これまでの連載で当たり前のように取り扱ってきた「楽譜」について、改めてそれがどのようなもので、音楽とどう関わってきたものなのか? いま一度、今回の連載では考え直してみたいと思います。楽譜について考えるということは、ヨーロッパで発展してきた音楽について考えることと、ニアリーイコールといっても過言ではありません。何故なら、楽譜は英語に訳せば「music」もしくは「music paper」等となるからです。というわけで、まずは「音楽」とは何かという話に一旦立ち戻っていきましょう。
「音楽 music」という言葉の語源
西洋由来の「music」という概念が、日本で「音楽」と訳され、使われるようになっていくのはやはり明治以降とされています。「音を楽しむと書いて、音楽」といったような言説を様々なところで目にしますが、語源に従えばこの理解は正しいとはいえません。中国語では「音」は声、「楽」は楽器のことを指すため、歌と楽器の演奏をあわせて「音楽」という言葉が形作られているのです。「楽」という漢字は「楽しい」という意味で使われていません。
では、英語の「music」という単語はどのように生まれたのでしょうか?
「music」が初めて辞書に載るのは13世紀なのですが、これはフランス語の「musique(ムジーク)」が輸入されたものでした。このように順々にさかのぼっていくと、古代ローマで使われていたラテン語の「musica(ムジカ)」、そして最終的に古代ギリシア語「mousikē(ムシケー)」にまでたどり着きます。
ギリシア神話には、神々の長であるゼウスの娘で、文芸・音楽・舞踊・歴史・天文などを司る女神たち「ムーサ Musa」(※複数形だと「ムーサイ Musai」、英語に訳せば「ミューズ
Muse」)がいて、彼女たちの「技
tékhnē」のことを「ムシケー
mousikē」と呼びました。この「ムシケー」という言葉には、文芸なども含まれていましたが、前述した「musica(ムジカ)」のようにラテン語以降は他の芸術を含まずに「音楽」だけを表す言葉に細分化していったのです。
「楽譜」を英語でいうと?
現在、英語の「music」が指し示す範囲は、「音楽」そのものだけでなく……
楽器や音声によって生じる楽音,一つ一つの楽曲 (a piece of
music),それらを記録する楽譜や楽曲集,また音楽の鑑賞力や音感を指す.鳥や川など音楽的な美しい響き,快い調べなどもいう.
『英語語義語源辞典』(三省堂, 2004)より引用
この通り、意外と広いのです。当然、文脈によって訳され方が変わり、例えば「read music 楽譜を読め」「play without music
楽譜なしで弾け」という場合、musicという1語だけでも音楽ではなく楽譜と訳すべきなのは明らかですね。文脈関係なく「楽譜」であることが明確な「music
paper」と表現されることもあります。(※ちなみにドイツ語では少し事情が異なるようで、音楽を意味する「Musik」ではなく、音符を意味する「Note」の複数形「Noten」もしくは「Notentext」で楽譜という意味になるそうです。)
あるいは、楽譜の種類の名前で呼ばれることも多い。バンドスコアやオーケストラスコアのように使われる「score スコア」(もしくはfull
score)は「総譜」と訳されるように、演奏に参加する複数の楽器がまとめられた楽譜のことを指しますし、「sheet music
シート・ミュージック」といえば日本でバンドピースやピアノピースという名で売られている薄い楽譜(本来は製本されていない、シート状の楽譜)のことを指すのです。
はたまた日本では――特に音符が書かれていない空の――楽譜のことを指して五線譜と呼ぶこともありますね。「五線」そのもののことは、アメリカ英語で「staff」、イギリス英語で「stave」と呼ばれますが、楽譜そのものの呼称としては使われません。
五線譜だけが楽譜ではない!
日本で楽譜の代名詞のように使われる「五線(譜)」ですが、それが楽譜の全てではありません。そもそも、楽譜を定義しようとすれば「何らかの記譜法(notation)に沿って音楽を記録したもの」となるでしょうか。一昔前であれば「何らかの記譜法に沿って音楽を紙面上に記録したもの」と定義できたかと思いますが、現在では電子楽譜の利用が一般的になり、紙(や皮など)に限定するべきではなくなりました。
楽譜という概念を理解する上で、最も大事なのが「記譜法(notation)」です。「音 note」をどう記号に置き換えて、平面上に記録するのか?
