クラシック音楽の名作を生み出した作曲家たちを、3分程度で読み切れる短い伝記としてご紹介します。しかし、どの人物もその人生を3分で語り尽くすことはできません。今回は代表的な9つの視点に絞ってご紹介しますが、より深く知ることで演奏にも大きな違いが生まれる瞬間があるでしょう。もしこの記事に物足りなさを感じたり、さらなる背景が知りたいと感じた場合、それは「学びの扉が開いた瞬間」とも言えます。ぜひご自身でさらに深く追求してみてください。
本シリーズでは、選曲や演奏に役立つ小さな手掛かりとなるように、そしてご自身の深い学びのきっかけとなるようご紹介していきます。
第6回目で取り上げる作曲家は「エリック・サティ」です。
1.ノルマンディ地方の港町生まれ
エリック・サティ(1866-1925)は、20世紀のフランスの作曲家。1866年ノルマンディー地方の港町オンフルールで生まれ、1870年にはサティの父が海運業を辞め、一家でパリに移住。後に「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」の異名で知られこととなる。
2.パリ音楽院
サティは幼少期から音楽の才能を見せ、1879年 13歳でパリ音楽院に入学。しかし保守的なアカデミズムとは反りが合わず、才能がないと評価されたこともあり、反アカデミズム・反ロマン主義を貫いて退学した。
3.ピアノ曲「4つのオジーブ」
1886年には軍隊志願し、砲兵隊に入隊したが気管支炎にかかり除隊。その後はモンマルトルに移りカフェでピアノを弾いて生計をたてていた。この間、サティは読書に没頭し、アンデルセン童話を愛読し、ゴシック建築を研究してピアノ曲「4つのオジーブ(尖弓形)」を作曲した。
4.3つのジムノペディ
サティは19世紀のロマンティシズムに訣別し、1888年には調号と小節線を廃止したピアノ曲「3つのジムノペディ」を作曲。ドビュッシーやラヴェルに大きな影響を与えた。
5.作曲法を学び直す
サティは1905年から3年間、作曲法を学び直すためにスコラ・カントルムでダンディに師事。その頃からピアノ曲「犬のためのぶよぶよした本当の前奏曲」「乾からびた胎児」「スポーツと気晴らし」などを作曲。1916年にはジャン・コクトーの台本で、ピカソの装置と衣装によるバレエ音楽「パラード」を作曲した。
6.バレエ音楽「パラード」
バレエ音楽「パラード」のオーケストラにはサイレン・飛行機の爆音・タイプライター・ピストル・ダイナモの音などが入っており、これは前人未踏であった。また、ピカソがデザインした衣装も奇抜なものであった。第一次世界大戦中の1917年パリ・シャトレ座における初演では大センセーションを巻き起こした。
7.フランス6人組
50代のサティは、彼とコクトーを賛美する "6人組" のミヨー、オネゲル、オーリック、プーランク、デュレ、タイユフェールら若き作曲家にも大きな示唆を与えた。6人組は常に新しい音楽を提案するグループで。全音階(ドレミファソラシド)に最後の可能性を求めた音楽家集団でもあった。
8.気まぐれな性格とユーモラスな言動
サティはしばしば奇妙な行動を取り、周囲を驚かせた。生涯で同じ服を何着も持っていたり、毎日同じ時間に食事をとったりと、独自のルーティンがあった。また言葉には機知とユーモアが溢れており、「私は音楽家である。私の音楽は、私のように単純だ」という言葉からもそれが伺える。
9.音楽界の異端児
「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」と呼ばれるサティ。その音楽は、ユーモアに富む一方で、鋭い風刺と、純粋、且つ 高度に知的な表現でできており他に類を見ない。
エリック・サティは2025年に没後100年を迎えます。サイト内【作曲家 アニバーサリー 2025】では代表作のおすすめ商品をご覧いただけます。その他アニバーサリーを迎える作曲家もご紹介していますので、ぜひこちらもあわせてご覧ください。
(※この記事は『Sheet Music Store』のInstagramアカウントで投稿された内容を記事形式で掲載しています。)
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