亡くなってから40年近く経つ2020年においても、ピアニストグレン・グールド(1932~1982)の人気は揺らぎそうもありません。 日本では批評家の浅田彰や、作曲家の坂本龍一といった著名人に偏愛されたことで、クラシック音楽のリスナー層を超えて愛好されるようになっていきました。かつては賛否が大きく分かれたバッハの録音も、長らくビギナーのファーストチョイスに挙がるような定番の名盤であり続けています。
わずか31歳でコンサートにおけるライブパフォーマンスに終止符を打ち、以後はレコードなどのメディアを通して演奏を発表してきたことは、グールドという音楽家を象徴する逸話として積極的に伝聞されてきました。ところが、それに比べるとグールドが作曲家・編曲家として手がけた作品は、熱心なクラシック音楽ファンやグールドマニア以外には知られていません。特にこの連載のテーマである「楽譜」を通してみると、グールドのあまり知られていない側面がみえてくるのです。
Sheet Music Storeで検索してみると、このサイトで購入可能なグレン・グールドに関する楽譜が数件ヒットしますので、これらを中心に書かれた順番でみていくことにしましょう。
ピアノ・ソナタ
まずは1948~50年(16~18歳頃)にかけて作曲された《ピアノ・ソナタ Sonata for Piano》 です。緩徐楽章となる第2楽章までしか完成していないため、未完作品として扱う場合もありますが、2003年にショット社から出版されています。 (ちなみにエミール・ナウモフ Émile Naoumoffの演奏がCDになっていますので、気になる方は検索してみてください。)
解説によればパウル・ヒンデミットのスタイルで作曲された作品とされていますが、特に意識されているのは ヒンデミットのピアノ・ソナタ第3番だと思われます。 というのもグールドのピアノ・ソナタの第1楽章の半ば以降、執拗に繰り返される旋律は、ヒンデミットのピアノ・ソナタの第4楽章「フーガ」の主題が元ネタになっているであろうことが、楽譜から確認できます。実際、この頃にヒンデミットのこのソナタを演奏した記録も残っているので間違いないでしょう。
しかし、曲調はヒンデミットにそっくりと言えません。敢えていえば、グールドの意外な録音レパートリーとしてマニアには知られている プロコフィエフ のピアノ・ソナタ第7番《戦争ソナタ》に近い雰囲気にも思えるのですが、この曲を書いた時点でグールド青年はプロコフィエフのソナタを意識していたのでしょうか? 確かなところは分かりませんが、この頃のグールドの演奏曲目を調べると別の可能性が浮かび上がってきます。
グールドは1951年に、チェコ出身のカナダの作曲家オスカル・モラヴェッツ(1917~2007)の作曲した《幻想曲 ニ短調》(1947) を演奏しているのですが、この曲がどうやらプロコフィエフから強い影響を受けているようなのです。 こうしてピアノ・ソナタを作曲する際、モラヴェッツ作品を通して間接的にプロコフィエフの影響下にあったことが分かると、 後にプロコフィエフの《戦争ソナタ》を録音したことが、それほど突飛に思えなくなるのです。
▲グレン・グールド(1932~1982)
(出典:Wikipedia)
5つの小品、ファゴット・ソナタ、2つの小品
さて次なる作品は1949~50年(17~18歳)に作曲された ピアノ独奏曲《5つの小品》です。こちらは明確に アルノルト・シェーンベルク(1874~1951)を意識した作品で、5曲あわせても約3分というミニチュア感は アントン・ウェーベルン(1883~1945)を彷彿とさせます。
第1~2曲はシェーンベルクの12音技法に基づく主題が用いられていますが、完全な12音技法とはなっておらず、音の選択には自由さが残されているようです。そして楽譜上に、 どの旋律が第1主題で、どれが第2主題なのかが明確に示されています。これは聴覚上だけでは事実上判断は不可能ですから、楽譜を見ながらでないと作曲者の意図を汲み取るのは難しそうです。それに比べるとカノンに基づく第3~4曲は、聴覚だけでもある程度コンセプトを聞き取ることが出来るでしょう。最後の第5曲は、実際の音の響きだけを聴くと、また12音技法を使用しているかのようですが、 楽譜に解説を寄せているカール・モーレーによれば即興風の自由な幻想曲であるといいます。これも楽譜がないと判断できません。
この《5つの小品》が、グールドなりに12音技法をどう応用していくかという実験だったとすれば、それをソナタのなかに落とし込もうとしたのが1950年に作曲された 《ファゴット・ソナタ》でした。これも聴覚だけでは聴き取ることが難しいのですが、楽譜を分析してみると第1楽章の主題は12音技法で作られており、カノン風に曲が展開していくことが確認できます。一方、1951年に書かれたピアノ独奏曲《2つの小品》では、12音技法で核となる和声をつくり、それを変奏していくような形で新たな手法を模索していました。
10代の頃からこれだけ12音技法的な作品を手がけていたわけですから、後にピアニストとしてシェーンベルクらを重要なレパートリーとしていくのも当然だったわけです。そして12音技法を強く意識しつつも、自らが作曲する際にはシェーンベルクが考えたルールは厳密に守らず、あくまで独自の手法開発を目指していたように思われます。簡単にいえば、それが実現できなかったからこそ、作曲家にはなりきれなかったのでしょう。
作品番号1《弦楽四重奏曲》
ここまで習作続きのグールドでしたが、1953~55年(21~23歳頃)にかけて作曲された《弦楽四重奏曲》には自ら作品番号1(Op. 1)を付し、1960年にはレコードも発売しているぐらいですから、作曲家として世に問える勝負作と自負していたことでしょう。
