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『Ado』エレクトーン楽譜集 発刊記念インタビュー第二弾 倉沢×高田×中野

『Ado』エレクトーン楽譜集 発刊記念インタビュー第二弾 倉沢×高田×中野

日本のみならず世界的に活躍する唯一無二の歌い手、Adoの人気曲を6曲収載したエレクトーン曲集が5月に発売された。スコアプロデューサーに富岡ヤスヤを迎え、窪田宏、鷹野雅史、倉沢大樹、高田和泉、中野正英という豪華アレンジャー陣が集結した本作のリリースを記念し、各人の並々ならぬこだわりを紐解く鼎談(ていだん)が『月刊エレクトーン』に連続掲載される。 その第二弾となる『2025年7月号』の「倉沢大樹×高田和泉×中野正英 スペシャル鼎談」より、本誌で掲載しきれなかった制作秘話を中心に、富岡ヤスヤも交えて曲集の魅力を語っていただいた。 ――“アレンジの聴かせどころ”や“こだわりポイント”があったら教えてください。高田さんは「踊」ですね。 高田はい。でも、普段自分が選曲してアレンジするなら「踊」は選ばなかったと思うんです。というのも、ヤスヤさんの「唱」もそうですけど、“同じ音程”を何度も続けて歌うメロディーが多くて、そのまま楽器で再現すると表情が乏しくて、単調に聞こえてしまうからなんですね。Adoさんのボーカルはとてもカッコよくて勢いがありますが、その魅力をインストでも表現するにはどうしたらいいかすごく悩みました。そこで、思い切ってベースにピッチベンド(音を滑らかに変化させる奏法)を使いながら、1オクターブ下げる動きを取り入れることで、同じ音が続くメロディーでもアレンジ全体に抑揚が生まれるように工夫したんです。特に意識したのは、聴く人の耳がベースラインに引き込まれるようなアレンジにすることです。結果的に、歌詞がなくても単調にならず、インストならではのカッコよさが出せたのではないかと思っています。ここが今回のアレンジのこだわりポイントですね。 ――倉沢さんの「クラクラ」は、どんなところがポイントでしょうか? 倉沢やっぱり“自分が弾いていて気持ちいい”が基本で、原曲はハードなドラムが聴こえてくるので、とにかく“自分をその気にさせてくれるようなリズムの打ち込み”に命をかけました。力が入りすぎて“スネアがちょっと大きいかな?”という心配もあったんですけど、ヤスヤさんから“この曲はガンガンいったほうが気持ちいいよ”と言われたので安心しました(笑)。なので、皆さんもガンガン弾いていただけたら嬉しいです。 ――中野さんの「私は最強」は、どんな風に工夫されたのでしょうか? 中野レジストで言えば、“華やかさや鮮やかさの変化をどうつけていくか”を気にしました。音色で言うとグロッケン、木管楽器、ハープなど原曲にはない音や“シンフォニックゴング”など、華やかな音色をどう散りばめたのか聴いてほしいですし、そういった楽器を見つけてもらえたら工夫が伝わると思うので。音符的な着眼点では、最初のサビで和音やオーケストレーションを変えてみたり、副旋律も作って足しています。 ――今回の曲集は、皆さんのプロならではの素晴らしい演奏が【参考演奏付レジスト】として販売されて大きな話題になっています。中野さんは月エレ本誌でお二人の演奏について語っていらっしゃいますが、倉沢さんと高田さんはお二人の演奏を聴いていかがでしたか? 倉沢まず、高田さんの「踊」は一曲で何曲も聴いたくらいの充実感で、ラストで「ブラボー!」と叫びたい気持ちになりました。高田さんの新たな一面を見せてもらいましたね! 一曲を通して生楽器とシンセサウンドが融合されていて、エレクトーンの機能をフルに使った印象。本誌インタビューでも言われてましたが、“音色”と“アカンパニメント”を探すのにとても苦労しただろうな〜と思いました。 中野くんの「私は最強」は全体的に爽やかなサウンドで、中野くんらしさが存分に楽しめるアレンジでした。特に高音ストリングス、グロッケン、チャイムなどのオーケストラサウンドが、今回のポイントだと思いましたね。そして、ハープのグリッサンドなど、さりげなく使われているアカンパニメントがとても自然な流れになっていて、まるで打ち込んでいる!?ようなクオリティ! さすがだと思いましたね。 高田私は、「うわぁぁぁ倉沢さーーーーん!!!!!!」「うおぉぉぉ中野くんーーーー!!!!!!」と聴きながら悶絶(笑)。二人とも原曲コピーが基本のアレンジなのに、ちゃんとそれぞれのカラーが色濃く出ていて、しかも原曲にも負けないくらい豪華に聞こえる…なんだこのマジック〜!と言うか、とにかくお二人の底力に圧倒されました。 富岡今回はいわゆる模範演奏じゃなくて、「プレイヤーのオムニバスアルバムを作る!」くらいの気合で本気の演奏をしてもらって、みんなとても苦労したようだけど、「エレクトーン2年目の小学生の生徒が、弾けないけど聴いて楽しんでいるようです」とか、すでにたくさんの嬉しい声をもらってるんだよね。だから、演奏はできたらまず“曲順”に聴いてもらえるとすごく嬉しい。1曲目の「阿修羅ちゃん(窪田アレンジ)」のワクワクから始まって、中野くんの「私は最強」の高揚感で終わる...そういう流れを考えた曲順なので。STAGEAのMDRには“リピート再生”機能があって、その中の“ALL”(写真参照)を選ぶとずーっとエンドレスに演奏をループ再生してくれるけど、 気持ちがアガる曲が多いから、“ながら聴き”しながら片付けとか洗い物とか苦手な作業をクリアするのもいいかもしれない(笑)。もちろん自分の好きな順に入れ替えて聴くのもランダムに聴くのもアリです! ――好きな順に聴きたい場合は、USB内にソングコピーして曲名のアタマに数字を付ければ、その順に再生してくれるわけですね。この“参考演奏”の制作では、思わぬ苦労があったと聞きました。 倉沢そうなんです、参考演奏のレコーディングでは“オーディオ・メーター”に本当に苦労しました(笑)。 富岡みんなそうだよね。普段、プレイヤーのコンサートではPA機器を使うことが多いので、それを前提に音を作ってしまって、STAGEAのスピーカーで音が割れないようにレベル調整するところで、みんな苦労したよね。 倉沢最後の最後までやっていたのは僕じゃないかな? 高田私も倉沢さんと同じで、最後に待っていたのはピーク超えを示す赤ランプの消火作業でした(笑)。 「踊」はダンスミュージックだし、弾きやすさを優先するとA.B.C.全活用かなと思って、何十周も探したけどピッタリなものがなくて。“ビートをもっと強化しては?”とヤスヤさんにいただいたアドバイスは、結局キックなどをバスバス打ち込むことでクリアできたんですけど、それによって赤ランプとの戦いがすごく複雑なものになってしまって(笑)。一番大変だったのはそこかな。 中野高田さんのアレンジは、ほかにも戦いの成果がすごく感じられて感動しましたね。僕もEDMはよく扱うジャンルなので、あの大変さは本当によくわかります。とにかく音色やエフェクトの種類が多いし、しかも今回はバンクを4つまで使えたので、やろうと思えばいくらでもできる反面、それだけ仕掛けや工夫もたくさん盛り込まなければいけない。リズムもアセンブリーで組んで、隠しエフェクトもたくさん引っ張ってこないといけないし、他のジャンルではあまり使わない手法も多いから。 富岡そういった隠れた苦労の成果を、レジストを覗いて見つけてほしいよね。ところで皆さんは、VA音源は使ったりしますか? 倉沢STAGEAでは、あまり使っていないです。 中野今回は使っていないですが、僕は普段はよく使います。それこそシンセサウンドのとき、どうしてもサンプリングされた音源よりもアナログシンセのほうがタッチに対する音質の変化に優れているので。ただ、カジュアル(ELC-02)にはないのでケースバイケースですが、“V-ウッディリード”や“V-ソーリード”は今でも一軍ですね。 高田私は曲によってですね。時々使う音は“V-エアフォン”です。すごく柔らかい音で、それだけはVA音源でしか出せないと思っているので好んで使います。タッチで個性が出せる音色が入っていて、単発で使うよりもエッセンスとして混ぜたり、それを加工してさらにワウをかけてみたり、遊びの音色のような感覚で。“V-エアフォン”は単発で使うこともありますね。 ――この機会に、メンバーに尋ねたいことはありますか? 高田ヤスヤさんに質問してもいいですか? 今回のメンバーって、(2025年)3月にあった三木楽器さんのコンサート『HIT...

