本書は、英国音楽史に独特の存在感をもって屹立する作曲家フレデリック・ディーリアス(1862-1934)の最晩年を描いた回想録。 病に苦しむ老作曲家を助け、その「白鳥の歌」ともいうべき珠玉の作品群をともに紡ぎ出した音楽家エリック・フェンビー(1906-1997)が、作曲家没後の1936年に出版した回想録Delius as I Knew Himの全訳である。
1968年にはイギリスを代表する伝記映画の巨匠ケン・ラッセル(『恋人たちの曲/悲愴』『マーラー』)が、Song of Summerと題して映像化し、BBCが放送。日本でも1970年にNHKが放送し、わが国にも多数のディーリアン(ディーリアス愛好家)を生んだ。イギリスのシンガーソングライター、ケイト・ブッシュが、ラッセル監督の映画をもとに〈ディーリアス〉(1980)を発表したことによっても知られている。
エリック・フェンビー(Eric Fenby, 1906?1997) 作曲家。英国の作曲家フレデリック・ディーリアス(1862?1934)の筆記者として知られる。ディーリアスと同じヨークシャー州に生まれ、幼少期から絶対音感をはじめ音楽の才能をあらわす。12歳から18歳まで生地スカーバラの教会でオルガニストを務めるかたわら、作曲を独学。1928年、22歳のときにディーリアスの《春はじめてのカッコウを聞いて》を聴き、感銘を受ける。ディーリアスが盲目と全身麻痺に苦しみ、作曲ができないことを知り、手紙で手伝いを申し出る。仏グレー=シュル=ロワンのディーリアス邸での共同作業は6年間におよび、フェンビーはディーリアスの口述により、ヴァイオリン・ソナタ第3番をはじめ、管弦楽曲《夏の歌》、合唱と管弦楽のための《告別の歌》、独唱と管弦楽のための《牧歌》など、大規模な作品も含め、10曲ほどを完成させた。ディーリアス没後に出版した回想録Delius as I Knew Him(1936)は、作曲家の最晩年の姿を生き生きと描き出し、ケン・ラッセル監督によって映像化(BBCテレビ映画Song of Summer)され、またシンガー・ソングライター、ケイト・ブッシュもラッセル監督の映画をもとに〈Delius〉(1980)を発表するなど、世界中の多くの人々を魅了した。 1939年にはアルフレッド・ヒッチコック監督の映画『巌窟の野獣』の音楽を担当、その後も作曲家として活動を続けたが、ディーリアスの存在を乗り越えることはできず、作品のほとんどを破棄。その後は音楽教育者として活動した。ノース・ライディング教員養成校の音楽科を創立し、1962年にはディーリアス生誕100周年記念音楽祭での功績によりOBE(大英帝国勲章)を受勲。1964年から77年にかけて英国王立音楽院作曲科の教授を務めた。 1968年にBBCで放送された映画Song of Summerの収録にあたっては、グレー=シュル=ロワンに戻り、ケン・ラッセル監督の顧問として制作を支えた。 晩年は妻ロウィーナと故郷のスカーバラに定住して穏やかな生活を送った。1997年死去(享年90)。 小町 碧(こまち・みどり) ロンドン在住のヴァイオリニスト。12歳でチューリヒ室内管弦楽団と共演してデビュー。以来、国際的な活動をおこなっている。英国王立音楽院の音楽学士・修士課程を首席で卒業。英国と日本を拠点に、両国の音楽を国際的に紹介していく活動は、NHK、BBC Radio 3など、さまざまなメディアに紹介されている。長年の研究テーマである「ディーリアスとゴーギャン」については、日本経済新聞に特集記事が掲載され、2013年には英国ディーリアス協会に表彰された。 ttps://www.midorikomachi.com/ 向井大策(むかい・だいさく) 沖縄県立芸術大学准教授。 愛媛県松山市出身。東京芸術大学音楽学部楽理科卒業(アカンサス音楽賞)、同大学大学院音楽研究科修士課程を経て、博士後期課程修了。博士号(音楽学)。ベンジャミン・ブリテンを中心とした20世紀のオペラにかんする研究をおこなう。