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【インタビュー】憎しみを直球で受けながら人を信じることをやめない。『オノ・ヨーコ』翻訳家に聞く、世界にオノ・ヨーコが必要な理由

【インタビュー】憎しみを直球で受けながら人を信じることをやめない。『オノ・ヨーコ』翻訳家に聞く、世界にオノ・ヨーコが必要な理由

オノ・ヨーコの決定版伝記として『オノ・ヨーコ』(デヴィッド・シェフ著)が発売された。ビートルズを解散させた悪女、うさんくさい変人などという不当な評価を受けてきたオノ・ヨーコ。世界中に嫌われ、壮絶な差別を受け、それでも人類をあきらめずに大真面目に戦争反対を、愛を、平和を訴え続けたオノ・ヨーコ。本書の翻訳家である岩木貴子さんに話を聞いた。 自分のオノ・ヨーコ像はほとんどが偏見? ――本書の翻訳を手掛ける前、オノ・ヨーコに対してどのような印象を持っていましたか? 本書ではヨーコに対するさまざまな不当な評価について触れていますが、それこそ私自身が彼女に対してもともと持っていた印象でした。たとえば、変な歌唱法を使っていて金切り声ばかりでろくに歌えない、パフォーマンスがうさんくさいといったもの。だからこそ今回の本でオノ・ヨーコ側のストーリーが読めることを楽しみにしていました。翻訳をしたことでその印象がくつがえった部分もあれば、印象通りのままだったところもありましたが、とても翻訳しがいのある本だったことはたしかです。結局、もともと持っていた印象の多くは偏見に基づく差別で、自分もそれに加担していたということに気づいてショックでした。 ――とくにどんな部分で印象が変わりましたか? 大きく変わったのはジョン・レノンとの関係性です。これまでは“ジョン・レノンの奥さん”という視点で見ていたから、ジョンが“主”でオノ・ヨーコは“従”だと思っていたのですが、その点を誤解していました。ジョンはヨーコでないと尊敬できなかったでしょうし、アーティストであるジョンにインスピレーションを与えて、新たな高みに引っ張り上げるのはヨーコにしか無理でした。 ヨーコの楽曲を色眼鏡なしで聴いてみたら…… ――オノ・ヨーコの音楽に対する印象は変わりましたか? 変わりましたね。今まではジョンとヨーコの楽曲を聴いても、うさんくさい人というバイアスがかかっていたからか、「ヨーコがまた変な声出してる」と思うだけでした。しかし今回、ヨーコ自身の楽曲を色眼鏡なしではじめて聴いたところ、この人って本当に才能のあるミュージシャンなんだ! 素晴らしい音楽を作っていたんだなと思いました。申し訳ないというか……懺悔の気持ちですね。ただ、著者の解説による楽曲のバックグランド情報も頭に入っている状態で聞いているので、今度はまた別のバイアスがかかっているかもしれませんが(笑)。 ――難しい楽曲が多いという印象がありましたが、聴きやすい楽曲もありますね。 彼女はポップスを意外と重視していたんですね。尖ったアバンギャルドな前衛音楽の部分と、王道なポップスの部分の二面性がある人だということを知らなくて。前衛のイメージばかり見ていたのだと気づきました。とてもクレバーで、かつ懐が深いのですが、ひとくくりにはできないアーティストです。ひとつだけ取り上げてわかった気になっていたら、オノ・ヨーコのことはまだ理解できていないのです(笑)。 違和感も含めて受け入れる懐の深さ ――懐の深さはどういうところで感じられましたか? 音楽の幅の広さもそうなんですけど、とくに感じたのはアートからですね。当時のボーイフレンドのサム・ハヴァトイから、「初期のアート作品をブロンズで再現したらどうか」という提案があったときのことです。ヨーコはその発言に大きなショックを受けて、「私のアートを根本的に理解していない」と泣くほど怒ります。しかしその後、「泣くほど私を動揺させるということは、何かあるはずだ」と考え直し、結果的に今の時代(1980年代当時)にはブロンズの方が合っているかもしれないと、サムの提案を受け入れたのです。アートの素人から見ると、明らかにブロンズじゃないでしょ! と思うのですが、ヨーコは人の意見を聞き、今の時代にはこうなのかもしれないという違和感も含めて取り入れることで、人に訴えかける作品にしている。60年代には自由だったものが、今(80年代)の世の中はこう変化してしまったのよということを見せてくれているところに懐の深さを感じます。 ――ジョンとの関係性においてはいかがでしょうか。 ジョンとの関係は恋人とか夫婦というだけではありませんでした。ジョンが亡くなった後は、自らにジョンのレガシーの守り手としての使命を課しています。たとえばナイキのCMで「インスタント・カーマ」の使用許諾を出したときのこと。やはり世間からは批判されるわけです。金儲けだと。しかしヨーコはこう返します。「これで何百万人もの人々に『インスタント・カーマ』を聴いてもらえて、80万ドルがもらえて、そのお金はユナイテッド・ニグロ・カレッジ・ファンドにまわした。それが、私があの曲で得たものです。何か問題でも?」 何十年もさまざまなことで批判されて叩かれ続けてきた女性ですが、自分のプライドよりも、ジョンと一緒に訴えてきたメッセージは世界にとって大切なのだから守らなくてはいけないという強い使命感があったと思います。正しいものや良いもののために尽くせるところに彼女の懐の深さを感じます。 ――ヨーコは、こんなにも自分を受け入れてくれない世界に対してあきらめませんね。 本当にそう思います。ヨーコが受けてきた差別は壮絶で、世界中の見も知らぬ他人から憎まれ、その憎しみを直球で受けるわけです。たとえば彼女が妊娠をしたときのこと。それまでは妊娠がわかるとすぐに公表していたのですが、彼女は何度も流産を繰り返していたので、今回は少し待ってほしいとジョンに言います。今であれば普通のことですよね。妊娠を公表すると「針が刺さった人形」などが送られてきたそうなんです。子供が生まれないようにと。そういった悪意をヨーコは若い頃からずっと浴びせられ続けてきたのです。それなのに、人類に対する愛情を失わないでポジティブな愛のメッセージをずっと訴え続けられたのがすごい。さらには、人を疑わない純真な気持ちを持ち続けてもいます。ジョンの死後、多くの人に裏切られたり信頼につけ込まれたりしたのに、それでも人を信じることをやめませんでした。 ヨーコ本人の声にできるだけ近づけるために ――本書を翻訳するときに苦労された点はありますか? 原文がわりと淡々としていて、大げさに盛り上げようとするわけでもなく、ただ事実を述べていくという感じで書かれています。おそらく著者が意図的に選んだ文体だと思ったので、無意識のうちに自分の価値判断が入り込まないように、できるだけ原文と同じように淡々と訳すように心がけました。ただ、英語はポンポンポンと事実だけ述べる文体でもそんなに違和感がないのですが、日本語で同じようにするとつまらない文章になってしまいます。そこで、どうしても単調になってしまうくだりでは流れを作ってバランスを取るようにしました。 ――セリフについてはいかがでしょうか。 本書ではヨーコの声を伝える一端を担っていたので、特にセリフの役割語(編注:語り手の性別や職業など、属性を想起させる話し方)では悩みました。役割語は表現を豊かにしてくれるものではありますが、今の時代、くびきから解放した方がいいのではないかという意見もあります。できるだけ使いたくないという思いがある一方で、ヨーコ本人の声に近づけたかったのです。ヨーコの若い頃の動画を見ると、山の手言葉のような話し方をしています。日本語で話している最近の動画は見つけられなかったのですが、文章を見ると割とくだけた話し方をしているようです。それぞれの時代の雰囲気が伝わるように、おさえながらも役割語は使いました。 ――ヨーコはアメリカの大学に入学するまでは主に日本で、日本語を使って生活していたわけですが、ヨーコの発言の中で翻訳しづらい部分はありましたか? いくつか翻訳しづらい箇所がありました。それは日本人だからということではなくて、ヨーコが英語を学んだ事情が関係していると思います。彼女は最初にアメリカ英語に触れているので、その影響が一番強いと思うのですが、ジョン・レノンと過ごした時代は彼からイギリス英語の影響も受けているはずです。そのためか、イギリス英語とアメリカ英語のどちら側から見ればいいのか……と悩む部分がありました。言語からはそれがはっきり読み取れないのです。 私自身はもともとイギリス英語を勉強したのちにアイルランドに留学してアイルランド英語に触れ、翻訳の仕事をするようになってからアメリカ英語を意識的に取り入れて勉強しました。アメリカ英語とイギリス英語は単純にワードチョイスだけの違いではなく国民性による感覚の違いもあるので、その部分についてはヨーコの英語に少し惑わされました。おそらくアメリカ英語がベースにあるのだろうということで、本当に悩んだある箇所ではアメリカ育ちの翻訳家の友人に解釈を確認したりもしました。 自分が“何を知らないか”には気づきにくい ――翻訳をする際には、事前にリサーチをするそうですが、どのぐらいの時間をかけるものなのでしょうか。 実は翻訳そのものよりもリサーチの方に時間がかかっているのですが、リサーチをしっかりやっておくと翻訳がスムーズに行えます。翻訳におけるリサーチの重要性は7~8割だと言っても過言ではありません。なので、今回も知り合いの翻訳家にリサーチで協力していただいています。なぜ大切かというと、知らないことは訳せないからです。当たり前なのですが(笑)。たとえばある物事や現象について書かれているとして、そのことについて知らないと、本当の意味では訳せません。言葉を他言語に置き換える=翻訳ではないからです。時代背景の知識が必要ですし、点だけで存在している事象はないので、ある程度まとまりで調べないといけません。そうしないと、自分が“何を知らないか”ということに気づけないのです。知っているつもりになってしまうのが一番危険です。実感がないまま言葉だけ拾って訳していると、他言語を挟んだ伝言ゲーム状態になってしまいます。...