【インタビュー】"推し活"きっかけで夢叶う『漫画 パガニーニ』─やまみちゆかが明かす制作の裏側

【インタビュー】"推し活"きっかけで夢叶う『漫画 パガニーニ』─やまみちゆかが明かす制作の裏側

  SNSで話題沸騰し、待望の書籍化が発表された『漫画 パガニーニ ~悪魔と呼ばれた超絶技巧ヴァイオリニスト~』(9月29日発売予定)。クラシック音楽の歴史に名を刻んだ伝説的ヴァイオリニスト・パガニーニの生涯を、情熱とユーモアで描き出したのは、ピアノ講師の傍ら、イラストレーター・漫画家として活躍中のやまみちさん。『漫画 パガニーニ』誕生秘話や制作の裏側について、たっぷり語っていただきました。 ギャップ萌えで始まった推し活 ──最初に、なぜパガニーニを漫画の題材にしようと思ったのですか?  一言で言うと“ギャップ萌え”です。SNSでクラシック作曲家の紹介漫画を描いていたときに「次はパガニーニを描いてみよう」と思って。そのときは「だらしない」「お金に汚い」「女癖も悪い」……みたいな印象でした(笑)。それで、浦久俊彦さんのパガニーニの伝記を読んでみたら「パガニーニは子どもをすごく大事に思っていた」というエピソードがあったんです。そんな子煩悩な姿に"ギャップ萌え"してしまって。 ──“ギャップ萌え”がきっかけだったんですね。  そうです(笑)。さらに調べていくうちに、音楽史に与えた影響も大きいこともわかりました。ショパンやリストなども「パガニーニ」をテーマにした曲を作曲するくらい、19世紀の音楽家たちはみんなパガニーニに憧れていたんです。なのに、現代では悪い印象だけが広まり、知名度も低い。このままだと永遠にパガニーニの真の姿が語られることがないかもしれないと思って、私がぜひとも日本で名誉回復をしたい!と思いました。 ▲SNSに載せていたクラシック作曲家の紹介漫画 読者の声援が支えた創作活動 ──2023年5月頃からパガニーニの漫画をSNS上で描かれていますが、最初から本にしようと考えていたのでしょうか。  いいえ。推し活の一環で、ただただ描いて、SNSにアップロードするという感じでした。なので、読んでくださった方の声援がないと続けられなかったんです。「楽しみにしています」とか「パガニーニに全然興味なかったけど、好きになりました」という声が励みになりました。あとは、単純にパガファンが増えていくのも嬉しかったですね(笑)。 ──世間では"同担拒否"という「推しが被るのは避けたい」派の方もいらっしゃいますが、やまみちさんは?  今のところ"同担歓迎"なんですけど、いつか"同担拒否"に変貌するかもしれない(笑)。でも今はやっぱり、パガニーニ推しが増えてほしいなと思っています。 ──パガニーニについてのリサーチはどのように進めましたか?  当時、日本語で書かれたパガニーニの書籍は3冊(うち1冊は絶版)だけだったので、海外から、ドイツ語やイタリア語の文献を取り寄せることにしました。海外の文献の探し方は、最初は浦久さんの本の参考文献からたどって、あとはSNSで知り合った海外の"パガ友"も、良い本を教えてくれました。 ──パガニーニ繋がりのお友達がいたとは(笑)。翻訳するのは大変だったのでは?  現代はありがたいことに翻訳ツールが発達しているので、基本的には自分で翻訳ソフトを使って、どうしても詳しく知りたいところは翻訳家の方に依頼しています。でも、そのおかげで、まだ勉強中ですがイタリア語もわかるようになってきました。 ──パガニーニへの熱量に圧倒されます。  パガニーニへの愛が溢れて、調べ始めると止まらなくなってしまうんです(笑)。 ▲海外文献の一例。本の厚さが解読の困難さを物語っている 書籍化で見えてきた新たな発見 ──今回の書籍化にあたり、修正されたところもありますか?  SNSにアップしていたときにはリサーチが足りなかった部分を細かく加筆したり、エピソードも少し足したりしています。パガニーニが生きていた時代は紙が高価だったから、封筒を使わず、手紙を折りたたんで蝋を直接つけていたらしいんです。そういった当時の文化も調べてみると本当に面白くて。 ──描きおろしとしてどんなコンテンツが追加されますか?  巻末には、描きおろしのコラムやおまけ漫画、パガニーニ年表、あとは各章に解説をたっぷり追加しました。私の“パガ愛”を詰め込んでしまったので、読者の方がついてきていただけるか、若干不安ですが(笑)。あとはこの漫画が描き上げるまでの過程をレポ漫画として入れる予定です。 細部へのこだわりと史実への忠実さ ──やまみちさんは、ヴァイオリンは弾かれるのでしょうか。...

生と死が交差する山里の踊り「新野の盆踊り」(長野県下伊那郡阿南町)【それでも祭りは続く】

生と死が交差する山里の踊り「新野の盆踊り」(長野県下伊那郡阿南町)【それでも祭りは続く】

日本には数え切れないほど多くの祭り、民俗芸能が存在する。しかし、さまざまな要因から、その存続がいま危ぶまれている。生活様式の変化、少子高齢化、娯楽の多様化、近年ではコロナ禍も祭りの継承に大きな打撃を与えた。不可逆ともいえるこの衰退の流れの中で、ある祭りは歴史に幕を下ろし、ある祭りは継続の道を模索し、またある祭りはこの機に数十年ぶりの復活を遂げた。 なぜ人々はそれでも祭りを必要とするのか。祭りのある場に出向き、土地の歴史を紐解き、地域の人々の声に耳を傾けることで、祭りの意味を明らかにしたいと思った。 徹夜で踊る山里の盆踊り 「昔は朝まで踊り明かしたもんだよ」    全国に盆踊り行脚を重ねていると、地元の人からそんな話をよく聞かされる。その昔は、むしろ徹夜で踊るのが盆踊りのデフォルトであったらしい。しかし、いまでも徹夜おどりを実施している「伝統的」な盆踊りを、私は4例しか知らない。その一つが、長野県下伊那郡阿南町新野(にいの)地区に伝わる「新野の盆踊り」だ。開催時期は毎年8月の14日〜16日で、現在でも毎晩夜9時から翌朝6〜7時頃まで踊られている。    新野は長野県の南端、標高1000〜1100メートルの山々に囲まれた高原の盆地に位置する山間の集落だ。そんな奥山の山村に、昔ながらの形を残しながら朝まで踊られる盆踊りがあると聞けば、誰だって興味を抱かずにはいられないだろう。 冬の新野高原 提供:金原渚    私が初めて新野の盆踊りを体験したのは、2015(平成27)年の夏である。当時は盆踊りにハマってまだ間もない時期で、知的好奇心に突き動かされるまま、全国の面白そうな盆踊りに積極的に足を運んでいた。新野の盆踊りに惹かれたのは、「徹夜で踊る」という点に興味を引かれたからだ。実際に訪れてみると、それは非常に衝撃的で、忘れがたい体験となった。一度きりでは、この祭りのすべてを理解できたとは到底思えず、「一体、あれは何だったのだろうか」と考え、翌年も再び足を運んだ。いまでは、年に一度でも参加しないと気がすまないほど好きな盆踊りとなっている。 筆者が初めて新野の盆踊りに参加した際の写真。一晩中雨に降られた    10年通う中で、個人的に最も大きな「事件」だったのは、コロナ禍によって2020年(令和2年)と2021年(令和3年)の盆踊りが中止になったことだ。台風が来ても決行され、終戦の年ですら踊られたという新野の盆踊りが、止まった。一ファンである私にとっても大きな出来事だったが、地元の人々にとっては、さらに深い喪失感をともなうものだったに違いない。    ネガティブな話題だけではない。2022(令和4)年にはユネスコ無形文化遺産に「風流踊」の一つとして登録された。さらに2023(令和5)年には、4年ぶりに制限なし(前年の2022年はマスク着用、手指消毒、踊り中の2mの距離確保、また一部行事内容の変更など、さまざまな制限を設けた上で盆踊りが開催された)で盆踊りが開催されることになった。この祭りはこれからどこへ向かうことになるのか。私にとっては10年目の節目となるいま、新野の盆踊りの現在地を確認してみたいと思った。 音頭取りと踊り子の掛け合いで生まれる一体感    まず「新野の盆踊り」とはどのような盆踊りなのだろうか。地元では「500年の歴史がある」と伝えられているが、その存在が全国的に認知されるようになったのは大正時代になってからのことである。決して交通の便がいいとは言えない信州の山奥の村で盆踊りが盛大に開催されている。そんな話を耳にした民俗学者の柳田國男が、1926(大正15)年、舞踊研究家の小寺融吉とともに新野を訪れ、盆踊りを見学した。早速その体験談を「信州随筆」として東京朝日新聞に発表。古くからの形式を残す価値ある盆踊りとして評価したことで、新野の盆踊りは全国に知れ渡ることになった。 宿場町の面影が残る町並みの中で新野の盆踊りが行われる 撮影:金田誠    「信州随筆」の中で柳田が着目した点で、現代まで受け継がれている新野の盆踊りの特徴を挙げていこう。まず一つは、扇を盛んに用いて踊ること。新野には7種類の歌と踊りが伝えられていて、そのうち、「すくいさ」「音頭」「おさま甚句」「おやま」では扇を手に持ち、優雅に操って踊る。扇を使った盆踊りは全国的に見られるが、南信州や東三河地方では特にポピュラーな形態である。 扇を用いることで、踊りにしなやかさと優雅さが生まれる 撮影:金田誠    また、太鼓や三味線といった鳴り物がなく、音頭取り(盆踊りで歌を出す役目の人)の生歌だけで踊る点も大きな特徴だ。伴奏がないため、音頭取りと踊り手が調子を合わせる必要があり、自然と歌の「コール&レスポンス」が生まれる。たとえば、音頭取りの歌の合間に踊り手が「ソレッ」と掛け声をかけたり、七七七五の歌を音頭取りが歌った後に、踊り手が下の句(七五)だけを繰り返して歌ったり、こうした相互のやりとりによって、盆踊りの場がともに作り上げられていく。 ヤグラの上の音頭取りの歌に、踊り子たちがまた歌で返す 死者と共に踊り、生を思う    また、柳田が「佛法以前からの亡霊祭却の古式」だといって評したのが、踊り最終日の16日の晩から17日の明け方に行われる「踊り神送り」の神事だ。これは盆に迎えた新盆の精霊を、踊りながら送るという儀式である。    こまかい作法や行事の次第については、柳田の時代と多少の相違はあるようだが、大まかな形は変わらない。新盆の家から持ち寄られた「切子灯籠」という美しく装飾された灯籠を手に人々が行列をなし、市神様や御太子様といった場所で祈りを捧げたのち、最後は村の境に位置する場所で切子灯籠を焼却するというのが一連の流れだ。 新盆の家の数だけ切子灯籠が作られ、最終日の16日にはヤグラから吊るされる 切子灯籠には緻密で美しい装飾がほどこされている。すべて手作り 17日早朝、空が白んでくると、ヤグラから切子灯籠が下される    踊り神送りの神事で最も盛り上がるのが、切子灯籠を手にした行列と踊り子たちの輪が衝突する場面だ。御太子様から戻ってきた行列は、「ナンマイダンボ」と唱えながら、踊り会場を経由して、瑞光院というお寺まで向かう。 切子灯籠を持った行列が踊り会場に戻ってくる    一方で踊りの会場で待ち受けている踊り子たちは、「切子灯籠の列が通り過ぎたら踊りを終えなければならない」という決まりがあるため、肩を組んで踊りの輪を強固にし、行列の進行を阻止しようとする。踊りの輪が崩れると、すぐに先回りして新しい輪をつくり、再び阻止。切子灯籠を運ぶ人たちにとっては「いつになったら終わるんだ」と難儀なことかもしれないが、この攻防戦こそが、新野の盆踊りの醍醐味のひとつだ。踊りはこの時だけの特別な「能登」という威勢のいい踊りに変わり、踊り子たちのテンションも最高潮となる。 踊り子たちが肩を組んで、行列の進行を阻もうとする 撮影:金田誠 踊りの輪が崩れても、すぐさま新しい踊りの輪ができる    時間をかけて、ようやく行列が瑞光院の広場に到着すると、踊り子たちは観念したように静かとなり、厳かな雰囲気を持ったまま最後の儀式を見守る。運ばれてきた切子灯籠を一カ所に積み上げる。続いて袴姿の「御嶽行者」が現れ、切子灯籠の前で呪文を唱える。...

