
日本には数え切れないほど多くの祭り、民俗芸能が存在する。しかし、さまざまな要因から、その存続がいま危ぶまれている。生活様式の変化、少子高齢化、娯楽の多様化、近年ではコロナ禍も祭りの継承に大きな打撃を与えた。不可逆ともいえるこの衰退の流れの中で、ある祭りは歴史に幕を下ろし、ある祭りは継続の道を模索し、またある祭りはこの機に数十年ぶりの復活を遂げた。
なぜ人々はそれでも祭りを必要とするのか。祭りのある場に出向き、土地の歴史を紐解き、地域の人々の声に耳を傾けることで、祭りの意味を明らかにしたいと思った。
きっかけはYouTubeの動画
継承の危機を迎えている郷土芸能に対して、必ずしも地域のメンバーではない人間が個人としてできるサポートにはどのようなものがあるのか。これは、個人的にここ数年考え続けているテーマでもあるのだが、地域の外側から継承に取り組む実践者の一つのロールモデルとして私が参考にしているのが、福島県いわき市を中心に、地域の民俗や芸能についての調査・記録に長年取り組んでいる“地域文化活動家”の江尻浩二郎さんだ。
江尻さんの主要なテーマの一つが、いわき市三和町上三坂地区に伝わる「上三坂のヤッチキ踊」(県指定重要無形民俗文化財)の起源と伝播である。ヤッチキ踊とは、非常に躍動的な動きと、エロチックな歌詞が特徴的な輪踊り。かつては「櫓こわし」とも呼ばれ、踊り子が他所まで遠征して、ヤッチキの激しい踊りでその地域の踊りの輪を崩したと、そんなエピソードも残されている。
この芸能に関して、これまでの記録や調査が非常に少ないなか、江尻さんはコロナ禍以前から丹念に現地や周辺地域、さらには遠く九州や北海道でも聞き取り調査を重ね、さらにリサーチだけにとどまらず、積極的な情報発信やイベント開催などの継承活動に取り組み、いつの間にか、自らも保存会のメンバーとなってしまった。
私がヤッチキ踊のことを知ったのは、まさにこの江尻さんが2020年3月、YouTube上で公開したヤッチキ踊に関する動画がきっかけであった。それまでの調査結果を集大成した、前中後編にわたる大作で、その熱量、面白さに圧倒され、総計3時間以上ある動画も苦もなく視聴できてしまった。
「一体この人は何者だろう」。あまりの衝撃に、動画視聴後、思わず私から連絡を取ったのが交流の始まり。そこから一緒に飲んだり、互いの企画にゲストとして誘い合ったりと、関係はいまも継続している。
江尻さんの出身地は福島県いわき市小名浜である。上三坂も同じいわき市ではあるが、車で1時間ほどの距離にある隔たった地域にあり、つまり上三坂からの人からしたら江尻さんは「部外者」といってもいい存在だ。それでも現地の方と持続的に「良い」関係性を築きつつ、「外」と「内」、その間にある境界線を軽やかにまたぎながら、郷土芸能を盛り立てている。なぜそのようなことが実現できているのか、今回は特別編として、江尻浩二郎さんにヤッチキ踊に関わるようになった経緯から、郷土芸能に対する思いまでお聞きした内容を、インタビュー形式でお届けする。
※記事中の写真は特に注記のないかぎり、すべて江尻浩二郎氏提供
今回お話を伺った江尻浩二郎さん
<プロフィール>
福島県いわき市小名浜出身。地域文化活動家、リサーチャー、ライター。全国放浪後、海外の国際機関に勤務。震災後に帰郷して地元のコミュニティFM、同じく地元の大学非常勤講師を経て、現在はフリーランスとして地域文化・医療・福祉などの分野で活動している。いわき市地域包括ケア推進課によるプロジェクト「igoku」では主にリサーチを担当。県指定重要無形民俗文化財「上三坂ヤッチキ踊」の保存会メンバーでもあり、その記録や継承に地域外から携わっている。
父親から聞かされた津波の話
――江尻さんが地域の歴史や民俗に興味を持ったきっかけはなんだったんですか?
