本連載の第2回「なぜ、クラシック音楽は、同じ楽曲でも何種類もの楽譜が出版されているのか?」では、“正しい楽譜”を出版するというのは案外と難しいことなのだ……という話をいたしました。作曲家の意図を正しく再現しようとした「原典版 Urtext」が、現代ではファーストチョイスとして推奨されていますが、「原典版」以外の楽譜は手に取る必要がないのでしょうか? 今回は有名作曲家のなかでも特に、多種多様な楽譜が出版されているショパンに焦点を合わせ、“本当に正しい楽譜の選び方”を考えてみたいと思います。
ショパンの肖像画
そもそもショパン(1810~49)の楽譜が抱える最大の問題点は、作曲者の生前に楽譜が出版される際、同時期にフランス、ドイツ、イギリスの3国で別々の会社が出版をおこなったため、3つの版のあいだに細かい違いが生まれやすかったのです。同時並行的に作られているため、3つの版のなかでどれをより“正しい楽譜”であるとするか判断すること自体も難しくなっています。
その上、ショパンは弟子のレッスンのなかで日常的に、楽譜に音の変更を加えることがしばしばありました。もし、それを“改訂”とみなすならば、原典版に反映させなければなりません(※ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著 米屋治郎/中島弘二訳『弟子から見たショパン そのピアノ教育法と演奏美学』に、様々な事例が書かれている)。
ショパンの死後に出版された作品については、同門の友人で雑用係を務めたユリアン・フォンタナ(1810~69)が勝手に音を変えてしまっている(!)という問題もあります。ショパンが如何に原典版を出そうとする出版社泣かせの存在であるかがお分かりいただけるでしょう。
フォンタナの肖像写真。彼自身は59歳の時に自殺している。
ショパンの代表作となるような有名曲の場合、優に20種類を超える楽譜がこれまでに出版されてきました。その多くは現在、絶版(そもそも19世紀や20世紀前半に出版された楽譜のなかには、既に出版社がなくなってしまったものも!)となっていますが、音楽大学の図書館や、現在ではIMSLPというクラシック音楽の楽譜に特化した「青空文庫」のようなWEBサイトにおいて、目にすることが出来ます。
とはいえ最新の研究成果を反映した、より“正しい楽譜”としての「原典版」が売られているわけですから、ショパンを研究して論文を書いたり、それこそ原典版を製作するのでもない限り、こうした古い楽譜に目を通したりする意味は無いのでしょうか?
全ての楽譜が「原典版」的なるものを目指して作られているのだとすれば、答えは「YES」といえるかもしれませんが、そうではありません。敢えて、意図的に作曲者の書いた通りに楽譜を作らないという選択肢もあるのです。その際たるものが、いわゆる「解釈版」になります。
解釈版は悪くない!
著名な演奏家(ショパン作品の場合はピアニスト)が、その作品をどのように演奏すべきか、その方針を書き込み、時には音の変更を加えているのが解釈版と呼ばれる楽譜。ショパンの例でいえば、名ピアニストのアルフレッド・コルトー(1877~1962)が校訂した版がその筆頭にあげられます。
ショパンが作曲した《バラード第2番》のコルトー版の楽譜冒頭。紙面の半分以上が説明に費やされている。
このコルトー版のユニークなところは、楽譜に編集を加えただけでなく文章による詳細な解説や、練習方法の提案があったりするところ。ピアニストというよりも教師としてのコルトーの側面が反映された楽譜だともいえます。とりわけ優れていると称賛されることが多いのは、指番号。それぞれの音をどの指で弾くと、より音楽的な演奏が出来るのか考え抜かれた指使いは、そのまま踏襲しないとしても、参考にする価値のある内容です。
他にもブラームス、リスト、ドビュッシーなどが校訂に携わったショパンの楽譜でも、コルトー版ほどではありませんが編集が加えられています。偉大なピアニストの録音を聴くことで、自らの演奏の参考にするというのは、よくなされることですが、録音を残していない偉大な演奏家や作曲家であっても、楽譜を通すことで彼らのショパン演奏の痕跡を探すことが出来るのです。
こうして過去の演奏スタイルを、解釈版によって探るという手法は、なんと最新の原典版の楽譜で取り入れられていることもあるのです。近年、ベーレンライター社から出版されたクライヴ・ブラウンとニール・ペレ・ダ・コスタの校訂によるブラームスの室内楽作品(ヴァイオリン・ソナタなど)の楽譜では、20世紀初頭に出版された解釈版を比べていくことで、ブラームスが意図した演奏スタイルを探ろうとしています(演奏法だけを解説したものも出版されています)。
原典版主義が広まってからというもの、不要なものとして邪魔者扱いされることもあった解釈版ですが、使い方や距離感さえ間違えなければ現在でも有効活用できる存在なのです。ただし、1種類の解釈版を盲信することはオススメできません。あくまで原典版と併用しつつ、いくつかの解釈版を参考にしてみる……ぐらいに、しておきましょう!
