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ラヴェルとドビュッシー【指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】

ラヴェルとドビュッシー【指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】

ある時は指揮者、またある時は作曲家、そしてまたある時はピアニスト……その素顔は世界平和と人類愛を追求する大阪のオバチャン。ヨーロッパを拠点に年間10ヵ国以上をかけ巡る指揮者・阿部加奈子が出会った人、食べ物、自然、音楽etc.を通じて、目まぐるしく移りゆく世界の行く末を見つめます。 日本でオール・フレンチプログラム! 皆さん、こんにちは。 5月は東京女子管弦楽団第6回定期演奏会と武満徹作曲賞本選会の指揮があったため、日本に来ていました。ハーグはまだ涼しかったのですが、日本は早くも夏を思わせるような暑さの日がありますね。 東京女子管弦楽団の公演はオッフェンバック《天国と地獄》、ラヴェル《ボレロ》、ベルリオーズ《幻想交響曲》という傑作ぞろいのオール・フレンチプログラム。意外にも日本ではフランスものを演奏する機会が少ない私にとって、大変意欲をかきたてられるプログラムでした。今回がはじめての共演となる東京女子管弦楽団の皆さんもすばらしく、3日間のリハーサルの間にどんどん音楽を進化させ、本番は熱演を披露してくださいました。 5月15日に行われた東京女子管弦楽団第6回定期公演の様子。(写真提供:東京女子管弦楽団、撮影:松尾淳一郎) アンコールで演奏したバレエ《くるみ割り人形》より「花のワルツ」 今年はラヴェルの記念年 今年はラヴェルの生誕150周年の記念年なんですよね。たくさんの名作を遺したラヴェルですが、なかでも特に《ボレロ》は数十秒に一度、世界のどこかで演奏されているというくらい、いまなお広く愛されています。私が近現代のフランス音楽を好きになったのも、小学生の頃に父が聴かせてくれた《亡き王女のためのパヴァーヌ》がきっかけでした。子どもの頃の私にとって、ラヴェルの音楽はまるで精巧に作られた機械仕掛けのようで、「いったいどうやったらこんな風に書けるんだろう?」と不思議に思っていたものです。分解して一つ一つの部品を眺めながら、「そうか、こういう風になってるのか」と調べたくなる気持ちにかられる、というような。ラヴェルのお父さんはエンジニアだったので、彼の理数系的な思考回路はお父さんから受け継いだものなのかもしれません。一方、ラヴェルのお母さんはスペインとの国境にほど近いバスク地方の出身で、ラヴェルも母親を通じてバスクの文化に強く影響を受けていたといいます。 ラヴェル(Maurice Ravel, 1875~1937) ちょうど昨年の3月、ラヴェルの生誕地であるバスク地方のシブールという港町でバスク交響楽団を指揮する機会がありました。実は私もラヴェルと同じ3月生まれで、演奏会の最後にはサプライズでバースデーソングの演奏をプレゼントしてもらった素敵な思い出があります。会場はシブールの小さな教会でしたが、ほかの地方では見られないような木造のすごく美しい建物でした。バスクの文化って、同じヨーロッパの中でも何かが根本的に違うんですよね。ラヴェルは生後3か月でパリに移ってしまったのでバスクで育ったというわけではないんですが、母親のことを大変慕っていたためバスク文化にも特別な愛着を持っていたようです。 2024年3月、シブールの教会で行われたバスク交響楽団の演奏会の模様 シブールの教会の正面図。装飾が美しかった。 バスクの人たちにとってもラヴェルは特別な存在です。バスク交響楽団が本拠地にしている音楽院は、彼の名を冠して「モーリス・ラヴェル音楽院」といいます。今年4月に私が音楽監督を務めているアンサンブル・オロチのトルコツアーがあったのですが、そこで演奏した《展覧会の絵》は、パリ音楽院時代からの友人で、バスク出身・現在ラヴェル音楽院の作曲科教授をしているジョエル・メラ(Joël Merah, 1969-)君が編曲した作品でした(ちなみに、彼は2003年の武満徹作曲賞第1位受賞者でもあります)。ムソルグスキーの《展覧会の絵》にロシア語の歌が入るのですが、時折ラヴェルのコンチェルトの一部が入ったり、ラヴェル風のオーケストレーションが施されたりしていて、やはりバスク出身の彼にとってラヴェルは特別な存在なのだとわかります。 今年4月、トルコのアンカラで行われたアンサンブル・オロチの演奏会。 実はドビュッシー派 私もパリ音楽院時代、楽曲分析の卒業試験でラヴェルの《ラ・ヴァルス》を取り上げたりしましたから(連載第1回参照)、ラヴェルは非常に大事な作曲家です。ですが、実をいうと昔から私はドビュッシー派なんです。ドビュッシーの書く音楽は、従来の西洋クラシック音楽の考え方と根本的に違っていて、自分にとって身近に思えるのはドビュッシーなのです。 ドビュッシー(Claude Debussy, 1862~1918) それに対してラヴェルの音楽は、響きは非常に複雑に聴こえるけれども、実はジャズの理論で説明することができます。普通の三和音の上に付加和音と呼ばれる音を積み重ねていって、一見不協和音のように聴こえるけれども、実際はきっちり西洋音楽の理論に基づいて作曲している。要するに機能和声なんですね。ラヴェルに比べるとドビュッシーの方が断然前衛的だと思います。 《牧神の午後への前奏曲》演奏中に起きた不思議な出来事 ドビュッシーについてはもうオタクというくらい詳しい私ですが、中学生の頃に忘れがたい不思議な経験をしたことがあります。当時、アバド指揮によるベルリン・フィルの大阪公演があり、父が奮発して私の分のチケットも買ってコンサートへ連れて行ってくれたことがありました。 公演の最初の曲が《牧神の午後への前奏曲》だったのですが、曲が始まると同時に、光のプリズムのような色が目の前に現れました。……と、ここまではいつものことだったのですが、その日はそれだけで終わりませんでした。どこからかふわーっと香りが漂ってきたかと思えば口の中にはいろいろな味が広がり、さらには指先に何かが触れるような感触まで感じられたのです。これまで経験したことのない出来事に、驚きのあまり圧倒されているうちに曲が終わると、やがて感覚も元に戻りました。 音楽を聴くと、ハッブル望遠鏡で撮影した宇宙のような色彩が見えるのはいつものことなのですが、味や匂いや感触まで感じられたのはそのときがはじめてでした。こういう現象を一般に「共感覚」と呼ぶことをあとで知ったのですが、本来ならば独立して知覚されるはずの感覚が、神経器官の複雑さゆえに一種の混線を引き起こすことがあるようです。けれども、五感すべてが混線するというのは私にとってこのときが最初で最後でした。 なぜ《牧神の午後への前奏曲》のときにこの現象が起きたのかはわかりません。しかし、中学生のときにこの曲を、見て・匂って・味わって・触って・聴いた経験は強烈で、私がドビュッシーに特別な思いを持っているのはこのときの経験と無縁ではないのかもしれません。(つづく)...