私の出身地はいわき市の小名浜(おなはま)というところなんですけど、多くの地域と同じく、別に教科書読んでても出てこないし、なんとなく「歴史」って自分とは関係のないTVや本の中のことだと思ってました。でもいま考えれば、私はちっちゃい頃から家族とか親戚とかが語る昔話が妙に好きで、例えば戦争の時みんなであそこに逃げたんだみたいな話を、すごく面白がって聞いてましたね。
江尻さんの故郷、小名浜
その中でも非常に印象的だったのが、小学校3年生だったと思うんですけど、突然親父に出されたクイズでした。簡潔に言うと「小名浜に昔津波が来たとき、富ケ浦(現在は公園整備されている高台)と熊寺(町中にあるお寺)、どちらに逃げた人が助かったか」というものなんですが、正解は熊寺でした。その理由は、私の住む「中島」という地区はかつての中州(島)であり周辺より少し高いということ、そして富ケ浦に行くには川を渡らなければならないんですけど、津波は川を上るので、川を渡る時にみんな流されてしまったということの2点でした。身近な災害の話も衝撃だったんですが、この「自分の住んでいる場所にもその成り立ちや、名も知れぬ多くの人々の暮らしがあった」という感覚が、その後地域に関心を抱く大きなきっかけになったんだと思います。
――現在、お仕事としては、どのようなことをされているのですか? 歴史の調査などもお仕事としてやられているのでしょうか?
少し前までは、地元の大学の非常勤講師として留学生に日本語や日本文化の授業を行っていましたが、現在は大学を辞めまして、完全にフリーランスです。主にリサーチや執筆、時には文化的なプロジェクトのメンバーとしてお仕事をいただいたりしてます。
いわゆる「歴史」ではなく「民俗」っぽいほうに興味があるので、そういう部分を担当することが多いですね。大きなプロジェクトで言うといわき市の文化事業「いわき潮目文化共創都市づくりの芸術祭に3年間携わったり、また変わったところだと、同じくいわき市の地域包括ケアプロジェクト「igoku」※に2018年から参加してまして、地域の民俗や文化を掘り起こしながら福祉の文脈で記事を執筆したり、調査結果をもとにフェスの企画にも関わったりしています。
※「地域包括ケア」の推進を目的としたいわき市のコミュニティデザイン・プロジェクト。市職員と地元クリエイターがチームを組んだ「いごく編集部」が、デザインやエンターテインメントを活用して、一般に扱いづらいとされる「老い・病・死」をテーマに情報発信や体験型イベントを実施。住み慣れた地域で自分らしく暮らし続けられる環境づくりを目指している。2019年にグッドデザイン金賞を受賞。
――いわき市内や、小名浜地域でのツアーガイドなどもされていますよね。以前、僕も参加させていただいた江尻さんが案内する「十十王申す復活プロジェクト」※も面白かったです。ちなみに、郷土芸能にも昔から関心はあったのですか?
20代から日本のあちこちを旅してまして、最初は自分の興味を絞らず、なんでも貪欲に見てやろう聞いてやろうという気持ちだったんですが、そのうち「結局自分は民俗学っぽいものが好きなのかも」と気づきまして。また芸能で言うと、子どものころ一緒に住んでた伯母が家で三味線を弾いてたこともあり、なんかそういう音環境が落ち着くなあと思ったり。で、気づけばどの地域に行っても芸能をチェックするようになり、特に神楽には一時期めちゃくちゃハマりまして、それこそ日本中見て回りました。
※江戸時代の磐城平(いわきたいら)で行われていた、念仏踊りを伴った巡礼行事「十十王申す(とじゅうおうもうす)」を、現代に復活させる試み。 いわきの城下町周辺に点在する十王堂跡などを徹夜で歩いて巡る市民参加型のまち歩き・巡礼プロジェクトとして展開されている。江尻さんと、大阪府在住のコモンズ・デザイナー・陸奥賢さんとの共同プロジェクト。
