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【3分で読める!サクッと伝記#04】 ドミートリイ・ショスタコーヴィチ

【3分で読める!サクッと伝記#04】 ドミートリイ・ショスタコーヴィチ

クラシック音楽の名作を生み出した作曲家たちを、3分程度で読み切れる短い伝記としてご紹介します。しかし、どの人物もその人生を3分で語り尽くすことはできません。今回は代表的な9つの視点に絞ってご紹介しますが、より深く知ることで演奏にも大きな違いが生まれる瞬間があるでしょう。もしこの記事に物足りなさを感じたり、さらなる背景が知りたいと感じた場合、それは「学びの扉が開いた瞬間」とも言えます。ぜひご自身でさらに深く追求してみてください。 本シリーズでは、選曲や演奏に役立つ小さな手掛かりとなるように、そしてご自身の深い学びのきっかけとなるようご紹介していきます。第4回目で取り上げる作曲家は「ドミートリイ・ショスタコーヴィチ」です。     1.あらゆるジャンルを作曲 ショスタコーヴィッチ (1906-1975) はロシアの作曲家。交響曲・弦楽四重奏曲の作曲家として知られていますが、映画音楽を含め、宗教音楽を除いたあらゆるジャンルに多大な作品を残しています。   2.ピアノの名手 ショスタコーヴィチは9歳の頃 母親からピアノの手ほどきを受けました。17歳でサンクトペテルブルク音楽院ピアノ科を修了し、第1回ショパンコンクールではファイナリストに名を連ねました。体調を崩し優勝こそ逃しましたが、名誉賞を受賞しました。   3.ピアノ曲 ピアノの演奏にすぐれていたショスタコーヴィチは、ピアノ曲も作曲しました。「24の前奏曲 Op.34」「24の前奏曲とフーガ Op.87」などは、現在も演奏される機会の多い作品です。   4.卒業作品で認知 音楽院のピアノ科修了から2年後には作曲科を修了。その際に卒業作品として「交響曲 第1番 Op.12」が作曲されました。この作品が西欧各地で演奏され、一躍有名になりました。   5.時代の圧力 ソビエトの社会主義政権下では頽廃的な音楽や前衛音楽が禁じられていました。娼婦を題材にしたオペラ「ムツェンスクのマクベス夫人」は厳しく批判を受け、続く「交響曲 第4番」は要請に応じていないものとして取り下げられるなど、政府の検閲に苦しみました。   6.窮地を救った代表作 圧政で窮地に陥っても作曲を続け、トルストイの "苦難の行路" における人間性の回復を題材にした「交響曲...