これまでに作った楽器は180種類以上! 「不思議な音」を追究し続けるkajiiの原点にあるもの

これまでに作った楽器は180種類以上! 「不思議な音」を追究し続けるkajiiの原点にあるもの

2本のスプーンが軽快なテンポでリズムを刻み始めると、続いて卓上に並んだ食器が涼しげな音色でメロディを歌い出す――いったいなんの話?と思うかもしれない。百聞は一見に如かず、まずはこちらの動画をご覧いただきたい。 運動会などでお馴染み、カバレフスキーの「道化師のギャロップ」 演奏しているのはkajii(カジー)。クマーマと創(そう)による二人組のユニットだ。kajiiは2014年結成、「音楽と楽器をもっと身近に」をモットーに、日用品や廃材から独自の楽器を作り出し、名古屋を拠点として全国各地で演奏活動を行っている。既製の楽器を使わず、ペットボトルやお菓子の空き箱など普通なら捨てられてしまうようなものから思いもかけない楽器を作り出すユニークな活動を、もしかしたらSNSや YouTubeで見かけたことがある人もいるかもしれない。 今年6月、活動12年目となるkajiiの初となる書籍『おうちでできる!kajiiのふしぎな手づくり楽器』が発売されるのを機に、お二人にこれまで歩みと創作楽器の魅力について語ってもらった。 家庭でもかんたんにできる手づくり楽器のノウハウがたくさん詰まった一冊 kajii結成の経緯とユニット名に込めた思い ――まずはお二人の出会いからkajii結成に至るまでのお話を聞かせてください。 クマーマ:ちょうど僕と創くんがそれぞれ東京でソロ活動をしているときに飲み会で一緒になったのが初対面です。たまたま二人とも同郷(愛知県)で、僕はシンガーソングライター、創くんはドラムのスタジオミュージシャンを目指して活動していた時期だったので、お互いの演奏サポートをするようになって音楽的な付き合いが始まりました。 創:最初はそのまま「創&クマーマ」でやっていたんですが、さすがにユニット名があった方がいいだろうと。そこで「日常生活の中から(家事)、工夫して楽器を作り(鍛冶)、新しい風を生む(風)」というトリプルミーニングを込めて「kajii(カジー)」という名前を考えました。短くて覚えやすいのと、当時は「検索したときにほかとかぶらないのがいいんじゃないか」というのもありましたね。 クマーマ:二人で活動を始めた頃、僕がホームパーティーにハマってたんですよ。料理を作って友達とみんなでワイワイやるのがすごく好きで。そのうち、「ホームパーティーを音楽に置き換えたら何になるんだろう?」と考えたときに「家の中にあるもので音楽をやったらホームパーティー感が出るんじゃないか」と思いついて、身のまわりにある良い音の出るものを探し始めたのが始まりですね。 創:本の「おわりに」にも少し書きましたが、ある日クマーマがスタジオにドレミファソの音が出るお茶わんを5つ持ってきたんです。「これはもっとたくさん揃えたらすごいんじゃないか?」と言ったらクマーマが本気になって。といってもこれ、ちゃんと音の合った食器を揃えるのはけっこう大変で、現在の2オクターブ半の音域になるまで2年くらいかかっています。当初は鍵盤のように横に並べて演奏していた時期もありましたが、最終的には現在の円形に配置するかたちに落ち着きました。 クマーマ:そうして最初に生まれたのがkajiiのメイン楽器、「食琴(しょっきん)」です。 記念すべき最初の動画は食琴による演奏でkajiiのオリジナル曲「ハツタイケン」 YouTube動画の反響 ――お二人が活動を始めた頃はちょうどYouTubeで動画を投稿することが一般の人にも広がり始めた時期でした。演奏動画を投稿し始めた頃の反響はどうでしたか。 創:今もkajiiの人気プログラムの一つになっている「トルコ行進曲」のYouTube動画は、結成してわりとすぐの頃に公開したものです。動画がきっかけで終了間際の「笑っていいとも!」や韓国のテレビ番組から出演依頼をいただきました。テレビ番組にはリサーチャーというスタッフがいて、常に珍しいパフォーマーを探しているんですよね。韓国の方は現地でもけっこう人気のあるバラエティ番組だったのですが、初めての海外演奏ということもあってかなりドキドキでした。 いわずと知れたモーツァルトの「トルコ行進曲」もkajiiの手にかかるとこうなる クマーマ:我々の渡航費も楽器の輸送費も全部先方が持ってくれたんですが、輸送費だけでたぶん20万円くらいしたんじゃないかな。 創:タライの真ん中に穴を開けてコタツのコードとデッキブラシを繋いだ弦楽器があるんですけど……「これ、どうやって運ぼう」って(笑)。僕らの楽器の場合、現地で調達するというわけにもいかないですからね。 クマーマ:食器が割れたりしたらどうしよう、とか。 創:今思えば微笑ましいんですけど、当時はまだ出張演奏に慣れていなかったのでてんやわんやでした。 コロナ禍を経て、生演奏の価値を再認識 ――その後も徐々に新聞やテレビなどで取り上げられる機会も増えていったkajiiですが、2020年から始まったコロナ禍はとりわけミュージシャンにとって厳しい時期でした。当時、どんな風に過ごしていましたか。 クマーマ:僕は子どもが三人いるんですが、最初はどんなウイルスかもわからないので全員保育園を休ませて僕が家で見ていました。逆に妻は看護師なので、それこそ当時はめちゃくちゃ忙しくて。僕が主夫業に徹して家事も育児もやっていました。 創:当然、演奏の仕事はなくなってしまったので、補助金を申請したり、クラウドファンディングをやったり、オンラインのコンテストに応募したり、リモートでワークショップをやったり……。とにかくやれることをなんでもやって、あがいていました。あと、楽器を作ってましたね。時間だけはたくさんあったので。たぶん一年で20種類くらい作っていたんじゃないかな。 コロナ禍で時間がたくさんあった頃に作った「ビー玉の楽器」 クマーマ:なんとか潰れなかった、という感じだよね。まあ、僕たち二人だけなので維持費がそんなにかかるわけではないというのもありますが。 創:コロナ禍ならではの出来事もありました。ステイホームが叫ばれていた頃、星野源さんが「うちで踊ろう」という演奏動画を投稿して、他の人にもコラボレーションを呼びかけたことがありましたよね。それを見ていて、僕もTwitter(現X)で「誰か『トルコ行進曲』に音をのせてくれないかな」ってつぶやいたんです。そしたら打首獄門同好会という有名なバンドの会長が演奏してくださったんです、メタルバージョンで(笑)。 クマーマ:それがすごいバズって。Twitter上で400万回近く再生されました。その後もいろんな人が「トルコ行進曲」に合わせて演奏してくれて、嬉しかったよね。...