『Ado』エレクトーン楽譜集 発売記念インタビュー第一弾 窪田×富岡×鷹野

『Ado』エレクトーン楽譜集 発売記念インタビュー第一弾 窪田×富岡×鷹野

日本のみならず世界的に活躍する唯一無二の歌い手、Adoの人気曲を6曲収載したエレクトーン曲集が5月に発売される。スコア・プロデューサーに富岡ヤスヤを迎え、窪田宏、鷹野雅史、倉沢大樹、高田和泉、中野正英という豪華アレンジャー陣が集結した本作のリリースを記念し、各人の並々ならぬこだわりを紐解く鼎談(ていだん)が『月刊エレクトーン』に連続掲載される。 その第一弾となる『2025年6月号』の「窪田宏×富岡ヤスヤ×鷹野雅史 スペシャル鼎談」より、本誌で掲載しきれなかった制作秘話を中心に曲集の魅力を語っていただいた。 ――今回のAdoのエレクトーン曲集は、富岡ヤスヤ(yaSya)さんが“スコア・プロデュース”という立場で入られていますね。理由はやはりAdoの大ヒット曲「唱」と「踊」の作編曲者TeddyLoid[テディロイド]さんとの師弟のご縁からですか? 富岡TeddyLoid(当時はTEDDY)とは2005年に出会って、プロデュースしている〈うにとろプロジェクト〉のメンバーとしてツアーをしたり、2年ほど一緒にユニットでライブ活動もしていたんですが、その頃はエレクトーン教室の生徒だった彼と昨年、雑誌の取材で十数年ぶりに再会して。Adoの「唱」「踊」が動画再生2億回超えなど音楽プロデューサーとしてもDJとしても世界的に活躍するスゴいアーティストになっているのに、久しぶりに会ったら一気に時を超える感じで。 彼の曲はいつもチェックしていて、「踊」をアレンジして弾こうかなと思っていたこともあったんです。そこにAdoの曲集の企画が舞い込んできて、今までにない曲集を作ろうとスタートしました。 ――その再会の様子は、『月刊エレクトーン24年8月号』巻頭特集でも語られていましたね。それが〈運命の再会〉になったわけですね。“スコア・プロデューサー”は、具体的にはどんなことをされたのですか? 富岡一番大きいのは、“今までにない曲集を作ろう”と決めたことですね。TEDDYとの縁でこのAdoの曲集を企画できることになったので、だったらいままでの概念をぶち壊すくらいのスゴい曲集ができないかと考えて、それで出てきたのが「トッププレイヤー6名が1曲ずつアレンジする曲集」というアイデアです。そんなドリーム・チームの曲集なら自分も欲しいなと。 ――メンバーの人選や選曲は、悩まれたのではありませんか? 富岡自分はTEDDYの「唱」と決めていたし「踊」も絶対に入れたかったんですが、ほかにも魅力的な曲がたくさんあって選曲は正直悩みました。でも最終的には〈インストにアレンジした時に映える曲〉という観点で決めて、結果的にベストな選曲になった気がしています。 屏東香(ピントンシャン)というユニットでも活動している窪田宏先輩と鷹野雅史は最初から絶対に口説き落とそうと決めていたのですが、学生時代から付き合いの長いこの二人と違って、倉沢(大樹)くん、高田(和泉)さん、中野(正英)くんは、霊感?ひらめき?...というレベルかもしれません。プレイヤーとしては何度も一緒にステージで演奏しているんですが、それぞれの音楽性まで完璧に把握しているわけではないので、「きっと面白くアレンジしてくれるはず!」という期待と「この曲の引き出しはあったかな?」という不安が交差しながらのオファーで、ある意味“賭け”だったんですが、これが見事に大正解!で、宝くじを当てたような嬉しさがありましたね。出来上がってきたアレンジを聴くたびに「ヤッター~~!!」と思いました。 ――アレンジ内容についても、いろいろオーダーされたのですか? 富岡“ここをこうしてほしい”なんて話は全くなく、プレイヤーの皆さんに全部お任せしました。というのも、具体的に示してしまうとその方のアレンジではなくなってしまうので、方向性は一緒に相談しても、具体的なアイデアはあえて出さないようにしていました。 ――富岡さんからお二人へのオファーは、どんな感じで進めたのでしょうか? 富岡まずは窪田さんと鷹野に“仕事をお願いしたいんですけど...”ってZoom飲み会をしまして。とにかくこの二人を口説き落とせば、他の人はノーと言えないなと思って(笑)。 鷹野絶対にノーと言えない空気をうまいこと作るんだ、富岡は。 富岡それで次の人にオファーする時に、“あとはあなたがOKすると6人揃います”って1人ずつに話して(笑)。倉沢くん、高田さん、中野くんは、全員、同じ話を聞いてるはず(笑)。 鷹野そういうの上手すぎるよ。 富岡いやいや、もう詐欺かもしれない(笑)。 鷹野でも素晴らしいね。最終的には実現しちゃったもん。 富岡その6名が、まったくの偶然なんですけど、三木楽器が3月に開催したエレクトーンコンサート『HIT PARADE』のメンバーとも一致してたので、コンサートの打ち上げが決起集会みたいになりました。 窪田あの日は富岡がハイテンションだったよね。 鷹野でも富岡の覚悟が見えたよ。 富岡アレンジ面ですごく難しいお願いをしていいた中、みんなに頑張ってもらったから絶対に文句を言われる、もう自分が非難の的になろうと思っていたんですけど、そういうことを言う人は一人もいなくて。それがもう嬉しくて、これは絶対に良いものにして全員出演の公開講座をやらなきゃと思って。 ――「アレンジ面での難しいお願い」というのは、どういうことでしょうか? 富岡今回、みなさんには「アレンジテーマ」として「原曲のイメージ」と「アレンジャーの個性」の両立を狙いたいんですと伝えていました。「原曲を尊重しつつ、自分らしさも出す」、この絶妙なバランスのアレンジが意外と大変だったんです。実際に、中野くんは個性を出し過ぎて方向性を大きく変えてもらうことになったり。鷹野のように、逆に原曲に忠実にしすぎて、やり直してもらうことになった曲もありました。自分も、真正面から原曲と向き合って“エレクトーンでどう表現しよう!?”とものすごく焦って、そこからが本当に大変だったんですね。 鷹野最初、僕は原曲に忠実にアレンジすることを極端に解釈しちゃったから、オーケストラ色はあまり出せないなと思って。富岡から“もうちょっと鷹野らしさを出していいんだよ”と言われて、アレンジし直したんです。キーやテンポ、構成を変えなければ、メロディーが弦楽器だっていいじゃないかと。 富岡“これぞ鷹野だ!”ってものがきっとできると励ましたんですよ。でもよくよく考えてみたら、自分がスコア・プロデューサーという立場であることをみんなに伝えていなかったので、勝手に鷹野にアドバイスした状態になって、“何で偉そうに言うんだ”みたいな雰囲気に(笑)。 鷹野富岡がスコア・プロデューサーであることを知って、こちらも大人げなさが恥ずかしくなってきて(笑)。富岡に会ったときに、開口一番から謝られまくって困ってしまいました。...

国生みの島に響く盆の唄「沼島音頭」(兵庫県南あわじ市沼島)【それでも祭りは続く】

国生みの島に響く盆の唄「沼島音頭」(兵庫県南あわじ市沼島)【それでも祭りは続く】

日本には数え切れないほど多くの祭り、民俗芸能が存在する。しかし、さまざまな要因から、その存続がいま危ぶまれている。生活様式の変化、少子高齢化、娯楽の多様化、近年ではコロナ禍も祭りの継承に大きな打撃を与えた。不可逆ともいえるこの衰退の流れの中で、ある祭りは歴史に幕を下ろし、ある祭りは継続の道を模索し、またある祭りはこの機に数十年ぶりの復活を遂げた。 なぜ人々はそれでも祭りを必要とするのか。祭りのある場に出向き、土地の歴史を紐解き、地域の人々の声に耳を傾けることで、祭りの意味を明らかにしたいと思った。 国生み神話の島「沼島」    瀬戸内海東部に位置する、兵庫県の淡路島。その南端から5kmほど離れた場所に、勾玉型の小さな島が存在する。「国生み神話」で知られる沼島(ぬしま)である。    「国生み神話」は、日本神話でイザナギとイザナミが日本列島を創造したとされる物語だ。高天原の神々に命じられた二柱は、天の浮橋から「天の沼矛」で海を“コヲロコヲロ”とかき混ぜ、その雫から最初の島「おのごろ島」(「おのころ島」とも表記)が生まれた。この島がどこかには諸説あるが、有力候補の一つが沼島である。実際、沼島の観光パンフレットにも「国生み神話の島」や「神々が創った最初の島」といったコピーが並び、神話ゆかりの地として広くPRされている。    日本神話に紐づく歴史ロマンを求めて当地を訪れる人は数多くいるのだろうが、私の今回の旅の目的はあくまで沼島の郷土芸能。この島に伝わる「沼島音頭」という独特の盆踊りについて話を聞くため兵庫県にやってきた。 数年越しに実現した沼島音頭の取材    前日は、淡路島の中腹に位置する洲本に宿泊。翌朝、日の出る前に起床してバスに乗車、沼島行きの船が出る土生港に着いたのは朝8時のことだった。船のチケットを買って乗船場に向かうと、係留された一隻の船が朝日に照らされてまばゆく光っていた。 淡路島と沼島を連絡する船    沼島と淡路島本島を結ぶ定期便。実はこの船に乗るのは、初めてではない。2017(平成29)年の夏にもまた、沼島に魅力的な盆踊りがあるとの噂を聞きつけて、この場所にやって来た。    沼島の盆踊りは確かにすばらしかった。島は南区、中区、北区、東区、泊区の5つの地区に分かれ、お盆の期間(13日〜16日、以前は17日まで行われていた)、それぞれの地域で日をずらして盆踊りが開催される。私は参加したのは南区の盆踊り。家屋がひしめく住区の中にぽっかりと広場があって、中央にはヤグラ(沼島では「音頭座」(おんどざ)と呼ばれる)が立っている。そこで番傘を手にした「音頭出し(おんどだし)」と呼ばれる歌い手が代わる代わる立ち、自慢の歌声を響かせる。 2017年、筆者が参加した南区での盆踊り 音頭出しは「兵庫口説」という盆踊り歌に合わせて歌う 踊りは回転動作が多く難しい。音頭座の下には太鼓打ちがいる 踊ったり、椅子に座って語らったり、盆踊りではゆるやかな時間が流れる    音頭に合わせて、人々が2時間も3時間もぶっ通しで踊り続ける(昔は朝方まで踊っていたらしい)。その光景に圧倒されると同時に、音頭そのもののすばらしさと、音頭座を囲む島民たちのあたたかな雰囲気に魅了された。帰宅してからも興奮は冷めやらず、「またいつか再訪したい」「沼島の盆踊りについて地元の人に話を聞いてみたい」と願うようになった。    その後、一度だけ島の人にアプローチをしてみたことがあった。しかし、思い立った時期がちょうどコロナ禍に突入したタイミングだっため、取材は実現に至らなかった。それでも「沼島音頭の魅力を伝えたい」という思いは変わらず、数年越しに、現地での体験をもとにしたレポート記事をブログに執筆した。それが2020(令和2)年のことだ。コロナ禍はしばらくおさまらず、沼島を再訪するという計画は自然と立ち消えてしまった。しかし、沼島音頭のことは忘れられず、いつも頭の片隅にあった。年に数回、思い出したかのようにYouTubeで動画を見返しては、「やっぱりいいなあ」と、その魅力をあらためて再確認していた。    そうやって数年が経過した2024(令和6)年9月のこと。沼島にある中学校、兵庫県南あわじ市立沼島中学校の主幹教諭を名乗る人物からメールが届いた。その内容というのも、沼島中学校のSDGsに関する取り組みを、「未来のシマ共創アワード」という賞に応募したいので、その際、沼島音頭(沼島で開催される盆踊りの名称)に関する情報源として、私が沼島音頭について書いた個人ブログ記事のURLを提出資料に記載してもいいかというご相談であった。    沼島音頭と中学校がどのように関係しているのか? その疑問はメールの文面をさらに読み進めると解き明かされる。    沼島は現在人口370名にまで減少しました。沼島中学校の生徒数も減少し、小規模特別認定校(筆者注:詳細は後述)として沼島以外の生徒も通うことができるようになりました。そのため、中学校で初めて沼島音頭と出会い、取り組む生徒がほとんどになりました。国生みの島で、100年後も音頭を知っている人を少しでも多くするために、沼島伝統文化保存会の皆さんが熱心に教えてくださり、敬老会や学習発表会で毎年披露しています。その方々の功績を広めたいです。    沼島が島外の中学生を受け入れ、さらにその子たちに沼島音頭を教えているということに驚く。まさかそのような取り組みが行われていたとは。メールの差出人である河野真也さんは、2024年度に赴任してきた沼島一年目の先生だという。相談事項に関してはもちろん承諾するとともに、せっかくの機会ということで、こちらからも取材の依頼を打診すると「もちろんです」と快く引き受けてもらえた。 「沼島千軒」と呼ばれた島の現在    島外出身の中学生は、多くが島に住むことなく、淡路島本島からスクールバスや船で学校に通っているという。そのため、沼島行きの船内もスポーツバッグを背負った若者たちであふれていて、着岸直後の港も、人口357人(令和7年3月末現在)の島とは思えないほど活気にあふれている。ちなみに、乗船時間はわずか10分。あっという間だ。 船を降り、足早に学校へ向かう中学生たち    港にはたくさんの船が停泊しているが、人気はほとんどない。漁はもっと朝早い時間に行われているのだろうか。あの賑やかしい中学生の一団が去ると、島は嘘のように静まり返る。    かつて沼島は「沼島千軒」と言われるほどに活気に満ちた島であった。その理由は、第一に地の利にある。小さな島ながら、その位置が紀州・鳴門・上方の海路の要衝にあり、上り下りの船が必ずこの島へ寄港するというほど、往来が盛んであった。また島の周辺や、紀伊水道(紀伊半島と四国に挟まれた海域)一帯は漁場としても恵まれており、タイ、ハモ、ハマチなど、さまざまな魚を豊富に獲得することができた。勢いづいた沼島の漁師は近海に飽き足らず「よそいき」と称して、熊野、阿波、日向、五島、対州(対馬のこと)まで進出したという。 港に停泊する漁船    文化・文政の時代(1803〜1830年)ともなると、近接する京都や大阪などの町が商業都市として繁栄を極め、沼島で獲れる高級魚が大量に消費されるようになる。その結果、島では多くの海産物商や廻船業者が生まれた。現・株式会社ニッスイの前身となる水産会社の「山神組」を輩出したのもこの沼島である。    現在、沼島の漁業は多くの課題に直面している。漁師の高齢化や減少、魚を育む地球環境の変化、燃料の高騰……。「兵庫県離島振興計画(令和5年度~14年度)」に掲載されている国勢調査のデータを参照すると、2010(平成22)年と2020(令和2)年の比較では、沼島の第1次産業従事者数は145人から98人へ減少している。...