鰐浦を見下ろす(長崎県上県郡上対馬町)※現・対馬市上対馬町
大分県豊後高田市に伝わる「ホーランエンヤ」という祭り
銀鏡神楽の風景(宮崎県西都市)
見に行くときも、場合によっては数日前から現地に入って準備を手伝わせてもらったりとか。そういうところから参加すると、地域や人間関係が見えてすごく面白いんですよね。
イベントの企画を機に、リサーチを開始
――ヤッチキ踊のことは、どのタイミングで知ったのでしょうか。
全国を旅した後、海外に渡って働いていたのですが、震災後に帰郷して。それで地元のコミュニティFMに勤めていた時に、ヤッチキが伝わる三和地区を取材することがあったんです。役場担当者に「こんな芸能もありますよ」と教えていただいて、その時に手書きの文句集(歌詞集)のコピーをいただきました。見ればあられもない「バレ歌」※がたくさん載っていて、いや、これはすごいなと。たいへん興味深かったんですけど、当時は震災から1~2年ほどだったので、まだそういうのを心から面白がるというか、調査をするまでの気持ちにはなれませんでしたけども。
※色っぽい歌詞の歌のこと
――まだ、その時点では「こんなのあるんだ」くらいだったんですね。
はい。その後、別件でじゃんがら念仏踊※について調べていたら、とある文献に、炭鉱のほうで供養のヤッチキを踊っていた(筆者註:いわき市は、かつて炭鉱町として栄えた歴史がある)、という記述があったんです。それまではヤッチキってハメを外してバカ騒ぎするようなものだと思っていたので驚きました。また同じ本に、ヤッチキは九州の炭坑夫が伝えたということも書いてあって、これはいつかちゃんと調べたいなと。
※8月の旧暦のお盆の時に新盆の家庭をまわり、太鼓と鐘のリズムに合わせながら念仏を唱え踊る伝統芸能。いわき市の無形民俗文化財。(いわき市観光サイト参照)
じゃんがら念仏踊り
――それで、本格的な調査を始めたのですか?
だいぶ間が空くんですが、2019年度に2つの大きなイベントに関わったんですね。一つが、igokuプロデュースのフェスイベント「いごくフェス2019」(2019年8月)。もう一つが、「いわき潮目文化共創都市づくり」の芸術祭である「第2回しらみずアーツキャンプ」(2020年1月)です。この2つのイベントのコンテンツ企画を並行して進めることになり、テーマをどうするかということになったのですが、どちらのイベントにもマッチして、かつ個人の活動としても良いものは何かと考えた結果、ヤッチキを取り上げることにしました。後者はイベント全体のテーマも「ヤッチキ」になったので、かなり大きな扱いでした。
――その2つのイベント企画のためのリサーチとして始まったんですね。
そうです。いままでほとんど調査されたことのないヤッチキのルーツを辿り、「九州の炭坑夫が伝えた」という説が裏づけられれば、いわきの炭鉱文化を改めて掘り下げるきっかけになると思ったんですね。また、これまで歌詞が卑猥だという理由で地元の文化人から敬遠されてきたヤッチキにも光が当たるんじゃないか、という期待がありました。
それでまず、調査に入る前にヤッチキ踊の保存会に挨拶に行ったんですが、なんと高齢化などの理由で今年いっぱいで休止(実質解散)するって言うんですね。もう話し合って決定したんだと。驚きました。しかしなくなるならせめて記録に残したい。九州や北海道でも調査も行い、ヤッチキの位置付けをはっきりさせたい。最初からそういう強いモチベーションで、取り組むこととなりました。
最後の忘年会での、解散撤回宣言
――具体的に、2つのイベントではヤッチキ踊をどのように取り上げたんですか?