『Ado』エレクトーン楽譜集 発刊記念インタビュー第二弾 倉沢×高田×中野

『Ado』エレクトーン楽譜集 発刊記念インタビュー第二弾 倉沢×高田×中野

日本のみならず世界的に活躍する唯一無二の歌い手、Adoの人気曲を6曲収載したエレクトーン曲集が5月に発売された。スコアプロデューサーに富岡ヤスヤを迎え、窪田宏、鷹野雅史、倉沢大樹、高田和泉、中野正英という豪華アレンジャー陣が集結した本作のリリースを記念し、各人の並々ならぬこだわりを紐解く鼎談(ていだん)が『月刊エレクトーン』に連続掲載される。 その第二弾となる『2025年7月号』の「倉沢大樹×高田和泉×中野正英 スペシャル鼎談」より、本誌で掲載しきれなかった制作秘話を中心に、富岡ヤスヤも交えて曲集の魅力を語っていただいた。 ――“アレンジの聴かせどころ”や“こだわりポイント”があったら教えてください。高田さんは「踊」ですね。 高田はい。でも、普段自分が選曲してアレンジするなら「踊」は選ばなかったと思うんです。というのも、ヤスヤさんの「唱」もそうですけど、“同じ音程”を何度も続けて歌うメロディーが多くて、そのまま楽器で再現すると表情が乏しくて、単調に聞こえてしまうからなんですね。Adoさんのボーカルはとてもカッコよくて勢いがありますが、その魅力をインストでも表現するにはどうしたらいいかすごく悩みました。そこで、思い切ってベースにピッチベンド(音を滑らかに変化させる奏法)を使いながら、1オクターブ下げる動きを取り入れることで、同じ音が続くメロディーでもアレンジ全体に抑揚が生まれるように工夫したんです。特に意識したのは、聴く人の耳がベースラインに引き込まれるようなアレンジにすることです。結果的に、歌詞がなくても単調にならず、インストならではのカッコよさが出せたのではないかと思っています。ここが今回のアレンジのこだわりポイントですね。 ――倉沢さんの「クラクラ」は、どんなところがポイントでしょうか? 倉沢やっぱり“自分が弾いていて気持ちいい”が基本で、原曲はハードなドラムが聴こえてくるので、とにかく“自分をその気にさせてくれるようなリズムの打ち込み”に命をかけました。力が入りすぎて“スネアがちょっと大きいかな?”という心配もあったんですけど、ヤスヤさんから“この曲はガンガンいったほうが気持ちいいよ”と言われたので安心しました(笑)。なので、皆さんもガンガン弾いていただけたら嬉しいです。 ――中野さんの「私は最強」は、どんな風に工夫されたのでしょうか? 中野レジストで言えば、“華やかさや鮮やかさの変化をどうつけていくか”を気にしました。音色で言うとグロッケン、木管楽器、ハープなど原曲にはない音や“シンフォニックゴング”など、華やかな音色をどう散りばめたのか聴いてほしいですし、そういった楽器を見つけてもらえたら工夫が伝わると思うので。音符的な着眼点では、最初のサビで和音やオーケストレーションを変えてみたり、副旋律も作って足しています。 ――今回の曲集は、皆さんのプロならではの素晴らしい演奏が【参考演奏付レジスト】として販売されて大きな話題になっています。中野さんは月エレ本誌でお二人の演奏について語っていらっしゃいますが、倉沢さんと高田さんはお二人の演奏を聴いていかがでしたか? 倉沢まず、高田さんの「踊」は一曲で何曲も聴いたくらいの充実感で、ラストで「ブラボー!」と叫びたい気持ちになりました。高田さんの新たな一面を見せてもらいましたね! 一曲を通して生楽器とシンセサウンドが融合されていて、エレクトーンの機能をフルに使った印象。本誌インタビューでも言われてましたが、“音色”と“アカンパニメント”を探すのにとても苦労しただろうな〜と思いました。 中野くんの「私は最強」は全体的に爽やかなサウンドで、中野くんらしさが存分に楽しめるアレンジでした。特に高音ストリングス、グロッケン、チャイムなどのオーケストラサウンドが、今回のポイントだと思いましたね。そして、ハープのグリッサンドなど、さりげなく使われているアカンパニメントがとても自然な流れになっていて、まるで打ち込んでいる!?ようなクオリティ! さすがだと思いましたね。 高田私は、「うわぁぁぁ倉沢さーーーーん!!!!!!」「うおぉぉぉ中野くんーーーー!!!!!!」と聴きながら悶絶(笑)。二人とも原曲コピーが基本のアレンジなのに、ちゃんとそれぞれのカラーが色濃く出ていて、しかも原曲にも負けないくらい豪華に聞こえる…なんだこのマジック〜!と言うか、とにかくお二人の底力に圧倒されました。 富岡今回はいわゆる模範演奏じゃなくて、「プレイヤーのオムニバスアルバムを作る!」くらいの気合で本気の演奏をしてもらって、みんなとても苦労したようだけど、「エレクトーン2年目の小学生の生徒が、弾けないけど聴いて楽しんでいるようです」とか、すでにたくさんの嬉しい声をもらってるんだよね。だから、演奏はできたらまず“曲順”に聴いてもらえるとすごく嬉しい。1曲目の「阿修羅ちゃん(窪田アレンジ)」のワクワクから始まって、中野くんの「私は最強」の高揚感で終わる...そういう流れを考えた曲順なので。STAGEAのMDRには“リピート再生”機能があって、その中の“ALL”(写真参照)を選ぶとずーっとエンドレスに演奏をループ再生してくれるけど、 気持ちがアガる曲が多いから、“ながら聴き”しながら片付けとか洗い物とか苦手な作業をクリアするのもいいかもしれない(笑)。もちろん自分の好きな順に入れ替えて聴くのもランダムに聴くのもアリです! ――好きな順に聴きたい場合は、USB内にソングコピーして曲名のアタマに数字を付ければ、その順に再生してくれるわけですね。この“参考演奏”の制作では、思わぬ苦労があったと聞きました。 倉沢そうなんです、参考演奏のレコーディングでは“オーディオ・メーター”に本当に苦労しました(笑)。 富岡みんなそうだよね。普段、プレイヤーのコンサートではPA機器を使うことが多いので、それを前提に音を作ってしまって、STAGEAのスピーカーで音が割れないようにレベル調整するところで、みんな苦労したよね。 倉沢最後の最後までやっていたのは僕じゃないかな? 高田私も倉沢さんと同じで、最後に待っていたのはピーク超えを示す赤ランプの消火作業でした(笑)。 「踊」はダンスミュージックだし、弾きやすさを優先するとA.B.C.全活用かなと思って、何十周も探したけどピッタリなものがなくて。“ビートをもっと強化しては?”とヤスヤさんにいただいたアドバイスは、結局キックなどをバスバス打ち込むことでクリアできたんですけど、それによって赤ランプとの戦いがすごく複雑なものになってしまって(笑)。一番大変だったのはそこかな。 中野高田さんのアレンジは、ほかにも戦いの成果がすごく感じられて感動しましたね。僕もEDMはよく扱うジャンルなので、あの大変さは本当によくわかります。とにかく音色やエフェクトの種類が多いし、しかも今回はバンクを4つまで使えたので、やろうと思えばいくらでもできる反面、それだけ仕掛けや工夫もたくさん盛り込まなければいけない。リズムもアセンブリーで組んで、隠しエフェクトもたくさん引っ張ってこないといけないし、他のジャンルではあまり使わない手法も多いから。 富岡そういった隠れた苦労の成果を、レジストを覗いて見つけてほしいよね。ところで皆さんは、VA音源は使ったりしますか? 倉沢STAGEAでは、あまり使っていないです。 中野今回は使っていないですが、僕は普段はよく使います。それこそシンセサウンドのとき、どうしてもサンプリングされた音源よりもアナログシンセのほうがタッチに対する音質の変化に優れているので。ただ、カジュアル(ELC-02)にはないのでケースバイケースですが、“V-ウッディリード”や“V-ソーリード”は今でも一軍ですね。 高田私は曲によってですね。時々使う音は“V-エアフォン”です。すごく柔らかい音で、それだけはVA音源でしか出せないと思っているので好んで使います。タッチで個性が出せる音色が入っていて、単発で使うよりもエッセンスとして混ぜたり、それを加工してさらにワウをかけてみたり、遊びの音色のような感覚で。“V-エアフォン”は単発で使うこともありますね。 ――この機会に、メンバーに尋ねたいことはありますか? 高田ヤスヤさんに質問してもいいですか? 今回のメンバーって、(2025年)3月にあった三木楽器さんのコンサート『HIT...