ヘンレ社75周年記念 ピアノとヘンレ原典版の魅力にふれるトーク&コンサート

ヘンレ社75周年記念 ピアノとヘンレ原典版の魅力にふれるトーク&コンサート

ブルーの表紙でお馴染みのヘンレ社の楽譜の魅力を、ピアニスト・梅田智也氏の演奏とともに楽しむイベントが2025年4月まで全国のヤマハ直営店で開催されました。本稿では、そのスタートを飾ったヤマハミュージック福岡でのイベントの模様をご紹介。 ――ビデオメッセージで開幕 2024年11月12日(火)、ヤマハミュージック福岡にて『ヘンレ社75周年記念 ピアノとヘンレ原典版の魅力にふれるトーク&コンサート』が開催された。本イベントは、ドイツ・ミュンヘンにある楽譜出版社G. Henle Verlag(ヘンレ社)の歴史と魅力を、ピアニスト・梅田智也氏の演奏とともに楽しめる90分の無料プログラム。初回にも関わらず、キャンセル待ちが出るほどの盛況ぶりで、関心の高さが伺えた。オープニングでは、このイベントのために特別に制作されたヘンレ社からのビデオメッセージを上映。日本の愛用者に向けた感謝の言葉と、現在のヘンレ社の取り組みが紹介された。 ヘンレ社社長のノルベルト・ゲルチュ氏、営業部長のズィグルン・ヤンツェン氏からのメッセージ ――世代を超えて受け継がれる楽譜 ビデオメッセージが終わると、ピアニストの梅田氏が登場。以前からヘンレ社の楽譜を愛用していると、自身の楽譜を2冊披露。ひとつは小学生のときに初めて購入したベートーヴェンの『ピアノ・ソナタ全集 第1巻』。もうひとつは、師匠から譲り受けたという年代物のハンセン校訂版だ。長年にわたって使い込まれており、「付箋を貼ったり、演奏した日や場所を書き込んだりして、自分だけの楽譜をつくるのが楽しみ」と、自身の楽譜の活用法も紹介した。 使い込まれた自身のベートーヴェンの楽譜を紹介 ――ペライア版の魅力 最初に演奏した作品は、ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ全集 第1巻』に収められている「ピアノ・ソナタ 第14番《月光》」。梅田氏はこの楽曲の演奏において、ハンセン校訂版と、アメリカのピアニスト、マレイ・ペライア校訂による《月光》の単曲ピースを併用しているという。ペライア版の魅力について、「自分では考えつかない指使いが書かれているので、異なる視点を得ることができて役立っている」とピアニストならではの解説。演奏が始まると、ヤマハのグランドピアノ「C3X espressivo」の豊かな音色が会場を包み、幻想的な響きで聴衆を魅了した。 ヤマハグランドピアノ「C3X espressivo」の豊かな音色が会場を包み込む ――版による違いを弾き比べ 続いてショパン「ノクターン第20番 嬰ハ短調 遺作」を取り上げ、演奏前には版の違いを解説するための弾き比べを披露。スラーのかけ方や表現の微妙な違いを示した後、続けてショパン「華麗なる大円舞曲」を演奏した。さらに、リスト「コンソレーション」やラフマニノフの《鐘》といった多彩な楽曲が奏でられ、ロマン派から近代作品まで幅広いプログラムを展開。「ヘンレといえば、ドイツ古典派というイメージをもつ方もいらっしゃるかもしれませんが、近年はラフマニノフやリストの楽譜もあるので、ぜひそちらにも注目してほしい」と語った。  最後は、ヴィルトゥオーソピアニストとしても名高いブゾーニ編曲の大曲、バッハ=ブゾーニの「シャコンヌ」を演奏。迫力と繊細さが共存する圧巻の演奏に、客席から割れんばかりの拍手が送られた。 そのほかにもヘンレ社の用紙や製本のこだわりも紹介 ――ここでしか見られない貴重な楽譜も ヘンレ社の楽譜はピアノ作品だけでなく、弦楽器や管楽器、オーケストラのスコアなど、緻密な研究に基づく原典版が多彩なジャンルで展開されている。今回のイベントでは特設ブースが設けられ、その豊富なラインナップを間近で楽しむことができた。 また、ヘンレ社を象徴するブルーの表紙の楽譜に加え、全集版の布装楽譜、携帯しやすい中型スタディ・スコア譜、さらに普段は目にする機会の少ない大判のファクシミリ版も展示。来場者は貴重な楽譜を手に取りながら、その細部にわたるこだわりや魅力を堪能していた。 お馴染みのブルーの表紙のものからファクシミリ版まで揃った展示ブース  この記念イベントは、2024年11月から2025年4月まで全8回の公演をもって大盛況のうちに終了。ヘンレ社の魅力的な楽譜は、本サイトおよび全国のヤマハ店舗・特約店にてお求めいただけます。   ヘンレ社について  第二次世界大戦後の1948年、資産家でピアニストのギュンター・ヘンレ氏により設立。作曲家の原曲に基づいた正確な楽譜、原典版を出版することを大きな目的として発足され、主に古典派やロマン派のピアノ曲や室内楽曲を出版。近年はフランスやロシアの近代作品にも力を入れている。楽譜の内容と実用版としての品質はいずれも評価が高く、特にピアノ曲の原典版においては世界的にも高い地位にある。常に最新の情報を求めて研究を続けており、近年はバッハやベートーヴェンの原典版も順次改訂作業を行う。   プログラム (使用関連楽譜)◆ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第14番...

