り継いでくれた赤沼獅子舞社中・広報の飯川明男さんが出てきて、「雨、大丈夫ですか……」と労わりの声とともに中へ案内してくれた。

   集会所の大部屋で待っていると、続々と親御さんに連れられた子どもたちがやってくる。「子ども獅子は小学6年生までを区切りとしていて、現在メンバーは6名。一番下の子で3歳です。以前は10名くらいいたんですけどね」と飯川さんが教えてくれる。

   稽古はおよそ2時間。前半は子ども獅子の時間で、メンバーが集まると、さっそく笛や太鼓に合わせて子どもたちが舞い始めた。

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獅子舞の練習に励む子どもたち
それでも祭りは続く 第22回05
お囃子は笛と締め太鼓に胴太鼓が加わる

   すでに舞の基本形は子どもたちの体に染み付いているようで、楽しそうな表情で、軽やかに舞う。大人たちも基本は静かに見守りながら、時折「メリハリをつけよう!」など、横から檄を飛ばす。瞬間、グッと稽古場の熱が高まる。

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「もっと盛大に! 君たちは獅子なんだ」。73歳の現会長・島田 定夫さん(写真手前右)の指導も段々と熱を帯びてくる

   子どもの稽古時間が終わると、休憩を挟んで大人(中学生以上)の稽古となる。始まるまで、いただいたお茶を飲みながら待っていると、目の前に思いがけない光景が飛び込んできた。子どもたちが獅子頭をかぶって遊び出したのだ。正直、この光景にはいい意味で面食らった。

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交互に獅子頭をかぶって遊ぶ子どもたち。子ども用の獅子頭は、2014年に新たに制作されたもの

   獅子頭というと、一般的には神聖なものとして扱われ、おいそれと触れることが許されない、神聖な存在というイメージがある。これは、私がこれまでさまざまな地域で獅子舞を見てきたなかで抱いてきた印象だ。もちろん赤沼でも、獅子頭が地域の人々にとって大切なものであるという認識は変わらないだろう。しかしここでは、子どもたちでも獅子頭に気軽に触れることができる、どこか開かれた雰囲気が漂っている。子どもたちと獅子のこの距離の近さこそが、赤沼の獅子舞の柔軟な姿勢を物語っているように感じた。

子ども獅子舞から誕生した女性獅子舞

   しばらくすると、大人の稽古時間が始まった。この日の舞い手は女性がメインである。先ほどの子ども獅子の稽古では見られなかったキレと迫力のある舞が繰り広げられる。

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女性の舞い手は10代〜20代と、若手がメイン
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女性メンバーの一人、岩井 瑞貴さん

   先にも述べた通り、赤沼の獅子舞に女性の舞い手が初めて参加したのは、2024(令和6)年のことだ。きっかけは、子ども獅子を務めていた女子メンバーのうち、小学校卒業後も太鼓や笛の囃し手として関わり続けていた数名の存在だった。彼女たちが成長するにつれ、「女性だけで獅子を舞ってみようか」という話が自然と持ち上がり、女性たちも「やってみたい」という意思を示したことで、実現に至った。以来、女性メンバーの参加が定着している。

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写真中央が岩井さん

   そして、この日の稽古の最後には、夏の例大祭での大きな見せ場となる「弓くぐり」という演目の練習が行われた。太夫獅子・中獅子・雌獅子の三頭のうち、通常この弓くぐりを務めるのは太夫獅子である。太夫獅子は「成長した獅子」という位置付けであるため、男性が務めることが前例となっている。しかし今回の稽古には、男女の別なく全員が参加した。いずれ女性メンバーが太夫獅子を務める未来も、想定しているのかもしれない。

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弓くぐりは、今年一年の豊作を占う演目。無事に獅子が弓をくぐれると豊作が約束される。そのため失敗が許されない

戦後に一時途絶えた300年の歴史

   稽古のあと、現在の赤沼獅子舞がいかにして成立したのか、会長を含む4名の方にお話を伺った。

それでも祭りは続く 第22回12
左から赤沼神社総代 佐久間 宣規さん、赤沼獅子舞社中 会長 島田 定夫さん、同 坂巻 武司さん、同 広報担当 飯川 明男さん

「赤沼は古利根川(ふるとねがわ)と中川に挟まれた川沿いの集落で、昔から水田などの農業を中心とした地域でした。長く続いている家が多く、現在でも兼業農家は多いものの、高齢化が進んでいる状況ですね」。赤沼神社総代の佐久間さんが、赤沼という地域についてそのように説明してくれる。