しらみずアーツキャンプでは、調査結果をまとめつつ、「ヤッチキ概論」という講座を開きました。半年間、リサーチの経過をSNSで継続的に発信してきたからか、当日は会場がパンパン。なんとか70名までは入れたけど、あとは頭下げて帰ってもらう事態になりました。ヤッチキに興味を持ってくれる人がこんなにいるのかと、信じられない思いでしたね。その他、自分ではありませんが、ヤッチキをテーマにしたツアー演劇を上演したチームもあります。
また、いごくフェスでは、ただ踊りを披露してもらうだけでなく、みんなで輪になって一緒に踊ったんです。普通、芸能団体を応援しようと思うと、ステージイベントに招聘するってことになると思うんですけど、ヤッチキみたいな輪踊りって、そもそも誰でも入れて、唄って踊れるものだろうと。額縁のステージでライト浴びて、「いやあ、素晴らしい伝統芸能でしたね」じゃないんじゃないかと。
――ステージで見せるのではなく、参加型にしたと。
また、保存会の人には「バレ歌」も盛大に歌ってほしいということをお願いしました。これまでそういうステージイベントでは、当然卑猥な文句(歌詞)が省かれていたのですが、それこそヤッチキの大きな魅力の一つですし、ひいては盆踊り華やかなりし頃の原風景でもある。「解散する前になんとか」と説得したんです。
それで当日は、まず踊りの前に文句(歌詞)をスライドで大写しにして私が解説したんですよ。いわきの人でもヤッチキのことはほとんど知らないですから、まあ、みなさん驚愕と爆笑でした(笑)。それから保存会に短く見本を見せてもらって、その後踊りのレクチャーをやって、じゃあみんなで踊りましょうと。卑猥な文句も遠慮なく歌ってもらったんですが、踊りの輪が幾重にもなって、信じられない数の人が大笑いしながら飛び跳ねてくれました。すごい熱気で、とんでもないことになってるなと。広い会場を見渡しても、誰もさぼってない(笑)。
会場全体がヤッチキ踊で盛り上がった「いごくフェス2019」 撮影:Joji Suzuki
――お客さんは、特に盆踊りが好きな人、芸能が好きな人というわけでもなかったんですよね。その状況で盛り上がったのはすごいですね。
もともと地域包括ケアのフェスなんですが、いろんな人が来てくれるような仕掛けをたくさんしていまして、「よくわからないけどなんだか面白そうなイベント」という感じで、非常に雑多な人が集まっていたと思います。もしかしたら全体を包む福祉的な雰囲気が、輪に入って踊るということのハードルを下げてくれたのかもしれません。若い女性たちもたくさん踊ってくれたので保存会の人もびっくりしちゃって、みんな「すごく良かった!」って。「40年保存会やってきて今日が一番良かった!」なんて言うメンバーもいました。
いごくフェスが終わった後は、当日参加してなかった人がヤッチキの噂を聞いて連絡くれたりして、そういうつながりの中から、レコーディングの話が持ち上がりました。まだみなさんが元気なうちに上三坂の人が歌うヤッチキの完全版音源を作りたいと。地元ライブハウスの協力で、プロの技術者による監修の元、2日間に渡って本格的なレコーディングを行いました。文句(歌詞)の問題があるので販売はできなかったのですが、保存会のメンバーにはCDを配布することができたのでよかったと思ってます。
そのほかにも、さらなる文句(歌詞)を採集してリストにしたり、あちこちで発掘してきた昔の音源、映像などをデジタル化してメンバーに配布したり、そういう活動をしてましたね。
「いごくフェス2019」直後の上三坂綿津海神社例大祭での踊り奉納の様子
ヤッチキ踊は、とにかく踊りの躍動感がすごい!
――まさに、保存会の終活という感じですね……。しかし、せっかくイベントで手応えを感じたのに、解散してしまうのはもったいない。
まさに終活で、「自分のできることはこれぐらいかな」と思ってたんですけど、その年末、保存会の忘年会に呼ばれたんです。で、「いろいろ調べてきたことを保存会にも改めてレクチャーしてほしい」みたいなことを言われて、「やりましょう!」と。ガッチリ準備して会場のホテルに行って、こうだった、ああだった、自分はここにヤッチキの価値があると思う、みたいなことを熱弁して、以上、じゃあもう風呂入って飲みましょう、と騒いでたら、副会長の田子元彦さんが、「どうだ」と言うんですね。「みんな、もうちょっと(保存会を)続けねえか」と。即答でみんな「うん」みたいになって、その場で継続が決定してしまいました。
――すごい! 劇的な展開(笑)
もう思い残すことはないと思った矢先だったので、本当に夢みたいな話でしたね。自分は、あんまり積極的に状況を変えようというタイプじゃないんですよ。40年続けてきた人たちが、もういろいろあって辞めるって言ってんのに、こんなポッと横から出てきたやつが「続けましょう」なんて、とてもじゃないけど言えない。だから私から「続けましょう」みたいなことは一回も言ってないんです。でも結果的に続くことになったので、それは本当に良かったなと。
――でも、翌2020年はコロナ禍ですよね……。活動はどうなったんでしょうか。
そうですね。ようやく「いくぞ」という機運が高まってたのに、コロナになっちゃって活動ができなくなり、私もどうすることもできなくて困ってたら、県の芸能関係の団体から「こういう助成金がありますけど活用しませんか?」と保存会に連絡があったんです。そのお金を使ってしまうと今後継続的に活動していかなくてはいけないことになるので、軽い気持ちでは受けられないんですが、なんか前のめりで申請することになりまして(笑)、その助成金で新しい衣装を作りました。それで、いよいよ衣装が届いて、みんなで座敷に広げて盛り上がってるときに、「はい、これ江尻さんのね」と私の分も渡されて。
保存会にはずっと通っていたし、一緒にいろいろやらせてもらってましたけど、その衣装を渡されたときに「あ、おれ会員なんだ」って。不思議な気持ちでしたが、やはり嬉しかったです。
新調した踊りの衣装
「ワクワク」を引き出すことが大事
――直近の活動としては、2025年10月に「上三坂ヤッチキ踊りキャンプ」という一泊二日の滞在型体験イベントを企画されました。私もゲストで呼んでいただきましたが、思いのほか若者の参加が多くて驚いたんです。これは、どういう意図で企画されたんですか?