指揮者はどんな勉強をしているの?【指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】

指揮者はどんな勉強をしているの?【指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】

ある時は指揮者、またある時は作曲家、そしてまたある時はピアニスト……その素顔は世界平和と人類愛を追求する大阪のオバチャン。ヨーロッパを拠点に年間10ヵ国以上をかけ巡る指揮者・阿部加奈子が出会った人、食べ物、自然、音楽etc.を通じて、目まぐるしく移りゆく世界の行く末を見つめます。 新作オペラ、無事終演! みなさん、こんにちは! 先月、前回の連載でも少しお話した新作オペラ《ウンム》の公演(会場:オランダ国立歌劇場)が無事終わりました! 3日間の公演はすべて完売、とても盛り上がって最後はお客さんも一緒に大合唱! オペラハウスとは思えない熱狂ぶりでした。 新作オペラ《ウンム》の作曲家、ブシュラ・エル・トゥルクのインタビュー動画(英語)。オランダ国立歌劇場の公式チャンネルより。 《ウンム》終演後に、キャスト、スタッフ、歌劇場総監など、勢揃いで記念撮影。 成功裏に終わってホッとしましたが、実をいうと最初は結構心配していました。今回演奏したアムステルダム・アンダルシア・オーケストラは、メンバーのほとんどがアラブ音楽のエキスパートで、楽譜の読めない人が少なからずいます。いわゆる西洋クラシック音楽のオーケストラと違って、普段「指揮を見ながら演奏する」という経験もないし、微分音(半音よりも狭い音程)もたくさん出てくる。私にとってはいつもと違う、新しい指揮法を編み出さなくてはならないような状況でした。 さらに、最初のリハーサル後に気づいたのですが、半分以上のメンバーは英語が通じません。モロッコ、チュニジア、アルジェリアなど北アフリカ出身の演奏者が多いのです。ですからリハーサルも、フランス語で説明したあとに同じことをもう一度英語で言い直しながら進めなくてはなりませんでした。 そんな幾多の困難がありましたが、オーケストラのメンバーもすごくがんばってくれて、「指揮を見ながら演奏する」という新しい経験をむしろ楽しんでいたようです。最後は「指揮を見るっていいね、なんか安心する」なんて言っていました(笑)。 偶然、公演最終日が私の誕生日だったんですが、サプライズでメンバーたちがバースデーソングを演奏してくれて、思わず胸がいっぱいに。今回のオペラプロジェクトを通じて、多様なバックグラウンドを持つ才能豊かなメンバーたちと創作のプロセスを共有できたことは、私にとってかけがえのない経験となりました。 オランダ国立歌劇場で迎えた誕生日。サプライズでみんなからの寄せ書きと花束をプレゼントされ、思わず涙ぐんでしまいました。 指揮者はどんな勉強をするのか 「指揮者の人は、本番で演奏する曲をどうやって勉強するのですか?」と、ときどき聞かれます。演奏者にくらべて、指揮者の勉強方法というのは想像しにくいかもしれませんね。 リハーサルが始まるまで、指揮者はひたすらスコアの勉強です。私の場合、スコアを受け取ったらまず全体をパラパラ読んで、曲の構造を把握します。音楽作品というのは、言ってみれば「バーチャルな彫刻」のようなものです。最初に全体像がきちんと頭に入っていないと、細部のバランスが取れません。作品がどういう構造になっているのかを把握するために、音楽のまとまりごとにスコアの上で赤と青の鉛筆で区切っていきます。これは、新作初演のときも古典作品のときも同じです。ちなみにこちらはオペラ《ウンム》で使用したスコア。最後の最後まで何度も変更が加わって、もはや解読が困難な状態に(笑)。 本番直前の《ウンム》のスコア。(画像は加工しています) 赤青鉛筆を使っているのは、たとえば強弱を書くときにフォルテは赤、ピアノは青、という風に書き分けるためです。そのほかにも、大きな区切りでは赤を、さらに細かい区切りでは青を使ったりしています。奏者にキューを出さなければならない大事な箇所なども、赤で印をつけます。これは別にそういうルールというわけではなくて、私のやり方ということですけどね。 パリ音楽院指揮科卒業試験の課題曲だった新作のスコア。もう少し若い頃は、赤と青のほかにも色鉛筆をたくさん使っていました。(画像は加工しています) 普段愛用している赤青鉛筆と書き込み用のペン。 全体像が頭に入ったら、スコアの上の段から順に、パートごとに上から一段ずつ楽譜を横に読んでいきます。これは、私が指揮科の学生だったときに参加したマスタークラスの教授から教わった方法です。頭の中で楽器の音を鳴らしながら一段ずつ読んでいくと、その奏者の気持ちになることができるんです。「ここのフルートは20小節も休みがあるから、次に入るところでキューを出してあげないといけないな」「ホルンはここでこんなに長いパッセージを吹いていて息がつらいんだな」ということに気づける。そうして、最初に把握した全体像に細部を肉付けしていきます。次のパートを読むときは前に読んだパートが頭のどこかに残っているので、なんとなく思い出しながら読んでいくと、最後の一段を読み終える頃には全体の響きのイメージが思い浮かべられるようになります。 スコアを勉強中! 写真:©Ryota Funahashi 頭の中のバーチャル・オーケストラを鳴らす ここまで、音を出さずにひたすらスコアを読みます。ピアノを弾きながらスコアリーディングすることもほとんどありません。頭の中のバーチャルなオーケストラを鳴らしているからです。 オペラプロダクションの場合、通常最初の稽古はオケの代わりにピアノ伴奏をつけて行うのですが、今回の《ウンム》の場合、ピアノの音と実際のオーケストラの音があまりにも違うのでかえって歌手が混乱してしまう、ということがありました。なにしろ使われている楽器がカマンチェ(中東地域の弦楽器)やドゥドゥク(アルメニアの木管楽器)といった民族楽器で、微分音だらけのアラブ音楽を演奏するわけですから、当然といえば当然です。 もちろん、古典作品でもリハーサルではじめて音を出してみたら頭の中でイメージしていた音と違った、ということはあります。この楽器とこの楽器が同時にこのくらいの音量で鳴ると、片方が聞こえなくなってしまうとか。そういうことは実際に経験して学んでいくしかありません。 その意味でいうと、私がパリ音楽院のオーケストレーション科時代に学んだことはとても大きかったですね。オーケストレーション科の授業では、メンデルスゾーンやシューマンなど重要な作曲家の代表作を取り上げて、作品で使われているオーケストレーションの特徴や効果を通常の授業で学ぶのですが、年に2回、作曲家のスタイルを模して自分でオーケストレーションした曲を実際にオーケストラに演奏してもらう機会があります。学生はそこでパート譜の書き方なんかも徹底的に学ぶわけです。読みづらい譜面だったりすると「こんな汚い楽譜、読めるか!」といって演奏してもらえなかったりしますからね。 そうやって偉大な作曲家のオーケストレーションを学びながら、同時に自分が頭の中でイメージした響きが実際のオーケストラとどう違っているかということも経験として蓄積されていくわけです。この頃に学んだことは、その後指揮者としてやっていく上でも大いに役立っています。 オーケストレーション科の恩師、マルク=アンドレ・ダルバヴィ先生と。 イマジネーションの力 スコアに書かれた記号を読み取って頭の中に響きをイメージする、そういう訓練をソルフェージュといいますが、これって決してソルフェージュだけの問題ではなくて、イマジネーション能力なんだと思います。イマジネーションというのは、ある意味忍耐が必要なことでもあります。楽譜に書かれた一つの旋律をじっとにらんで、「これをクラリネットで演奏するとどうなるだろう? あるいはチェロなら?」とじっくり時間をかけてイメージすることが重要なんです。 いまはなんでもすばやく情報を処理することが求められるので、なかなかそういう時間をもつ余裕がないですよね。でも、これって本当は音楽をやる上でとても大事なことだと思います。...

商店街とともに発展した盆踊り・白鳥おどり〈後編〉(岐阜県郡上市白鳥町)【それでも祭りは続く】

商店街とともに発展した盆踊り・白鳥おどり〈後編〉(岐阜県郡上市白鳥町)【それでも祭りは続く】

日本には数え切れないほど多くの祭り、民俗芸能が存在する。しかし、さまざまな要因から、その存続がいま危ぶまれている。生活様式の変化、少子高齢化、娯楽の多様化、近年ではコロナ禍も祭りの継承に大きな打撃を与えた。不可逆ともいえるこの衰退の流れの中で、ある祭りは歴史に幕を下ろし、ある祭りは継続の道を模索し、またある祭りはこの機に数十年ぶりの復活を遂げた。 なぜ人々はそれでも祭りを必要とするのか。祭りのある場に出向き、土地の歴史を紐解き、地域の人々の声に耳を傾けることで、祭りの意味を明らかにしたいと思った。 東海北陸自動車道によってもたらされたる観光地間の競争激化    岐阜県郡上(ぐじょう)市白鳥町(しろとりちょう)。この町の商店街にまだ勢いがあり、白鳥おどりも最高潮に盛り上がっていた1970年代、一人の中学生が踊り子として会場を駆け回っていた。その子どもの名は、大坪正彦。後に、白鳥観光協会に入り、20年以上も祭りの裏方として白鳥おどりを支えることになる人物だ(2025年に引退)。ここからは、最盛期以降の白鳥おどりの変遷を現場から見守ってきた大坪さんの証言を補助線に、前編で触れた1980年代以降の白鳥おどりの変遷を追ってみたいと思う。    ちなみに個人的な話となってしまうが、大坪さんは、私が白鳥おどりに参加し始めた頃から親しくさせていただいている、いわば「恩人」のような人物でもある。東京でイベントを開催する際に、現地との調整役としていろいろと便宜を図ってくださったり、私が白鳥おどりについて知りたいことがあった時は貴重な資料を提供してくださったり、とにかく、ここでは書き尽くせないくらい、いろいろな面からお世話になったことは記しておきたい。 2019年に高田馬場で開催した白鳥おどりのイベント。ゲストに白鳥観光協会の大坪さんを招いた    まず、大坪さんが体験し、その目で見た白鳥おどりの最盛期とはどのようなものであったのだろうか。「当時(1970年代)は、踊りの輪がすごく大きかったですね」と大坪さんは回想する。「3つの商店会をまたいで開催していたくらいですから。駅前商店街の三叉路に屋台を置いて、北はごんぱちさんのところまで、東は濃飛タクシーさんのところぐらいまで行って。あまりにも輪が大きかったので、端っこと端っこで踊りがずれちゃっているんですよね(笑)。都会に出てた人たちが帰ってきて、本当にお盆の期間は町の人口がバーンと増える感じでした」 大坪正彦さん    大学進学後はしばらく地元を離れ、長らく白鳥おどりから遠ざかっていた大坪さん。ホテルやスキー、ゴルフなどレジャー系の職をいくつか経て、2001(平成13)年に白鳥観光協会に参加したが、そこでおよそ20年ぶりに目にした白鳥おどりの光景に衝撃を受けた。    「もう、自分が踊っていた頃と比べると、あんまりにも人が少なくて驚いたんです。屋台のまわりで踊っている人が、ほとんど保存会のメンバーという日もありましたからね(一般客が少ない)。やはり一番盛り上がっていた時期を知っているもんですから、自分の目が黒いうちに、これはなんとかしないと、と思いましたよね」    大坪さんが踊りの現場を離れているうちに、この町に何が起きたのか。まず観光業全般での話としては、町の主要な観光資源であったスキーが衰えた。    「スキーに関しては、越美南線に乗ってスキー客がやってくるという1回目のブームというのがまずあって、その時に村営の小さいスキー場みたいなのが町中にちょこちょこできたんですよね(1956年から、当時の国鉄によってスキー客のための臨時列車「奥美濃銀嶺号」が、シーズン中各週末に運行されていた)。その次にくらいに、観光バスやマイカーに乗ってスキー客がやって来る時代がきました。ちょうどその頃ぐらいですかね。白鳥町の北にある高鷲町の方に大きくて、設備も充実したスキー場がポンポンとできて、白鳥のスキーが衰退していったんです。リフトなんかも3〜4人乗れるようなゴンドラみたいなタイプなので混まないし、並ばず乗れる。一度便利さを体験しちゃうと、もう戻ってきませんよね。バブルの頃のスキーブーム?   確かにありましたけど、白鳥町への恩恵はそこまで大きくなかったんじゃないですか。テレビなんかで苗場のスキー場なんか見せられちゃうと、余計そっちに憧れちゃいますしね」 白鳥スキー場跡地(現・二日町延年の森公園)    2008(平成20)年に全線開通した東海北陸自動車道も、白鳥町の劣勢に拍車をかけたようである。東海北陸自動車道は、愛知県一宮市を起点に、岐阜県を経由して、富山県砺波(となみ)市に至る、東海地方と北陸地方を結ぶ高速道路である。1960年代に構想が立ち上がり、その沿線となる白鳥町でも大きな関心と期待が寄せられた。    「東海北陸自動車道などの開設によって、産業と観光の開発はいっそう脚光をあび、大きな伸張が展望される」(1977年刊『白鳥町史 下巻』) 「白鳥町発展のカギを握るものは東海北陸自動車道の問題」(1984年刊『わが町白鳥 : 郷土誌』) 「東海北陸自動車道をはじめとする、道路の整備によって、白鳥町が劇的に変わる可能性がある」(1991年刊『あすをひらく道 : 白鳥町合併35周年記念誌・町勢要覧1991』)    町の発展に寄与する道路として考えられたことから、完成に備え1966(昭和41)年から、町内のすべての道路の舗装と、川への架橋も進められてきた。    道路の整備は段階的に進められ、1997(平成9)年に郡上八幡IC-白鳥IC間が開通、1999(平成11)年には白鳥IC-高鷲IC間が開通となった。これによって地域に何がもたらされたのか。『岐阜県の冬季観光産業(スキー場)の実態調査報告』(2001)では、高鷲町を含む郡上郡北部に対しては「大型施設も加わり、中京圏・関西圏から長野方面に向かっていたスキーヤーも取り込み集客を増加させている」「さらに東海北陸自動車道の貫通がなれば、北陸圏をもマーケット 視野に入れようと計画している」と好ましい影響が報告されているのに対し、白鳥町を含む郡上郡南部には「白鳥IC開通までは、安定した集客を保ってきたが、高鷲ICの開設とともに集客を落としている。各スキー場共に高速道路のインターチェンジから遠いことがネックとなっている」というネガティブな評価が下されている。    数々の資料が、東海北陸自動車道が観光面で沿線エリア全体に何かしらの好影響を与えていることを示しているが、やはり道路の開設による観光地間の競争激化や、地域外への観光客流出といった負の影響も見逃すことはできない。    たとえば、合掌造り集落でおなじみの富山県の五箇山では、東海北陸自動車道全通後に、より規模の大きい白川郷の荻町集落に観光客が集中する傾向が強まり、また宿泊数も減少したことが報告されている(『東海北陸自動車道開通に伴う五箇山観光の変容』)。白鳥町においてもまた、期待ほどの観光誘致が図れていないようで、郡上市白鳥振興事務所『白鳥地域振興計画』(2021)には、2019(平成31)年の白鳥IC-飛騨清見ICの四車線化について触れつつ、「通過点となる恐れがあることから、目的地となるような観光イベント情報の提供が必要」と警戒感をつのらせた文章が記載されている。 五箇山の合掌造り集落    実際のところ、東海北陸自動車道が白鳥おどりの振興に繋がらなかったかというと、そうとも言いきれない。郡上市の発表している平成期の白鳥おどりの来客数を見ると、1995(平成7)年から1996(平成8)年にかけて一旦数は減少しているが(85,000→80,000人)、白鳥ICが設置された1997(平成9)年からは上昇に転じ、2004(平成16年)には平成期のピークとなる131,000人を記録。しかし、その後は下降線をたどり、10年後の2014(平成26)年には55,500人と、来客数はほぼ半減している。大坪さんは、次のように話す。    「白鳥おどりも、一時は郡上おどりに近いくらいの勢いを持った時代があったんですけど。おそらくですが、白鳥に関しては、多分時代の流れの中で来客数が増えていただけで、気づいたら、あれ?って(壊滅的な)状態になってしまっていたということだと思います。郡上おどりは比較的来客数をキープできているようなので、それ以上の努力をずっと続けてきたんでしょうね」...