最新の原典版を比較する!
というわけで解釈版を活かすためにも、やはり原典版が必須であることには変わらないのですが、「原典版」と名乗っている楽譜もやはりたくさん出版されています。最新の研究成果を反映していることを期待して、なるべく新しく出版された原典版を手に取りたいところではありますけれど、ショパンの場合はそれでも絞りきれず、主だった選択肢は3つ残ります。
1)エキエル版(と通称される「ナショナル・エディション」)
2)ペータース版(新校訂版)
3)ヘンレ版(新校訂版)
上記3つとも旧版と新版が存在していることに注意が必要なのですが、ここで話題に挙げたいのは、もちろん新版の方です。そして、3のヘンレ版は、いわばエキエル版とペータース版で問題提起された編集方針を後追いしたものになるため、保留しておきましょう。
▲1のエキエル版ことナショナル・エディションによるショパン《バラード集》
1は「ナショナル」という名の通り、ポーランドの国家事業として行われた事実上のショパン全集です。責任者となったのはピアニストのヤン・エキエル(1913~2014)……というよりも、ほぼエキエルの独力によって校訂作業が進められています。30年がかりで1990年代前半に刊行が一旦完了したのち、90年代後半にスタッフひとりが加わり、既に古くなってしまったものから改めて新版が出版され、遂に2010年、プロジェクトが完結しています。もう一方の2は、ショパンを研究する最先端の音楽学者たちによって校訂されている楽譜になります。
▲2のペータース版(新校訂版)によるショパン《バラード集》
どちらの楽譜も、ショパンが示した複数の可能性(例えば「楽譜通り」と「弟子の楽譜への書き込み」)からどちらか一方を採用し、もう一方を捨ててしまうのではなく、楽譜上に両方書き記しておくことで、演奏者が各自選べるようにしているのが特徴です。
しかし同時に、ピアニストと音楽学者というスタンスの違いが楽譜上に表れているのが面白いところ。1のエキエル版ではショパンの書き残した音のなかから最も良いものを選ぼうとしているのですが、それによって資料的な矛盾が生じてしまうことを2のペータース版では許しません。学者らしく資料の整合性が最優先されるのです。
……というわけで、この1と2から、あなた自身のスタンスの近い方を選んでみてください。これこそが「本当に正しい“楽譜の選び方”」になります。いま、自分がこの楽譜から何を得ようとしているのか、その目的にあった対象物を選ぶことが、最も大事なのです。
(本記事は、2019年12月に執筆した記事を再掲載しています。)
Text:小室敬幸
プロフィール
小室 敬幸
音楽ライター/大学教員/ラジオDJ
東京音楽大学と大学院で作曲と音楽学を学ぶ(研究テーマはマイルス・デイヴィス)。現在は音楽ライターとして曲目解説(都響、N響、新日本フィル等)や、アーティストのインタビュー記事(レコード芸術、intoxicate等)を執筆する他、和洋女子大学で非常勤講師、東京音楽大学 ACT Projectのアドバイザー、インターネットラジオOTTAVAでラジオDJ(月曜18時から4時間生放送)、カルチャースクールの講師などを務めている。
X(旧Twitter): https://x.com/TakayukiKomuro
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