   川に挟まれた地形であることから、昔から水害に苦しめられてきた土地であろうことは想像に難くない。実は「赤沼」という地名の由来も、この地域を取り囲む河川と深く関係している。『さいたまの地名(埼玉ふるさとシリーズ4)』(埼玉県県民部県民文化課)で紹介されている謂(いわ)れは、次のとおりだ。現在、赤沼の薬師沼がある場所には、かつて小さな池があり、そのほとりには薬師堂がまつられていた。しかし利根川の氾濫によってこの池は沼と化し、薬師堂も水没してしまう。そして、薬師如来に供える「閼伽(あか)」(仏前に供える香水)にちなんで、「赤沼」という地名が生まれた。

それでも祭りは続く 第22回13
雨の古利根川

   赤沼の獅子舞の発祥は江戸時代まで遡り、その歴史は約300年に及ぶという。由来を記した「獅子佐々羅事」という文書には、享保3年(1718年)、武蔵国新方領下間久里(現・埼玉県越谷市下間久里)の無双角兵衛から、赤沼村の平七郎へと獅子舞が伝授されたことが記されている。この時期を前後して、下間久里からは千葉県野田市清水、埼玉県春日部市銚子口、同・東中野にも獅子舞が伝わった。島田さんによれば、これらはいずれも赤沼獅子舞の兄弟分にあたるという。

「伝わった順ではうちは三男なんですけど、でもね、同じ兄弟なのに不思議にも踊りが全部違うんですよ。獅子舞の免状だけもらって、踊りは教えてもらってないんです。それは門外不出なんですよね。だから、いま赤沼に伝わっている踊りは、私たちの先祖が創作したものなんです」

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三番叟(さんばそう)という演目では、太夫獅子が、下間久里から授かった免許状の入った箱を手に持って舞う

   古くから、地域の五穀豊穣・家内安全・悪病退治を祈願して奉納されてきた赤沼の獅子舞だが、実は1961(昭和36)年に、その歴史は一度途絶えている。要因については判然としておらず、人手不足が原因だとか、獅子舞関係者が立て続けに亡くなったことがきっかけだとか、さまざまなことが言われている。

それでも祭りは続く 第22回15
中断する前の獅子舞の写真が集会所に掲示されている。撮影年不詳

   しかし、それなりの覚悟を持った決定だったと思われるのは、中止にあたって獅子舞の笛がオープンリールに記録されているからだ。地域の伝統がなくなることを惜しんだ先人たちが、せめて音だけでも後世に残そうと録音をしたのか。そこからは、赤沼の人々の断腸の思いを感じ取ることができる。

失敗を乗り越え果たした獅子舞完全復活

   獅子舞を復活させようという話は、中止となってから早々に、地域の中で持ち上がっていたという。埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』(1998)によると、1971(昭和46)年には、当時の氏子総代である川鍋成雄という人物を中心に復活の声が上がっていたという。昭和60年代に入ると、氏子総代、自治体関係者の間で、復活の機運は一層高まる。島田さんの記憶によれば、当時、地区内で獅子舞を復活すべきか否かというアンケートも実施されたという。

「私も子どもの頃に獅子舞を見ていたので、中断していた獅子舞がいつか復活したらいいなという思いはありました。80年代後半の頃、私は地域の青年会に所属していて、お神輿の笛を練習していたんですが、そんな折に、春日部市の方から『補助金を出すので獅子舞を復活しないか』というお話をいただいたんです。具体的には、笛の練習時間の最後30分だけでも獅子舞の笛を練習してくれれば、5万円を出すと。当時、我々青年会も手弁当で活動をしていたので、『よっしゃー』ってみんな喜んで(笑)。この補助金の受け皿として、保存会も結成されました」