『Ado』エレクトーン楽譜集 発売記念インタビュー第一弾 窪田×富岡×鷹野

『Ado』エレクトーン楽譜集 発売記念インタビュー第一弾 窪田×富岡×鷹野

日本のみならず世界的に活躍する唯一無二の歌い手、Adoの人気曲を6曲収載したエレクトーン曲集が5月に発売される。スコア・プロデューサーに富岡ヤスヤを迎え、窪田宏、鷹野雅史、倉沢大樹、高田和泉、中野正英という豪華アレンジャー陣が集結した本作のリリースを記念し、各人の並々ならぬこだわりを紐解く鼎談(ていだん)が『月刊エレクトーン』に連続掲載される。 その第一弾となる『2025年6月号』の「窪田宏×富岡ヤスヤ×鷹野雅史 スペシャル鼎談」より、本誌で掲載しきれなかった制作秘話を中心に曲集の魅力を語っていただいた。 ――今回のAdoのエレクトーン曲集は、富岡ヤスヤ(yaSya)さんが“スコア・プロデュース”という立場で入られていますね。理由はやはりAdoの大ヒット曲「唱」と「踊」の作編曲者TeddyLoid[テディロイド]さんとの師弟のご縁からですか? 富岡TeddyLoid(当時はTEDDY)とは2005年に出会って、プロデュースしている〈うにとろプロジェクト〉のメンバーとしてツアーをしたり、2年ほど一緒にユニットでライブ活動もしていたんですが、その頃はエレクトーン教室の生徒だった彼と昨年、雑誌の取材で十数年ぶりに再会して。Adoの「唱」「踊」が動画再生2億回超えなど音楽プロデューサーとしてもDJとしても世界的に活躍するスゴいアーティストになっているのに、久しぶりに会ったら一気に時を超える感じで。 彼の曲はいつもチェックしていて、「踊」をアレンジして弾こうかなと思っていたこともあったんです。そこにAdoの曲集の企画が舞い込んできて、今までにない曲集を作ろうとスタートしました。 ――その再会の様子は、『月刊エレクトーン24年8月号』巻頭特集でも語られていましたね。それが〈運命の再会〉になったわけですね。“スコア・プロデューサー”は、具体的にはどんなことをされたのですか? 富岡一番大きいのは、“今までにない曲集を作ろう”と決めたことですね。TEDDYとの縁でこのAdoの曲集を企画できることになったので、だったらいままでの概念をぶち壊すくらいのスゴい曲集ができないかと考えて、それで出てきたのが「トッププレイヤー6名が1曲ずつアレンジする曲集」というアイデアです。そんなドリーム・チームの曲集なら自分も欲しいなと。 ――メンバーの人選や選曲は、悩まれたのではありませんか? 富岡自分はTEDDYの「唱」と決めていたし「踊」も絶対に入れたかったんですが、ほかにも魅力的な曲がたくさんあって選曲は正直悩みました。でも最終的には〈インストにアレンジした時に映える曲〉という観点で決めて、結果的にベストな選曲になった気がしています。 屏東香(ピントンシャン)というユニットでも活動している窪田宏先輩と鷹野雅史は最初から絶対に口説き落とそうと決めていたのですが、学生時代から付き合いの長いこの二人と違って、倉沢(大樹)くん、高田(和泉)さん、中野(正英)くんは、霊感?ひらめき?...というレベルかもしれません。プレイヤーとしては何度も一緒にステージで演奏しているんですが、それぞれの音楽性まで完璧に把握しているわけではないので、「きっと面白くアレンジしてくれるはず!」という期待と「この曲の引き出しはあったかな?」という不安が交差しながらのオファーで、ある意味“賭け”だったんですが、これが見事に大正解!で、宝くじを当てたような嬉しさがありましたね。出来上がってきたアレンジを聴くたびに「ヤッター~~!!」と思いました。 ――アレンジ内容についても、いろいろオーダーされたのですか? 富岡“ここをこうしてほしい”なんて話は全くなく、プレイヤーの皆さんに全部お任せしました。というのも、具体的に示してしまうとその方のアレンジではなくなってしまうので、方向性は一緒に相談しても、具体的なアイデアはあえて出さないようにしていました。 ――富岡さんからお二人へのオファーは、どんな感じで進めたのでしょうか? 富岡まずは窪田さんと鷹野に“仕事をお願いしたいんですけど...”ってZoom飲み会をしまして。とにかくこの二人を口説き落とせば、他の人はノーと言えないなと思って(笑)。 鷹野絶対にノーと言えない空気をうまいこと作るんだ、富岡は。 富岡それで次の人にオファーする時に、“あとはあなたがOKすると6人揃います”って1人ずつに話して(笑)。倉沢くん、高田さん、中野くんは、全員、同じ話を聞いてるはず(笑)。 鷹野そういうの上手すぎるよ。 富岡いやいや、もう詐欺かもしれない(笑)。 鷹野でも素晴らしいね。最終的には実現しちゃったもん。 富岡その6名が、まったくの偶然なんですけど、三木楽器が3月に開催したエレクトーンコンサート『HIT PARADE』のメンバーとも一致してたので、コンサートの打ち上げが決起集会みたいになりました。 窪田あの日は富岡がハイテンションだったよね。 鷹野でも富岡の覚悟が見えたよ。 富岡アレンジ面ですごく難しいお願いをしていいた中、みんなに頑張ってもらったから絶対に文句を言われる、もう自分が非難の的になろうと思っていたんですけど、そういうことを言う人は一人もいなくて。それがもう嬉しくて、これは絶対に良いものにして全員出演の公開講座をやらなきゃと思って。 ――「アレンジ面での難しいお願い」というのは、どういうことでしょうか? 富岡今回、みなさんには「アレンジテーマ」として「原曲のイメージ」と「アレンジャーの個性」の両立を狙いたいんですと伝えていました。「原曲を尊重しつつ、自分らしさも出す」、この絶妙なバランスのアレンジが意外と大変だったんです。実際に、中野くんは個性を出し過ぎて方向性を大きく変えてもらうことになったり。鷹野のように、逆に原曲に忠実にしすぎて、やり直してもらうことになった曲もありました。自分も、真正面から原曲と向き合って“エレクトーンでどう表現しよう!?”とものすごく焦って、そこからが本当に大変だったんですね。 鷹野最初、僕は原曲に忠実にアレンジすることを極端に解釈しちゃったから、オーケストラ色はあまり出せないなと思って。富岡から“もうちょっと鷹野らしさを出していいんだよ”と言われて、アレンジし直したんです。キーやテンポ、構成を変えなければ、メロディーが弦楽器だっていいじゃないかと。 富岡“これぞ鷹野だ!”ってものがきっとできると励ましたんですよ。でもよくよく考えてみたら、自分がスコア・プロデューサーという立場であることをみんなに伝えていなかったので、勝手に鷹野にアドバイスした状態になって、“何で偉そうに言うんだ”みたいな雰囲気に(笑)。 鷹野富岡がスコア・プロデューサーであることを知って、こちらも大人げなさが恥ずかしくなってきて(笑)。富岡に会ったときに、開口一番から謝られまくって困ってしまいました。...

