指揮者への道のりは、茨の道!?②【指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】
ある時は指揮者、またある時は作曲家、そしてまたある時はピアニスト……その素顔は世界平和と人類愛を追求する大阪のオバチャン。ヨーロッパを拠点に年間10ヵ国以上をかけ巡る指揮者・阿部加奈子が出会った人、食べ物、自然、音楽etc.を通じて、目まぐるしく移りゆく世界の行く末を見つめます。 関西フィルと初共演 皆さん、こんにちは! 猛暑の毎日、いかがお過ごしですか? 今夏は私も日本で演奏会やカンファレンスに出演するため、こちらで暑~い夏を過ごしています。7月の演奏会は私の出身地でもある大阪で、関西フィルハーモニー管弦楽団を客演しました。 今回の演奏会場、大阪市中央公会堂の前で(2024年7月)。 ©Ryota Funahashi プログラムは私がもっとも愛する作曲家の一人、モーツァルトの《フリーメイソンのための葬送音楽》《交響曲第40番》とベートーヴェン《交響曲第7番》。いつも「これから指揮する作品ほどの傑作は人類史上ほかにない」と惚れ込んで取り組みますが、今回は名曲中の名曲。あふれんばかりの作品への愛を込めて演奏しました。関西フィルの熱演が、ご来場いただいた皆さんにもそれを届けてくださったものと思います。すばらしい作品は何度演奏しても新たに得るものがありますし、エネルギーをもらえます。それを本番で会場の皆さんと共有できることは何ものにも代えがたい、至福の時間です。 「新曲をていねいに初演する指揮者」になる 近年でこそ古典を振る機会も増えてきましたが、もし10年前の私が今回のプログラムを見たらびっくりすると思います。というのも、フランスにいた頃の私に対する一般的な認識は、「世界初演を数多く手掛ける現代音楽のスペシャリスト」だったからです。 前回の連載で音楽院の指揮科に入った頃のお話をしましたが、当時から「私は新曲をていねいに初演する指揮者になろう」と思っていました。なぜなら若い頃、仲間の作曲家が書いた新作がなおざりに初演されるのを目の当たりにして、強い憤りを覚えることが度々あったからです。 パリ国立高等音楽院指揮科のクラスメートたちと。前列左端が当時の主任教授、ジョルト・ナジ先生。 後列右から2人目が私。 たとえば演奏会で、ラフマニノフとかチャイコフスキーなどの有名な協奏曲と交響曲をメインにして、1曲目に短い現代曲が入るようなプログラム、よくありますよね。もちろんお客さんの多くは、人気のソリストやメインプログラムを楽しみにしていらっしゃるわけですが、そのときに、演奏するオケや指揮者までが現代曲を“前菜”みたいに扱ってはいけないと思うのです。 新作の世界初演というのは、言ってみれば今まさにこの世に生まれ出ようとしている赤ん坊のようなものです。できるかぎりベストな状態で演奏して、今後も再演されるように繋げていくことが、クリエイションに携わる芸術家として大事な務めであるはず。にもかかわらず、少なからぬ演奏団体が古典作品に比べて現代曲をいい加減に扱っているのを見て、「違うだろう」と思っていました。 自分は結婚を機に作曲を封印していましたが、書いた曲がはじめて音になる瞬間を作曲家がどんな気持ちで待ち焦がれているか、初演がうまくいかない時どれほど落胆するか、仲間や元夫の初演にたくさん立ち会ってきた私には痛いほどわかります。 だから時々、指揮をしている自分のことを「ずるいなぁ」とすら思うんです。演奏が成功すると、舞台の真ん中に立っている指揮者が盛大な拍手を一身に受けているように見えますが、本当に大変なのは作曲家だと知っているからです。もちろん指揮者には指揮者の苦労もありますが、「作曲家の苦労に比べたら、たいしたことないな」と思ってしまいます。世の中の一般的なイメージでは指揮者が偉大な統率者のように思われているのかもしれませんが、私に言わせれば指揮者は「人柱」(笑)。指揮台に立つ以上、万が一演奏に何か瑕疵があれば指揮者が全責任を負う、くらいの覚悟でやらないとだめだろう、と思うのです。 指揮者としての初仕事 私が指揮科に入ってはじめてギャラをもらった仕事も現代音楽でした。ある時、有名な企業の社長さんから「趣味で作曲した曲を、自分が元気なうちに演奏してほしい」と依頼されたのです。社長さんは70歳過ぎくらいでしたがずっと趣味で作曲を続けていて、若い頃にはクセナキス(Iannis Xenakis, 1922~2001)に師事したこともあるとお聞きしました。そして「金は出すから」といって、ポンと大金を渡されたんです。 アマチュア作曲家の作品とはいえ、真剣にやろうと思いました。すべて私に一任されていたので、演奏者を集め、ギャラの配分を決め、会場や練習室を押さえるための事務手続きや楽器搬入用のトラックの手配まで、全部一人でやりました。準備している間はなかなか大変な毎日で、ある晩目が覚めたら顎が外れていました(笑)。疲れがたまると顎が外れる、ということをその時はじめて知りました。 通常の演奏会と同じように、本番は社長さんの曲をメインにほかの曲も加えたプログラムを組み、リハーサルを行い、録音もプロのエンジニアを手配しました。そうして迎えた当日は思った以上にお客さんがたくさん入り、コンサートは大成功のうちに終えることができました。社長さんにも満足していただくことができて、私は指揮者としてはじめての仕事を無事完遂することができたのでした。 はじめてギャラをもらって企画したコンサートのリハーサル風景。 社長さんの曲に加えて、ヴァレーズの《オクタンドル》を演奏しました。 私の元夫、レジス・カンポ《ポップアート》のリハーサル風景。 現代音楽のアンサンブルを立ち上げる 「一緒に現代音楽のアンサンブルを作らないか」と誘われたのは、それからしばらくたったある日のことでした。声をかけてきたのは同じ音楽院の作曲科に在籍する学生のヤン君。先日の演奏会を聴きに来ていて、新しく立ち上げるアンサンブルの指揮者として私に白羽の矢を立てたのでした。 そして2005年、私を含めた5人で「ミュルチラテラル」という現代音楽アンサンブルを創設しました。グループ名の「Multilatérale」は「多角的な、多元的な」という意味です。誰か一人がリーダーになってほかの人がそれに従うのではなく、全員がそれぞれの方面から意見を出し合って民主的に決めていこう、というのがグループの方針でした。そのアンサンブルで、私やヤン君のような若い世代の作品と、もっと前の世代で古典になりつつある優れた作品を両方並べて、時代の潮流を掴むような趣旨の演奏会をたくさんやりました。 アンサンブル・ミュルチラテラル結成後第1回目となる演奏会のリハーサル風景。...