   先人が残したオープンリールの音源をもとに、青年会のメンバーを中心に笛や太鼓の練習が行われるようになった。それから数年ほど練習を重ね迎えた1988(昭和63)年の夏、保存会の会長と島田さんは地区長や氏子総代に赤沼神社へと呼び出しを受ける。

「ムシロも買った、半被も買った。もう獅子舞できるだろうって。お前ら、何年練習してるんだっていう話だったんですよ。できませんって答えたんですけどね(笑)。だって笛・太鼓は練習してるけど、踊りは教わってないですから。そしたら、その年の10月の例大祭で獅子舞を披露するということになって、昭和36年の中断前に獅子舞を経験している方を3名お呼びして、稽古してもらうことになったんです。本番までに3〜4回は練習しましたかね」

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島田さんは獅子舞復活の立役者の一人。いまは指導者の立場で若手たちを見守っている

   古老から教わった演目は「三番叟」と「ぶっきり」。2演目で2分程度しか時間がもたず島田さんは不安を抱えていたが、当時の氏子総代からは「(披露目会には)身内だけしか集まらないから大丈夫だよ」と言ってもらった。しかし、当日を迎えると予想以上に話が広まっていて、100名以上もの観客が詰めかけたという。

「どうするんだってなって(笑)、2分で終わっちゃまずいから、三匹でいっせいに舞うんじゃなくて一匹ずつ別々に2分、牛歩戦術でトータル10分くらいは踊ったんですよ。終わってから『これで本当にいいのかな?』と不安だったんですけど、まわりは『復活だ!』って喜んでいるわけですね。でも2週間くらいたつと悪口も聞かれるようになって、『あんなの子どもでもできる』みたいな……。それで僕らの先生に火がついて(笑)。『お前ら、教えてやる!』って10演目くらい教わって、必死に練習して。次の年の7月の例大祭は台風で中止になっちゃったんで、リベンジの場となったのが翌年10月の例大祭。見事、10演目を踊り切って、やっと地域の人たちから認められたんです」

それでも祭りは続く 第22回17
復活して間もない頃の写真。1991(平成3)年 提供:赤沼獅子舞社中
それでも祭りは続く 第22回18
弓くぐりの様子。1991(平成3)年 提供:赤沼獅子舞社中

   単に伝統を受け継いだというより、自分たちの努力で獅子舞をイチから作り上げたという自信。それこそが、その後の継承活動における島田さんらの大きな原動力になったに違いない。復活後は地域の祭礼だけでなく、郷土芸能関連のイベントにも意欲的に参加。また、中断されたままだった演目の再興にも積極的に取り組み、2014(平成26)年に「辻斬り舞」、2016(平成28)年に「鬼退治の舞」、2017(平成29)年に「種まきの舞」を復元した。

それでも祭りは続く 第22回19
辻斬りの舞(2026)
それでも祭りは続く 第22回20
鬼退治の舞(2024)
それでも祭りは続く 第22回21
種まきの舞(2024)

   復活した鬼退治や種まきなどの演目は、いずれもコミカルで、獅子舞の余興的な出し物という風合いが強い。赤沼には、かつてこうした神楽舞に使われていたとみられる面や道具が数多く保管されている。しかし、その大半は使い道がわかっていない。昔を知る古老たちも、過去に演じられていた演目の正確な内容を覚えているわけではない。そのため、復元にあたってはある程度の創作も交えている。

「もともと、赤沼の獅子舞自体が、地元の人たちが創作した踊りなんですよ。だったら、僕らも創作でいいんじゃないかっていう話になったんですよね。自分たちで新しい伝統を作ろうじゃないか、と。」そう、島田さんは話す。伝統は守るだけでなく、作るものでもある、その発想にハッとさせられる。

女性獅子舞を生んだ革新的な取り組み

   一度途絶えた伝統の復活、それだけでも大きな偉業である。だが、それを継続することもまた、同じくらいすごいことだ。赤沼の獅子舞では、継承のための特筆すべき取り組みをいくつか行っている。

