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「本棚の前で音楽と……」~音楽ライター・小室敬幸が誘う読書ノススメ~ 【第6回:「自意識の煮こごり」として自伝を読む】

「本棚の前で音楽と……」~音楽ライター・小室敬幸が誘う読書ノススメ~ 【第6回:「自意識の煮こごり」として自伝を読む】

  音楽ライター・映画音楽評論家の小室敬幸氏が “今、読むべき1冊” を、音楽を愛するあなたにお届けします。第6回は、「自意識の煮こごり」として自伝を読むです。   悲観主義者(ペシミスト) オネゲルの自意識   ベルナール・ガヴォティ様 あなたは、あなたが監修しておられる《わが職業》という名の叢書のために、音楽の作曲家に関係した本を一冊書きおろせとおっしゃる。わたしはなにも、あなたの提案のうらをかんぐって、どこか皮肉な感じがするなどという気はありません。《わたしは作曲家である》と宣言するわけですね。それにしても、だれかが《余は詩人である》と確言したら、それをきいている者が微笑するくらいのことは考えていただきたいものです。交番で身元を尋問されているとき、こんな宣言をしたら、その罰としておきまりのげんこを見まわれるのがおちでしょう。(吉田秀和 訳)  フランス語による原著が1951年、日本語訳が出版されたのが1953年(1970年に改訳)なので文章自体には古色蒼然な印象を受けるかもしれない。だが、今もテレビのニュースで「自称ミュージシャンの○○」といった報道がなされたりすることがあるのだから、語られている内容は現代にも通ずる感覚だ。  引用したのは作曲家アルテュール・オネゲル(1892〜1955)が自らについて語った《わたしは作曲家である Je suis Compositeur》の書き出し部分である。「どこか皮肉な感じがするなどという気はありません」とはいうものの、誰がどう読んでも皮肉だろう。  そもそも《わが職業》という叢書(=シリーズ)には他にも、あの高級ブランドDiorの創設者クリスチャン・ディオール(1905〜1957)による《わたしはクチュリエ(服飾デザイナー)である Je suis couturier》などがラインナップされていたというので、《わたしは〜である》というタイトルはシリーズ共通のもの。本来は余計なニュアンスを削ぎ落とした即物的なタイトルであるように思うのだが、オネゲルの書き出しを読んでしまうと――彼自身が付けた題ではないのにもかかわらず!――こじれた自意識そのものに思えてくるのが面白い。  今回取り上げたいのは、音楽家たちが自分自身について語った文章から視える「自意識」だ。オネゲルの場合は、“作曲家”という肩書に対するイメージが、自分と世間一般で大きく乖離していることを自虐的に、そして悲観的に表明したのが先ほどの文章だったといえる。次にご紹介したいのは、かのジョン・ケージ(1912〜1992)が異なる次期に自らの人生を振り返ったことで視えてくる自意識だ。   35歳と77歳、ふたりのケージ    ケージといえば、舞台上で演奏家がまったく音を出さない《4分33秒》(1952年)がとりわけ有名であるように、それまでの既成概念を打ち壊していった作曲家として知られている。1989年には京都賞(思想・芸術部門〔受賞当時は精神科学・表現芸術部門〕)を受賞しているのだが、「業績ダイジェスト」として次の一文が掲載されている。   「偶然性の音楽」をもって、伝統的な西洋音楽に非西欧的音楽思想や音楽表現による大きな衝撃を与えるとともに、その音楽表現を現代音楽の主要な様式の一つに定着せしめ、終始、現代作曲界の最尖鋭部分の牽引力として自己変革の先頭に立ち、音楽家のみならず、舞踏家、詩人、画家、彫刻家、写真家など広い分野の芸術家に大きな影響を与えた現代アメリカを代表する作曲家である。  一言書き添えればケージの代名詞のようになっている「偶然性の音楽」は、中国の八卦(はっけ)に示唆を受けたもので、具体的にはコイン投げによって楽譜に記す音を確定させていった手法が有名だ。あるいは日本の「禅」を海外に広めた鈴木大拙から影響を受けていることも繰り返し語られてきた。だが、そもそもケージは何故、非西欧を志向するようになっていったのだろうか? 実は、その答えらしきものが2つの「自伝」を読み比べることで透けてみえてくる。  ただ「自伝」とはいっても2つとも出版を主目的としたものではなく、講演のために準備されたものである(現在ではオフィシャルな校正を経た英文が公開されている)。ひとつめは1948年2月28日にヴァッサー大学で行われたカンファレンスでの『作曲家の告白...