はじめてのおもちゃピアノに最適!累計10万部の耳が育つ知育玩具「ヤマハのピアノえほん」

はじめてのおもちゃピアノに最適!累計10万部の耳が育つ知育玩具「ヤマハのピアノえほん」

用途たくさん:子どもへの知育玩具用に、出産祝いや誕生日プレゼント、クリスマスプレゼント用に最適! メリットたくさん:親御さんの手助けなしにお子さんだけで遊べる! 耳を育てる本格的な音、0歳~6歳まで長期間楽しめる! 遊び方たくさん:全曲再生でひとりで遊べる、鍵盤が光って楽しく遊べる、モードがたくさんで飽きずに遊べる! 子どもが動画サイトばかり見ていて心配……何か指を動かして遊べる安全なおもちゃはないかな……。 そんな方にオススメのおもちゃ絵本をご紹介します。 楽しいだけでなく、はじめての音楽体験にもなり、耳も鍛えられて、ピアノの基礎まで学ぶことができるお得な商品。ピアノは習い事ランキングでもつねに上位。本格的にピアノを習う前に、ピアノレッスンの導入としても活用してください! |選ばれる5つの理由 ① かわいい絵と楽譜で見ていて楽しい! ② 充実の機能と多彩な音色ではじめての音楽体験に最適! ③ 子どもがひとりで遊べる! ④ 飽きずに6年間遊べる! ⑤ 親子のコミュニケーションが増える! |実際に使った方の声 |開発者の声 ー 企画はどこから生まれた? ー どんな点で苦労した? ー どんな方に楽しんでもらいたい? |商品概要 1|選ばれる5つの理由 ① かわいい絵と楽譜で見ていて楽しい! カバーイラストは『しましまぐるぐる』の「いっしょにあそぼ」シリーズ(Gakken)で大人気の絵本作家かしわらあきおさん。絵本の部分はかしわらさんほか14人の人気イラストレーターによるかわいい絵が子どもたちを楽しませてくれます。絵とともにメロディ譜と歌詞も載っているので、親御さんが一緒に見て弾くこともできますし、ピアノを習い始めのお子さんが見ながら弾いたり、親子やきょうだいで一緒に歌ったりするのもおすすめです!...

エレクトーン曲集『WORKS3』発売記念 安藤ヨシヒロに聞く!名曲たちの制作秘話と、“今”。

エレクトーン曲集『WORKS3』発売記念 安藤ヨシヒロに聞く!名曲たちの制作秘話と、“今”。

  エレクトーンプレイヤーとして多くの⼈々を魅了し、現在は作曲家、キーボーディスト、そしてプロデューサーとしても活躍を続ける安藤ヨシヒロ。彼のオリジナル作品を集めたエレクトーン曲集である『WORKS』シリーズに、2025年2⽉18⽇、待望の第3作⽬『WORKS3 〜from "SORA""mindscape<<5"』(『WORKS3』)が加わった。 名曲が世に放たれてから⼗数年たった今、楽曲の制作秘話や作品への思い、安藤ヨシヒロ⾃⾝の”今”について語ってもらった。 ――『WORKS2』から約5年ぶりとなる新刊『WORKS3』が発売となりました。楽譜集『SORA』から収載された3曲(「サクラ」「天上の光」「祈り」)は新たに02シリーズ対応のレジストを制作されたそうですが、改めてご⾃分の楽曲と向き合ってみていかがでしたか?  曲は⼗数年前に作ったものなのですが、今回収載するにあたって、新鮮な気持ちで取り組めました。どうしたら02できれいに⾳が鳴るだろうか試⾏錯誤しながら制作しましたね。⾳⾊を変えたことで曲の雰囲気に違和感が⽣まれたり、「前の⽅がよかった!」となったりしないよう、進化させたいという気持ちで作りました。 15年前も、01でどんな⾵に⾳を鳴らすかを⼀⽣懸命考えながら編曲したのを思い出しました(笑)。 楽譜集『SORA』 ――『SORA』は安藤さんの初メジャーアルバムですが、それまでとは違う挑戦があったのでしょうか。  『SORA』は全体を通してストリングスとピアノ中⼼のサウンドにすると決めて作ったアルバムでした。そんな⾵にコンセプトを決めてアルバムを制作するのははじめてだったんです。それ以前に作ったアルバム『mindscape』シリーズは、好きに作った曲をキュッとまとめる形だったため、『SORA』の制作⼿法は慣れないものでした。弦楽器をフルで収録したのもはじめてで、ああでもないこうでもないとたくさん悩みながら楽譜を書きましたね。エレクトーンはほかの楽器と異なり、演奏しているとさまざまな楽器の⾳⾊に触れます。そうするとひとつの楽器だけじゃなくて、いろいろな⾊のパレットが⾃分の中に⾃然と増えていきます。『mindscape』ではそのパレットから好きな⾊を選んで曲を作って……ということをしてきました。でも『SORA』はコンセプトを決めたことで、⾳⾊的な制約があったのです。その点も、それまでと⼤きく違うところでした。 ――そのようにコンセプトを決めて制作されたのはなぜだったのでしょうか?  いろいろな⾳⾊を使えると、カラフルにはなるのですが、演奏している⼈が⾒えづらくなってしまいます。エレクトーンを知らない⼈が聴いたら、「安藤ヨシヒロ」が何をしているのか、どんな⼈物なのかが⾒えない。だから鍵盤楽器はピアノと決めて、それを「僕」が演奏、プラス弦楽器の⼈がいる。つまり、「⼈がちゃんと⾒える」ように意識しました。制約があったからこそ実現できたと思っています。その制約の中でも「⾃分らしさ」を出したかったので、プロデューサーをはじめいろんな⽅と相談しました。 ――『SORA』の制作には多くの⽅が関わっていたのですね。  最初のアルバムは全部ひとりで作っていました。⾃宅のシンセやエレクトーンで作曲して、それをスタジオに持って⾏ってひとりで編集作業をして。でもエレクトーンプレイヤーとして活動していく中でたくさんのミュージシャンに出会って、楽曲制作に少しずつ参加していただけるようになりました。『mindscape<<5』はもっとも多くの⽅に携わってもらった、僕の活動の中での集⼤成のようなアルバムです。⾃分たちでできることは全部やって、参加して頂いたミュージシャンの⽅たちと全員で作り上げました。スタジオでは⾃分たちでマイクスタンドを⽴てたりして、練習して、レコーディングして……楽しかったですね。今でも作れてよかったなと思う作品です。 楽譜集『mindscape<<5』 ――その『mindscape<<5』から、はじめて「FLY HIGH」が収載されますね。  はい。「FLY HIGH」には「Symphonic ver.」もありますが、元々はこのバージョンが先に出来上がっていたのです。今回収載したノリがいいバージョンは後からできたのですが、バージョン名をなんとつけたらいいかわからなくて(笑)。結局、「バージョン名はつけなくていいよなぁ」ということで今の形になりました。 ――逆だったのですね……! ポップなものを作ってからその後にオケバージョンを制作 するのが⼀般的な⽅法だと思っていました。  そうなんです。先に、とは⾔っても同時期に作っていたもので、「FLY HIGH(Symphonicver.)」はジュニアエレクトーンフェスティバルのテーマ曲として、ノリがいい「FLY HIGH」はエレクトーンステージのテーマ曲として作りました。「FLY HIGH」は直訳すると「⾼く⾶ぶ」ですが、「⼤志を抱く」という意味も持つ、とても前向きな⾔葉です。出演者の後押しをしてくれて元気になれるような、⼒のある曲にしたいと思って作曲しました。  実はどちらの曲もループできるようになっているんです。どんどん転調して、最後まで⾏ったら冒頭と同じ調になって戻る、ループできる構造になっています。そういう⾵に、曲の⾏き先を考えながら作っていました。 ――本当ですね!...