国生みの島に響く盆の唄「沼島音頭」(兵庫県南あわじ市沼島)【それでも祭りは続く】

国生みの島に響く盆の唄「沼島音頭」(兵庫県南あわじ市沼島)【それでも祭りは続く】

日本には数え切れないほど多くの祭り、民俗芸能が存在する。しかし、さまざまな要因から、その存続がいま危ぶまれている。生活様式の変化、少子高齢化、娯楽の多様化、近年ではコロナ禍も祭りの継承に大きな打撃を与えた。不可逆ともいえるこの衰退の流れの中で、ある祭りは歴史に幕を下ろし、ある祭りは継続の道を模索し、またある祭りはこの機に数十年ぶりの復活を遂げた。 なぜ人々はそれでも祭りを必要とするのか。祭りのある場に出向き、土地の歴史を紐解き、地域の人々の声に耳を傾けることで、祭りの意味を明らかにしたいと思った。 国生み神話の島「沼島」    瀬戸内海東部に位置する、兵庫県の淡路島。その南端から5kmほど離れた場所に、勾玉型の小さな島が存在する。「国生み神話」で知られる沼島(ぬしま)である。    「国生み神話」は、日本神話でイザナギとイザナミが日本列島を創造したとされる物語だ。高天原の神々に命じられた二柱は、天の浮橋から「天の沼矛」で海を“コヲロコヲロ”とかき混ぜ、その雫から最初の島「おのごろ島」(「おのころ島」とも表記)が生まれた。この島がどこかには諸説あるが、有力候補の一つが沼島である。実際、沼島の観光パンフレットにも「国生み神話の島」や「神々が創った最初の島」といったコピーが並び、神話ゆかりの地として広くPRされている。    日本神話に紐づく歴史ロマンを求めて当地を訪れる人は数多くいるのだろうが、私の今回の旅の目的はあくまで沼島の郷土芸能。この島に伝わる「沼島音頭」という独特の盆踊りについて話を聞くため兵庫県にやってきた。 数年越しに実現した沼島音頭の取材    前日は、淡路島の中腹に位置する洲本に宿泊。翌朝、日の出る前に起床してバスに乗車、沼島行きの船が出る土生港に着いたのは朝8時のことだった。船のチケットを買って乗船場に向かうと、係留された一隻の船が朝日に照らされてまばゆく光っていた。 淡路島と沼島を連絡する船    沼島と淡路島本島を結ぶ定期便。実はこの船に乗るのは、初めてではない。2017(平成29)年の夏にもまた、沼島に魅力的な盆踊りがあるとの噂を聞きつけて、この場所にやって来た。    沼島の盆踊りは確かにすばらしかった。島は南区、中区、北区、東区、泊区の5つの地区に分かれ、お盆の期間(13日〜16日、以前は17日まで行われていた)、それぞれの地域で日をずらして盆踊りが開催される。私は参加したのは南区の盆踊り。家屋がひしめく住区の中にぽっかりと広場があって、中央にはヤグラ(沼島では「音頭座」(おんどざ)と呼ばれる)が立っている。そこで番傘を手にした「音頭出し(おんどだし)」と呼ばれる歌い手が代わる代わる立ち、自慢の歌声を響かせる。 2017年、筆者が参加した南区での盆踊り 音頭出しは「兵庫口説」という盆踊り歌に合わせて歌う 踊りは回転動作が多く難しい。音頭座の下には太鼓打ちがいる 踊ったり、椅子に座って語らったり、盆踊りではゆるやかな時間が流れる    音頭に合わせて、人々が2時間も3時間もぶっ通しで踊り続ける(昔は朝方まで踊っていたらしい)。その光景に圧倒されると同時に、音頭そのもののすばらしさと、音頭座を囲む島民たちのあたたかな雰囲気に魅了された。帰宅してからも興奮は冷めやらず、「またいつか再訪したい」「沼島の盆踊りについて地元の人に話を聞いてみたい」と願うようになった。    その後、一度だけ島の人にアプローチをしてみたことがあった。しかし、思い立った時期がちょうどコロナ禍に突入したタイミングだっため、取材は実現に至らなかった。それでも「沼島音頭の魅力を伝えたい」という思いは変わらず、数年越しに、現地での体験をもとにしたレポート記事をブログに執筆した。それが2020(令和2)年のことだ。コロナ禍はしばらくおさまらず、沼島を再訪するという計画は自然と立ち消えてしまった。しかし、沼島音頭のことは忘れられず、いつも頭の片隅にあった。年に数回、思い出したかのようにYouTubeで動画を見返しては、「やっぱりいいなあ」と、その魅力をあらためて再確認していた。    そうやって数年が経過した2024(令和6)年9月のこと。沼島にある中学校、兵庫県南あわじ市立沼島中学校の主幹教諭を名乗る人物からメールが届いた。その内容というのも、沼島中学校のSDGsに関する取り組みを、「未来のシマ共創アワード」という賞に応募したいので、その際、沼島音頭(沼島で開催される盆踊りの名称)に関する情報源として、私が沼島音頭について書いた個人ブログ記事のURLを提出資料に記載してもいいかというご相談であった。    沼島音頭と中学校がどのように関係しているのか? その疑問はメールの文面をさらに読み進めると解き明かされる。    沼島は現在人口370名にまで減少しました。沼島中学校の生徒数も減少し、小規模特別認定校(筆者注:詳細は後述)として沼島以外の生徒も通うことができるようになりました。そのため、中学校で初めて沼島音頭と出会い、取り組む生徒がほとんどになりました。国生みの島で、100年後も音頭を知っている人を少しでも多くするために、沼島伝統文化保存会の皆さんが熱心に教えてくださり、敬老会や学習発表会で毎年披露しています。その方々の功績を広めたいです。    沼島が島外の中学生を受け入れ、さらにその子たちに沼島音頭を教えているということに驚く。まさかそのような取り組みが行われていたとは。メールの差出人である河野真也さんは、2024年度に赴任してきた沼島一年目の先生だという。相談事項に関してはもちろん承諾するとともに、せっかくの機会ということで、こちらからも取材の依頼を打診すると「もちろんです」と快く引き受けてもらえた。 「沼島千軒」と呼ばれた島の現在    島外出身の中学生は、多くが島に住むことなく、淡路島本島からスクールバスや船で学校に通っているという。そのため、沼島行きの船内もスポーツバッグを背負った若者たちであふれていて、着岸直後の港も、人口357人(令和7年3月末現在)の島とは思えないほど活気にあふれている。ちなみに、乗船時間はわずか10分。あっという間だ。 船を降り、足早に学校へ向かう中学生たち    港にはたくさんの船が停泊しているが、人気はほとんどない。漁はもっと朝早い時間に行われているのだろうか。あの賑やかしい中学生の一団が去ると、島は嘘のように静まり返る。    かつて沼島は「沼島千軒」と言われるほどに活気に満ちた島であった。その理由は、第一に地の利にある。小さな島ながら、その位置が紀州・鳴門・上方の海路の要衝にあり、上り下りの船が必ずこの島へ寄港するというほど、往来が盛んであった。また島の周辺や、紀伊水道(紀伊半島と四国に挟まれた海域)一帯は漁場としても恵まれており、タイ、ハモ、ハマチなど、さまざまな魚を豊富に獲得することができた。勢いづいた沼島の漁師は近海に飽き足らず「よそいき」と称して、熊野、阿波、日向、五島、対州(対馬のこと)まで進出したという。 港に停泊する漁船    文化・文政の時代(1803〜1830年)ともなると、近接する京都や大阪などの町が商業都市として繁栄を極め、沼島で獲れる高級魚が大量に消費されるようになる。その結果、島では多くの海産物商や廻船業者が生まれた。現・株式会社ニッスイの前身となる水産会社の「山神組」を輩出したのもこの沼島である。    現在、沼島の漁業は多くの課題に直面している。漁師の高齢化や減少、魚を育む地球環境の変化、燃料の高騰……。「兵庫県離島振興計画(令和5年度~14年度)」に掲載されている国勢調査のデータを参照すると、2010(平成22)年と2020(令和2)年の比較では、沼島の第1次産業従事者数は145人から98人へ減少している。...

ヘンレ社75周年記念 ピアノとヘンレ原典版の魅力にふれるトーク&コンサート

ヘンレ社75周年記念 ピアノとヘンレ原典版の魅力にふれるトーク&コンサート

ブルーの表紙でお馴染みのヘンレ社の楽譜の魅力を、ピアニスト・梅田智也氏の演奏とともに楽しむイベントが2025年4月まで全国のヤマハ直営店で開催されました。本稿では、そのスタートを飾ったヤマハミュージック福岡でのイベントの模様をご紹介。 ――ビデオメッセージで開幕 2024年11月12日(火)、ヤマハミュージック福岡にて『ヘンレ社75周年記念 ピアノとヘンレ原典版の魅力にふれるトーク&コンサート』が開催された。本イベントは、ドイツ・ミュンヘンにある楽譜出版社G. Henle Verlag(ヘンレ社)の歴史と魅力を、ピアニスト・梅田智也氏の演奏とともに楽しめる90分の無料プログラム。初回にも関わらず、キャンセル待ちが出るほどの盛況ぶりで、関心の高さが伺えた。オープニングでは、このイベントのために特別に制作されたヘンレ社からのビデオメッセージを上映。日本の愛用者に向けた感謝の言葉と、現在のヘンレ社の取り組みが紹介された。 ヘンレ社社長のノルベルト・ゲルチュ氏、営業部長のズィグルン・ヤンツェン氏からのメッセージ ――世代を超えて受け継がれる楽譜 ビデオメッセージが終わると、ピアニストの梅田氏が登場。以前からヘンレ社の楽譜を愛用していると、自身の楽譜を2冊披露。ひとつは小学生のときに初めて購入したベートーヴェンの『ピアノ・ソナタ全集 第1巻』。もうひとつは、師匠から譲り受けたという年代物のハンセン校訂版だ。長年にわたって使い込まれており、「付箋を貼ったり、演奏した日や場所を書き込んだりして、自分だけの楽譜をつくるのが楽しみ」と、自身の楽譜の活用法も紹介した。 使い込まれた自身のベートーヴェンの楽譜を紹介 ――ペライア版の魅力 最初に演奏した作品は、ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ全集 第1巻』に収められている「ピアノ・ソナタ 第14番《月光》」。梅田氏はこの楽曲の演奏において、ハンセン校訂版と、アメリカのピアニスト、マレイ・ペライア校訂による《月光》の単曲ピースを併用しているという。ペライア版の魅力について、「自分では考えつかない指使いが書かれているので、異なる視点を得ることができて役立っている」とピアニストならではの解説。演奏が始まると、ヤマハのグランドピアノ「C3X espressivo」の豊かな音色が会場を包み、幻想的な響きで聴衆を魅了した。 ヤマハグランドピアノ「C3X espressivo」の豊かな音色が会場を包み込む ――版による違いを弾き比べ 続いてショパン「ノクターン第20番 嬰ハ短調 遺作」を取り上げ、演奏前には版の違いを解説するための弾き比べを披露。スラーのかけ方や表現の微妙な違いを示した後、続けてショパン「華麗なる大円舞曲」を演奏した。さらに、リスト「コンソレーション」やラフマニノフの《鐘》といった多彩な楽曲が奏でられ、ロマン派から近代作品まで幅広いプログラムを展開。「ヘンレといえば、ドイツ古典派というイメージをもつ方もいらっしゃるかもしれませんが、近年はラフマニノフやリストの楽譜もあるので、ぜひそちらにも注目してほしい」と語った。  最後は、ヴィルトゥオーソピアニストとしても名高いブゾーニ編曲の大曲、バッハ=ブゾーニの「シャコンヌ」を演奏。迫力と繊細さが共存する圧巻の演奏に、客席から割れんばかりの拍手が送られた。 そのほかにもヘンレ社の用紙や製本のこだわりも紹介 ――ここでしか見られない貴重な楽譜も ヘンレ社の楽譜はピアノ作品だけでなく、弦楽器や管楽器、オーケストラのスコアなど、緻密な研究に基づく原典版が多彩なジャンルで展開されている。今回のイベントでは特設ブースが設けられ、その豊富なラインナップを間近で楽しむことができた。 また、ヘンレ社を象徴するブルーの表紙の楽譜に加え、全集版の布装楽譜、携帯しやすい中型スタディ・スコア譜、さらに普段は目にする機会の少ない大判のファクシミリ版も展示。来場者は貴重な楽譜を手に取りながら、その細部にわたるこだわりや魅力を堪能していた。 お馴染みのブルーの表紙のものからファクシミリ版まで揃った展示ブース  この記念イベントは、2024年11月から2025年4月まで全8回の公演をもって大盛況のうちに終了。ヘンレ社の魅力的な楽譜は、本サイトおよび全国のヤマハ店舗・特約店にてお求めいただけます。   ヘンレ社について  第二次世界大戦後の1948年、資産家でピアニストのギュンター・ヘンレ氏により設立。作曲家の原曲に基づいた正確な楽譜、原典版を出版することを大きな目的として発足され、主に古典派やロマン派のピアノ曲や室内楽曲を出版。近年はフランスやロシアの近代作品にも力を入れている。楽譜の内容と実用版としての品質はいずれも評価が高く、特にピアノ曲の原典版においては世界的にも高い地位にある。常に最新の情報を求めて研究を続けており、近年はバッハやベートーヴェンの原典版も順次改訂作業を行う。   プログラム (使用関連楽譜)◆ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第14番...