2020年にYouTube動画を公開したところ、小野さんをはじめ、さまざまな方から連絡をいただきまして、遠くの人にもそんなに興味持ってもらえるのかと、本当に驚きました。で、私は地元でツアーを作って上演するという活動も定期的にやってるんですが、興味を持ってくれるみなさんを上三坂に呼べないかなと。
上三坂は阿武隈山中の交通の要衝で、古くは大きな宿場町でした。かつてはさまざまな人たちの往来があったはずです。そういう地域のDNAみたいなものも、ヤッチキに影響してると思いますし、じゃあヤッチキに関心のある人たちをここに呼んで、一緒にワイワイ踊るイベントができないかなと。そしてせっかくなら踊るだけじゃなく、のんびり一泊してもらって、地域の自然や歴史、人々の暮らしや食なんかも含めて、丸ごと体験してもらえるような内容にしたいと思ったんです。特別ゲストの小野さんにはトークの相手になってもらったりして、その節は大変お世話になりました。
地元の方の生唄・生演奏で踊りを教わる 撮影:igoku編集部
地域のコミュニティスペースで、地の食材を使った料理に舌鼓 撮影:igoku編集部
保存会副会長の方のガイドで、上三坂の歴史スポットを訪ねる 撮影:igoku編集部
江尻さん(左)と筆者(右)によるトーク 撮影:igoku編集部
夜は地域の方も交えて大宴会 撮影:igoku編集部
――ゲストなんですけど、普通に参加者として楽しんでしまいました(笑)。イベントをする上で、特に江尻さんとして意識していたことはなんでしょうか。
一番大事だと思っていたのは、地元の人たちが「なんだかよくわからないけど楽しかったな」と感じられることかなと。参加者の満足度はもちろんですが、それと同じくらい、保存会の人たちにとって良い体験になるかどうかを重視してました。このキャンプは、遠くから来た人たちと一緒に、自分たちが守ってきたヤッチキを踊る場ですが、泊まりがけにすれば、保存会だけでなく地域全体が受け入れ側になり、自ずと交流が生まれるだろうと考えました。だから地域の人たちにも「なんだか面白そう」と思ってもらいたいし、関わる人みんなが「なんだか楽しい」「なんだかワクワクする」場にしたいと思っていました。
――すごく重要な視点ですね。地域の人にワクワクしてもらうために、どういったことをされましたか?
一緒に踊るとか、まち歩きするとか、懇親会もしたいとか、企画の大枠は私が決めたんですが、何をどうするかは極力まっさらな状態でまず相談しました。泊まりでやりたいんですよ、どこか泊まれますかね、上三坂のうまいもの食わせたいんですけど、何いけますかね、という感じで、あえて決めないで投げたんです。
もちろんある程度想定してることはあるんですけど、答えを出さずに投げてみると、「それなら、こっちに泊まる方がいいんじゃねえか」とか「せっかくだから蕎麦打ってやるか」とか、いろいろ主体的に提案してくれて、「いいですね!」なんて言ってるうちに、みんなで作るキャンプになってくる。
まち歩き中に飛び出す地元の方の色っぽい昔話に、みんなで爆笑 撮影:igoku編集部
遠方から来た来た踊り子たちをうれしそうに眺める保存会の女性陣 撮影:igoku編集部
――主体性を引き出すというか。
もちろん、ここ一番、頭を下げて無理をお願いする場面もあっていいんじゃないかと思います。私はigokuもやっているので福祉的なこともどこかで考えてたりするんですが、人って誰かに必要とされて感謝されることが一番の幸せだ、みたいな話があるじゃないですか。本当に無理で駄目ならまた話し合っていけばいいですし。だから効率的じゃないですけど、何度も足を運んで、顔つきあわせて、同じ時間を過ごすことが大事なんでしょうね。そうこうしているうち、今回は想定外なこともあって……。
――どういうことですか?
