カワイ出版
三宅悠太:混声合唱とピアノのための「遠きものへ──」
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作曲:三宅悠太
作詩:長田 弘
A4判/44頁
グレード:中~上級
演奏時間:約15分20秒
ISBN 978-4-7609-2029-7
「VocaliseI/朝の浜辺で」「Vocalise II/海辺にて」「おやすみなさい」の3曲からなる組曲。
Vocaliseの2曲は次の作品とattacaで繋がっている。どの曲もコンクールの自由曲としてすでに多く歌われているが、特に「おやすみなさい」は多くの合唱団からの復刻の希望があった。
今回の復刻に際し、全体的に細かな見直しが楽譜に反映されている。
Vocalise I / 朝の浜辺で(1’00”/3’55” )
Vocalise II / 海辺にて (1’00”/5’25” )
おやすみなさい (4’00” )
<まえがき>
2015年に逝去した詩人、長田弘氏の全集を手に取り、詩の一作一作と改めて向き合っていると、全体を貫く“ことば”への哲学の存在を感じずにはいられない。そして、言葉を持たないものたちが語る言葉に耳を傾けること――このテーマを通して、絶望し立ちつくす私たちに一筋の光や示唆を与えてくれる存在として心に迫ってくる――。
《混声合唱とピアノのための「遠きものへ――」》は、「Vocalise1/朝の浜辺で」・「Vocalise2/海辺にて」・「おやすみなさい」から成る組曲で、幕張総合高校合唱団による委嘱作品である。言葉の背景にあるものに心を向け、そして紡がれた言葉たちが生命体として瑞々しく存在していく音楽を描くことを主眼とし、その結果2つのヴォカリーズを“言葉”の前に描くこととした(ヴォカリーズとその後に続く本編は、2曲ともattaccaで切れ目なく演奏される)。
「朝の浜辺で」は、東日本大震災が起こった2011年の9月に書かれた詩である――『わたしは福島市の生まれである。ほぼ50年前に家ごと東京に移ってそれっきりになったものの、東日本大震災の被害を受けた福島の土地の名の一つ一つは、わたしの幼少期の記憶に強く深く結びついている。幼少期の記憶は『初めて』という無垢の経験が刻まれている、いわば記憶の森だ。その記憶の森の木がことごとくばさっと薙ぎ倒されていったかのようだ』(みすず書房『詩の樹の下で』あとがき/2011年12月2日 長田弘)――詩中の「無を見ているのだ」という言葉が内包するものに心を向け、対峙し、音として昇華すべく作曲に臨んだ。津波の記憶、レクイエムや祈り・・・といったものへの感情が根底に流れていた。
「海辺にて」は、2006年刊行の『人はかつて樹だった』(みすず書房)に収載されている詩。ヴォカリーズ後に奏されるピアノの2オクターヴユニゾンによる音型は、詩冒頭の「いちばん遠いものが、いちばん近くに感じられる。」という言葉に寄り添う中で、ふと湧き起こった音の稜線だった。――言葉を持たないものたちの言葉に耳を傾けること――これは長田弘が「空の下」をはじめとする他の詩においても訴えかけているテーマであるが、厳しい投げかけであると同時に一筋の光のようにも感じられ、この印象は作曲の源泉にもなり曲全体のトーンや音楽の方向性に大きく作用している。
「おやすみなさい」は、2013年刊行の『奇跡―ミラクル―』(みすず書房)に収載されている詩で、20行の“おやすみなさい”とそれに続く言葉から成っている。詩と呼吸を繰り返す中で音楽の律動が生まれ、これまでの緊張や重みから解き放たれ昇華されていく章≒一種のレクイエムとして作曲した。無伴奏による章である。詩の終盤に、「私たちは一人ではない」という印象的なセンテンスが紡がれる。長田弘の同名の詩が存在するが、言葉が消費され、命と命のつながりは空虚なものへと化していくこの時代に、示唆を与えてくれる言葉だと思う。私たちは何によってつながっているのだろうか――。
三宅悠太
収載曲
[1] Vocalise I / 朝の浜辺で
[2] Vocalise II / 海辺にて
[3] おやすみなさい
商品詳細
発売日 |
2022/7/1 |
サイズ |
A4 |
ページ数 |
44 |
JAN |
4962864883501 |
ISBN |
9784760920297 |
楽器 |
合唱 |
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