商店街とともに発展した盆踊り・白鳥おどり〈後編〉(岐阜県郡上市白鳥町)【それでも祭りは続く】

商店街とともに発展した盆踊り・白鳥おどり〈後編〉(岐阜県郡上市白鳥町)【それでも祭りは続く】

日本には数え切れないほど多くの祭り、民俗芸能が存在する。しかし、さまざまな要因から、その存続がいま危ぶまれている。生活様式の変化、少子高齢化、娯楽の多様化、近年ではコロナ禍も祭りの継承に大きな打撃を与えた。不可逆ともいえるこの衰退の流れの中で、ある祭りは歴史に幕を下ろし、ある祭りは継続の道を模索し、またある祭りはこの機に数十年ぶりの復活を遂げた。 なぜ人々はそれでも祭りを必要とするのか。祭りのある場に出向き、土地の歴史を紐解き、地域の人々の声に耳を傾けることで、祭りの意味を明らかにしたいと思った。 東海北陸自動車道によってもたらされたる観光地間の競争激化    岐阜県郡上(ぐじょう)市白鳥町(しろとりちょう)。この町の商店街にまだ勢いがあり、白鳥おどりも最高潮に盛り上がっていた1970年代、一人の中学生が踊り子として会場を駆け回っていた。その子どもの名は、大坪正彦。後に、白鳥観光協会に入り、20年以上も祭りの裏方として白鳥おどりを支えることになる人物だ(2025年に引退)。ここからは、最盛期以降の白鳥おどりの変遷を現場から見守ってきた大坪さんの証言を補助線に、前編で触れた1980年代以降の白鳥おどりの変遷を追ってみたいと思う。    ちなみに個人的な話となってしまうが、大坪さんは、私が白鳥おどりに参加し始めた頃から親しくさせていただいている、いわば「恩人」のような人物でもある。東京でイベントを開催する際に、現地との調整役としていろいろと便宜を図ってくださったり、私が白鳥おどりについて知りたいことがあった時は貴重な資料を提供してくださったり、とにかく、ここでは書き尽くせないくらい、いろいろな面からお世話になったことは記しておきたい。 2019年に高田馬場で開催した白鳥おどりのイベント。ゲストに白鳥観光協会の大坪さんを招いた    まず、大坪さんが体験し、その目で見た白鳥おどりの最盛期とはどのようなものであったのだろうか。「当時(1970年代)は、踊りの輪がすごく大きかったですね」と大坪さんは回想する。「3つの商店会をまたいで開催していたくらいですから。駅前商店街の三叉路に屋台を置いて、北はごんぱちさんのところまで、東は濃飛タクシーさんのところぐらいまで行って。あまりにも輪が大きかったので、端っこと端っこで踊りがずれちゃっているんですよね(笑)。都会に出てた人たちが帰ってきて、本当にお盆の期間は町の人口がバーンと増える感じでした」 大坪正彦さん    大学進学後はしばらく地元を離れ、長らく白鳥おどりから遠ざかっていた大坪さん。ホテルやスキー、ゴルフなどレジャー系の職をいくつか経て、2001(平成13)年に白鳥観光協会に参加したが、そこでおよそ20年ぶりに目にした白鳥おどりの光景に衝撃を受けた。    「もう、自分が踊っていた頃と比べると、あんまりにも人が少なくて驚いたんです。屋台のまわりで踊っている人が、ほとんど保存会のメンバーという日もありましたからね(一般客が少ない)。やはり一番盛り上がっていた時期を知っているもんですから、自分の目が黒いうちに、これはなんとかしないと、と思いましたよね」    大坪さんが踊りの現場を離れているうちに、この町に何が起きたのか。まず観光業全般での話としては、町の主要な観光資源であったスキーが衰えた。    「スキーに関しては、越美南線に乗ってスキー客がやってくるという1回目のブームというのがまずあって、その時に村営の小さいスキー場みたいなのが町中にちょこちょこできたんですよね(1956年から、当時の国鉄によってスキー客のための臨時列車「奥美濃銀嶺号」が、シーズン中各週末に運行されていた)。その次にくらいに、観光バスやマイカーに乗ってスキー客がやって来る時代がきました。ちょうどその頃ぐらいですかね。白鳥町の北にある高鷲町の方に大きくて、設備も充実したスキー場がポンポンとできて、白鳥のスキーが衰退していったんです。リフトなんかも3〜4人乗れるようなゴンドラみたいなタイプなので混まないし、並ばず乗れる。一度便利さを体験しちゃうと、もう戻ってきませんよね。バブルの頃のスキーブーム?   確かにありましたけど、白鳥町への恩恵はそこまで大きくなかったんじゃないですか。テレビなんかで苗場のスキー場なんか見せられちゃうと、余計そっちに憧れちゃいますしね」 白鳥スキー場跡地(現・二日町延年の森公園)    2008(平成20)年に全線開通した東海北陸自動車道も、白鳥町の劣勢に拍車をかけたようである。東海北陸自動車道は、愛知県一宮市を起点に、岐阜県を経由して、富山県砺波(となみ)市に至る、東海地方と北陸地方を結ぶ高速道路である。1960年代に構想が立ち上がり、その沿線となる白鳥町でも大きな関心と期待が寄せられた。    「東海北陸自動車道などの開設によって、産業と観光の開発はいっそう脚光をあび、大きな伸張が展望される」(1977年刊『白鳥町史 下巻』) 「白鳥町発展のカギを握るものは東海北陸自動車道の問題」(1984年刊『わが町白鳥 : 郷土誌』) 「東海北陸自動車道をはじめとする、道路の整備によって、白鳥町が劇的に変わる可能性がある」(1991年刊『あすをひらく道 : 白鳥町合併35周年記念誌・町勢要覧1991』)    町の発展に寄与する道路として考えられたことから、完成に備え1966(昭和41)年から、町内のすべての道路の舗装と、川への架橋も進められてきた。    道路の整備は段階的に進められ、1997(平成9)年に郡上八幡IC-白鳥IC間が開通、1999(平成11)年には白鳥IC-高鷲IC間が開通となった。これによって地域に何がもたらされたのか。『岐阜県の冬季観光産業(スキー場)の実態調査報告』(2001)では、高鷲町を含む郡上郡北部に対しては「大型施設も加わり、中京圏・関西圏から長野方面に向かっていたスキーヤーも取り込み集客を増加させている」「さらに東海北陸自動車道の貫通がなれば、北陸圏をもマーケット 視野に入れようと計画している」と好ましい影響が報告されているのに対し、白鳥町を含む郡上郡南部には「白鳥IC開通までは、安定した集客を保ってきたが、高鷲ICの開設とともに集客を落としている。各スキー場共に高速道路のインターチェンジから遠いことがネックとなっている」というネガティブな評価が下されている。    数々の資料が、東海北陸自動車道が観光面で沿線エリア全体に何かしらの好影響を与えていることを示しているが、やはり道路の開設による観光地間の競争激化や、地域外への観光客流出といった負の影響も見逃すことはできない。    たとえば、合掌造り集落でおなじみの富山県の五箇山では、東海北陸自動車道全通後に、より規模の大きい白川郷の荻町集落に観光客が集中する傾向が強まり、また宿泊数も減少したことが報告されている(『東海北陸自動車道開通に伴う五箇山観光の変容』)。白鳥町においてもまた、期待ほどの観光誘致が図れていないようで、郡上市白鳥振興事務所『白鳥地域振興計画』(2021)には、2019(平成31)年の白鳥IC-飛騨清見ICの四車線化について触れつつ、「通過点となる恐れがあることから、目的地となるような観光イベント情報の提供が必要」と警戒感をつのらせた文章が記載されている。 五箇山の合掌造り集落    実際のところ、東海北陸自動車道が白鳥おどりの振興に繋がらなかったかというと、そうとも言いきれない。郡上市の発表している平成期の白鳥おどりの来客数を見ると、1995(平成7)年から1996(平成8)年にかけて一旦数は減少しているが(85,000→80,000人)、白鳥ICが設置された1997(平成9)年からは上昇に転じ、2004(平成16年)には平成期のピークとなる131,000人を記録。しかし、その後は下降線をたどり、10年後の2014(平成26)年には55,500人と、来客数はほぼ半減している。大坪さんは、次のように話す。    「白鳥おどりも、一時は郡上おどりに近いくらいの勢いを持った時代があったんですけど。おそらくですが、白鳥に関しては、多分時代の流れの中で来客数が増えていただけで、気づいたら、あれ?って(壊滅的な)状態になってしまっていたということだと思います。郡上おどりは比較的来客数をキープできているようなので、それ以上の努力をずっと続けてきたんでしょうね」...

はじめてのおもちゃピアノに最適!累計10万部の耳が育つ知育玩具「ヤマハのピアノえほん」

はじめてのおもちゃピアノに最適!累計10万部の耳が育つ知育玩具「ヤマハのピアノえほん」

用途たくさん:子どもへの知育玩具用に、出産祝いや誕生日プレゼント、クリスマスプレゼント用に最適! メリットたくさん:親御さんの手助けなしにお子さんだけで遊べる! 耳を育てる本格的な音、0歳~6歳まで長期間楽しめる! 遊び方たくさん:全曲再生でひとりで遊べる、鍵盤が光って楽しく遊べる、モードがたくさんで飽きずに遊べる! 子どもが動画サイトばかり見ていて心配……何か指を動かして遊べる安全なおもちゃはないかな……。 そんな方にオススメのおもちゃ絵本をご紹介します。 楽しいだけでなく、はじめての音楽体験にもなり、耳も鍛えられて、ピアノの基礎まで学ぶことができるお得な商品。ピアノは習い事ランキングでもつねに上位。本格的にピアノを習う前に、ピアノレッスンの導入としても活用してください! |選ばれる5つの理由 ① かわいい絵と楽譜で見ていて楽しい! ② 充実の機能と多彩な音色ではじめての音楽体験に最適! ③ 子どもがひとりで遊べる! ④ 飽きずに6年間遊べる! ⑤ 親子のコミュニケーションが増える! |実際に使った方の声 |開発者の声 ー 企画はどこから生まれた? ー どんな点で苦労した? ー どんな方に楽しんでもらいたい? |商品概要 1|選ばれる5つの理由 ① かわいい絵と楽譜で見ていて楽しい! カバーイラストは『しましまぐるぐる』の「いっしょにあそぼ」シリーズ(Gakken)で大人気の絵本作家かしわらあきおさん。絵本の部分はかしわらさんほか14人の人気イラストレーターによるかわいい絵が子どもたちを楽しませてくれます。絵とともにメロディ譜と歌詞も載っているので、親御さんが一緒に見て弾くこともできますし、ピアノを習い始めのお子さんが見ながら弾いたり、親子やきょうだいで一緒に歌ったりするのもおすすめです!...