【インタビュー】"推し活"きっかけで夢叶う『漫画 パガニーニ』─やまみちゆかが明かす制作の裏側

【インタビュー】"推し活"きっかけで夢叶う『漫画 パガニーニ』─やまみちゆかが明かす制作の裏側

  SNSで話題沸騰し、待望の書籍化が発表された『漫画 パガニーニ ~悪魔と呼ばれた超絶技巧ヴァイオリニスト~』(9月29日発売予定)。クラシック音楽の歴史に名を刻んだ伝説的ヴァイオリニスト・パガニーニの生涯を、情熱とユーモアで描き出したのは、ピアノ講師の傍ら、イラストレーター・漫画家として活躍中のやまみちさん。『漫画 パガニーニ』誕生秘話や制作の裏側について、たっぷり語っていただきました。 ギャップ萌えで始まった推し活 ──最初に、なぜパガニーニを漫画の題材にしようと思ったのですか?  一言で言うと“ギャップ萌え”です。SNSでクラシック作曲家の紹介漫画を描いていたときに「次はパガニーニを描いてみよう」と思って。そのときは「だらしない」「お金に汚い」「女癖も悪い」……みたいな印象でした(笑)。それで、浦久俊彦さんのパガニーニの伝記を読んでみたら「パガニーニは子どもをすごく大事に思っていた」というエピソードがあったんです。そんな子煩悩な姿に"ギャップ萌え"してしまって。 ──“ギャップ萌え”がきっかけだったんですね。  そうです(笑)。さらに調べていくうちに、音楽史に与えた影響も大きいこともわかりました。ショパンやリストなども「パガニーニ」をテーマにした曲を作曲するくらい、19世紀の音楽家たちはみんなパガニーニに憧れていたんです。なのに、現代では悪い印象だけが広まり、知名度も低い。このままだと永遠にパガニーニの真の姿が語られることがないかもしれないと思って、私がぜひとも日本で名誉回復をしたい!と思いました。 ▲SNSに載せていたクラシック作曲家の紹介漫画 読者の声援が支えた創作活動 ──2023年5月頃からパガニーニの漫画をSNS上で描かれていますが、最初から本にしようと考えていたのでしょうか。  いいえ。推し活の一環で、ただただ描いて、SNSにアップロードするという感じでした。なので、読んでくださった方の声援がないと続けられなかったんです。「楽しみにしています」とか「パガニーニに全然興味なかったけど、好きになりました」という声が励みになりました。あとは、単純にパガファンが増えていくのも嬉しかったですね(笑)。 ──世間では"同担拒否"という「推しが被るのは避けたい」派の方もいらっしゃいますが、やまみちさんは?  今のところ"同担歓迎"なんですけど、いつか"同担拒否"に変貌するかもしれない(笑)。でも今はやっぱり、パガニーニ推しが増えてほしいなと思っています。 ──パガニーニについてのリサーチはどのように進めましたか?  当時、日本語で書かれたパガニーニの書籍は3冊(うち1冊は絶版)だけだったので、海外から、ドイツ語やイタリア語の文献を取り寄せることにしました。海外の文献の探し方は、最初は浦久さんの本の参考文献からたどって、あとはSNSで知り合った海外の"パガ友"も、良い本を教えてくれました。 ──パガニーニ繋がりのお友達がいたとは(笑)。翻訳するのは大変だったのでは?  現代はありがたいことに翻訳ツールが発達しているので、基本的には自分で翻訳ソフトを使って、どうしても詳しく知りたいところは翻訳家の方に依頼しています。でも、そのおかげで、まだ勉強中ですがイタリア語もわかるようになってきました。 ──パガニーニへの熱量に圧倒されます。  パガニーニへの愛が溢れて、調べ始めると止まらなくなってしまうんです(笑)。 ▲海外文献の一例。本の厚さが解読の困難さを物語っている 書籍化で見えてきた新たな発見 ──今回の書籍化にあたり、修正されたところもありますか?  SNSにアップしていたときにはリサーチが足りなかった部分を細かく加筆したり、エピソードも少し足したりしています。パガニーニが生きていた時代は紙が高価だったから、封筒を使わず、手紙を折りたたんで蝋を直接つけていたらしいんです。そういった当時の文化も調べてみると本当に面白くて。 ──描きおろしとしてどんなコンテンツが追加されますか?  巻末には、描きおろしのコラムやおまけ漫画、パガニーニ年表、あとは各章に解説をたっぷり追加しました。私の“パガ愛”を詰め込んでしまったので、読者の方がついてきていただけるか、若干不安ですが(笑)。あとはこの漫画が描き上げるまでの過程をレポ漫画として入れる予定です。 細部へのこだわりと史実への忠実さ ──やまみちさんは、ヴァイオリンは弾かれるのでしょうか。...

『Ado』エレクトーン楽譜集 発売記念インタビュー第一弾 窪田×富岡×鷹野

『Ado』エレクトーン楽譜集 発売記念インタビュー第一弾 窪田×富岡×鷹野

日本のみならず世界的に活躍する唯一無二の歌い手、Adoの人気曲を6曲収載したエレクトーン曲集が5月に発売される。スコア・プロデューサーに富岡ヤスヤを迎え、窪田宏、鷹野雅史、倉沢大樹、高田和泉、中野正英という豪華アレンジャー陣が集結した本作のリリースを記念し、各人の並々ならぬこだわりを紐解く鼎談(ていだん)が『月刊エレクトーン』に連続掲載される。 その第一弾となる『2025年6月号』の「窪田宏×富岡ヤスヤ×鷹野雅史 スペシャル鼎談」より、本誌で掲載しきれなかった制作秘話を中心に曲集の魅力を語っていただいた。 ――今回のAdoのエレクトーン曲集は、富岡ヤスヤ(yaSya)さんが“スコア・プロデュース”という立場で入られていますね。理由はやはりAdoの大ヒット曲「唱」と「踊」の作編曲者TeddyLoid[テディロイド]さんとの師弟のご縁からですか? 富岡TeddyLoid(当時はTEDDY)とは2005年に出会って、プロデュースしている〈うにとろプロジェクト〉のメンバーとしてツアーをしたり、2年ほど一緒にユニットでライブ活動もしていたんですが、その頃はエレクトーン教室の生徒だった彼と昨年、雑誌の取材で十数年ぶりに再会して。Adoの「唱」「踊」が動画再生2億回超えなど音楽プロデューサーとしてもDJとしても世界的に活躍するスゴいアーティストになっているのに、久しぶりに会ったら一気に時を超える感じで。 彼の曲はいつもチェックしていて、「踊」をアレンジして弾こうかなと思っていたこともあったんです。そこにAdoの曲集の企画が舞い込んできて、今までにない曲集を作ろうとスタートしました。 ――その再会の様子は、『月刊エレクトーン24年8月号』巻頭特集でも語られていましたね。それが〈運命の再会〉になったわけですね。“スコア・プロデューサー”は、具体的にはどんなことをされたのですか? 富岡一番大きいのは、“今までにない曲集を作ろう”と決めたことですね。TEDDYとの縁でこのAdoの曲集を企画できることになったので、だったらいままでの概念をぶち壊すくらいのスゴい曲集ができないかと考えて、それで出てきたのが「トッププレイヤー6名が1曲ずつアレンジする曲集」というアイデアです。そんなドリーム・チームの曲集なら自分も欲しいなと。 ――メンバーの人選や選曲は、悩まれたのではありませんか? 富岡自分はTEDDYの「唱」と決めていたし「踊」も絶対に入れたかったんですが、ほかにも魅力的な曲がたくさんあって選曲は正直悩みました。でも最終的には〈インストにアレンジした時に映える曲〉という観点で決めて、結果的にベストな選曲になった気がしています。 屏東香(ピントンシャン)というユニットでも活動している窪田宏先輩と鷹野雅史は最初から絶対に口説き落とそうと決めていたのですが、学生時代から付き合いの長いこの二人と違って、倉沢(大樹)くん、高田(和泉)さん、中野(正英)くんは、霊感?ひらめき?...というレベルかもしれません。プレイヤーとしては何度も一緒にステージで演奏しているんですが、それぞれの音楽性まで完璧に把握しているわけではないので、「きっと面白くアレンジしてくれるはず!」という期待と「この曲の引き出しはあったかな?」という不安が交差しながらのオファーで、ある意味“賭け”だったんですが、これが見事に大正解!で、宝くじを当てたような嬉しさがありましたね。出来上がってきたアレンジを聴くたびに「ヤッター~~!!」と思いました。 ――アレンジ内容についても、いろいろオーダーされたのですか? 富岡“ここをこうしてほしい”なんて話は全くなく、プレイヤーの皆さんに全部お任せしました。というのも、具体的に示してしまうとその方のアレンジではなくなってしまうので、方向性は一緒に相談しても、具体的なアイデアはあえて出さないようにしていました。 ――富岡さんからお二人へのオファーは、どんな感じで進めたのでしょうか? 富岡まずは窪田さんと鷹野に“仕事をお願いしたいんですけど...”ってZoom飲み会をしまして。とにかくこの二人を口説き落とせば、他の人はノーと言えないなと思って(笑)。 鷹野絶対にノーと言えない空気をうまいこと作るんだ、富岡は。 富岡それで次の人にオファーする時に、“あとはあなたがOKすると6人揃います”って1人ずつに話して(笑)。倉沢くん、高田さん、中野くんは、全員、同じ話を聞いてるはず(笑)。 鷹野そういうの上手すぎるよ。 富岡いやいや、もう詐欺かもしれない(笑)。 鷹野でも素晴らしいね。最終的には実現しちゃったもん。 富岡その6名が、まったくの偶然なんですけど、三木楽器が3月に開催したエレクトーンコンサート『HIT PARADE』のメンバーとも一致してたので、コンサートの打ち上げが決起集会みたいになりました。 窪田あの日は富岡がハイテンションだったよね。 鷹野でも富岡の覚悟が見えたよ。 富岡アレンジ面ですごく難しいお願いをしていいた中、みんなに頑張ってもらったから絶対に文句を言われる、もう自分が非難の的になろうと思っていたんですけど、そういうことを言う人は一人もいなくて。それがもう嬉しくて、これは絶対に良いものにして全員出演の公開講座をやらなきゃと思って。 ――「アレンジ面での難しいお願い」というのは、どういうことでしょうか? 富岡今回、みなさんには「アレンジテーマ」として「原曲のイメージ」と「アレンジャーの個性」の両立を狙いたいんですと伝えていました。「原曲を尊重しつつ、自分らしさも出す」、この絶妙なバランスのアレンジが意外と大変だったんです。実際に、中野くんは個性を出し過ぎて方向性を大きく変えてもらうことになったり。鷹野のように、逆に原曲に忠実にしすぎて、やり直してもらうことになった曲もありました。自分も、真正面から原曲と向き合って“エレクトーンでどう表現しよう!?”とものすごく焦って、そこからが本当に大変だったんですね。 鷹野最初、僕は原曲に忠実にアレンジすることを極端に解釈しちゃったから、オーケストラ色はあまり出せないなと思って。富岡から“もうちょっと鷹野らしさを出していいんだよ”と言われて、アレンジし直したんです。キーやテンポ、構成を変えなければ、メロディーが弦楽器だっていいじゃないかと。 富岡“これぞ鷹野だ!”ってものがきっとできると励ましたんですよ。でもよくよく考えてみたら、自分がスコア・プロデューサーという立場であることをみんなに伝えていなかったので、勝手に鷹野にアドバイスした状態になって、“何で偉そうに言うんだ”みたいな雰囲気に(笑)。 鷹野富岡がスコア・プロデューサーであることを知って、こちらも大人げなさが恥ずかしくなってきて(笑)。富岡に会ったときに、開口一番から謝られまくって困ってしまいました。...

