今回のタイトルを見て、頭に「?」が浮かんだ方もいらっしゃるかもしれません。「ジャズといえば即興!」というイメージをお持ちでしたら、それ自体は決して間違っていないですし、小編成のジャズではメロ譜(リード・シート)と呼ばれるメロディとコードネームだけが書かれた楽譜をもとに即興演奏をしていくのが基本です。一方、ビッグバンドや現代のラージアンサンブルであれば各奏者はパート譜をみながら演奏し、その合間にソロ(アドリブ)がフューチャーされることになるのですが、今回のテーマに設定したのは、あくまで「クラシック音楽」なので、それらとも異なります。一体なんのこっちゃと思われるかもしれませんが、ジャズとクラシックは遠いようでいて意外と近しい……そんなお話をしたいと思います。
どこからがジャズ? どこからがクラシック?
ジャズ・ミュージシャンの作曲した「クラシック音楽」――というと、まるで自己矛盾した文章のように思えてもしまいますが、今回の場合は「クラシック音楽の音楽家に演奏されることを想定した作品」と定義しておきましょう。あるいは、ジャズの即興演奏する能力がなくとも、楽譜の通りに演奏することが可能な音楽と言い換えることが出来るかもしれません。
ジャズのサウンドを持っていて、なおかつアドリブがない音楽といえば、まず筆頭に挙げられるのは、ジョージ・ガーシュウィン(1898~1937)の《ラプソディ・イン・ブルー》(1924)でしょうか。ジャズ・ピアニストが演奏する場合は適宜、即興が加わることが多いですが、基本的には楽譜通りに演奏される楽曲です。ところが、ガーシュウィンは、あくまでも当時流行の最先端にあったジャズのサウンドを取り入れたミュージカルの作曲家、後に転じてクラシック音楽の作曲家になったとはいえるかもしれませんが、ジャズ・ミュージシャンとして活動した音楽家ではありませんでした。
むしろ、よりジャズに近いところにいたのは《ラプソディ・イン・ブルー》のオーケストレーション(当時のガーシュウィンにはオーケストラの楽譜を書くスキルがなかったため、その代わり)を担ったファーディ・グローフェ(1892~1972)だったともいえますが、現在の視点からみればジャズとクラシックの中間にいた人……というぐらいの認識が適切であるようにも思います。
ガーシュウィンやグローフェが手掛けたオーケストラ作品はシンフォニック・ジャズと呼ばれていますが、こうしたジャズのサウンドをもった(先に定義した通りの意味での)「クラシック音楽」というのは長らく、クラシック側がジャズの語法を取り入れたものであったので、“ジャズ・ミュージシャンの作曲した「クラシック音楽」”という今回のテーマには合致しない作品ばかりなのです。(この連載の第10回「ポケットマネーを駆使した音楽家の自費出版事情を探る」に登場したクラウス・オガーマン(1930~2016)も、これまたグローフェに近い事例といえます。)
▲ジョージ・ガーシュウィン(1898~1937)
(出典:Wikimedia)
▲ファーディ・グローフェ(1892~1972)
(出典:Wikimedia)
「ECM New Series」という発表の場
プロのアレンジャーではないジャズ・ミュージシャンが「クラシック音楽」を手掛けた初期の事例のなかで、比較的知られているのはフリージャズの旗手オーネット・コールマン(1930~2015)が作曲した《Forms & Sounds》(1965年録音)という木管五重奏曲……なのですが、調べた限り、楽譜は市販もレンタルもされていない模様。再演するためには採譜するしかなさそうです(楽譜の情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください!)。オーネットに近いスタンスの「クラシック音楽」としては、ジョン・ゾーン(1953~ )も挙げられるでしょう。Hips Road Editionという自身の出版社のWEBサイトで確認すると、1972年から現在まで、コンスタントに「クラシック音楽」が書かれ続けていることが確認できます。
こうしたフリージャズと現代音楽(≒第二次世界大戦後のクラシック音楽)の接近は、1957年頃からガンサー・シュラーが主導した「第三の流れ(サード・ストリーム)」という文脈と深く関係しているのですが、その説明についてはnoteにて拙稿の「ジャズとクラシックの100年【第3回】 1960-70年代:[前編]ジャズでもクラシックでもない音楽」に譲ります。今回の本題からは逸れてしまうので、ご興味ある方だけお読みください。
そこそこ前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題です。前述した「第三の流れ」とも異なる文脈で、(アレンジャーを本業としない)ジャズ・ミュージシャンが「クラシック音楽」を発表しはじめるのは、1970年代以降のこと。発表の場となったのはECMレコード(1969~ )で、先駆をきったのがジャズ・ピアニストのキース・ジャレット(1945~ )とチック・コリア(1941~ )でした。両者ともに1971年から、ECMでレコーディングをするようになっています。
ECMはもともとジャズのレーベルとして知られていましたが、1984年からは「ECM New Series」と称したシリーズを立ち上げ、アルヴォ・ペルト(1935~ )をはじめとする美しい現代音楽(……というより「20世紀のクラシック音楽」と呼ぶべきかもしれません)を発表して大きなムーブメントを生み出すことになります。ここで、いちピアニストとして参加もしていたのがキース・ジャレットであり、彼はECMでバッハをはじめとする伝統的なクラシック音楽も録音していくことになります。