エレクトーン曲集『WORKS3』発売記念 安藤ヨシヒロに聞く!名曲たちの制作秘話と、“今”。

エレクトーン曲集『WORKS3』発売記念 安藤ヨシヒロに聞く!名曲たちの制作秘話と、“今”。

  エレクトーンプレイヤーとして多くの⼈々を魅了し、現在は作曲家、キーボーディスト、そしてプロデューサーとしても活躍を続ける安藤ヨシヒロ。彼のオリジナル作品を集めたエレクトーン曲集である『WORKS』シリーズに、2025年2⽉18⽇、待望の第3作⽬『WORKS3 〜from "SORA""mindscape<<5"』(『WORKS3』)が加わった。 名曲が世に放たれてから⼗数年たった今、楽曲の制作秘話や作品への思い、安藤ヨシヒロ⾃⾝の”今”について語ってもらった。 ――『WORKS2』から約5年ぶりとなる新刊『WORKS3』が発売となりました。楽譜集『SORA』から収載された3曲(「サクラ」「天上の光」「祈り」)は新たに02シリーズ対応のレジストを制作されたそうですが、改めてご⾃分の楽曲と向き合ってみていかがでしたか?  曲は⼗数年前に作ったものなのですが、今回収載するにあたって、新鮮な気持ちで取り組めました。どうしたら02できれいに⾳が鳴るだろうか試⾏錯誤しながら制作しましたね。⾳⾊を変えたことで曲の雰囲気に違和感が⽣まれたり、「前の⽅がよかった!」となったりしないよう、進化させたいという気持ちで作りました。 15年前も、01でどんな⾵に⾳を鳴らすかを⼀⽣懸命考えながら編曲したのを思い出しました(笑)。 楽譜集『SORA』 ――『SORA』は安藤さんの初メジャーアルバムですが、それまでとは違う挑戦があったのでしょうか。  『SORA』は全体を通してストリングスとピアノ中⼼のサウンドにすると決めて作ったアルバムでした。そんな⾵にコンセプトを決めてアルバムを制作するのははじめてだったんです。それ以前に作ったアルバム『mindscape』シリーズは、好きに作った曲をキュッとまとめる形だったため、『SORA』の制作⼿法は慣れないものでした。弦楽器をフルで収録したのもはじめてで、ああでもないこうでもないとたくさん悩みながら楽譜を書きましたね。エレクトーンはほかの楽器と異なり、演奏しているとさまざまな楽器の⾳⾊に触れます。そうするとひとつの楽器だけじゃなくて、いろいろな⾊のパレットが⾃分の中に⾃然と増えていきます。『mindscape』ではそのパレットから好きな⾊を選んで曲を作って……ということをしてきました。でも『SORA』はコンセプトを決めたことで、⾳⾊的な制約があったのです。その点も、それまでと⼤きく違うところでした。 ――そのようにコンセプトを決めて制作されたのはなぜだったのでしょうか?  いろいろな⾳⾊を使えると、カラフルにはなるのですが、演奏している⼈が⾒えづらくなってしまいます。エレクトーンを知らない⼈が聴いたら、「安藤ヨシヒロ」が何をしているのか、どんな⼈物なのかが⾒えない。だから鍵盤楽器はピアノと決めて、それを「僕」が演奏、プラス弦楽器の⼈がいる。つまり、「⼈がちゃんと⾒える」ように意識しました。制約があったからこそ実現できたと思っています。その制約の中でも「⾃分らしさ」を出したかったので、プロデューサーをはじめいろんな⽅と相談しました。 ――『SORA』の制作には多くの⽅が関わっていたのですね。  最初のアルバムは全部ひとりで作っていました。⾃宅のシンセやエレクトーンで作曲して、それをスタジオに持って⾏ってひとりで編集作業をして。でもエレクトーンプレイヤーとして活動していく中でたくさんのミュージシャンに出会って、楽曲制作に少しずつ参加していただけるようになりました。『mindscape<<5』はもっとも多くの⽅に携わってもらった、僕の活動の中での集⼤成のようなアルバムです。⾃分たちでできることは全部やって、参加して頂いたミュージシャンの⽅たちと全員で作り上げました。スタジオでは⾃分たちでマイクスタンドを⽴てたりして、練習して、レコーディングして……楽しかったですね。今でも作れてよかったなと思う作品です。 楽譜集『mindscape<<5』 ――その『mindscape<<5』から、はじめて「FLY HIGH」が収載されますね。  はい。「FLY HIGH」には「Symphonic ver.」もありますが、元々はこのバージョンが先に出来上がっていたのです。今回収載したノリがいいバージョンは後からできたのですが、バージョン名をなんとつけたらいいかわからなくて(笑)。結局、「バージョン名はつけなくていいよなぁ」ということで今の形になりました。 ――逆だったのですね……! ポップなものを作ってからその後にオケバージョンを制作 するのが⼀般的な⽅法だと思っていました。  そうなんです。先に、とは⾔っても同時期に作っていたもので、「FLY HIGH(Symphonicver.)」はジュニアエレクトーンフェスティバルのテーマ曲として、ノリがいい「FLY HIGH」はエレクトーンステージのテーマ曲として作りました。「FLY HIGH」は直訳すると「⾼く⾶ぶ」ですが、「⼤志を抱く」という意味も持つ、とても前向きな⾔葉です。出演者の後押しをしてくれて元気になれるような、⼒のある曲にしたいと思って作曲しました。  実はどちらの曲もループできるようになっているんです。どんどん転調して、最後まで⾏ったら冒頭と同じ調になって戻る、ループできる構造になっています。そういう⾵に、曲の⾏き先を考えながら作っていました。 ――本当ですね!...

商店街とともに発展した盆踊り・白鳥おどり〈前編〉(岐阜県郡上市白鳥町)【それでも祭りは続く】

商店街とともに発展した盆踊り・白鳥おどり〈前編〉(岐阜県郡上市白鳥町)【それでも祭りは続く】

日本には数え切れないほど多くの祭り、民俗芸能が存在する。しかし、さまざまな要因から、その存続がいま危ぶまれている。生活様式の変化、少子高齢化、娯楽の多様化、近年ではコロナ禍も祭りの継承に大きな打撃を与えた。不可逆ともいえるこの衰退の流れの中で、ある祭りは歴史に幕を下ろし、ある祭りは継続の道を模索し、またある祭りはこの機に数十年ぶりの復活を遂げた。 なぜ人々はそれでも祭りを必要とするのか。祭りのある場に出向き、土地の歴史を紐解き、地域の人々の声に耳を傾けることで、祭りの意味を明らかにしたいと思った。 朝4時まで徹夜で踊る盆踊り    2010年代のはじめ頃、盆踊りにハマった。それから全国各地の盆踊りに足を運ぶようになり、いつしか盆踊りに限らず、祭りや民俗行事全般に興味を持つようになった。そういう意味で、盆踊りこそが自分の祭り人生の原点と言えるのかもしれない。思い入れの深い盆踊りを尋ねられれば、いくつか思い浮かぶものがある。なかでも岐阜県郡上市白鳥(しろとり)町の盆踊り「白鳥おどり」は、私にとって特別な存在だ。7月から9月にかけて約20夜にわたり開催され、特にお盆の13〜15日は朝4時まで徹夜で踊り通すという、ぶっ飛んだ盆踊りである。 白鳥おどりの踊り屋台 写真:渡辺 葉 ハイテンションで踊る若者たち 写真:渡辺 葉 小さな子どもたちも踊りに熱狂 写真:渡辺 葉    私が初めて白鳥おどりを体験したのは2014年のことだ。現地に到着したのは深夜0時。大雨の中、エネルギッシュに踊る人々の姿を見た時の衝撃は忘れられない。以来、毎年参加するようになり、あまりにのめり込んで、関連するレコードや資料を収集したり、東京で白鳥おどりに関する体験イベントを開催したり、現地の関係者に取材をして記事を作ったりもした。挙げ句の果てには踊るに飽き足らず、白鳥おどりのお囃子を練習する会まで仲間たちと作ってしまった。 筆者が初めて白鳥おどりに参加した時の写真。深夜0時、土砂降りの雨の中、大勢の人が明け方まで踊っていた(2014)    そんな、私の偏愛する白鳥おどりも継承問題とは無縁ではない。特に近年、大きな問題となっているのが、祭りを支えてきた商店街の衰退だ。町の中心地となる越美南線「美濃白鳥駅」周辺には多くの商店が軒を並べる。この商店主たちが長らく白鳥おどりの運営を担ってきたが、お店の廃業、それに伴う発展会(商店街の組織、白鳥町の商店街は複数の発展会で構成されている)の解散、店主たちの高齢化によって、商店街が運営から離脱しつつあるという。 昼間でも静かな美濃白鳥駅前の商店街    長年白鳥おどりを見つめてきた地元の方々は、その最盛期を昭和50〜60年頃だと証言する。踊りの輪が何重にも形成され、町を人が埋め尽くした。もちろん商店にもずっと活気があった。いまも勢いのある祭りではあるが、昭和末期の最盛期と思しき写真を見ると、明らかに近年の踊り子の数は当時と比べ減少している。それはなぜか。 1985(昭和60)年の徹夜おどりの様子 出典:白鳥踊り保存会五十年史    歴史をたどっていくと、白鳥おどり隆盛の背景には、戦後の好景気によって力を増した町の商店街の存在があったことが見えてくる。そこでこの記事では、白鳥町の商店街繁栄の歴史を補助線としながら、白鳥おどりがいかに誕生し、発展していったのか、その経緯を明らかにしてみたいと思う。 白山信仰の拠点として発展してきた白鳥町    岐阜県中部、福井県の県境に接する白鳥町は、古くから白山信仰の拠点として栄えてきた。白山信仰とは、石川県、福井県、岐阜県の3県にまたがる標高2,702mの白山を崇拝の対象とする山岳信仰である。奈良時代に泰澄(たいちょう)という僧が白山に登り、山頂に奥宮を祀ったことで、白山信仰は修験道として体系化され、山伏たちの布教によって全国に広まった。    白山信仰が普及すると、「白山まいり」をする人々の道が整備されていく。白山に至る道は石川、福井、岐阜と三方から開かれていき、奥美濃から白山方面への道筋に位置する白鳥周辺も「美濃馬場(ばんば)」(馬場とは信者が修行する場所)としてにぎわいを見せることになった。 白山信仰の美濃方面における聖地の一つ、白山中居神社(白鳥町石徹白)。かつて信者たちはこの神社にお参りしてから、白山へと向かった    そんな白鳥も、明治から大正初期までは長良川の支流・上保川(かみのほがわ)沿いに点在する集落の一つに過ぎなかったという。しかし、越前街道・飛騨街道が交差する交通の要所でもあったことも起因し、次第に商業の中心地として発展を遂げていくことになった。    木材・繭・生糸・家畜などの農林産物を始め、食料その他の消費財の集散・通過の地点として周辺地域に広範な販路を持ち、周辺農家を中心とする消費需要の伸長と、交通機関の発達に伴って、次第に商取引の規模も大きくなってきた。 (白鳥町教育委員会 編『白鳥町史 下巻』より)    1909(明治42)年には白鳥に「商業組合」(『白鳥町史』では「商業会」)が結成され、現代に連なる近代的な商店街の原型がこの時期に出来上がったと見える。 明治中頃の本町通り 出典:写真に残った白鳥 我がふるさと    1928(昭和3)年、町制施行により上保町から白鳥町に改称。1933(昭和8)年には、町内に国鉄越美南線の「美濃白鳥駅」が開業した。駅前通りが新設された頃から店舗数が増加。1935(昭和10)年頃には、白鳥町の商家戸数は168戸(全戸数の16.8%)、商店人口は802名(18.0%)となった。この時代、白鳥町内には芸者を抱えた料理店まであったようで「夕方になると首を真白くした女衆が、白鳥稲荷神社へお詣りをしてにぎわった」という古老の証言が『白鳥町商工会二十年のあゆみ...