実は記譜法の考案・発展は、音楽そのものの発展と同じぐらい重要なものでした。何故なら、19世紀後半にやっと録音・再生技術が発明され、20世紀に徐々に普及していくまでは、音そのものを記録し、保存する方法はなかったのですから。どれほど素晴らしい音楽であろうと、記号化されて楽譜として残され、現在まで伝承されていない限り、どのような音楽だったのかを確認する術はなかったのです。
しかも録音・再生技術が発展した現在であっても、それがそのまま楽譜の代わりにはなりません。最大の理由は、どう演奏すればそのような音楽になるのか、複雑な音楽になるほど再現が困難であるからです。「楽譜」は設計図、それが演奏された「音楽」は建築だと捉えれば、その意味もご理解しやすいかと思います。
カラオケで歌うようなポップソングぐらいであれば、楽譜は必要となりませんが(むしろ楽譜には記録しづらいニュアンスを真似するためには録音から直接、音や歌詞を聴き取る方がこの場合は適切だとも言えます)、何かピアノで1曲――ベートーヴェンの《エリーゼのために》でも、Lisaさんの《紅蓮華》でもジャンルは問いません――を弾きたいと思ったとき、音源からいわゆる耳コピを出来るように訓練するよりも、楽譜の読み方を勉強して販売されている楽譜をもとに練習する方が、一般的にいって近道であることは想像できるはずです。
これが「五線譜」ではなく、いわゆる「タブ譜」であれば、更にハードルが下がります。タブ譜こと「タブラチュア(譜)」は日本だと奏法譜と訳され、主にポピュラー系のギターやベースで用いられている楽譜といえばイメージがしやすいかもしれません。前述したギターやベースのタブ譜の場合、何弦の何フレットを押さえればいいのか書いてあるので、五線の音符の高さが読めなくても(ドを基準に指差ししながら数えた記憶はありませんか?)、音源を参照してリズムをとりながら演奏することが出来るのです。タブ譜は、他にも尺八や箏(琴)など、日本の伝統楽器でも使われていたりと、五線を使わない記譜法は案外と多く存在しています。
五線で音符の高さが読めなくても楽器が演奏できるタブ譜。「ピアノにもあればなあ……」と頭をよぎった方はいらっしゃいませんか?
実は、五線譜というのはそもそも鍵盤楽器(当時はオルガンやチェンバロなど)のタブラチュア譜だったのです!? なぜ、鍵盤楽器用の記譜法が、他の楽器や歌にも適用されるようになったのは何故なのか?
その歴史を語るとこの記事が長くなってしまうので、本連載の最終回である次回へとまわそうと思います。代わりに、五線譜の抱える問題を提起して、次に繋げたいと思います。
それは先月3月末にイギリスのテレグラフ紙に掲載されて話題となった「オックスフォード大学の教授が“脱植民地化”を目指し、記譜法〔Musical
notation〕に“植民地主義”の烙印を押す」ニュースで、ブラック・ライヴズ・マターの影響を受けてオックスフォード大学では五線譜を「植民地主義的表現システム」とみなし、教育のカリキュラムから外されることが検討されているというものです。なぜ、五線譜が問題視されるようになったのか?
最終的となる次回は、楽譜の歴史を紐解きながら解説していきたいと思います。
(本記事は、2021年4月に執筆した記事を再掲載しています。)
Text:小室敬幸
プロフィール
小室 敬幸
音楽ライター/大学教員/ラジオDJ
東京音楽大学と大学院で作曲と音楽学を学ぶ(研究テーマはマイルス・デイヴィス)。現在は音楽ライターとして曲目解説(都響、N響、新日本フィル等)や、アーティストのインタビュー記事(レコード芸術、intoxicate等)を執筆する他、和洋女子大学で非常勤講師、東京音楽大学
ACT Projectのアドバイザー、インターネットラジオOTTAVAでラジオDJ(月曜18時から4時間生放送)、カルチャースクールの講師などを務めている。
X(旧Twitter):https://x.com/TakayukiKomuro
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