「現代音楽」ってなんだろう?【指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】

「現代音楽」ってなんだろう?【指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】

ある時は指揮者、またある時は作曲家、そしてまたある時はピアニスト……その素顔は世界平和と人類愛を追求する大阪のオバチャン。ヨーロッパを拠点に年間10ヵ国以上をかけ巡る指揮者・阿部加奈子が出会った人、食べ物、自然、音楽etc.を通じて、目まぐるしく移りゆく世界の行く末を見つめます。 新たなチャレンジ みなさん、こんにちは! そろそろ日本でも春を告げる花々が咲き始める頃でしょうか。卒業や入学など、新たな門出を迎える方も多いことと思います。 この記事が公開される頃、私は前回の連載でもちょっとご紹介した新作オペラ《ウンム》の初日を迎えます。「普段はアラブ音楽を演奏している伝統楽器アンサンブルを、フランスで西洋音楽を学んだ日本人が指揮する」というのは、会場となるオランダ国立歌劇場にとっても史上初の試みなのだとか。そんな新しいチャレンジに、私自身とてもワクワクしています! 新作オペラ《ウンム》のリハーサル風景。左から、作曲家のブシュラ、演出家のケンザ、私、ソプラノ歌手のベルナデタ。 オペラ《ウンム》を演奏するアムステルダム・アンダルシアン・オーケストラのメンバー達と。 気づいたら「現代音楽の専門家」に 最近では古典作品を振る機会も増えましたが、私がパリで指揮活動を始めてから15年ほどはずっと現代音楽ばかり演奏していました。これまで手掛けた新作初演は200を超えます。ですから、私のことを「現代音楽の専門家」と認識している人もきっと多いでしょう。 そういう人からすると意外に思われるかもしれませんが、実は昔から現代音楽が好きだったというわけではないんです。むしろ、私の両親は合唱指揮者で、自分も小さい頃からミュージカルや児童合唱団で歌ったりしていましたから、芸高に進んでからも「私はきっと合唱曲を書くような人になるんだろう」と思っていました。学生の頃はフランス近現代の作曲家が好きでよく聴いていましたね。特にメシアンとデュティユー、それからプーランク。自分は、彼らが書くような美しい響きを持つ曲を書きたいと思っていました。私の親戚のおじさん(横川晴児)がNHK交響楽団の首席クラリネット奏者だった関係で、高校時代はクラリネットの作品をよく聴いていたのですが、とりわけ好きだったのがプーランクのソナタです。芸高の作曲科卒業作品にもクラリネット・ソナタを書きました。現代音楽の象徴みたいに思われている、いわゆる無調の音楽(調性のない音楽)を自分で書くことはありませんでした。 プーランク《クラリネット・ソナタ》。当時持っていたCDがポール・メイエさんの演奏によるものでしたが、その後共演をきっかけに仲良くさせていただくことになるなど夢にも思っていませんでした。 ただ、小さいときから「新しいもの好き」だったことと、ソルフェージュ(楽譜を読んで演奏するための基礎能力)が得意だったことは、少なからず影響していると思います。複雑な現代音楽を演奏するのに、ソルフェージュ能力はとても役に立つんです。私はわりと子どものときから楽譜を読むのが速く、また耳も良かったので一度聴いた曲はだいたい覚えてしまいました。だからほかの人が苦労するような変拍子とか複雑な譜面も、わりに楽に読めてすぐ振ることができる。すると周囲からも「あなた得意だからやってよ」と頼られるようになり、私も「自分が得意なことで役に立てるなら」と率先して引き受けているうちに、「あなた現代音楽好きなんでしょう」といってさらに依頼される機会が増え……気づいたら現代音楽の仕事ばかりが私に集中していました(笑)。 音楽家の基礎教養 一般に、現代音楽と聞くと「難解」というイメージを持つ方が多いでしょうか。フランス語で「現代音楽」を含む表現の一つに「musique savante」という言葉がありますが、これは言ってみれば「教養のある人のための音楽」というような意味です。アカデミックな作曲を勉強した人が書いた、歴史に残るような作品を指すときに使います。これは現代音楽の一側面を言い得ているかもしれません。 私が20代の頃に学んだパリ音楽院の楽曲分析のクラスでは、歴史に残る偉大な作曲家の古典作品を徹底的に勉強させられました。モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ドビュッシー、フォーレなどの書法を学び、彼らの書法を使って自分でも曲を書いてみるという授業です。過去の偉大な作曲家の書法を学ぶことは、音楽家の基礎教養の一つというわけですね。 楽曲分析のクラスで作曲家の書法を勉強するうち、自分の中で何かが繋がるのを感じました。それまで現代音楽は現代音楽として、古典作品とは別個に存在するものだと思っていたのが、リンクし始めたのです。過去にどんな書法があり、どんな過程を経て現在の書法が生まれたのか、一つの大きな流れとして見えてくるようになりました。すると一見難解に見える現代音楽も、過去の音楽に連なる表現の一つとしてよくわかるようになるんです。 それだけではありません。時代ごとの音楽が、実際の社会の変遷とどう連動し、その結果何が起きたか。その歴史的な繋がりを知ると、自分自身の音楽家としての役割の自覚が促されます。すると、自分が音楽家として社会にどう発信していけばよいかが明確になるし、自分が今後進むべき道も見えてくる。過去を学ぶことは、結局自分の未来にも繋がってくるんです。楽曲分析のクラスでそれを学ぶことができたのは、非常に有意義なことでした。私は猪突猛進したいタイプなので(笑)、自分の進むべき道がよくわからないままなのは嫌ですから。 科学技術の発展と現代音楽 現代音楽というのは、そもそも世の中の大多数の人が是とするものに決然と異を唱えるような、そういう精神を持つものですよね。私が当時知り合った現代音楽の作曲家たちもそうでした。彼らはみな非常に教養があって話していて面白いし、音楽についても教わることがとても多かった。そうして自分も知識が増えてくると、まったく新しい音楽に接したときでも知識をどう応用すればいいかがわかって俄然面白くなるわけです。 他方で、今私がお話ししたような音楽、つまり「musique savante」とはまったく異なるタイプの現代音楽もあります。パリ音楽院にはチリやペルー、ヴェネズエラといった南米出身の留学生もたくさんいるのですが、彼らの多くはそもそも調性だとかバッハから現代に至るまでの作曲の書法を参照して作曲していません。むしろ音楽以外の造形美術や現代アート、映画制作の技術などから影響を受けている人が多いんです。 特に大きな影響を与えているのは電子音楽です。いきなり電子音楽から作曲に目覚める、そういう人たちが生まれてくる世代なんですね。歴史的に見れば電子音楽というのも科学技術の発展のなかで生まれたものですが、電子音楽が生まれたことはその後の現代音楽の有り様にも大きな変化をもたらしました。それまでの音楽がハーモニー・リズム・メロディを三大要素とするようなものだったのに対して、そこからこぼれ落ちるもの、たとえばノイズなども音楽の要素として扱われるようになるわけです。その先駆けとなった作曲家の一人が、エドガー・ヴァレーズ(Edgard Varèse, 1883~1965)です。 エドガー・ヴァレーズ《アメリカ》。いつか日本でも指揮してみたい作品の1つです。 科学技術の発展はそのほかにも同時代の多くの作曲家にインスピレーションを与えました。フランスを代表する作曲家、ピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez, 1925~2016)がパリに国立音響音楽研究所(IRCAM)を創設したのも、その流れの一つです。その頃になると音楽というものが何か情緒的な意味をなすものというだけでなく、科学的な現象の一つとしても捉えられていくようになります。それこそ音の周波数を解析したりするような、緻密な計算のもとに音楽が作られるようになるわけです。 そういう音楽を初めて聴いた人は、耳慣れない響きに戸惑うかもしれません。ですが、音楽というのは本来、言葉にしがたい抽象的なものを表現できるものです。聴き手がどのように受け取るのか、そこに正解はありません。もちろん、聴き手の知識や経験によって受け取る情報が変わってくることはあると思いますが、そこに優劣はないはず。解釈は個人の自由に委ねられています。誰かの受け止め方を「間違っている」などと批判することはできないし、批判する必要もまったくない。そもそも芸術というのは、そういうものだと思っています。 「発明」とは、集積された技術や知識を組み替えること...

