カワイ出版

無伴奏男声合唱のための Credo

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無伴奏男声合唱のための Credo

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お江戸コラリアーずの委嘱作品。
2016年11月に開催される全日本合唱コンクール全国大会でも自由曲として歌われる注目の作品。
キリスト教の典礼文である「Credo」をテキストとして使用してはいるが、その扱いはどちらかというと神を称えるものではなく、逆の意味合いをも持たせて、現代社会への強い警鐘を込めた作品。
曲は唐突に絶叫から始まり、言葉は無機的に刻まれて反復、単に消費される。やがてその意味合いが音楽とともに変わってくる。立体的な音像を使いつつも、宗教的テキストを用いたオーソドックスな手法もみられる。

<まえがき>
 極論すれば、近代世界史はキリスト教的価値観による世界支配と非キリスト教社会との軋轢の軌跡と言い換えられる。さらに、現代は欧米中心主義の相対化、価値の多様化による共同体意識の崩壊の潮流にあると言えるだろう。グローバリズムとナショナリズムの対立もこの流れの中にある。日本はキリスト教的支配の圏外にあったにもかかわらず明治以降は欧米文化を急速に吸収し、先進国家の例に漏れず、今、コミュニティ崩壊の途上にある。宗教的共通意識の希薄な日本では、共同体の崩壊は他の先進諸国よりも急激に進んでいるように見える。その「拠り所のなさ」が、逆に一方向の極端な思考に民衆を駆り立てやすい要因になっていると分析する識者もいて、昨今のポピュリズムを見る限りそれを否定する要素を見つけることができない。
 拠り所のなさ、漠然とした生きづらさの中にあって、なぜ人は歌うのか、何に向かって歌うのか、という問いの根幹に迫りたいというのが本作の創作動機である。

 作曲直後には「異教徒による“Credo”考」というタイトルに一旦は決め、初演に向けての宣伝媒体にはそのように載っていた。しかし「異教徒」という言い方が、もともと宗教一般を信じていない私にはしっくり来ないし、「キリスト教vs他の何らかの宗教」という構図を想起させるのも創作意図から外れると考え、初演メンバーとのディスカッションを経た上で、現タイトルに変更した。
 ちなみに「異教徒」という語は石原吉郎(1915~77)の詩「悪意 ~異教徒の祈りより~」から採ったものだった。シベリア抑留体験を持つ石原は、入隊以前から熱心なキリスト教徒であり、日本に帰還した後も信仰を維持し続けた。一方、帰還後に発表した詩の中で「主よ あなたは悪意をお持ちです」と神を糾弾している。シベリアの地で人間の尊厳を粉砕された体験を持つ詩人が、それでも神は私に信ぜよと仰せになるのか、と苦悶しているのである。今回の作曲では、“Credo”の語の背景に「信じられない」という倒錯の意を込めたかったので、石原吉郎の詩の一部に想を得ることは悪くない符合であると思えたのであるが、前述の理由から改題することにした。
 私自身はもともと神を信じていないが、それでも、人間の善なる力を「信じて」いるし、今日より明日がよりよい日になることを「祈って」いる。これも広義の「信仰」であると言えなくもない。音楽も、未来を信じる行為であると言えるだろう。その意味で、本作はキリスト教への批判や宗教一般の否定をしようとするものではない。

 曲は唐突に絶叫から開始する。言葉は無機的に刻まれ、執拗に反復され、あたかも液晶画面上を無感情かつ暴力的に流れる字幕のように「消費」される。現代社会の中で形骸化する言葉の暴走。矛盾。錯乱。しかし拠り所を求める声たちは歌(ただし非西洋的な)を指向し、やがて“Credo”の響きに意味の変容の兆しが現れるが、持続することなく無機的な音の波に打ち消されていく。
 モチーフとしては、いくつかの旋法による上昇音型と、その蓄積から成るクラスター、旋法から抽出された和音といったシンプルな要素ばかりである。異なるテクスチュアを持つそれらが交錯することで、現代の心象を多層的に表現しようとしたものである。音選びのシステム自体は保守的なものであり、宗教的テキストを用いたオーソドックスな合唱曲の範疇に入る作品ではないかと思っている。

信長貴富

収載曲

Credo
  作曲: 信長貴富
  グレード: 上級

商品詳細

発売日 2016/12/1
サイズ A4
ページ数 40
JAN 4962864919446
ISBN 9784760919444
楽器 合唱
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