エレクトーン曲集『WORKS3』発売記念 安藤ヨシヒロに聞く!名曲たちの制作秘話と、“今”。

エレクトーン曲集『WORKS3』発売記念 安藤ヨシヒロに聞く!名曲たちの制作秘話と、“今”。

  エレクトーンプレイヤーとして多くの⼈々を魅了し、現在は作曲家、キーボーディスト、そしてプロデューサーとしても活躍を続ける安藤ヨシヒロ。彼のオリジナル作品を集めたエレクトーン曲集である『WORKS』シリーズに、2025年2⽉18⽇、待望の第3作⽬『WORKS3 〜from "SORA""mindscape<<5"』(『WORKS3』)が加わった。 名曲が世に放たれてから⼗数年たった今、楽曲の制作秘話や作品への思い、安藤ヨシヒロ⾃⾝の”今”について語ってもらった。 ――『WORKS2』から約5年ぶりとなる新刊『WORKS3』が発売となりました。楽譜集『SORA』から収載された3曲(「サクラ」「天上の光」「祈り」)は新たに02シリーズ対応のレジストを制作されたそうですが、改めてご⾃分の楽曲と向き合ってみていかがでしたか?  曲は⼗数年前に作ったものなのですが、今回収載するにあたって、新鮮な気持ちで取り組めました。どうしたら02できれいに⾳が鳴るだろうか試⾏錯誤しながら制作しましたね。⾳⾊を変えたことで曲の雰囲気に違和感が⽣まれたり、「前の⽅がよかった!」となったりしないよう、進化させたいという気持ちで作りました。 15年前も、01でどんな⾵に⾳を鳴らすかを⼀⽣懸命考えながら編曲したのを思い出しました(笑)。 楽譜集『SORA』 ――『SORA』は安藤さんの初メジャーアルバムですが、それまでとは違う挑戦があったのでしょうか。  『SORA』は全体を通してストリングスとピアノ中⼼のサウンドにすると決めて作ったアルバムでした。そんな⾵にコンセプトを決めてアルバムを制作するのははじめてだったんです。それ以前に作ったアルバム『mindscape』シリーズは、好きに作った曲をキュッとまとめる形だったため、『SORA』の制作⼿法は慣れないものでした。弦楽器をフルで収録したのもはじめてで、ああでもないこうでもないとたくさん悩みながら楽譜を書きましたね。エレクトーンはほかの楽器と異なり、演奏しているとさまざまな楽器の⾳⾊に触れます。そうするとひとつの楽器だけじゃなくて、いろいろな⾊のパレットが⾃分の中に⾃然と増えていきます。『mindscape』ではそのパレットから好きな⾊を選んで曲を作って……ということをしてきました。でも『SORA』はコンセプトを決めたことで、⾳⾊的な制約があったのです。その点も、それまでと⼤きく違うところでした。 ――そのようにコンセプトを決めて制作されたのはなぜだったのでしょうか?  いろいろな⾳⾊を使えると、カラフルにはなるのですが、演奏している⼈が⾒えづらくなってしまいます。エレクトーンを知らない⼈が聴いたら、「安藤ヨシヒロ」が何をしているのか、どんな⼈物なのかが⾒えない。だから鍵盤楽器はピアノと決めて、それを「僕」が演奏、プラス弦楽器の⼈がいる。つまり、「⼈がちゃんと⾒える」ように意識しました。制約があったからこそ実現できたと思っています。その制約の中でも「⾃分らしさ」を出したかったので、プロデューサーをはじめいろんな⽅と相談しました。 ――『SORA』の制作には多くの⽅が関わっていたのですね。  最初のアルバムは全部ひとりで作っていました。⾃宅のシンセやエレクトーンで作曲して、それをスタジオに持って⾏ってひとりで編集作業をして。でもエレクトーンプレイヤーとして活動していく中でたくさんのミュージシャンに出会って、楽曲制作に少しずつ参加していただけるようになりました。『mindscape<<5』はもっとも多くの⽅に携わってもらった、僕の活動の中での集⼤成のようなアルバムです。⾃分たちでできることは全部やって、参加して頂いたミュージシャンの⽅たちと全員で作り上げました。スタジオでは⾃分たちでマイクスタンドを⽴てたりして、練習して、レコーディングして……楽しかったですね。今でも作れてよかったなと思う作品です。 楽譜集『mindscape<<5』 ――その『mindscape<<5』から、はじめて「FLY HIGH」が収載されますね。  はい。「FLY HIGH」には「Symphonic ver.」もありますが、元々はこのバージョンが先に出来上がっていたのです。今回収載したノリがいいバージョンは後からできたのですが、バージョン名をなんとつけたらいいかわからなくて(笑)。結局、「バージョン名はつけなくていいよなぁ」ということで今の形になりました。 ――逆だったのですね……! ポップなものを作ってからその後にオケバージョンを制作 するのが⼀般的な⽅法だと思っていました。  そうなんです。先に、とは⾔っても同時期に作っていたもので、「FLY HIGH(Symphonicver.)」はジュニアエレクトーンフェスティバルのテーマ曲として、ノリがいい「FLY HIGH」はエレクトーンステージのテーマ曲として作りました。「FLY HIGH」は直訳すると「⾼く⾶ぶ」ですが、「⼤志を抱く」という意味も持つ、とても前向きな⾔葉です。出演者の後押しをしてくれて元気になれるような、⼒のある曲にしたいと思って作曲しました。  実はどちらの曲もループできるようになっているんです。どんどん転調して、最後まで⾏ったら冒頭と同じ調になって戻る、ループできる構造になっています。そういう⾵に、曲の⾏き先を考えながら作っていました。 ――本当ですね!...