【3分で読める!サクッと伝記#03】 ヨハン・シュトラウス2世

【3分で読める!サクッと伝記#03】 ヨハン・シュトラウス2世

クラシック音楽の名作を生み出した作曲家たちを、3分程度で読み切れる短い伝記としてご紹介します。しかし、どの人物もその人生を3分で語り尽くすことはできません。今回は代表的な9つの視点に絞ってご紹介しますが、より深く知ることで演奏にも大きな違いが生まれる瞬間があるでしょう。もしこの記事に物足りなさを感じたり、さらなる背景が知りたいと感じた場合、それは「学びの扉が開いた瞬間」とも言えます。ぜひご自身でさらに深く追求してみてください。 本シリーズでは、選曲や演奏に役立つ小さな手掛かりとなるように、そしてご自身の深い学びのきっかけとなるようご紹介していきます。第3回目で取り上げる作曲家は「ヨハン・シュトラウス2世」です。     1.ウィーン文化の象徴 ヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)は、生まれ故郷であるオーストリアのウィーンを中心に活躍した作曲家・指揮者。生涯のほとんどをウィンナ・ワルツ、ポルカなどの作曲に捧げました。   2.音楽一家の出身 父親は「ワルツの父」と呼ばれたヨハン・シュトラウス1世、弟はヨーゼフ・シュトラウスという音楽一家。幼少期から音楽に囲まれて育ち、6歳で最初のワルツ「最初の思想」を作曲しました。   3.一度は音楽を捨てる 音楽家という不安定な職業につくことを父1世から反対され、一度は音楽を諦め商業を学びました。しかし音楽への情熱が再燃し、作曲活動を再開。父1世を上回る勢いを持ち、18歳という若さで音楽界に華々しくデビューしました。   4.舞踏会の音楽 シュトラウス2世の代表作『美しく青きドナウ』は、1867年に発表されウィーンを象徴する曲として世界的に愛されています。他にも『ウィーンの森の物語』『皇帝円舞曲』などよく知られたワルツを数多く生み出し、別名「ワルツ王」とよばれました。   5.シュトラウス2世のワルツ シュトラウスⅡ世のワルツは、豊かなオーケストレーションに加えて、反復・音の重なり・リズムに様々な手法が凝らされています。これにより、ただのダンス音楽としてだけではなく「鑑賞」にむけた芸術性の高さを兼ね備えていることが特徴です。   6.オペレッタの成功 シュトラウス2世は、オペレッタにも多大な貢献をし、名作『こうもり』『ウィーン気質』などが大ヒットしました。これらは今でも世界中で愛され、数多く演奏されています。   7.同世代からの評価 ヨハン・シュトラウス2世は、同時代に活躍した音楽家たちから高く評価されていました。なかでも注目すべきは、【ブラームスとワーグナー】【ブラームスとブルックナー】のように、当時音楽界を二分するほど対立していた作曲家が、どちらも同じく彼を絶賛していたことです。   8.華やかな結婚遍歴 シュトラウス2世は、3度の結婚を経験しています。1度目は11歳年上の「ヘンリエッテ」と、2度目は27歳下の歌手「アンゲリカ」と、3度目は35歳年下の「アデーレ」と結婚。彼にとって最後の結婚が1番幸せだったと言われています。   9.晩年と遺産 晩年は健康を害しながらも、作曲を続けました。シュトラウス2世の音楽はウィーンの伝統を現代にまで伝え、今なお多くの人々に愛されています。ウィーンの市立公園内に建てられた黄金の記念像は、その証とも言えるでしょう。...

【3分で読める!サクッと伝記#02】 ジョルジュ・ビゼー

【3分で読める!サクッと伝記#02】 ジョルジュ・ビゼー

クラシック音楽の名作を生み出した作曲家たちを、3分程度で読み切れる短い伝記としてご紹介します。しかし、どの人物もその人生を3分で語り尽くすことはできません。今回は代表的な9つの視点に絞ってご紹介しますが、より深く知ることで演奏にも大きな違いが生まれる瞬間があるでしょう。もしこの記事に物足りなさを感じたり、さらなる背景が知りたいと感じた場合、それは「学びの扉が開いた瞬間」とも言えます。ぜひご自身でさらに深く追求してみてください。 本シリーズでは、選曲や演奏に役立つ小さな手掛かりとなるように、そしてご自身の深い学びのきっかけとなるようご紹介していきます。第2回目で取り上げる作曲家は「ジョルジュ・ビゼー」です。     1.誕生と家庭背景 ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)は、フランスの作曲家。父はもとは理髪師でしたが、音楽好きで音楽家に転身し、声楽教師や作曲をしていました。母は音楽一家の生まれで、優秀なピアニスト。ビゼーも幼少期から音楽の才能を見せていました。   2.パリ音楽院での学び ビゼーは10歳を前に、一流の音楽家が通う名門「パリ音楽院」に入学しました。在学9年間の間に、ピアノ・オルガン・作曲を中心に音楽を学びました。ピアノやオルガンの演奏では賞を受賞するなど高い評価を受け、音楽院では優れた成績を収めました。   3.初期のオペラ作品 ビゼー最初のオペラは「ポロネーズ」(1855年)で、若き日に作曲しました。若いころは作曲家としてなかなか評価を受けることがなく、音楽業界での成功は遅れましたが、オペラを中心に活躍し徐々に名声を高めていきました。   4.代表作「カルメン」 1875年に初演されたビゼーの代表作 オペラ「カルメン」は、スペインを舞台にした情熱的な物語です。 初演当初はあまり評価されませんでしたが、現在では世界中で愛される名作です。   5.オペラ形式の革命 オペラ「カルメン」は革新的な音楽で自由奔放なヒロインを描いており、オペラの形式に大きな革命をもたらしました。しかし当時は従来の伝統的な形式を期待する観客が多かったため、それが初演の低い評価の要因となりました。   6.多才な作曲家 ビゼーはオペラを中心に活躍しましたが、交響曲、ピアノ曲などでもすぐれた作品を残しています。異国の雰囲気が感じられる、民族的な要素を取り入れた作風が特徴的です。   7.組曲「アルルの女」 「アルルの女」は、オペラ「カルメン」にならぶ代表作です。同名の短編小説『アルルの女』を上演するための付随音楽として作曲されました。一般的には、この付随音楽から編曲された2つの組曲が広く知られています。   8.早すぎた死 ビゼーは36歳という若さで病に倒れ、この世を去りました。それは代表作「カルメン」の初演から3か月後のことでした。そして初演の評価が低かった「カルメン」がその後大成功をおさめたのは、亡くなってから4か月後のウィーン公演でした。   9.作品の再評価...

