映画音楽と楽譜の“微妙”な関係~ジョン・ウィリアムズとウィーン・フィルの共演を記念して~【演奏しない人のための楽譜入門#11】


 2020年1月18日は、記念すべき日となった。世界最高峰のオーケストラ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台に『スターウォーズ』などの音楽で知られるジョン・ウィリアムズが立ったのだ。そもそもウィーン・フィルが初めてジョン・ウィリアムズの曲を演奏したのは、2010年とごく最近。音楽の都で映画音楽が軽んじられてきた原因を、「楽譜」というキーワードで探っていきましょう。

 

サイレント映画時代の映画音楽

 

 現存する最古の映画音楽として知られているのは、フランスの作曲家カミーユ・サン=サーンス(1835~1921)が作曲した『ギーズ公の暗殺 L'assassinat du duc de Guise』(1908)という作品です。当時はまだサイレントの時代でしたから、映画に音楽をつけるには上映にあわせて生演奏をするしかありませんでした。ピアノやシアターオルガン(打楽器付きのオルガン)で即興的に演奏されることもありましたが、サン=サーンスは劇付随音楽の延長で『ギーズ公の暗殺』の音楽を作曲したのです。

 

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▲『ギーズ公の暗殺』 ピアノのパート譜
(出典: International Music Score Library Project)

 

 劇付随音楽というのは演劇の上演に合わせて書かれた音楽のことで、クラシック音楽以外の分野では一般的に劇伴(げきばん)と呼ばれます。ベートーヴェンの『エグモント』、メンデルスゾーンの『夏の夜の夢』、ビゼーの『アルルの女』、グリーグの『ペール・ギュント』など、数々の管弦楽曲が劇付随音楽として書かれたのです。

 ただし、サン=サーンスの作曲した『ギーズ公の暗殺』は、管弦楽曲ではなく室内楽(ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ハルモニウム、ピアノによる七重奏)。おそらくは、『ギーズ公の暗殺』自体が15分程度と短いこと、映画は演劇よりも繰り返し上映されることから、再演しやすい小さな編成で作曲されたのだと推測されます。

 その後、アルテュール・オネゲル(1892~1955)がアベル・ガンス監督の長編映画『ナポレオン』(1927)(※オリジナルの上演時間は6時間半!)のためにオーケストラで音楽をつけていますが、現在演奏可能なのは映画から独立して編曲された組曲版のみ。しかも音楽をどの場面のどのタイミングで演奏するかを指示したキュー・シートは現存していない模様で、上映当時の再現は難しいのです。

 

トーキー時代初期の映画音楽

 

 音声と映像が同期される「トーキー」の技術――特にサウンドトラック方式――が実用化されると、音楽はより映画に欠かせないものとなっていきます。クラシックの作曲家としては、セルゲイ・プロコフィエフ(1891~1953)がセルゲイ・エイゼンシュテイン監督と組んだ『アレクサンドル・ネフスキー』(1938)、ウィリアム・ウォルトン(1902~1983)がローレンス・オリヴィエ監督と組んだ『ヘンリィ五世』(1944) など高度なコラボレーションの事例として挙げられるでしょう。

 例えば、下記の設計図は『アレクサンドル・ネフスキー』の戦闘場面の音楽と、シーンの対応を図示したものなのですが、どの瞬間にどの音符が鳴るべきなのかが分かりやすく示されています。音楽が開始するタイミングだけでなく、音楽が流れている間は常に映像と完璧に結合させられていることがご理解いただけるはず。

 

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▲『アレクサンドル・ネフスキー』戦闘シーン前の音楽モンタージュ
(出典:Wikipedia)

 

 なお、映画公開後にはプロコフィエフ自身によって7曲抜粋されて編み直されたカンタータ『アレクサンドル・ネフスキー』が作られ、コンサートではこのバージョンが演奏されてきました。映画で演奏された通りの全曲バージョンの楽譜も復元されていますが、それはなんと2003年と、ごく最近のことなのです。クラシック音楽の世界で著名かつ評価の高い作曲家ですら、この有様なのですから、主に映画音楽の作曲家として認知されている人物の場合は、メインテーマが演奏されれば御の字。そもそも、通常のオーケストラの定期公演で取り上げられることが珍しいという時代が長らく続きました。その象徴ともいえるのが、神童エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897~1957)です。

 

ハリウッドの映画音楽の礎を築いた天才……の悲劇

 

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▲エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897~1957)
(出典:Wikipedia)

 

 12歳でマーラーにその才能を絶賛され、13歳の時に作曲したバレエがウィーン国立歌劇場で上演されるという、漫画でもありえないようなほどの天才性を発揮したコルンゴルトは、1920年代にはウィーンの寵児として、当時を代表する偉大な演奏家たちが盛んに作品を取り上げ、ウィーン国立歌劇場やウィーン・フィルも頻繁に作品を取り上げていました。1930年代に入ると、ナチスの台頭によりユダヤ系のコルンゴルトの演奏機会が激減。活動の場を新世界アメリカの映画へと移すことになります。

 オペラやオーケストラ作品で培った豪勢で豊穣なサウンドは、すぐさまアメリカでも高い評価を得ることになり、1936年には『風雲児アドヴァース』、1938年には『ロビンフッドの冒険』で、立て続けにアカデミー賞の作曲部門を制してしまったのです。こうして、ハリウッドの映画音楽は突如として、ヨーロッパ最高峰のオペラ作品と同レベルにまで引き上げられることになりました。

 第二次世界大戦が終わると、コルンゴルトはハリウッドで映画音楽の仕事を続けながらも、ヨーロッパで再びコンサートやオペラで上演される音楽を手がけようと決意します。それは、映画音楽は映画の公開が終わると忘れ去られてしまい、コンサートでなかなか演奏されず、映画音楽の作曲家は「録音のステージとダビング・ルームのあいだ」にしか存在価値がないと思うようになっていたからだったといいます。

 ところが、ウィーン・フィルでは1945~56年のあいだに5回、ウィーン国立歌劇場では1950~51年にかけて8回演奏されただけで、それ以降――つまりはコルンゴルトが亡くなった1957年以降、ぱったりと作品が演奏されなくなってしまうのです。1920年代の寵児は、もう完全に過去の人となってしまいました。

 

映画音楽はクラシック音楽として認められないのか?