民族音楽だけじゃない! 心安らぐ癒しの音色『カリンバ』の魅力に迫る

民族音楽だけじゃない! 心安らぐ癒しの音色『カリンバ』の魅力に迫る

  (本記事は、2022年5月に執筆した記事を再掲載しています。) 「カリンバ」という楽器を聞いたことがありますか? 人気ゲーム『あつまれどうぶつの森』にも登場して注目されるなど、おうち時間が増えた今、静かなブームを巻き起こしています。「癒される」とハマる人が続出のこのカリンバ、一体どんな楽器なのでしょうか。 木製の箱の上に並んだ金属の棒を、指で軽やかにはじいて演奏する楽器、カリンバ。楽器名を知らなくても、その音色を聴けば、「オルゴール?」「デパートや歯医者さんのBGMでよく聴く、インストゥルメンタル音楽みたい」と思う人もいるかもしれません。アフリカの伝統的な民族楽器で、親指ではじいて演奏することから“親指ピアノ”と呼ばれたり、その柔らかな音色から“ハンドオルゴール”と呼ばれることも。聴けば誰もが心が落ち着き、“癒される”と感じることでしょう。長引くコロナ禍でおうち時間が増え、現在爆発的に売り上げを伸ばしているというこのカリンバ。楽器店やネット通販などでも気軽に購入することができ、3〜4千円と価格も手頃。指ではじくだけで、誰でも簡単に演奏できることもあり、「気軽に始められる」と人気が高まっています。20年以上前に楽器店で働いていた筆者は、民族楽器が好きで、このカリンバをはじめ、インドの弦楽器「シタール」や、ペルーの縦笛「ケーナ」、木で出来た棒状の本体を上下に振ると、雨が振っているような音がする「レインスティック」など、さまざまな民族楽器を取り扱ってきました。中でも価格の手頃なカリンバは、結婚式や忘年会の余興で演奏するために購入する人も多く、プレゼント用としても人気がありました。当時、このカリンバで演奏する曲目といえば、民族音楽のほかには童謡などのやさしい曲が中心でしたが、YouTubeで検索すると、クラシックの名曲から映画音楽、最新のヒット曲やオリジナル曲まで、世界中のさまざまなカリンバ動画を見ることができます。​​​​​​​ 民族音楽だけではない、カリンバの可能性   人気ゲーム『あつまれどうぶつの森』にもアイテムとして登場していることもきっかけとなり、この数年でカリンバの知名度はずいぶん上がりました。カリンバブームの牽引役ともいえる“カリンバYouTuber”のMisaさんは、YOASOBIの『夜に駆ける』や、人気ボカロ曲『千本桜』、『となりのトトロ』『魔女の宅急便』などのジブリ映画音楽など、流行曲やヒットソングをカリンバで軽やかに演奏し、コンスタントに動画をアップ。民族音楽だけではないカリンバの可能性を追求し、その音色の美しさや気軽に奏でられる楽しさを広め、注目を集めています。     そもそも、Misaさんはどのようにしてカリンバを知ったのでしょうか。「きっかけは、通勤電車の中で見ていたYouTubeでした。もともとYouTubeを見るのが好きで、ポップスや洋楽など、いろいろな音楽動画をチェックしていたのですが、ある日突然おすすめに出てきたのが、『OCEANS』という海をバックにカリンバを弾いている海外の動画でした。サムネイルにカリンバが映っていたのですが、最初はそれが楽器ということもわからず、『何だろうこれ?』と、何気なくクリックしてみたんです」(Misaさん)ほんの好奇心から観てみたカリンバ動画。「とても癒される美しい音色に、驚いたと同時に感動しました」というMisaさんは、直感でこの楽器の可能性を感じ、その日のうちにネットで注文。翌日に到着し、自分でも「YouTubeで発信することを決意した」といいます。Misaさんにこれまでの音楽遍歴を尋ねたところ、原点となっているのは子どもの頃に始めたピアノで、中高時代に熱中していた吹奏楽部での経験も、現在に大いに生きているそうです。「幼稚園の頃からピアノを始め、中2くらいまでやっていました。中高は吹奏楽部でオーボエを担当し、中学時代はマーチングの全国大会にも出場するなど、かなり熱心に取り組んでいました」(Misaさん)大人になってからは、ピアノやオーボエを演奏する機会はめっきり減ってしまいましたが、音楽が好きなことに変わりはなく、Misaさんの周りは常に音楽であふれていました。そんな時に出会ったのがカリンバだったのです。「カリンバは、自分で弾いていてもその音色に癒されますし、アレンジを考えるのもわくわくします。オーボエも好きですが、音量を考えると家で吹くのをためらってしまいますし、オーケストラや吹奏楽団などに所属しないと難しいですが、カリンバは音量を気にすることもなく、1人で気軽に楽しめるのも魅力ですね。軽くてどこにでも持ち運びができるので、旅先に持って行ってきれいな景色をみつけると、そこで演奏して動画を撮ることもあります。風景とのマッチングを考えるのも楽しいですね」(Misaさん)     YouTubeでは、定期的に動画をアップすることが重要ですが、継続することの大切さは、部活動からも学んだといいます。「中高の部活動で、音楽の楽しさや、毎日コツコツ努力することの大切さを学びました。その時の経験が、日々の動画制作にも生きているなあと、つくづく感じます」(Misaさん)「カリンバが気になるけれど、何から初めていいのかわからない」という人もいると思いますが、現在はさまざまな楽譜集が出版されています。Misaさんも、これまでに初心者向けの教則本や楽譜集を数冊出版していますが、今回新たに出版された『豪華アレンジで楽しむ Misaカリンバセレクション』(ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)は、どのような点にこだわったのでしょうか。「これまでの教則本や楽譜集は、初心者や中級者向けにどんどんステップアップしていく構成で、楽譜も意識して初心者や中級者向けに作っていましたが、今回は完全に私の動画でアップしているアレンジを採用しています。けっこう難しい部分もあると思うんですけど、自分が今できる限りのアレンジを詰め込んだので、ぜひお楽しみいただけるとうれしいです」(Misaさん)カリンバといえば、民族音楽や童謡などを奏でることが主流だった時代を知っているだけに、日本から遠く離れたアフリカの民族楽器でJ-POPやボカロ曲など自由に演奏し、大勢の人たちとYouTubeで楽しさを共有しながらコメント欄で盛り上がることができる現在は、すごい時代になったものだなあ……と、しみじみ感じます。昔はこのような楽しみ方はなく、SNSや動画サイトが当たり前となった、現代ならではといえるでしょう。まだまだ続きそうなおうち時間。年齢問わず気軽にチャレンジできるカリンバで、さらに充実させてみませんか?   <PROFILE> Misa 2019年11月にカリンバに出会いYouTubeに演奏動画を投稿スタート。オルゴールのような癒しの音色のカリンバで演奏する動画が人気急上昇。YouTubeの総再生回数は2200万回。チャンネル登録者は13万人を超える。(2022年5月現在) 各メディアに演奏動画が取り上げられるなど、活動の幅を広げている。 Official Web Site:https://misa-kalimbamusic.com/topYouTube:https://www.youtube.com/channel/UCXxhNwJYn9qcEaevTQebmCwX(旧Twitter):https://x.com/misa_kalimbaInstagram:https://www.instagram.com/misa_kalimba/   Text:梅津有希子   本記事で紹介した楽譜   豪華アレンジで楽しむ Misaカリンバセレクション (発行:ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)...