【3分で読める!サクッと伝記#01】 ジョゼフ・モーリス・ラヴェル

【3分で読める!サクッと伝記#01】 ジョゼフ・モーリス・ラヴェル

クラシック音楽の名作を生み出した作曲家たちを、3分程度で読み切れる短い伝記としてご紹介します。しかし、どの人物もその人生を3分で語り尽くすことはできません。今回は代表的な9つの視点に絞ってご紹介しますが、より深く知ることで演奏にも大きな違いが生まれる瞬間があるでしょう。もしこの記事に物足りなさを感じたり、さらなる背景が知りたいと感じた場合、それは「学びの扉が開いた瞬間」とも言えます。ぜひご自身でさらに深く追求してみてください。 本シリーズでは、選曲や演奏に役立つ小さな手掛かりとなるように、そしてご自身の深い学びのきっかけとなるようご紹介していきます。第1回目で取り上げる作曲家は「ジョゼフ・モーリス・ラヴェル」です。     1.管弦楽の魔術師 ジョゼフ・モーリス・ラヴェル(1875年~1937年)は、フランスの作曲家。近現代のクラシック音楽における重要な人物の一人です。繊細で精緻な表現と、「管弦楽の魔術師」とも呼ばれた巧みなオーケストレーションで知られています。   2.「ボレロ」への注目 ラヴェルの最も有名な作品の一つ「ボレロ」は、単調で反復的なリズムが特徴的な曲で、彼のオーケストレーションの技術が光ります。この曲は世界中で数多くの演奏が行われ、彼の音楽がいかに広く受け入れられているかを示しています。   3.印象主義音楽の影響 ラヴェルはクロード・ドビュッシーと並ぶ「印象主義」の代表的な音楽家です。しかしながら彼は単に模倣することなく、よりよい音楽表現を求めて、音色や和声、リズムの巧妙な使い方が特徴的で、それは全世界の作曲家に大きな影響を与えることになります。   4.ジャズの影響を受けた作曲 ラヴェルは、20世紀初頭、アメリカで発展・流行したジャズにも強い影響を受けました。彼の作品『ラ・ヴァルス』や『ピアノ協奏曲ト長調』などには、ジャズのリズムやハーモニーが見られ、その先進的な音楽観が表れています。   5.フランス音楽界の「繊細な職人」 ラヴェルは常に自らの音楽を精緻に作り込んだことで知られています。彼は、音楽の細部に至るまで完璧を求め、作曲に非常に多くの時間を費やしたとされています。たとえば、彼の「ピアノ協奏曲」や「ダフニスとクロエ」などは、緻密な編曲と深い音楽的洞察が反映されています。   6.音楽と文学の融合 ラヴェルの作品には、しばしば文学や絵画からの影響が見られます。特に、詩的な感覚を伴った音楽が多く、彼の「マ・メール・ロワ」や「鏡」などは、絵画や詩のような表現力を持つ作品です。   7.ピアニストとしても活動 ラヴェル自身も優れたピアニストであり、特にソロ演奏においてその技術が注目されました。彼のピアノ曲は、作曲家としての卓越した音楽性を具現化したものとして、多くのピアニストに演奏されています。   8.晩年の健康問題と苦悩 ラヴェルは晩年、神経系の疾患に悩まされ、その影響で作曲活動が制限されることがありました。特に、記憶障害や運動機能の低下が見られ、これが彼の音楽にどのように影響したかについては多くの研究がなされています。   9.後世への影響と遺産 ラヴェルの音楽は、20世紀の音楽に多大な影響を与え、後世の作曲家たちに強いインスピレーションを与え続けています。彼の精緻なオーケストレーションと革新的なアプローチは、現在も多くの演奏家や作曲家にとって模範となっています。...