最初は予算や人手の都合もあって、私ひとりで回せるくらいの小規模なイベントを考えてました。保存会メンバーも3~4人関わってくれればいいかなと。ところが会長の田子孝雄さん、副会長の田子元彦さんと何度か話しているうちに、保存会は全員協力してくれることになり、やがて区長に話が行き、公民館長に話が行き、そのうち役場(いわき市役所三和支所)にも話が行って、いつの間にかだいぶ“ちゃんとしたイベント”になってしまったんです(笑)。
結果的に、役場担当者が非常に親身になって協力してくれまして、市の施設である公衆浴場の利用の便を図ってくれたり、地域おこし協力隊のメンバーが全面的にバックアップしてくれたりと、さまざまな面で助けられました。
また、前述のしらみずアーツキャンプで、ヤッチキをテーマにしたツアー演劇を上演した市内在住の女性2人が「準会員」としてサポートしてくれましたし、igoku編集部の面々も、写真や動画撮影のほか、運営側としてフル参加してくれました。こんな大事になるとは思ってなかったですね。
キャンプ初日参加者全員で記念写真 撮影:igoku編集部
芸能は、最後まで残る「ふるさと」の拠り所
――実際に「ヤッチキ踊りキャンプ」を実施してみて、どういう手応えを感じましたか?
いまのところ、上三坂の人からの批判的な意見は自分の耳に入ってなくて……。楽しかった、良かったという話ばかりなんですが、これはまたじっくり聞いていけばいろいろ出てくるかもしれません。
そういえば、キャンプの2週間後に、上三坂のある三和地区で秋の収穫祭みたいなイベントがありまして、毎年そこで保存会のヤッチキが披露されるんですけど、キャンプに参加した若者5名が、なんとわざわざ東京から駆けつけてくれて、飛び入りで踊ってくれたんです。みんな喜んでくれたし、会場もすごく盛り上がりまして。またそれが、「上三坂のヤッチキってわざわざ遠くから若者が駆けつけるほど人気があるのか、注目されてるのか」と地元三和地区全体に対するアピールすることにもなったんじゃないかと。
数週間後に開催された別の地域イベントに、ヤッチキ踊りキャンプの参加者が飛び入りするといううれしいハプニング
飛び入り参加者と保存会の皆さんとの記念写真
あと、東京のとある野外音楽イベントでも、キャンプの参加者たちが、ゲリラ的にヤッチキの唄を出し、その場のみなさんで踊って盛り上がったとか。後日、そのあられもない文句(歌詞)についてネット上の議論があったようですが、そういうところも含めて非常にヤッチキっぽいなあと思います。ヤッチキのやんちゃな部分が現代に蘇ったようで、こんなこと言うと議論の当事者に怒られそうですが、私は非常に嬉しく思いました。
――すごい波及が起こっていますね。
もともと上三坂のヤッチキも、踊りが好きで山の向こうまですっ飛んで行っちゃうような人たちが運んだものだと思っていますし、芸能の多くはそういう伝播が繰り返されたり、複雑に絡み合ったりして形成されてきたものだと思うんですね。だから、「上三坂で生まれ育った人たちが上三坂で粛々と文化を継承していく」っていうのはもちろんとても大切なことだと思うんですけど、同時に、ヤッチキの唄や踊りが一人歩きして、「どこかに運ばれ、そこで変容したりしなかったりしながら広がっていく」というのも、継承の一つの形としてありなんじゃないかなと、私個人は思っています。
――今後、江尻さんとして保存会にどう関わっていきたいですか? 何かやりたいことはありますか?