「好き」が「才能」を飛躍させる子どもの伸ばし方 ~ピアニストで人気YouTuberで東大卒……角野隼斗のマルチな才能はいかにして育まれたか?~

「好き」が「才能」を飛躍させる子どもの伸ばし方 ~ピアニストで人気YouTuberで東大卒……角野隼斗のマルチな才能はいかにして育まれたか?~

  (本記事は、2020年11月に執筆した記事を再掲載しています。) 今、話題のピアニスト角野隼斗の母であり、コンクール入賞者を数多く輩出してきたピアノ指導者・角野美智子が、書籍『「好き」が「才能」を飛躍させる子どもの伸ばし方』を上梓した。本インタビューは、音楽ライターであり、大学で教鞭を執る小室敬幸氏が、その“「原石を磨く」子育て論 ”を最も間近で受けてきた隼斗氏に迫った。  かつては「クラシック音楽の演奏家は技術に長けていても、楽譜がなければ何も弾けない」なんて、嫌味を言われることもあったが、そんな状況も徐々に変わりつつある。近年、若手ピアニストたちを筆頭に自ら作曲・編曲をしたレパートリーを披露することも珍しくなくなったからだ。そもそも20世紀前半まで、偉大なピアニストの多くは作曲家でもあったことを思えば、なんら不思議なことではない。むしろ、聴衆をあっと言わせるエンターテイメント性と、心に深く語りかける芸術性を両立できるコンポーザー=ピアニストこそが、クラシック音楽の未来を切り開く存在となり得るはずなのだ。 そうした期待のかかる新世代ピアニストの筆頭格が角野隼斗(すみの・はやと)である。国内外のコンクールで優勝・上位入賞を重ねてきた実力派であると同時に、2020年11月現在でチャンネル登録数55万人を誇る人気YouTuber “Cateen(かてぃん)”として、それまでクラシック音楽に興味のない人々からも熱狂的に支持されている。それでいて東京大学・大学院を修了したインテリジェンスな経歴も持つのだから驚くほかない。この才人は、どのような環境で育ったのか? その謎を解くヒントとなる書籍が11月28日に発売となった。書名は『「好き」が「才能」を飛躍させる子どもの伸ばし方』、著者は角野隼斗の母・美智子だ。ピティナ(一般社団法人全日本ピアノ指導者協会)の指導者賞を連続20回受賞するなど、ベテランのピアノ指導者として知られている角野美智子は、なんと隼斗だけでなく現役の芸大生である妹の未来(みらい)も優れたピアニストへと導いている。 さぞやスパルタ英才教育だったのかと思いきや、そうでもないらしい。書名からも伝わる通り、子ども一人ひとりの「好き」を大切にする指導は、ピアノや音楽だけに留まらず、21世紀に相応しい子育て論にもなっていて、実に興味深い。今回は著者ご本人ではなく、息子・隼斗の目線から母・角野美智子の教育について語ってもらった。     ――まずは率直に、お母様が書かれた原稿を読んでみていかがでしたか? 僕は普段から「好奇心が原動力であることが、一番大事だ」と考えたり、たびたび言ってきたりしたんですけれど、読んでみると同じことが書いてあって、母の受け売りじゃんと(笑)。それで初めて、教育だったんだなと気付きました。そういえば、そうだったなと思い出したというか。――子育て論や音楽教育論であると同時に、隼斗さんと未来さんの半生を綴った内容でしたもんね。 エピソードは盛られていませんでしたよ(笑)。――教育を受けたご当人が読まれても、ありのままの内容だと(笑)。プロを目指すようなピアノのレッスンというと、未だに昭和的な「スポ根」イメージというか、スパルタでビシバシやるもんだと思われている方がいるかもしれないですけど、角野家の教育方針は真逆ですよね。とにかく、子ども自身の意思を尊重する。そして結果を出すことばかりにこだわらない。 そういうことをちゃんとアピールしてくれたのは僕も嬉しくて。実際、厳しく「こうやりなさいっ!」っていうスパルタ教育を受けたわけではないですから。あくまでも楽しんだ先に、たまたま現在のような結果がついてきたんです。教育熱心な方ほど具体的なノウハウを求めがちかもしれませんが、大事なのはマインド。この本もノウハウを書いているんじゃなくて、マインドを示しているんだと思います。――具体的な方法論ではなく、意識の持ち方・考え方が大事だということですよね。ピアノの指導者としてではなく、母としての美智子さんはどんなママだったんですか? 千葉が地元なんですけど、小学校の頃はやんちゃで不真面目で、先生にも呼び出されてましたし、母にもよく怒られてました。今から思えば心配してくれていたんだと思います。でも中学受験をして、開成(中学校・高等学校)に入ってからは何をしても……ってそんなに悪いことをしたわけじゃないけど(笑)、帰りが遅くても勉強しなくても、怒られたり、何か言われたりはしなかったですね。――一方、お母様は本のなかで『中学生になって、子どもたちだけでゲームセンターに出入りするようなことも、まったく気にならなかったと言えば嘘になりますが、隼斗が熱中していたのは音ゲーでしたので、これもまた「音楽に関係があるなら、いいか」とおおらかに見ていました』と正直に書かれていらっしゃいますね(笑)。放任するのではなく、親として心配はする。でも強制や束縛まではしない。言うは易しですけど、親としてはさじ加減が難しいところです……。 母は教えている時に、子どもが楽しそうかそうじゃないかが敏感に分かるみたいなんです。だから無理矢理やらされて、あんまり笑顔がないままというのは、母としても苦しい。とはいえコンクールで良い成績を取るために目指す過程は、成長するためにすごく重要で。なおかつ重要と言いながらも、それが全てにならないよう気を使ってるように見えますね。発表会とかでも、そんなことをスピーチでいつも言っています。 だから「好き」を大事にするというのは、放任しているだけでもなくて、興味がある部分や得意な部分をどうやってブーストしてあげるのかってことだと思うんです。コンクールも結果を出すことにこだわるんじゃなくて、ブーストするために良い成績を目指す。親もピアノの先生も、そのための潤滑油になるというか。     ――結果にこだわってしまうと入賞できなかった時、努力した分だけかえって精神的にこたえますしね……。本に書かれていた、妹・未来さんが小学校5年生の時にコンクールで思うような結果が出なかったことが続き、進学校を目指して中学受験をしたいと言い出したというエピソードは非常に印象的でした。 僕からすると妹は対照的な存在ですね。小さい頃の僕は、本は全く読まない完全に理系でとにかく数字が大好き。それに対して未来は本が大好きで、逆に算数・数学があまり好きではなかった。そして、音楽家としてやっていくために表に積極的に出ていかないといけないと僕が思っているのに対して、妹は自分からあんまり何かを言い出したりはしないんです。――おふたりのTwitterのアカウントを比べると、割となんでもつぶやかれる隼斗さんと、自分の出演情報が中心の未来さんってな感じで、その性格の違いがはっきり出ていますね(笑)。 でも、意思はすごく強くあるんですよ! そういう根本部分は僕も未来も一緒なのかもしれない。妹の意思が強いなと特に感じたのは中学と高校受験を決めた時で、僕も中学受験をしましたけど、そこに強い意思はなかったですから。――本のなかで書かれていたように、小学校の授業が退屈になってしまった隼斗さんに、好奇心を育める環境として塾に行ってみないかとお母様が勧められたんですよね。中学受験をするために塾に通いだしたわけではなかった。 そうなんです。東大に行くときも迷いましたけど、それは開成にいれば普通の道ですから。でも妹は中学受験で進学校を、高校受験で芸高(東京芸術大学附属音楽高等学校)を受けていて、自分がその時いる環境とは敢えて違う選択をするっていうのを、人生で2回もやっている。強い意思がないと出来ないなと。――兄妹でこんなに対照的な受験だったんですね……。でも、ちゃんとどちらの受験勉強も乗り越えられたのは、ただ塾に通わせたり、家で勉強しなさいって言ったりするだけでなく、お父様が朝一緒に勉強に付き合ってくれていたことも大きかったそうですね。 いま思うと本当にすごいなって思うんですよね……。だって毎朝6時に起きるのは僕もつらかったけど、平日毎日遅くまで仕事している父さんの方がもっとつらいじゃないですか。そんな中で朝の1時間、その勉強に付き合ってくれたのは本当にありがたかったなと思っています。 そもそも、もっと小さかった頃からパズルゲームや数学の問題をだしてくれていたので、算数まわりの興味に関しては母だけじゃなく、父のお陰でもありますね。ちょっとした待ち時間に魔方陣の問題を出してくれたりして楽しませてくれましたし。――なんかお話を伺っていくと、家族であり、チームでもあるように思えてきます! 何かプロジェクトを遂行する上で、当人に丸投げされるのではなく、力が発揮できるようチーム一丸となって出来る範囲の協力を惜しみません。 この本は子育て論ということにはなっていますけど、学生とかが読んでもきっと面白いんじゃないかなと思うんです。要は、この本の中における僕の視点で読めば、どういうふうにに考えてどう生きるのか、みたいなところにも通じてくるから。さっきも言ったように、僕は常日頃から「好奇心が原動力であることが、一番大事だ」と思っていて、それは何のどんなジャンルにおいても変わらないんです。     ――ピアニストとしても、YouTuberとしても、東大の大学院で研究をしていた時も、変わらないと! 自分が興味あるかもしれないと思ったことを、どんどん突き詰めていくからこそ、どんどん知らない世界が広がっていってもっと楽しくなる。そこに楽しみを見いだせるようになることこそが、人生を豊かにするために大事なことだと思うので、そういう意味では今後の進路を迷ってる方とか、学生に限らず社会人にとっても、子育てに関係ない目線で読んでも面白いんじゃないかなとは思いますね。――確かに、会社のなかで部下との関係に悩む上司にとっては、どうやったらお互いにとって無理なく、良い仕事が出来るのか?を考えるヒントにもなりそうです。これからの時代に相応しい、根性論とは正反対に位置するこうした考え方へシフトチェンジしていくためには、各々が「誰かの正解」を目指すのではなく、ひとりひとりが「自分の正解」を見つけられるようになる必要があるようにも思えます。 そうですね。やっぱり自信のなさとか、コンプレックスからくるものだと思うんですよ。だから具体的な結果とか、分かりやすく周りから認められる何かに、すがりつこうとしてしまうんじゃないんでしょうか。本来、それは何のためにやっていたかって考えてみれば、ピアノだったら音楽を楽しむ“ため”に始めたわけですよね。でも結果に固執してしまい始めると、何の“ため”だったのか分からなくなってしまう。それはすごくもったいない。 結果って相対的なものだから、コンクールで一位になる経験を全員がするのは不可能なわけじゃないですか。全員が一位になったら、今度は一位の意味がなくなってしまいますし。――都市伝説的に語られた「運動会の徒競走で、全員手を繋いで、並列でゴールする」なんて例と一緒ですもんね。 だからこそ、子どもに頑張れば良い結果が取れるよって言うのも、それはそれで無責任な話だと思っているんです。でも、結果を求めるために起こした行動の中で、自分が何を学んだか? どんな新しい世界を知れたか?っていう、自分の中で変化が起きていれば、それはすごく意味のあることになると思います。それを楽しめるようになってもらいたい。 そのためには、もうひとつ、何が自分の信念で、何がそうではないかっていう意識を持つことも大事ですね。それを貫き通さないと、SNS上の誹謗中傷とか悪口に振り回されてしまうし、ころころと方向性がぶれてしまうと、誰から見ても何をやってるのかが分からなくなってしまいますから。――まさに、それを背中で示してくれていたのがご両親であったわけですよね。この本にお母様が込められたであろう思いと重なってきます。 自分の考え方や興味の方向とかもそうだし、自分のマインドとか考え方みたいなところも学んでいたんだってことを本を読んで改めて気付かされましたし、親の偉大さ、大きさみたいなことを強く感じることが出来ました。――ご本人があとから気付くっていうのは、理想の教育かもしれませんよね。無理強いされることなく導かれていき、辿り着いた先が自分自身にとって幸せで、素直に感謝できる。理想的な親子関係だなって思ってしまいました。是非、色んな方に『「好き」が「才能」を飛躍させる子どもの伸ばし方』を読んでいただきたいですね!   (インタビュアー小室敬幸氏と)​​​​​​​   Interview&Text:小室敬幸Photo:神保未来   本記事で紹介した書籍 「好き」が「才能」を飛躍させる 子どもの伸ばし方 (発行:ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス) 角野美智子 著発売日:2020年11月28日仕様:四六判縦/168ページ定価:1,760円(税込)ISBN:9784636965551 購入はこちら...