   まず挙げられるのが、継承のためのデジタル活用だ。赤沼獅子舞には公式ホームページが存在するが、広報の飯川さんによると、立ち上げは2008年のこと。もともとは島田会長の娘さんが「お父さんのかっこいい獅子舞を紹介したい」という動機で開設したのがはじまりだという。「春日部市には獅子舞が9団体あるんですけど、2014、5年ぐらいの段階でも、ホームページを持っているのはうちだけだったと思います」と飯川さんが話すように、これは他地域に先駆けた動きだった。

   郷土芸能団体が専用のホームページやSNSアカウントを持って発信すること自体は、いまや珍しくない。それでも赤沼獅子舞が今なお革新的だと感じさせるのは、ホームページ内に「伝統芸能保存と継承のページ」を設け、笛や太鼓、獅子舞の演奏・所作を学べる動画を演目ごとに公開している点だ。動画はYouTubeにアップされ、URLをクリックすると視聴できる仕組みとなっている。

それでも祭りは続く 第22回22
動画のリンクはホームページ上で公開され、保存会員でなくとも誰でも見られる

   この取り組みを始めたのは飯川さん。経緯を次のように説明する。

「僕が獅子舞のメンバーになったのが2012年のことなんですけど、当時は獅子舞の笛には譜面がなく、直接耳で聞いて覚えるか、CDを聴くかしか練習の方法がなかったんです。もっと簡単に練習できる方法がないかなと考えたときに、思いついたのが動画でした。動画なら指の押さえ方もわかりますし、YouTubeにアップすれば自宅でも手軽に見て練習できます。そこで笛の先生にお願いして動画を撮らせてもらい、その後、先生の許可を得てホームページで公開したんです」

それでも祭りは続く 第22回23
稽古中の飯川さん

   実際に動画が練習の役に立っているのか聞いてみると、子どもたちに獅子舞の指導役を務める坂巻さんが「役立ってますね」と答えてくれた。

「やっぱりここに来てみんなと合わせて練習する時間って1時間しかないんで、この時間だけで獅子舞の踊りを覚えるのって難しいんですよ。だからある程度は、家で動画などを参考にしながら自主練習してもらう必要もあって。といって本番の動画を見ても、わちゃわちゃして体の動きがわかりづらいですから、やっぱり先生が丁寧に踊った練習用の動画があるといいんですよね」

それでも祭りは続く 第22回24
子どもたちを指導する坂巻さん

   続いて注目したいのは「子ども獅子舞」の取り組みだ。1988(昭和63)年に復活を果たした赤沼獅子舞だが、将来の後継者不足を危惧し、早くも1995(平成7)年には子どもの育成に取り組んでいる。「いつか必ず後継者不足になるという危機感は、早い段階で頭の中にあったんですよ、だから子どもの時からもう教えないと、と思ったんです」というのは島田さんの弁。

 「とはいえ、いきなり獅子舞を教えるわけではなく、最初は子どもたちを集めて、夏休みの宿題として獅子頭を作ってもらうことから始めたんですね。紙粘土で形を作って、色を塗って。1年で3個ずつです。作っていく中で、子どもたちにも『獅子舞とはこういうものだ』というのが自然と頭に染み込んでいくんです。そういった取り組みを3年ほど続けてから、『獅子舞をやってみたい人には教えますよ』と呼びかけて、1998年に正式に子ども獅子舞が発足しました」

それでも祭りは続く 第22回25
子ども獅子舞発足当時の写真。紙粘土で作った獅子頭をかぶって舞っている 提供:赤沼獅子舞社中

   実際、子ども獅子舞の取り組みは後継者育成に功を奏しており、子どもたちの中には、小学校卒業後も獅子舞に関わり続けてくれる子が出てきている。

   最後に取り上げたいのが、女性の獅子舞参加である。こちらの経緯についてはすでに触れたが、そもそも獅子舞は男性が舞うものという風潮がある中で、女性に参加してもらうことに抵抗はなかったのだろうか。率直にその質問を投げかけてみると、「なかったですね」と島田さんはまっすぐ答えてくれた。島田さんによると、これには先行して行っていた「子ども獅子舞」の取り組みが一役買っているのだという。

「そもそも子ども獅子(小学6年生まで)は、最初から男女関係なく参加できたんです。昔から女の子の方がメンバーが多かったくらいで。そういう環境で活動を続けているうちに、獅子舞は女性がやるものじゃないとか、そういうこだわりが自然となくなっていったんですね。だから彼女たちが大人になって『獅子舞をやりたい』といっても、すんなり自然に受け止めることができて、むしろ『やってくれるんだ』とうれしく思いましたよ」