 

 ちなみに再びウィーン・フィルがコルンゴルトを演奏するようになるのは21世紀に足を踏み入れた2004年以降のことになります。しかも、これはコルンゴルト個人に限った話ではなく、映画音楽の作曲家を明らかに敬遠していたようなのです。

 例えばウィーン・フィルが、『ゴッドファーザー』の音楽で知られるニーノ・ロータの曲を初めて演奏したのは2008年(ムーティ指揮で《トロンボーン協奏曲》と映画『山猫』の交響組曲)。前述したようにジョン・ウィリアムズの場合は2010年(ウェルザー=メスト指揮で『スターウォーズ』組曲の抜粋)。『風と共に去りぬ』で知られるマックス・スタイナーの曲を初めて演奏したのは2019年(ドゥダメル指揮で『カサブランカ』組曲)……と、21世紀に入ってからやっと、保守的なオーケストラであるウィーン・フィルは、映画音楽の作曲家も演奏会のプログラムに組み込むようになったのです。

 もちろん、1935年から映画音楽のレコーディングに率先して取り組んできたロンドン交響楽団(『スターウォーズ』エピソードⅠ~Ⅵも演奏しています!)のようなオーケストラも存在していますが、映画音楽の演奏が軽んじられていた事実を別の角度から理解するためにはポップス・オーケストラでの事例もおさえておくべきでしょう。

 アメリカで初めて定期的に演奏会を行うようになったポップス・オーケストラは、1885年に設立されたボストン・ポップス・オーケストラです。普段はボストン交響楽団として活動し、夏のシーズンオフだけ「ポップス」の看板を掲げて、親しみやすい楽曲を集中的に演奏しているのです。世界的に知られるようになったのは、1930~1979年の長期にわたり音楽監督を務めたアーサー・フィードラーの功績によります。この黄金コンビによるルロイ・アンダーソンやガーシュウィンの録音は、今でも輝きを失っておりません。

 ところが!……映画音楽の録音は、今となっては聴いていられないほど、驚きの酷さなのです。問題となるのはオリジナルの楽譜を使わず、お抱えアレンジャー陣が編曲しているようなのですが、映画音楽の作曲家たちへの敬意があまりにも欠如しています。その最たるものが、ジョン・ウィリアムズの『スターウォーズ』メインタイトルです(ご興味ある方は、音楽ストリーミングサービスなどで「fiedler star wars」と検索してみてください)。この録音がなされたのは、スターウォーズの第1作が公開された翌年の1978年のことでした。

 

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▲ジョン・ウィリアムズ
(出典:Wikipedia)

 

 1979年にフィードラーが死去……。空席となったボストン・ポップスの指揮者に就いたのが、なんとジョン・ウィリアムズだったのです。そして、就任初年度の1980年6月に早くも『スターウォーズ』から何曲か抜粋して録音しています(使われた楽譜は、指揮者メータの依頼で書かれた最初の組曲版と同じ内容)。

 そして、その後はジョン・ウィリアムズ自身以外の映画音楽もオリジナルのスコアや、原曲の作曲家を尊重したバージョンで次々と演奏・録音し続けていくことで、映画音楽を安易な編曲譜で演奏する風潮を蹴散らしていきます。更には、以前の連載でもご紹介した米国の楽譜出版社最大手ハル・レナードと組んで『John Williams Signature Edition』と題した大型スコア(総譜)を出版。ヤマハの銀座店や池袋店など、ある程度の規模をほこる楽器店に足を運べばいつでも――「Signature 署名」と付いている通り、まさに――作曲家自身による公式オーケストラ楽譜が買えるのは、ジョン・ウィリアムズぐらいでしょう。

 

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▲ STAR WARS John Williams Signature Edition Orchestra

 

 人気におもねることなく、自身の音楽が捻じ曲げられずにちゃんと演奏される環境を整備し、文化を醸成。こうした長年の地道な積み上げにより、87歳になって遂にジョン・ウィリアムズは音楽の殿堂へと迎え入れられたのです。クラシック音楽の歴史において、映画音楽への評価が変わりつつある、大きなターニングポイントとして今後も語られていくはずです。

 

(本記事は、2020年8月に執筆した記事を再掲載しています。)

 

Text:小室敬幸

プロフィール

小室敬幸

小室 敬幸

音楽ライター/大学教員/ラジオDJ
東京音楽大学と大学院で作曲と音楽学を学ぶ(研究テーマはマイルス・デイヴィス)。現在は音楽ライターとして曲目解説(都響、N響、新日本フィル等)や、アーティストのインタビュー記事(レコード芸術、intoxicate等)を執筆する他、和洋女子大学で非常勤講師、東京音楽大学 ACT Projectのアドバイザー、インターネットラジオOTTAVAでラジオDJ(月曜18時から4時間生放送)、カルチャースクールの講師などを務めている。
X(旧Twitter):https://x.com/TakayukiKomuro

 

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