6月にデビュー・アルバムを発表、現役の東大院生でユーチューバーの顔も持つ、角野隼斗とは?

6月にデビュー・アルバムを発表、現役の東大院生でユーチューバーの顔も持つ、角野隼斗とは?

  (本記事は、2019年7月に執筆した記事を再掲載しています。) 2018年、ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリを受賞し、今年6月には初の公式アルバム『パッション』をリリース(デジタル限定配信発売)した角野隼斗。現在、東京大学大学院でAIの研究をしている現役の学生でもある。そしてCateen名義でYouTubeチャンネルを持つユーチューバーでもあるのだ。あらゆる音楽のジャンルを行き来しながらアクティブに活動している彼は、穏やかに、言葉を慎重に選びながらも、研究について、音楽について、興味深い話をいろいろと聞かせてくれた。※ピティナとは、1966年に発足した、ピアノを中心とする音楽指導者の団体で、ピアノ指導者をはじめ、ピアノ学習者や音楽愛好者など、約16,000人の会員が所属する団体。(ピティナHPより)   グランプリを受賞して、ピアノはただの趣味ではなくなった   ―まずは、ピアノを始めたきっかけから教えてください。角野:母がピアノの先生で、3歳頃から始めたみたいですが、最初の記憶は、4歳で初めてピティナのコンクールに出たことですね。当時は、A2級という幼稚園のクラスの下にA3級というクラスがあって、それが最初に出たコンクールです。5歳のときにはA2級で全国(決勝大会)まで行けて、その後ピティナには毎年出ていました。―そして昨年はついに特級グランプリを受賞されて。角野:よかったです、本当に。実は特級に出る前は、コンクールに出ることに対して、自分の中でマンネリ化というか、モチベーションが下がっていたんです。2016年の、大学3年のときには日本国内やアジアで行われた様々なコンクールに出たりしたんですけどコンクールに参加することの意味がわからなくなっていたんです。―それは、なぜですか?角野:音大生でもない人間が、コンクールなんか出て何の意味があるのかな、と思っていました。ピアノを弾くことは変わらず楽しいんですけど、目標というか、向き合い方がわからなくなっていたんです。そんなときに、特級に出ることを勧められて。これは大きな挑戦だし、しっかりやろうと。グランプリをとったことで、世界が一気に開けました。コンサートも爆発的に増えたし、こうやっていろいろなメディアで取材していただいたり。自分の中で、ピアノに対する思いが、ただの趣味ではなくなったというか、責任を持って音楽活動をしていこう、という覚悟ができました。     ―開成中学・高校から東京大学に進まれたわけですが、音大に行こうと思ったことは?角野:実は高校の頃は、ピアノというか、クラシックから気持ちが離れていたんです。部活でX JAPANのコピーバンドをやったりして。僕はドラムを叩いてまして。YOSHIKI、ですね(笑)。あと、音楽ゲームが好きで、jubeat(ユビート)というゲームの全国大会では、高3のときベスト8に入りました。これは、16個のマスから音が出てきて、それを正しいタイミングで指で叩くという、指でやるもぐらたたきみたいなゲームで、ピアノをやってる人はすぐ上手くなっちゃうんですよ(笑)。音ゲーは、音楽が電子音楽なので、エレクトロニカとかテクノとかも好きでしたね。―そうして様々なジャンルを経由して、またクラシックに気持ちが戻ったわけですね。角野:大学に入ってからですね、クラシックの楽しさを再認識したのは。再認識といっても、そもそも小学校の頃だって、クラシックをおもしろいと感じていたかどうか微妙です。おもしろいと感じる以前に、やっているのが当然、だったので。本番で弾くのは好きだったんですけど、練習は嫌いだったし。中学に入ってから、親から練習しろとあまり言われなくなったことで、開放感というか、ちょっと逃げというか、そんな感じになって。思春期にありがちな(笑)。でも、逃げる先は、ジャンルは違ってもやっぱり音楽でしたね。―東大ではクラシックの「ピアノの会」とバンドサークル「POMP」の両方に所属されてたんですよね。角野:はい、POMPではジャズもやってました。やっぱり、複雑に作りこまれているような音楽がおもしろいと思うようになって、ジャズを聴いたり、自分でも弾くようになって。そのうえでクラシックを聴くと、楽曲の構成や、ポリフォニックな和声、音色の美しさに改めて気がついて。アレンジ、作曲の勉強という意味でも、クラシックから学べることは本当に多いんです。   AIと音楽について研究中、AIと人間の演奏は“変さ”が違う!?   ―アレンジといえば、YouTubeでチャンネルを持っているんですよね。米津玄師さんの曲なんかもピアノで演奏されてアップされてます。こういう活動はいつから?  youtube Cateen / Hayato Suminoチャンネル 角野:中学くらいからですね。ニコ動(ニコニコ動画)が盛り上がっていた頃で、自分でもやってみたいと思って、中3のとき初めてボカロとか音ゲーの曲をニコ動にアップしました。―ほんとにジャンルの垣根がないですね~。自由!角野:僕はジェイコブ・コリアーというアーティストが好きなのですが、彼もきっとジャンルのことなんか考えてないと思うんです。自分の表現したいものを突き詰めていった結果、新しい音楽が生まれた、ということだと思います。僕もジャンルのことは今はあまり考えてないです。もちろん、クラシックももっと勉強したいと思っていますが、最終的には自分で作った作品を自分の演奏を通して伝えたい、新しいものを表現したいなという思いがあるので、これからも編曲した曲や作曲した曲をYouTubeで公開していくつもりです。生配信も定期的にやっているので、ぜひ、チャットでリクエストなんかもしていただければ嬉しいです。―昨年はフランスに留学されていたそうですね。角野:フランス音響音楽研究所というところに、9月から5か月間行っていました。僕は音楽とAIの研究をやりたいと思っていて、今、院の研究室では自動採譜、自動編曲の研究をしているんです。音源を与えられたときに自動的にスコアに変換するというのは、ある程度は今の技術でもできるんですが、単純にスコアにするだけではあまりおもしろくないので、オーケストラの音源を、ピアノで演奏したときに近くなるようなスコアにする、要するに編曲が自動でできるような技術を研究しているんです。フランス音響音楽研究所はまさに僕がやりたいことを勉強できる場所でした。―留学中、ピアノは?角野:もちろん、ピアノも弾いていました。ご縁があって、ジャン=マルク・ルイサダ先生とクレール・テゼール先生につくことができて。ルイサダ先生にはショパンを、テゼール先生にはフランスものを主にレッスンしていただきました。パリでは何回かリサイタルもやりました。4月にはサール・コルトーというホールでやらせていただき、300人を超えるお客様にご来場いただけました。     ―大学院を終えられあとは、どうされるんですか。角野:研究もピアノも、どんな形にせよ両立させていきたいと思っています。すごく難しいことですけど、どちらも音楽のことなので、自分で音楽をやっている人間の視点は研究にも絶対メリットになると信じています。この前、とあるイベントでAIとジャズセッションしたんです。POMPの先輩にも参加してもらって、僕はピアノを弾いて。そのときおもしろいことがわかったのですが、AIと人間の演奏は“変さ”が違うんです。AIは人間をまねて作ってるのに、人間とは“ハズれ方”が違うんですよ。そこに、人間の下手な演奏を再現するよりはるかにおもしろい、新たな音楽があるんじゃないかと思いました。芸術の発展というのは、きっとそういうことなのかな、と。人間が予想できる範疇をちょっと超えたところ、それが新しいと感じられるんです。ものすごく遠いことをやると、なんだそりゃ、と理解されないんですよね。そういう“ちょっと超えたところ”をAIで探せるんじゃないかと、今、可能性を感じています。より、ピアノに深く迫ったインタビューは、月刊ピアノ9月号(8月20日発売)に掲載。https://www.ymm.co.jp/magazine/piano/<PROFILE>[角野隼斗(すみのはやと)] 1995年生まれ。2018年、ピティナピアノコンペティション特級グランプリ、及び文部科学大臣賞、スタインウェイ賞受賞。2002年、千葉音楽コンクール全部門最優秀賞を史上最年少(小1)にて受賞。2005年、ピティナピアノコンペティション全国大会にて、Jr.G 級金賞受賞。2011年および2017年、ショパン国際コンクール in ASIA 中学生の部および大学・一般部門アジア大会にてそれぞれ金賞受賞。これまでに国立ブラショフ・フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、千葉交響楽団等と共演。現在、東京大学大学院2年生。金子勝子、吉田友昭の各氏に師事。2018年9月より半年間、フランス音響音楽研究所 (IRCAM)...