よくワーグナー、マーラー、 リヒャルト・シュトラウスといったドイツの後期ロマン派のスタイルで書かれていると解説されることが多い作品なのですが、実際はもっと多様な音楽の要素が練り込まれています。例えば、序盤にはピアノ・ソナタでも登場したヒンデミット由来のフーガ主題に近しい旋律が繰り返し登場。しかも少し形が変わると、 ベートーヴェンの《大フーガ》に登場する主題のようにも聴こえてくるのです。ちなみにラストは、 リヒャルト・シュトラウスのオペラ《エレクトラ》に登場する旋律で終わっていきます。
しかし同時に、要素の「多様さ」は、全体で統一感が感じられないという基本的な問題を引き起こしており、更には単一楽章ながら35分前後も演奏時間があって、音楽の流れやセクションの区切れも思ったよりはっきりしないので、作品の意図がかなり掴みづらい作品になってしまっています。こうした分かりづらさは、楽譜をみながら聴くことである程度は解消することが可能です。特に後半で、対位法が複雑になればなるほど、楽譜なしでは何が行われているのか、判断するのが非常に難しくなってしまっているのです。
作品の規模やスタイルの多様さなどから考えると、シェーンベルクの弦楽六重奏曲《浄夜》がモデルになっているとも想像されるのですが、詩の内容に基づいて音楽が進んでいく《浄夜》に比べて、そうした具象性の薄いグールドの弦楽四重奏曲はとにかく聴衆に易しくないのです。そして、グールドの作品番号2は永遠に書かれることがありませんでした。ピアニストとしてのグールドの好みが随所に感じられる音楽であると同時に、作曲家グールドの限界点でもあったのです。
グールドによる作詞・作曲《そんなにフーガを書きたいの?》
しかし、作品番号2となる作品はなくとも、作曲自体はピアニストとして人気になってからも断続的に続けていました。最も強烈な印象を残すであろう作品が、1957~58年にかけて作曲された 《そんなにフーガを書きたいの?》です。ソプラノ、アルト、テノール、バスによる四重唱と、弦楽四重奏(もしくはピアノ)という珍しい組み合わせによる作品で、なんと歌われる歌詞もグールド自身が書いているのです。
その内容は「フーガを作曲する上での心構え」を歌ったもので、複雑なことばかりで攻めすぎても、安易に守りに入ってしまっても駄目なのだと、バランス感覚をもつ重要性と難しさが作曲家目線で語られていきます(日本を代表するグールド研究者の宮澤淳一さんが歌詞を日本語で歌えるように訳したバージョンもあるのですが、シュールで結構笑えます!)。
ユニークな冗談音楽の一種であると同時に、グールド自身が作曲をする上では頭でっかち――つまり、こうするべきであるという理想だけ膨らんでいき、それに作曲の実能力が追いついていなかった――であろうことが、歌詞の内容から感じ取ることが出来ます。
▲そんなにフーガを書きたいの?(混声四部合唱とピアノ伴奏)
ワーグナーを編曲する
最後は、1972~73年にかけて編曲されたワーグナー作品です。グールド=バッハというイメージにとらわれていると勘違いされがちなのですが、弦楽四重奏曲でみたようにグールドは後期ロマン派の音楽を深く愛していました。その愛が高じて、1957年には マーラー作曲の交響曲第2番《復活》より第4楽章〈原光〉を、なんと指揮までしているのです。YouTubeの公式アカウントでオフィシャルに動画も公開されています (余談ですがレオポルド・ストコフスキーを思わせる腕の使い方が意外です)。
そして、なんと亡くなる1982年には ワーグナー作曲の《ジークフリート牧歌》を指揮しているのですが、さかのぼること10年前、グールドはピアノ独奏のためにこの曲をアレンジして、1973年には録音もしていました。あわせて 《神々の黄昏》から〈夜明け〉と〈ジークフリートのラインへの旅〉、 《ニュルンベルクのマイスタージンガー》から第1幕への前奏曲も編曲して、録音しているのです。 後者は最終的に2本の手では足りなくなってしまったようで、曲の終盤で2台ピアノになるという特殊なアレンジなのですが、 コンサートでのライブパフォーマンスを前提としていないグールドならではといえるでしょう。
ここまでグールドに関わる楽譜を8冊、時系列順に見てきましたが、「グールド=バッハ」というイメージがいかに偏ったものであったかがお分かりいただけたのではないでしょうか。グールドの演奏するバッハが斬新だったのは、20世紀の音楽を通した目と耳でバッハを捉えていたからだったように思えるのです。
最後に「あれ?検索で9冊あると書いていなかっけ?」と思われた方、その通りです。 もう1冊はグールド自身が書いた譜面ではない、ちょっと特殊な内容になりますので、来月の連載で取り扱おうと思います。
(本記事は、2020年12月に執筆した記事を再掲載しています。)
Text:小室敬幸
プロフィール
小室 敬幸
音楽ライター/大学教員/ラジオDJ
東京音楽大学と大学院で作曲と音楽学を学ぶ(研究テーマはマイルス・デイヴィス)。現在は音楽ライターとして曲目解説(都響、N響、新日本フィル等)や、アーティストのインタビュー記事(レコード芸術、intoxicate等)を執筆する他、和洋女子大学で非常勤講師、東京音楽大学 ACT Projectのアドバイザー、インターネットラジオOTTAVAでラジオDJ(月曜18時から4時間生放送)、カルチャースクールの講師などを務めている。
X(旧Twitter):https://x.com/TakayukiKomuro
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