商店街とともに発展した盆踊り・白鳥おどり〈前編〉(岐阜県郡上市白鳥町)【それでも祭りは続く】

商店街とともに発展した盆踊り・白鳥おどり〈前編〉(岐阜県郡上市白鳥町)【それでも祭りは続く】

日本には数え切れないほど多くの祭り、民俗芸能が存在する。しかし、さまざまな要因から、その存続がいま危ぶまれている。生活様式の変化、少子高齢化、娯楽の多様化、近年ではコロナ禍も祭りの継承に大きな打撃を与えた。不可逆ともいえるこの衰退の流れの中で、ある祭りは歴史に幕を下ろし、ある祭りは継続の道を模索し、またある祭りはこの機に数十年ぶりの復活を遂げた。 なぜ人々はそれでも祭りを必要とするのか。祭りのある場に出向き、土地の歴史を紐解き、地域の人々の声に耳を傾けることで、祭りの意味を明らかにしたいと思った。 朝4時まで徹夜で踊る盆踊り    2010年代のはじめ頃、盆踊りにハマった。それから全国各地の盆踊りに足を運ぶようになり、いつしか盆踊りに限らず、祭りや民俗行事全般に興味を持つようになった。そういう意味で、盆踊りこそが自分の祭り人生の原点と言えるのかもしれない。思い入れの深い盆踊りを尋ねられれば、いくつか思い浮かぶものがある。なかでも岐阜県郡上市白鳥(しろとり)町の盆踊り「白鳥おどり」は、私にとって特別な存在だ。7月から9月にかけて約20夜にわたり開催され、特にお盆の13〜15日は朝4時まで徹夜で踊り通すという、ぶっ飛んだ盆踊りである。 白鳥おどりの踊り屋台 写真:渡辺 葉 ハイテンションで踊る若者たち 写真:渡辺 葉 小さな子どもたちも踊りに熱狂 写真:渡辺 葉    私が初めて白鳥おどりを体験したのは2014年のことだ。現地に到着したのは深夜0時。大雨の中、エネルギッシュに踊る人々の姿を見た時の衝撃は忘れられない。以来、毎年参加するようになり、あまりにのめり込んで、関連するレコードや資料を収集したり、東京で白鳥おどりに関する体験イベントを開催したり、現地の関係者に取材をして記事を作ったりもした。挙げ句の果てには踊るに飽き足らず、白鳥おどりのお囃子を練習する会まで仲間たちと作ってしまった。 筆者が初めて白鳥おどりに参加した時の写真。深夜0時、土砂降りの雨の中、大勢の人が明け方まで踊っていた(2014)    そんな、私の偏愛する白鳥おどりも継承問題とは無縁ではない。特に近年、大きな問題となっているのが、祭りを支えてきた商店街の衰退だ。町の中心地となる越美南線「美濃白鳥駅」周辺には多くの商店が軒を並べる。この商店主たちが長らく白鳥おどりの運営を担ってきたが、お店の廃業、それに伴う発展会(商店街の組織、白鳥町の商店街は複数の発展会で構成されている)の解散、店主たちの高齢化によって、商店街が運営から離脱しつつあるという。 昼間でも静かな美濃白鳥駅前の商店街    長年白鳥おどりを見つめてきた地元の方々は、その最盛期を昭和50〜60年頃だと証言する。踊りの輪が何重にも形成され、町を人が埋め尽くした。もちろん商店にもずっと活気があった。いまも勢いのある祭りではあるが、昭和末期の最盛期と思しき写真を見ると、明らかに近年の踊り子の数は当時と比べ減少している。それはなぜか。 1985(昭和60)年の徹夜おどりの様子 出典:白鳥踊り保存会五十年史    歴史をたどっていくと、白鳥おどり隆盛の背景には、戦後の好景気によって力を増した町の商店街の存在があったことが見えてくる。そこでこの記事では、白鳥町の商店街繁栄の歴史を補助線としながら、白鳥おどりがいかに誕生し、発展していったのか、その経緯を明らかにしてみたいと思う。 白山信仰の拠点として発展してきた白鳥町    岐阜県中部、福井県の県境に接する白鳥町は、古くから白山信仰の拠点として栄えてきた。白山信仰とは、石川県、福井県、岐阜県の3県にまたがる標高2,702mの白山を崇拝の対象とする山岳信仰である。奈良時代に泰澄(たいちょう)という僧が白山に登り、山頂に奥宮を祀ったことで、白山信仰は修験道として体系化され、山伏たちの布教によって全国に広まった。    白山信仰が普及すると、「白山まいり」をする人々の道が整備されていく。白山に至る道は石川、福井、岐阜と三方から開かれていき、奥美濃から白山方面への道筋に位置する白鳥周辺も「美濃馬場(ばんば)」(馬場とは信者が修行する場所)としてにぎわいを見せることになった。 白山信仰の美濃方面における聖地の一つ、白山中居神社(白鳥町石徹白)。かつて信者たちはこの神社にお参りしてから、白山へと向かった    そんな白鳥も、明治から大正初期までは長良川の支流・上保川(かみのほがわ)沿いに点在する集落の一つに過ぎなかったという。しかし、越前街道・飛騨街道が交差する交通の要所でもあったことも起因し、次第に商業の中心地として発展を遂げていくことになった。    木材・繭・生糸・家畜などの農林産物を始め、食料その他の消費財の集散・通過の地点として周辺地域に広範な販路を持ち、周辺農家を中心とする消費需要の伸長と、交通機関の発達に伴って、次第に商取引の規模も大きくなってきた。 (白鳥町教育委員会 編『白鳥町史 下巻』より)    1909(明治42)年には白鳥に「商業組合」(『白鳥町史』では「商業会」)が結成され、現代に連なる近代的な商店街の原型がこの時期に出来上がったと見える。 明治中頃の本町通り 出典:写真に残った白鳥 我がふるさと    1928(昭和3)年、町制施行により上保町から白鳥町に改称。1933(昭和8)年には、町内に国鉄越美南線の「美濃白鳥駅」が開業した。駅前通りが新設された頃から店舗数が増加。1935(昭和10)年頃には、白鳥町の商家戸数は168戸(全戸数の16.8%)、商店人口は802名(18.0%)となった。この時代、白鳥町内には芸者を抱えた料理店まであったようで「夕方になると首を真白くした女衆が、白鳥稲荷神社へお詣りをしてにぎわった」という古老の証言が『白鳥町商工会二十年のあゆみ...

「女性指揮者ブーム」?【指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】

「女性指揮者ブーム」?【指揮者・阿部加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】

ある時は指揮者、またある時は作曲家、そしてまたある時はピアニスト……その素顔は世界平和と人類愛を追求する大阪のオバチャン。ヨーロッパを拠点に年間10ヵ国以上をかけ巡る指揮者・阿部加奈子が出会った人、食べ物、自然、音楽etc.を通じて、目まぐるしく移りゆく世界の行く末を見つめます。 時代の転換期 みなさん、こんにちは! 今月から、3月にオランダ国立歌劇場で初演する現代オペラのリハーサルが始まりました。《ゼロ度の女》の作曲家、ブシュラ=エル・トゥルクさんの新作オペラ《ウンム》です。「ウンム」というのは、アラブ世界では誰もが知る有名な歌姫ウンム・クルスームの名前。アラビア語で歌われる彼女の歌を背景に、とある母と息子の物語が展開します。 演奏は、アムステルダム・アンダルシア・オーケストラ。オーケストラといっても奏者は12人、ほぼ全員が民族楽器の演奏者で楽譜を読める人はわずか数人、という編成です。いわゆる西洋のクラシック音楽とはチューニングも楽器の特性も異なるので、指揮もなかなか一筋縄ではいきません。しかし彼らと仕事をしていると、世界にはまだまだいろんな音楽や多様な表現方法があるということをヒシヒシと感じます。新しいことをたくさん吸収したい私にとっては、毎回が刺激と発見の連続です。 西洋の占星術によると、我々は今ちょうど200年に一度の大きな転換期にあるんだそうです。なんでも、形あるものを重視する物質主義の「土の時代」から、多様な価値観や自由な精神性に重きを置く「風の時代」に移り変わりつつあるのだとか。特に占星術を信じているというわけではないんですが、私自身もこの数年、自分が身を置いている世界の変化を感じていました。 「女性指揮者ブーム」の到来 その変化の一つに、「女性指揮者ブーム」があります。しばらく前からこの言葉を耳にするようになりました。確かに、指揮台に立つのは長らく男性がほとんどでした。もちろん、女性がまったくいなかったわけではないですよ。でも、私の二世代くらい前の先輩方には相当な苦難があったようです。指揮者になったものの壮絶ないじめにあったとか、安定したポストにつけなくて苦労した、という話をたくさん聞きました。それが、現在ではだいぶ潮目が変わっています。日本では沖澤のどか(1987~)さんがブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した2019年頃からでしょうか、指揮者として活躍する女性が増えてきました。 世代の異なる2人のポーランド人指揮者、ゾフィア・ウィスロッカさん(左から2人目)とアンナ・デュツマルさん(右)。女性の指揮者がほとんどいなかった時代に苦労を味わったゾフィアさんは、国際女性マエストロ協会の発起人として女性指揮者の育成・活躍にも尽力されています。 世の中全体がダイバーシティを推進するようになったことも、もちろん影響しているでしょう。これまでの反動か、ヨーロッパではむしろ「女性をどんどん使いましょう!」といって、エージェントが女性の指揮者を積極的にプッシュすることもあるようです。私も知り合いの男性指揮者から、「君は女だからいいよな。今の時代、女性指揮者の方が仕事をもらえるもんな」なんて言われたことがありましたっけ。言ってみれば、今は前の時代の反動で、振り子が正反対に振り切れているような状態なのでしょう。 昨年だけでも、世界有数のオーケストラの音楽監督や芸術監督に就任した女性の指揮者が何人もいました。でも、彼女たちの就任は決して「女性指揮者ブーム」に乗じたものではなく、然るべき実力を評価された結果だと私は見ています。これまでは、実力があっても女性はなかなか相応のポストにつくことはできませんでした。時代の風向きが変わって、今ようやく実力が正当に評価されるようになったのだと思います。 しかしこの「女性指揮者」という言葉、皆さんは違和感ありませんか。私にはなんだか「男がすなる指揮といふものを、女もしてみむとて……」というニュアンスが含まれているように感じてしまいます。今でも時々「女性指揮者の阿部加奈子さんです!」と紹介されることがあり、思わずモヤッとした気持ちになります。もちろん本人に他意はないことはわかっているんですけどね。 同じような言葉に、「マエストロ」「マエストラ」という使い分けがあります。フランス語も男性なら「le chef d'orchestre」ですが、女性になると冠詞もその次の単語も変わって「la cheffe d'orchestre」になる。でも私自身は、わざわざ性別によって言い換えなくていいんじゃない?と思っています。日本語には少なくとも文法上「性の一致」がありませんから、あえて「女性指揮者」という必要はないですよね。もしかしたら、「女性指揮者ブーム」が落ち着く頃には、この言葉自体も使われなくなっているのかもしれません。 リハーサル中の一場面。休憩時間に奏者の質問に答えているところ。 「女性指揮者ブーム」の背景にあるもの ブームのもう一つの背景として、プロオーケストラの水準が向上したことも大きいと思います。カラヤンやフルトヴェングラーに代表されるように、かつてはカリスマ的な指揮者が強いリーダーシップを発揮し、オーケストラを引っ張っていくやり方が主流でした。しかし現在、プロオーケストラの技術は全体的に当時よりもずっと向上しています。その要因としては音楽教育制度の充実と普及、またそれによって個々の演奏家の技術が向上したことなども挙げられるでしょう。オーケストラはある意味一つの生き物のようなものなので、集団で一つの音楽を作ることを通じて優れた技術が次の世代に受け継がれ、時間と共にグループ全体が成熟を遂げていきます。そうしてオーケストラのレベルが向上した結果、強権的なリーダーを必要としなくなった、と言えるのではないかと思います。 今や、ベルリン・フィルとかウィーン・フィルのようなトップレベルのオケは、指揮者がいなくても定番の交響曲ぐらいは演奏できるんです。つまり、単に拍子を取るとか音を揃えるだけなら、もはや指揮者は必要ない。では、オケが指揮者に何を求めているのかというと、それは「音楽性」なんです。指揮者がいったいどんな優れた解釈を持っていて、自分たちをどれほど驚きに満ちた新しい世界に導いてくれるのか? 自分たちの魂をどれほど崇高なところへ誘ってくれるのか? それを期待しているはずです。だって、楽員の一人一人がすでに経験豊かな、音楽を愛する人々なのですから。 リハーサル中、オケのメンバーに特殊な奏法の説明をしている図。 カリスマ指揮者の時代は、オーケストラの運営もトップダウンで決められることが多かったのが、今では楽員の意見を尊重し、民主的に運営されるようになっています。たとえば、初めて客演した指揮者がその後も同じオーケストラから呼ばれるかどうかというのは、楽員さんたちの意見によるところが大きい。それはカラヤンの時代にはありえないことでした。 今の時代に求められる指揮者像 今の指揮者に求められるのは、自分の持つ音楽的信念を押し付けるのではなく、すべてのメンバーが納得して理解できるように伝えるコミュニケーション力。そして多くの人に目を配り、耳を傾ける細やかな気配り。そうしたことができる指揮者が、オーケストラから支持されるようになっています。この時代の流れに、「女性指揮者」という存在がうまくフィットしたのではないでしょうか。 もちろん、女性だからといって必ずしも全員が同じような指揮のスタイルを持つわけではないし、男性指揮者の中にも神経の細やかな人はたくさんいます。あまり物事を「男性・女性」という属性で判断してはいけませんが、「統計的に」女性によく見られる気質とか傾向というのはきっとあるでしょう。昨今の「女性指揮者ブーム」は、今の時代が求める指揮者像に、女性が持つ特質が当てはまった結果なのではないかと考えています。 父性と母性を持ち合わせた指揮者 もっと言うと、私が「優秀だなぁ」と思う人は男性か女性かにかかわらず、父性と母性を両方兼ね備えていることが多いと感じます。父性とは、物事を大局的に捉え、包容力を持って判断する力のこと。母性は、見過ごされがちな細部にまで心を配り、的確にフォローする細やかさ。そんなイメージでしょうか。 私の師匠で現在N響の首席指揮者であるファビオ・ルイージ(Fabio Luisi,...

