
《未完成》はシューベルトだけじゃない!未完作品の楽譜事情 ~ベートーヴェンの交響曲第10番を補筆する!?【演奏しない人のための楽譜入門#17】
「ベートーヴェンの交響曲第10番」――といえば、19世紀の名指揮者ハンス・フォン・ビューローがブラームスの交響曲第1番をベートーヴェンになぞらえて賛辞を贈った言葉として知られています。ところが20世紀の後半になってから、ベートーヴェンが遺したスケッチをもとに《交響曲第10番 変ホ長調》を完成させてしまった猛者があらわれました。今回は、こうした作曲家が生前に完成することのなかった作品に関する楽譜をご紹介してまいりたいと思います。 ベートーヴェンの交響曲第10番は、本当にブラームスっぽい!? ベートーヴェン(1770~1827)の交響曲第10番を完成させたのは、イギリス人のバリー・クーパー(1949~ )という人物です。バロック時代の英国で作曲された鍵盤楽器のための音楽を研究して博士号を取得した音楽学者でありながら、ベートーヴェン研究にも従事。彼自身が作曲家としての顔も持っていることから、このプロジェクトを遂行することにしたのでしょう。 もちろん、残されたスケッチをもとにして無闇矢鱈に作曲したわけではなく、信頼に値する人物として知られるヴァイオリニストのカール・ホルツ(晩年のベートーヴェンの秘書も務めた)が、ベートーヴェンがピアノで演奏する交響曲第10番を聴いたという具体的な証言などをもとに、スケッチを推定。書き残された指示をきちんと反映しながら、第1楽章だけが1988年に復元(?)され、まずはウィン・モリス指揮のロンドン交響楽団によって録音されました。 この音源は各種ストリーミングサービスで配信もされているのですが、実はオススメできません。というのも、序奏のアンダンテを2倍にしたテンポで、主部のアレグロは演奏すべきと考えたクーパーはそのように楽譜にメトロノーム記号を書き入れていたのですが、これは明らかに遅すぎるのです。クーパーの指示に従ったモリスが20分で演奏しているのに対して、後の録音では14~15分ほどで演奏されています。現在、楽譜はウニフェルザル社から新たな改訂を施したバージョンが2013年に出版されているのですが、クーパー自身の判断でアレグロのメトロノーム記号は、もう少し早いテンポに修正されました。 オススメしたい録音は、ダグラス・ボストック指揮のチェコ室内フィルハーモニー管弦楽団によるもので、かなりベートーヴェンらしい雰囲気を堪能することが出来ます。一方、比較対象として面白いのがクリストフ・ケーニヒ指揮のソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクによるもので、少し重量感が加わることで、まるでブラームスの交響曲第1番のようにも聴こえてくるのです。日常的にオーケストラで演奏されるレパートリーにはなり得ないと思いますが、妄想しながら聴くには充分楽しめる作品といえます。 シューベルトの未完成は、1曲じゃない!? 未完成作品で最も知られたものといえば、やはりシューベルト(1797~1828)の交響曲第7番 ロ短調――通称《未完成》でしょう。通常はシューベルト自身が完成させた第1~2楽章だけで演奏されていますが、本来書かれるべきであるはずの第3~4楽章も演奏できるようにしようと考えた例が、これまでにも数多く存在しています。 第3楽章については、シューベルトが残した30小節分の楽譜があるのでそれをもとに補筆(残りの部分をシューベルトのスタイルに沿って、想像で補填)し、全く作曲された形跡のない第4楽章については、《未完成》の翌年に書かれた劇音楽《キプロスの女王ロザムンデ》D 797のなかの1曲、同じロ短調の調性による〈間奏曲第1番〉を転用するというやり方が主流です。こうした楽譜は演奏者自身が手掛けることも多いため、未出版だったりもするのですが、第3楽章だけに関しては指揮者フローラン・オラールが補筆したバージョンがシコルスキ社から出版されています。 なおシューベルトは、他にも未完成作品が多いことで知られており、他にも補筆の試みがなされています。交響曲では、ニ長調のD 936 Aという作品も様々な人により補筆の試みがなされていますが、そのうちで最も変わっているのがイタリアの現代音楽の作曲家ルチアーノ・ベリオ(1925~2003)による補筆です。 何が特殊かといえば、元の部分と馴染むように修復するのではなく、陶器の金継ぎのように新しく書き加えた部分の異質さを味わうという、かなり独特なやり方をしているのです。ベリオはこの作品に《レンダリング》(日本語に訳せば「演出」「解釈」「翻訳」「完成予想図」という意味)と名付け、ウニフェルザル社から出版されました。この楽譜には、シューベルトのスケッチも併記されているので、ベリオが何を書き足したのかが一目瞭然で分かるようにもなっています(ちなみに、他にもベリオはプッチーニの歌劇《トゥーランドット》で独自の補筆版を作成しています)。 ▲ルチアーノ・ベリオ: レンダリング 第3巻(英語,独語)/Wimmer & Schmidinger編 ――未完成作品を補筆した「成功作」と「今後の期待作」 ...