   ここまで赤沼の獅子舞が柔軟な姿勢で活動できているのも、話を聞いていると、やはり一度歴史が途絶え、再び復活したという経緯に大きな要因があるように思う。復活の際に昔ながらの規律が一度取り払われたことで、伝統を受け継ぎながらも、ある程度しがらみなく自由に取り組むことができたのだろう。

「そうはいっても、復活した当時は、いまほど自由じゃなかったですけどね。当初は青年会が関わっていたので昔ながらの会則もあったんですけど、いまはそれも全部変えて、やりたい人がやる、という形で大きく門戸を開いてます。」島田さんはそのように話す。

それでも祭りは続く 第22回26
子どもたちの獅子舞に拍手を送る島田さん

継承とは、こだわりをなくしていく作業

   取材後も雨が止まず、最寄りの駅まで坂巻さんに車で送ってもらうことになった。道中でも、やはり会話は獅子舞継承の話に発展する。

それでも祭りは続く 第22回27
坂巻さんのお仕事は幼稚園の園長。子ども獅子の稽古にも、その経験が生かされている

   坂巻さんは赤沼の出身。小さい頃から地元の獅子舞は見てきたが、参加したのは大人になってからだという。きっかけは保存会の人から声をかけられたことだった。同じタイミングで、小さい頃から一緒に遊んできた友だちにも声がかかったため、「仲間がいるなら入ってもいいな」と誘いを承諾した。

「その友だちとは大人になってから疎遠になっていたんですけど、獅子舞の稽古でここに来ると昔話に花が咲くんですよね。それが楽しかったし、この獅子舞をどうやって継いでいくかという熱い話に発展することもあって。そういう時間が、獅子舞を続けていくモチベーションにもつながりましたね」

それでも祭りは続く 第22回28
弓くぐりが無事に成功して安堵の表情を浮かべる坂巻さん

   長年、太夫獅子として会長とともにメンバーを引っ張ってきた坂巻さん。実は、次期会長候補として会長から指名を受けている。「これからは外国人の方にも獅子舞を見にきてもらいたいですよね。なんだったら、獅子舞に参加してもらいたいとも思いますし」。次世代を担うリーダーとして、赤沼獅子舞の未来についての構想も、おぼろげながら描き始めている。

それでも祭りは続く 第22回29
坂巻さんのお仕事は幼稚園の園長さん。子ども獅子の稽古にも、その経験が生かされている

「継承って結局、こだわりをなくしていく作業だと思うんですよね」

   別れの間際、坂巻さんがポツリとこぼした言葉が、深く印象に残った。この連載で取材を重ねていると、「継承」という言葉が持つ意味合いは、地域によって少しずつ異なることがわかってくる。どれが正解で、どれが間違い、というわけでもない。ただ、中には「こだわりをなくす」という言葉をネガティブに受け止める人もいるかもしれない。

   それでも私が坂巻さんの言葉を支持したいと思うのは、彼らにとって「こだわりをなくす」ことが「何かをあきらめる」ことではなかったからだ。それはむしろ、「創造のプロセス」に等しいものである。赤沼獅子舞は一度中断したものの、地域住民の願いを受けて再びよみがえった。その後も創意を自由に発揮しながら、自分たち世代の獅子舞を創り出してきたのだ。

   これからも赤沼の獅子舞は、さまざまな継承課題に直面していくだろう。それでも、新しい世代がこれからどんな獅子舞を創り出してくれるのか、期待せずにはいられない。(了)


Text:小野和哉

プロフィール

小野和哉

小野和哉

東京在住のライター/編集者。千葉県船橋市出身。2012年に佃島の盆踊りに参加して衝撃を受け、盆踊りにハマる。盆踊りをはじめ、祭り、郷土芸能、民謡、民俗学、地域などに興味があります。共著に『今日も盆踊り』(タバブックス)。
連絡先:kazuono85@gmail.com
X:hhttps://x.com/koi_dou
https://note.com/kazuono

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