実は、この「ECM New Series」が立ち上がる10年も前に、ジャレットはECMレコードで『In the Light』(1974)というアルバムを発売し、「クラシック音楽」を発表しはじめています。収録された楽曲のなかには《チェンバロのための小フーガ》(※ただしピアノで録音されている)、《金管五重奏曲》、《弦楽四重奏曲》などと、いかにもクラシック音楽らしいタイトルがつけられた作品が並びます。
その後も『Luminessence』(1975)、『Arbour Zena』(1976)、『The Celestial Hawk』(1980)、『Ritual』(1982/※録音は1977)と、継続的に「クラシック音楽」のアルバムが発表されていきますが、その集大成といえるのが『Bridge of Light』(1994)になります。ヴァイオリンと弦楽オーケストラのための《エレジー》(1984)、オーボエと弦楽オーケストラのためのアダージョ(1984)、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ(1984)、ヴィオラとオーケストラのための《ブリッジ・オブ・ライト》(1990)という4曲が収録されており、《アダージョ》以外はピアノ伴奏による譜面がショット社から出版され、Sheet Music Storeでも購入することが可能です。
▲ヴァイオリンと弦楽オーケストラのための《エレジー》/キース・ジャレット
チック・コリアも1980年代に『Lyric Suite for Sextet』(1983)、『Children's Songs』(1984)、『Septet』(1985)と「クラシック音楽」のアルバムをECMにて発表。『Lyric Suite for Sextet』はユニバーサル・ミュージック社から、『Children's Songs』はショット社から楽譜も出版されています。特にオススメしたいのは全20曲から構成される『Children's Songs』で、冒頭の数曲は難易度もそれほど高くないのでアマチュアでも弾きやすく、プロのピアニストにとってはアンコールに使える1曲が見つかるはず(例えば、クラシックでは田部京子さんなどがレパートリーにしています)。コリアはその後も度々「クラシック音楽」を作曲しており、近年注目すべきものとしては2016年に須川展也のためにアルトサックスとピアノのためのソナタ《Florida to Tokyo》
を作曲。こちらは全音楽譜出版社から楽譜がでています。
キースとチック以降は、この原稿のなかで全体像を網羅することが難しいほど、ジャズ・ミュージシャンが「クラシック音楽」を作曲することは全く珍しくなくなりました。そのなかでも特に推しておきたいのは、フレッド・ハーシュ(1955~ )とブラッド・メルドー(1970~ )です。
日本ではジャズファンでもないと、まだまだハーシュは知られていないかもしれませんが、ニコライ・カプースチンやアレクサンドル・ローゼンブラットのようなジャズとクラシックを結びつけたピアノ曲にご興味がある方にとっては、ハーシュの《バッハの主題による変奏曲》と《チャイコフスキーの主題による変奏曲》は大きな掘り出し物となることでしょう。前者は《マタイ受難曲》のコラール(正確にいえば、このコラールの旋律はバッハ作曲ではないのだが、バッハの和声付けを主題にしているため、決してタイトルが間違っているわけではありません)を、後者は《交響曲第4番》の第2楽章が主題となった、演奏時間20分前後と規模の大きな作品です。他にも小品、室内楽も魅力的。楽譜はペータース社から出版されています。
▲バッハの主題による変奏曲/フレッド・ハーシュ
現代を代表するジャズ・ピアニストとして世界的な人気と評価を得ているメルドーの作品のなかでは、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》からの抜粋を大胆に再作曲したピアノ曲《After Bach》、ルネ・フレミングのために書かれた歌曲集《LOVE SUBLIME》、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターのために書かれた歌曲集《LOVE SONGS》あたりが、今回定義した「クラシック音楽」のなかにカテゴライズできるでしょう。《After Bach》の抜粋と、2つの歌曲集は、Modern Works Music Publishingでダウンロード販売されています。
オーネット・コールマンやジョン・ゾーンの作品を除けば、どの作品も耳に馴染みやすいため、コンサートのレパートリーになったり、ピアノの発表会で他の人と差をつける絶好の選曲となったりしそうなものですが、現状、日本ではあまり演奏されていません。おそらく最大の理由は、知名度の低さ。こうした作品があり、楽譜も出版されていることを、クラシック音楽側の音楽家たちが知らないのです。先ごろなくなったカプースチンのように、日本での普及活動が進めば、きっと状況は変わるはず。あなたも、ジャズ・ミュージシャンの作曲した「クラシック音楽」を聴いたり、弾いたりしてみませんか?
(本記事は、2020年9月に執筆した記事を再掲載しています。)
Text:小室敬幸
プロフィール
小室 敬幸
音楽ライター/大学教員/ラジオDJ
東京音楽大学と大学院で作曲と音楽学を学ぶ(研究テーマはマイルス・デイヴィス)。現在は音楽ライターとして曲目解説(都響、N響、新日本フィル等)や、アーティストのインタビュー記事(レコード芸術、intoxicate等)を執筆する他、和洋女子大学で非常勤講師、東京音楽大学 ACT Projectのアドバイザー、インターネットラジオOTTAVAでラジオDJ(月曜18時から4時間生放送)、カルチャースクールの講師などを務めている。
X(旧Twitter):https://x.com/TakayukiKomuro
この記事を読んだ方におすすめの特集