民族音楽だけじゃない! 心安らぐ癒しの音色『カリンバ』の魅力に迫る

民族音楽だけじゃない! 心安らぐ癒しの音色『カリンバ』の魅力に迫る

  (本記事は、2022年5月に執筆した記事を再掲載しています。) 「カリンバ」という楽器を聞いたことがありますか? 人気ゲーム『あつまれどうぶつの森』にも登場して注目されるなど、おうち時間が増えた今、静かなブームを巻き起こしています。「癒される」とハマる人が続出のこのカリンバ、一体どんな楽器なのでしょうか。 木製の箱の上に並んだ金属の棒を、指で軽やかにはじいて演奏する楽器、カリンバ。楽器名を知らなくても、その音色を聴けば、「オルゴール?」「デパートや歯医者さんのBGMでよく聴く、インストゥルメンタル音楽みたい」と思う人もいるかもしれません。アフリカの伝統的な民族楽器で、親指ではじいて演奏することから“親指ピアノ”と呼ばれたり、その柔らかな音色から“ハンドオルゴール”と呼ばれることも。聴けば誰もが心が落ち着き、“癒される”と感じることでしょう。長引くコロナ禍でおうち時間が増え、現在爆発的に売り上げを伸ばしているというこのカリンバ。楽器店やネット通販などでも気軽に購入することができ、3〜4千円と価格も手頃。指ではじくだけで、誰でも簡単に演奏できることもあり、「気軽に始められる」と人気が高まっています。20年以上前に楽器店で働いていた筆者は、民族楽器が好きで、このカリンバをはじめ、インドの弦楽器「シタール」や、ペルーの縦笛「ケーナ」、木で出来た棒状の本体を上下に振ると、雨が振っているような音がする「レインスティック」など、さまざまな民族楽器を取り扱ってきました。中でも価格の手頃なカリンバは、結婚式や忘年会の余興で演奏するために購入する人も多く、プレゼント用としても人気がありました。当時、このカリンバで演奏する曲目といえば、民族音楽のほかには童謡などのやさしい曲が中心でしたが、YouTubeで検索すると、クラシックの名曲から映画音楽、最新のヒット曲やオリジナル曲まで、世界中のさまざまなカリンバ動画を見ることができます。​​​​​​​ 民族音楽だけではない、カリンバの可能性   人気ゲーム『あつまれどうぶつの森』にもアイテムとして登場していることもきっかけとなり、この数年でカリンバの知名度はずいぶん上がりました。カリンバブームの牽引役ともいえる“カリンバYouTuber”のMisaさんは、YOASOBIの『夜に駆ける』や、人気ボカロ曲『千本桜』、『となりのトトロ』『魔女の宅急便』などのジブリ映画音楽など、流行曲やヒットソングをカリンバで軽やかに演奏し、コンスタントに動画をアップ。民族音楽だけではないカリンバの可能性を追求し、その音色の美しさや気軽に奏でられる楽しさを広め、注目を集めています。     そもそも、Misaさんはどのようにしてカリンバを知ったのでしょうか。「きっかけは、通勤電車の中で見ていたYouTubeでした。もともとYouTubeを見るのが好きで、ポップスや洋楽など、いろいろな音楽動画をチェックしていたのですが、ある日突然おすすめに出てきたのが、『OCEANS』という海をバックにカリンバを弾いている海外の動画でした。サムネイルにカリンバが映っていたのですが、最初はそれが楽器ということもわからず、『何だろうこれ?』と、何気なくクリックしてみたんです」(Misaさん)ほんの好奇心から観てみたカリンバ動画。「とても癒される美しい音色に、驚いたと同時に感動しました」というMisaさんは、直感でこの楽器の可能性を感じ、その日のうちにネットで注文。翌日に到着し、自分でも「YouTubeで発信することを決意した」といいます。Misaさんにこれまでの音楽遍歴を尋ねたところ、原点となっているのは子どもの頃に始めたピアノで、中高時代に熱中していた吹奏楽部での経験も、現在に大いに生きているそうです。「幼稚園の頃からピアノを始め、中2くらいまでやっていました。中高は吹奏楽部でオーボエを担当し、中学時代はマーチングの全国大会にも出場するなど、かなり熱心に取り組んでいました」(Misaさん)大人になってからは、ピアノやオーボエを演奏する機会はめっきり減ってしまいましたが、音楽が好きなことに変わりはなく、Misaさんの周りは常に音楽であふれていました。そんな時に出会ったのがカリンバだったのです。「カリンバは、自分で弾いていてもその音色に癒されますし、アレンジを考えるのもわくわくします。オーボエも好きですが、音量を考えると家で吹くのをためらってしまいますし、オーケストラや吹奏楽団などに所属しないと難しいですが、カリンバは音量を気にすることもなく、1人で気軽に楽しめるのも魅力ですね。軽くてどこにでも持ち運びができるので、旅先に持って行ってきれいな景色をみつけると、そこで演奏して動画を撮ることもあります。風景とのマッチングを考えるのも楽しいですね」(Misaさん)     YouTubeでは、定期的に動画をアップすることが重要ですが、継続することの大切さは、部活動からも学んだといいます。「中高の部活動で、音楽の楽しさや、毎日コツコツ努力することの大切さを学びました。その時の経験が、日々の動画制作にも生きているなあと、つくづく感じます」(Misaさん)「カリンバが気になるけれど、何から初めていいのかわからない」という人もいると思いますが、現在はさまざまな楽譜集が出版されています。Misaさんも、これまでに初心者向けの教則本や楽譜集を数冊出版していますが、今回新たに出版された『豪華アレンジで楽しむ Misaカリンバセレクション』(ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)は、どのような点にこだわったのでしょうか。「これまでの教則本や楽譜集は、初心者や中級者向けにどんどんステップアップしていく構成で、楽譜も意識して初心者や中級者向けに作っていましたが、今回は完全に私の動画でアップしているアレンジを採用しています。けっこう難しい部分もあると思うんですけど、自分が今できる限りのアレンジを詰め込んだので、ぜひお楽しみいただけるとうれしいです」(Misaさん)カリンバといえば、民族音楽や童謡などを奏でることが主流だった時代を知っているだけに、日本から遠く離れたアフリカの民族楽器でJ-POPやボカロ曲など自由に演奏し、大勢の人たちとYouTubeで楽しさを共有しながらコメント欄で盛り上がることができる現在は、すごい時代になったものだなあ……と、しみじみ感じます。昔はこのような楽しみ方はなく、SNSや動画サイトが当たり前となった、現代ならではといえるでしょう。まだまだ続きそうなおうち時間。年齢問わず気軽にチャレンジできるカリンバで、さらに充実させてみませんか?   <PROFILE> Misa 2019年11月にカリンバに出会いYouTubeに演奏動画を投稿スタート。オルゴールのような癒しの音色のカリンバで演奏する動画が人気急上昇。YouTubeの総再生回数は2200万回。チャンネル登録者は13万人を超える。(2022年5月現在) 各メディアに演奏動画が取り上げられるなど、活動の幅を広げている。 Official Web Site:https://misa-kalimbamusic.com/topYouTube:https://www.youtube.com/channel/UCXxhNwJYn9qcEaevTQebmCwX(旧Twitter):https://x.com/misa_kalimbaInstagram:https://www.instagram.com/misa_kalimba/   Text:梅津有希子   本記事で紹介した楽譜   豪華アレンジで楽しむ Misaカリンバセレクション (発行:ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)...