民族音楽だけじゃない! 心安らぐ癒しの音色『カリンバ』の魅力に迫る

民族音楽だけじゃない! 心安らぐ癒しの音色『カリンバ』の魅力に迫る

  (本記事は、2022年5月に執筆した記事を再掲載しています。) 「カリンバ」という楽器を聞いたことがありますか? 人気ゲーム『あつまれどうぶつの森』にも登場して注目されるなど、おうち時間が増えた今、静かなブームを巻き起こしています。「癒される」とハマる人が続出のこのカリンバ、一体どんな楽器なのでしょうか。 木製の箱の上に並んだ金属の棒を、指で軽やかにはじいて演奏する楽器、カリンバ。楽器名を知らなくても、その音色を聴けば、「オルゴール?」「デパートや歯医者さんのBGMでよく聴く、インストゥルメンタル音楽みたい」と思う人もいるかもしれません。アフリカの伝統的な民族楽器で、親指ではじいて演奏することから“親指ピアノ”と呼ばれたり、その柔らかな音色から“ハンドオルゴール”と呼ばれることも。聴けば誰もが心が落ち着き、“癒される”と感じることでしょう。長引くコロナ禍でおうち時間が増え、現在爆発的に売り上げを伸ばしているというこのカリンバ。楽器店やネット通販などでも気軽に購入することができ、3〜4千円と価格も手頃。指ではじくだけで、誰でも簡単に演奏できることもあり、「気軽に始められる」と人気が高まっています。20年以上前に楽器店で働いていた筆者は、民族楽器が好きで、このカリンバをはじめ、インドの弦楽器「シタール」や、ペルーの縦笛「ケーナ」、木で出来た棒状の本体を上下に振ると、雨が振っているような音がする「レインスティック」など、さまざまな民族楽器を取り扱ってきました。中でも価格の手頃なカリンバは、結婚式や忘年会の余興で演奏するために購入する人も多く、プレゼント用としても人気がありました。当時、このカリンバで演奏する曲目といえば、民族音楽のほかには童謡などのやさしい曲が中心でしたが、YouTubeで検索すると、クラシックの名曲から映画音楽、最新のヒット曲やオリジナル曲まで、世界中のさまざまなカリンバ動画を見ることができます。​​​​​​​ 民族音楽だけではない、カリンバの可能性   人気ゲーム『あつまれどうぶつの森』にもアイテムとして登場していることもきっかけとなり、この数年でカリンバの知名度はずいぶん上がりました。カリンバブームの牽引役ともいえる“カリンバYouTuber”のMisaさんは、YOASOBIの『夜に駆ける』や、人気ボカロ曲『千本桜』、『となりのトトロ』『魔女の宅急便』などのジブリ映画音楽など、流行曲やヒットソングをカリンバで軽やかに演奏し、コンスタントに動画をアップ。民族音楽だけではないカリンバの可能性を追求し、その音色の美しさや気軽に奏でられる楽しさを広め、注目を集めています。     そもそも、Misaさんはどのようにしてカリンバを知ったのでしょうか。「きっかけは、通勤電車の中で見ていたYouTubeでした。もともとYouTubeを見るのが好きで、ポップスや洋楽など、いろいろな音楽動画をチェックしていたのですが、ある日突然おすすめに出てきたのが、『OCEANS』という海をバックにカリンバを弾いている海外の動画でした。サムネイルにカリンバが映っていたのですが、最初はそれが楽器ということもわからず、『何だろうこれ?』と、何気なくクリックしてみたんです」(Misaさん)ほんの好奇心から観てみたカリンバ動画。「とても癒される美しい音色に、驚いたと同時に感動しました」というMisaさんは、直感でこの楽器の可能性を感じ、その日のうちにネットで注文。翌日に到着し、自分でも「YouTubeで発信することを決意した」といいます。Misaさんにこれまでの音楽遍歴を尋ねたところ、原点となっているのは子どもの頃に始めたピアノで、中高時代に熱中していた吹奏楽部での経験も、現在に大いに生きているそうです。「幼稚園の頃からピアノを始め、中2くらいまでやっていました。中高は吹奏楽部でオーボエを担当し、中学時代はマーチングの全国大会にも出場するなど、かなり熱心に取り組んでいました」(Misaさん)大人になってからは、ピアノやオーボエを演奏する機会はめっきり減ってしまいましたが、音楽が好きなことに変わりはなく、Misaさんの周りは常に音楽であふれていました。そんな時に出会ったのがカリンバだったのです。「カリンバは、自分で弾いていてもその音色に癒されますし、アレンジを考えるのもわくわくします。オーボエも好きですが、音量を考えると家で吹くのをためらってしまいますし、オーケストラや吹奏楽団などに所属しないと難しいですが、カリンバは音量を気にすることもなく、1人で気軽に楽しめるのも魅力ですね。軽くてどこにでも持ち運びができるので、旅先に持って行ってきれいな景色をみつけると、そこで演奏して動画を撮ることもあります。風景とのマッチングを考えるのも楽しいですね」(Misaさん)     YouTubeでは、定期的に動画をアップすることが重要ですが、継続することの大切さは、部活動からも学んだといいます。「中高の部活動で、音楽の楽しさや、毎日コツコツ努力することの大切さを学びました。その時の経験が、日々の動画制作にも生きているなあと、つくづく感じます」(Misaさん)「カリンバが気になるけれど、何から初めていいのかわからない」という人もいると思いますが、現在はさまざまな楽譜集が出版されています。Misaさんも、これまでに初心者向けの教則本や楽譜集を数冊出版していますが、今回新たに出版された『豪華アレンジで楽しむ Misaカリンバセレクション』(ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)は、どのような点にこだわったのでしょうか。「これまでの教則本や楽譜集は、初心者や中級者向けにどんどんステップアップしていく構成で、楽譜も意識して初心者や中級者向けに作っていましたが、今回は完全に私の動画でアップしているアレンジを採用しています。けっこう難しい部分もあると思うんですけど、自分が今できる限りのアレンジを詰め込んだので、ぜひお楽しみいただけるとうれしいです」(Misaさん)カリンバといえば、民族音楽や童謡などを奏でることが主流だった時代を知っているだけに、日本から遠く離れたアフリカの民族楽器でJ-POPやボカロ曲など自由に演奏し、大勢の人たちとYouTubeで楽しさを共有しながらコメント欄で盛り上がることができる現在は、すごい時代になったものだなあ……と、しみじみ感じます。昔はこのような楽しみ方はなく、SNSや動画サイトが当たり前となった、現代ならではといえるでしょう。まだまだ続きそうなおうち時間。年齢問わず気軽にチャレンジできるカリンバで、さらに充実させてみませんか?   <PROFILE> Misa 2019年11月にカリンバに出会いYouTubeに演奏動画を投稿スタート。オルゴールのような癒しの音色のカリンバで演奏する動画が人気急上昇。YouTubeの総再生回数は2200万回。チャンネル登録者は13万人を超える。(2022年5月現在) 各メディアに演奏動画が取り上げられるなど、活動の幅を広げている。 Official Web Site:https://misa-kalimbamusic.com/topYouTube:https://www.youtube.com/channel/UCXxhNwJYn9qcEaevTQebmCwX(旧Twitter):https://x.com/misa_kalimbaInstagram:https://www.instagram.com/misa_kalimba/   Text:梅津有希子   本記事で紹介した楽譜   豪華アレンジで楽しむ Misaカリンバセレクション (発行:ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)...