実は「次のキャンプには絶対参加したい」という声がちらほらありまして、できればキャンプをまたやりたいと思っています。1回でわからないこともあると思うので、せめて3回くらいは続けたいと思っているのですが、私一人で決められることではないので、また時間をかけてメンバーや地域と話していきたいです。
保存会員としては、私自身が上三坂に住むような関わり方も考えなくはないですが、私の地元小名浜で関わっていることも多いですし、現状ではなかなか難しい部分もあります。同じ市内ですけど、車で1時間かかりますからね。
しかし外からの立場だからこそできる取り組みというものもあるでしょうし、そういうものを前向きに探って行きたいです。それで結果的に上三坂の皆さんが幸せな気持ちでヤッチキを続けていければいいなと思いますし、上三坂集落の中で保存会に入りたいという人が一人でも二人でも出てきたら最高に嬉しいです。
――最後に、江尻さんにとって郷土芸能の価値とはなんでしょうか。
東日本大震災で多くのものが失われ、その後地元のコミュニティFMとして毎日取材していたわけですが、一体何が残ったんだろうって考えてしまったことがありました。例えば小名浜では、元禄時代の大波の溺死者を集めて埋葬した塚があると古い文献にあるんですが、それがどこなのかその時点ではよくわからなくなっていましたし、ようやくその場所を突き止めてみると、その由来が書かれている石碑は今回の地震で倒壊してしまい、砂に埋れ、草が生い茂り、読むことができなくなっていました。
当時の人はできるだけ未来まで残るようにと「石碑を建てる」という方法を選択したのでしょうけど、それも思い通りにはいかない。では自分たちの今現在の最良の方法ってなんなんだろうとも考えました。データにしてクラウドに上げれば、それで本当に残っていくのだろうか。残すってなんなんだろう。結局よくわからなくなってしまって。
そんなとき、三陸では震災の年も変わらずに神楽が廻って来たという話を聞いて、それでストンと腑に落ちた気がしました。残るのは“モノ”じゃなくて、“人がやるコト”なんじゃないか。自分は演劇や太鼓演奏を長くやってきたんですが、今回の震災後、「芸って何なんだろう」とずっと悩んでいたところがあります。でも、すべてが失われたとしても、芸は人と一緒に残る。集落がすべて流されてしまっても、人ひとりいれば唄を唄える、踊りを踊れる、何かを語れる。もしかしたらそれが、最後まで残る“ふるさと”なのかもしれないなと、そんなことを考えてます。
本連載の7回目で取り上げている鵜鳥神楽(岩手県下閉伊郡普代村)も、被災地ながら震災の余波残る2012年も自粛せず活動を行なっている
撮影:小野和哉
郷土芸能に関わるということ
江尻さんの活動姿勢は、私にとってすごく腑に落ちる点が多かった。江尻さんの積極的な関与によって、ヤッチキ踊の保存会は確かに活気づき、そして当初想定された解散の話も先延ばしとなった。それは江尻さんがどこかで企図していたことでもあったろうが、大事なのは、「続けましょう」と直接提言したわけではなかったということだ。
現地に足を運び、話を聞き、記録をする。その結果、本人が意図せずして、いつの間には保存会員として巻き込まれている。外でありながら、内であり、また外であり、その境界は常に揺らいでいるようで確定しない感じ。ただ同じ空間に身を置き、同じ時間を過ごし、その結果、活動が続いていくことになった。きっと地元の方々も、江尻さんの参加によって「伝統を継承・保存する」という重荷がゆるやかにほどかれる感覚があったのではないだろうか。だからこそ、活動の継続に前向きになれた節もあるのではないだろうか。
この感覚を、何と表現すればいいのか。いまのところ、まだぴったりくる言葉は見つかっていない。けれど、一つの芸能に関わるとき、私はこうした感覚を大切にしていきたい、江尻さんの話を聞いて、そう強く思った。(了)
Text:小野和哉
プロフィール
小野和哉
東京在住のライター/編集者。千葉県船橋市出身。2012年に佃島の盆踊りに参加して衝撃を受け、盆踊りにハマる。盆踊りをはじめ、祭り、郷土芸能、民謡、民俗学、地域などに興味があります。共著に『今日も盆踊り』(タバブックス)。
連絡先:kazuono85@gmail.com
X:hhttps://x.com/koi_dou
https://note.com/kazuono
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