「好き」が「才能」を飛躍させる子どもの伸ばし方 ~ピアニストで人気YouTuberで東大卒……角野隼斗のマルチな才能はいかにして育まれたか?~

「好き」が「才能」を飛躍させる子どもの伸ばし方 ~ピアニストで人気YouTuberで東大卒……角野隼斗のマルチな才能はいかにして育まれたか?~

  (本記事は、2020年11月に執筆した記事を再掲載しています。) 今、話題のピアニスト角野隼斗の母であり、コンクール入賞者を数多く輩出してきたピアノ指導者・角野美智子が、書籍『「好き」が「才能」を飛躍させる子どもの伸ばし方』を上梓した。本インタビューは、音楽ライターであり、大学で教鞭を執る小室敬幸氏が、その“「原石を磨く」子育て論 ”を最も間近で受けてきた隼斗氏に迫った。  かつては「クラシック音楽の演奏家は技術に長けていても、楽譜がなければ何も弾けない」なんて、嫌味を言われることもあったが、そんな状況も徐々に変わりつつある。近年、若手ピアニストたちを筆頭に自ら作曲・編曲をしたレパートリーを披露することも珍しくなくなったからだ。そもそも20世紀前半まで、偉大なピアニストの多くは作曲家でもあったことを思えば、なんら不思議なことではない。むしろ、聴衆をあっと言わせるエンターテイメント性と、心に深く語りかける芸術性を両立できるコンポーザー=ピアニストこそが、クラシック音楽の未来を切り開く存在となり得るはずなのだ。 そうした期待のかかる新世代ピアニストの筆頭格が角野隼斗(すみの・はやと)である。国内外のコンクールで優勝・上位入賞を重ねてきた実力派であると同時に、2020年11月現在でチャンネル登録数55万人を誇る人気YouTuber “Cateen(かてぃん)”として、それまでクラシック音楽に興味のない人々からも熱狂的に支持されている。それでいて東京大学・大学院を修了したインテリジェンスな経歴も持つのだから驚くほかない。この才人は、どのような環境で育ったのか? その謎を解くヒントとなる書籍が11月28日に発売となった。書名は『「好き」が「才能」を飛躍させる子どもの伸ばし方』、著者は角野隼斗の母・美智子だ。ピティナ(一般社団法人全日本ピアノ指導者協会)の指導者賞を連続20回受賞するなど、ベテランのピアノ指導者として知られている角野美智子は、なんと隼斗だけでなく現役の芸大生である妹の未来(みらい)も優れたピアニストへと導いている。 さぞやスパルタ英才教育だったのかと思いきや、そうでもないらしい。書名からも伝わる通り、子ども一人ひとりの「好き」を大切にする指導は、ピアノや音楽だけに留まらず、21世紀に相応しい子育て論にもなっていて、実に興味深い。今回は著者ご本人ではなく、息子・隼斗の目線から母・角野美智子の教育について語ってもらった。     ――まずは率直に、お母様が書かれた原稿を読んでみていかがでしたか? 僕は普段から「好奇心が原動力であることが、一番大事だ」と考えたり、たびたび言ってきたりしたんですけれど、読んでみると同じことが書いてあって、母の受け売りじゃんと(笑)。それで初めて、教育だったんだなと気付きました。そういえば、そうだったなと思い出したというか。――子育て論や音楽教育論であると同時に、隼斗さんと未来さんの半生を綴った内容でしたもんね。 エピソードは盛られていませんでしたよ(笑)。――教育を受けたご当人が読まれても、ありのままの内容だと(笑)。プロを目指すようなピアノのレッスンというと、未だに昭和的な「スポ根」イメージというか、スパルタでビシバシやるもんだと思われている方がいるかもしれないですけど、角野家の教育方針は真逆ですよね。とにかく、子ども自身の意思を尊重する。そして結果を出すことばかりにこだわらない。 そういうことをちゃんとアピールしてくれたのは僕も嬉しくて。実際、厳しく「こうやりなさいっ!」っていうスパルタ教育を受けたわけではないですから。あくまでも楽しんだ先に、たまたま現在のような結果がついてきたんです。教育熱心な方ほど具体的なノウハウを求めがちかもしれませんが、大事なのはマインド。この本もノウハウを書いているんじゃなくて、マインドを示しているんだと思います。――具体的な方法論ではなく、意識の持ち方・考え方が大事だということですよね。ピアノの指導者としてではなく、母としての美智子さんはどんなママだったんですか? 千葉が地元なんですけど、小学校の頃はやんちゃで不真面目で、先生にも呼び出されてましたし、母にもよく怒られてました。今から思えば心配してくれていたんだと思います。でも中学受験をして、開成(中学校・高等学校)に入ってからは何をしても……ってそんなに悪いことをしたわけじゃないけど(笑)、帰りが遅くても勉強しなくても、怒られたり、何か言われたりはしなかったですね。――一方、お母様は本のなかで『中学生になって、子どもたちだけでゲームセンターに出入りするようなことも、まったく気にならなかったと言えば嘘になりますが、隼斗が熱中していたのは音ゲーでしたので、これもまた「音楽に関係があるなら、いいか」とおおらかに見ていました』と正直に書かれていらっしゃいますね(笑)。放任するのではなく、親として心配はする。でも強制や束縛まではしない。言うは易しですけど、親としてはさじ加減が難しいところです……。 母は教えている時に、子どもが楽しそうかそうじゃないかが敏感に分かるみたいなんです。だから無理矢理やらされて、あんまり笑顔がないままというのは、母としても苦しい。とはいえコンクールで良い成績を取るために目指す過程は、成長するためにすごく重要で。なおかつ重要と言いながらも、それが全てにならないよう気を使ってるように見えますね。発表会とかでも、そんなことをスピーチでいつも言っています。 だから「好き」を大事にするというのは、放任しているだけでもなくて、興味がある部分や得意な部分をどうやってブーストしてあげるのかってことだと思うんです。コンクールも結果を出すことにこだわるんじゃなくて、ブーストするために良い成績を目指す。親もピアノの先生も、そのための潤滑油になるというか。     ――結果にこだわってしまうと入賞できなかった時、努力した分だけかえって精神的にこたえますしね……。本に書かれていた、妹・未来さんが小学校5年生の時にコンクールで思うような結果が出なかったことが続き、進学校を目指して中学受験をしたいと言い出したというエピソードは非常に印象的でした。 僕からすると妹は対照的な存在ですね。小さい頃の僕は、本は全く読まない完全に理系でとにかく数字が大好き。それに対して未来は本が大好きで、逆に算数・数学があまり好きではなかった。そして、音楽家としてやっていくために表に積極的に出ていかないといけないと僕が思っているのに対して、妹は自分からあんまり何かを言い出したりはしないんです。――おふたりのTwitterのアカウントを比べると、割となんでもつぶやかれる隼斗さんと、自分の出演情報が中心の未来さんってな感じで、その性格の違いがはっきり出ていますね(笑)。 でも、意思はすごく強くあるんですよ! そういう根本部分は僕も未来も一緒なのかもしれない。妹の意思が強いなと特に感じたのは中学と高校受験を決めた時で、僕も中学受験をしましたけど、そこに強い意思はなかったですから。――本のなかで書かれていたように、小学校の授業が退屈になってしまった隼斗さんに、好奇心を育める環境として塾に行ってみないかとお母様が勧められたんですよね。中学受験をするために塾に通いだしたわけではなかった。 そうなんです。東大に行くときも迷いましたけど、それは開成にいれば普通の道ですから。でも妹は中学受験で進学校を、高校受験で芸高(東京芸術大学附属音楽高等学校)を受けていて、自分がその時いる環境とは敢えて違う選択をするっていうのを、人生で2回もやっている。強い意思がないと出来ないなと。――兄妹でこんなに対照的な受験だったんですね……。でも、ちゃんとどちらの受験勉強も乗り越えられたのは、ただ塾に通わせたり、家で勉強しなさいって言ったりするだけでなく、お父様が朝一緒に勉強に付き合ってくれていたことも大きかったそうですね。 いま思うと本当にすごいなって思うんですよね……。だって毎朝6時に起きるのは僕もつらかったけど、平日毎日遅くまで仕事している父さんの方がもっとつらいじゃないですか。そんな中で朝の1時間、その勉強に付き合ってくれたのは本当にありがたかったなと思っています。 そもそも、もっと小さかった頃からパズルゲームや数学の問題をだしてくれていたので、算数まわりの興味に関しては母だけじゃなく、父のお陰でもありますね。ちょっとした待ち時間に魔方陣の問題を出してくれたりして楽しませてくれましたし。――なんかお話を伺っていくと、家族であり、チームでもあるように思えてきます! 何かプロジェクトを遂行する上で、当人に丸投げされるのではなく、力が発揮できるようチーム一丸となって出来る範囲の協力を惜しみません。 この本は子育て論ということにはなっていますけど、学生とかが読んでもきっと面白いんじゃないかなと思うんです。要は、この本の中における僕の視点で読めば、どういうふうにに考えてどう生きるのか、みたいなところにも通じてくるから。さっきも言ったように、僕は常日頃から「好奇心が原動力であることが、一番大事だ」と思っていて、それは何のどんなジャンルにおいても変わらないんです。     ――ピアニストとしても、YouTuberとしても、東大の大学院で研究をしていた時も、変わらないと! 自分が興味あるかもしれないと思ったことを、どんどん突き詰めていくからこそ、どんどん知らない世界が広がっていってもっと楽しくなる。そこに楽しみを見いだせるようになることこそが、人生を豊かにするために大事なことだと思うので、そういう意味では今後の進路を迷ってる方とか、学生に限らず社会人にとっても、子育てに関係ない目線で読んでも面白いんじゃないかなとは思いますね。――確かに、会社のなかで部下との関係に悩む上司にとっては、どうやったらお互いにとって無理なく、良い仕事が出来るのか?を考えるヒントにもなりそうです。これからの時代に相応しい、根性論とは正反対に位置するこうした考え方へシフトチェンジしていくためには、各々が「誰かの正解」を目指すのではなく、ひとりひとりが「自分の正解」を見つけられるようになる必要があるようにも思えます。 そうですね。やっぱり自信のなさとか、コンプレックスからくるものだと思うんですよ。だから具体的な結果とか、分かりやすく周りから認められる何かに、すがりつこうとしてしまうんじゃないんでしょうか。本来、それは何のためにやっていたかって考えてみれば、ピアノだったら音楽を楽しむ“ため”に始めたわけですよね。でも結果に固執してしまい始めると、何の“ため”だったのか分からなくなってしまう。それはすごくもったいない。 結果って相対的なものだから、コンクールで一位になる経験を全員がするのは不可能なわけじゃないですか。全員が一位になったら、今度は一位の意味がなくなってしまいますし。――都市伝説的に語られた「運動会の徒競走で、全員手を繋いで、並列でゴールする」なんて例と一緒ですもんね。 だからこそ、子どもに頑張れば良い結果が取れるよって言うのも、それはそれで無責任な話だと思っているんです。でも、結果を求めるために起こした行動の中で、自分が何を学んだか? どんな新しい世界を知れたか?っていう、自分の中で変化が起きていれば、それはすごく意味のあることになると思います。それを楽しめるようになってもらいたい。 そのためには、もうひとつ、何が自分の信念で、何がそうではないかっていう意識を持つことも大事ですね。それを貫き通さないと、SNS上の誹謗中傷とか悪口に振り回されてしまうし、ころころと方向性がぶれてしまうと、誰から見ても何をやってるのかが分からなくなってしまいますから。――まさに、それを背中で示してくれていたのがご両親であったわけですよね。この本にお母様が込められたであろう思いと重なってきます。 自分の考え方や興味の方向とかもそうだし、自分のマインドとか考え方みたいなところも学んでいたんだってことを本を読んで改めて気付かされましたし、親の偉大さ、大きさみたいなことを強く感じることが出来ました。――ご本人があとから気付くっていうのは、理想の教育かもしれませんよね。無理強いされることなく導かれていき、辿り着いた先が自分自身にとって幸せで、素直に感謝できる。理想的な親子関係だなって思ってしまいました。是非、色んな方に『「好き」が「才能」を飛躍させる子どもの伸ばし方』を読んでいただきたいですね!   (インタビュアー小室敬幸氏と)​​​​​​​   Interview&Text:小室敬幸Photo:神保未来   本記事で紹介した書籍 「好き」が「才能」を飛躍させる 子どもの伸ばし方 (発行:ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス) 角野美智子 著発売日:2020年11月28日仕様:四六判縦/168ページ定価:1,760円(税込)ISBN:9784636965551 購入はこちら...