「本棚の前で音楽と……」~音楽ライター・小室敬幸が誘う読書ノススメ~ 【第5回:没後のアストル・ピアソラをめぐる愛憎劇】

「本棚の前で音楽と……」~音楽ライター・小室敬幸が誘う読書ノススメ~ 【第5回:没後のアストル・ピアソラをめぐる愛憎劇】

  音楽ライター・映画音楽評論家の小室敬幸氏が “今、読むべき1冊” を、音楽を愛するあなたにお届けします。第5回は没後のアストル・ピアソラをめぐる愛憎劇についてです。    「没後のアストル・ピアソラをめぐる愛憎劇」というタイトルから、遺産をめぐる骨肉の争いを想像した方もいるかもしれない。だが今回語りたいのはそうではなく、ピアソラをめぐって“音楽ジャンル”が衝突しているという話である……。   タンゴ業界から見たピアソラ   このままでは、たぶんピアソラはクラシックやジャズの人たちとのアクセサリーとして適当に扱われたあげく、忘れられてゆく  穏当とは言い難い、こんな主張をしているのは小松亮太氏だ。日本を代表するバンドネオン奏者であり、彼がいなければ現在の日本で、バンドネオンやタンゴはもっと縁遠いものになっていたことは間違いない。現役世代における最大の功労者といって良い存在だ。そんな彼が2021年4月に『タンゴの真実』(旬報社、2021)という著書を出版。そのなかには前述の主張のほかにも、   クレーメルが完成させたのは、醤油の存在を否定しながら作った和食のようなピアソラ・アルバムたちである。クラシックの演奏家にとってピアソラを弾くことは、タンゴを弾くことではなく、まずはピアソラという人を通してポピュラー音楽を弾く悦びなのだろう。だからピアソラのタンゴ的な部分にまで意識が届かないケースが多い  ……といったクラシック音楽の演奏家に対する歯に衣着せぬ批判が並んでいる。ただ、こうした類の主張は以前からあったものだ。例えば、小松氏も敬愛する“世界一”のピアソラ研究家・斉藤充正氏は『アストル・ピアソラ闘うタンゴ』(青土社,1998)において「タンゴの歴史」を語るなかで、   それにしても、決して皆が皆ということではないが、クラシックの演奏家たちはどうしてこんなにリズム感が悪いのだろう。聴くに堪えない録音ばかりなのは一体何故なのだ。これらの録音を収めたCDの解説には大抵、いつどこどこのコンクールで何位に入り、といった奏者の経歴が恭しく書かれているが、読んでいても空しくなるばかりだ。  ……と本音を隠さない。斉藤氏の疑問に――あくまで、この記事の読者のために――クラシック音楽サイドから答えるとすれば、優秀な演奏家ほど、ピアソラの感情豊かな旋律をロマン派的に解釈して緩急=アゴーギクをつけて演奏しがちだからだ。「(コンクールで賞を獲るほど)優秀なのに……」ではなく「優秀だからこそ!」なのである。  (※念のため補足しておくならば、例えばロマン派でもショパンは弟子に対して左手のビートを保ったまま、右手の旋律を揺らして歌うように教えていたというが、現在このような解釈は古楽に興味をもっている演奏家でもない限りは一般的でないように思う。)  小松氏は『タンゴの真実』の第13章「ピアソラを愛しすぎる人たちへ」という皮肉のこもったタイトルの章のなかで具体例を挙げながら、クラシックの演奏家たちのピアソラ解釈の何が問題なのかを具体的に解説しており、その批判も的を射ているのは間違いない。ただ、先に引用した「このままでは、たぶんピアソラはクラシックやジャズの人たちとのアクセサリーとして適当に扱われたあげく、忘れられてゆく」という指摘は言い過ぎどころか、クラシック音楽というものを理解していないが故の発言であるように思われてならない。クラシック音楽というのは誤読されてナンボの音楽なのだから。   誤読という名の多様な解釈に堪えうること    一例を挙げよう。譜例をあげたのはベートーヴェンの「第九」第4楽章のラストで、一旦テンポが落ちる部分だ。この頃にはメトロノームが発明されており、ベートーヴェンも所持していたため、具体的に[四分音符=60]――つまり[1拍=1秒]と指示されているのだが、長らくこの部分はフルトヴェングラーの録音を筆頭に八分音符(=四分音符の半分の音価)を1拍として――結果的におよそ2倍に引き伸ばされて演奏されてきた。  そのように演奏されてきた理由は、ベートーヴェンの指示したテンポが速すぎるとして彼のメトロノームが壊れていたと主張されたり、数字よりも文字で指示された(イタリア語で「荘厳な」という意味の)「Maestoso」のニュアンスを優先されたり等と、複合的に絡み合っている。日本ではまだまだ古楽と呼ばれることも多いHIP(歴史的知識にもとづく演奏)というアプローチが普及したことで、楽譜の指示に近い演奏も増えてきたが、何より重要なのは前述した明らかな「誤読」が誤読であることを超えて、長らく――何なら現在でも「伝統」として生き続けているということだ。  むしろ誤読されても尚、新たな魅力を放ち続けることが出来る音楽こそが「クラシック音楽」として残り、再演が重ねられていくのである。タンゴを愛する人々からは、タンゴを理解せずに演奏されるピアソラは魅力的ではないと反論が来るかもしれない。だが、クレーメルの「誤読」によってピアソラの生前以上に世界へ広まったという事実はタンゴ界隈も認めるところであり(嫉妬さえ感じられる……)、それこそが実にクラシック音楽らしいピアソラ受容なのである(クレーメルのピアソラは、ポストモダン的にポピュラー音楽を取り入れたシュニトケ的なアプローチという観点から読み解くべきだと思うが、それはまた別の機会に譲りたい)。  いわゆるクラシック音楽の場合でも、前述したHIPアプローチによるJ.S.バッハなどのバロック音楽じゃないと受け入れがたい、という人もいれば、古楽器は苦手と公言するリスナーも一定数存在している。どちらかを間違っていると断罪しないのが、クラシック音楽の特性であり、このジャンルの豊かさを生み出しているのだ。  ここでもうひとつ例を挙げよう。ピアソラを世界に広めたもうひとりの功労者であるヨーヨー・マに対しては、小松氏をはじめとするタンゴ界隈は寛容なことが多い(後述する『音楽の友』2022年11月号に寄稿された柴田奈穂氏の文章に登場する、スアレス・パスのリアクションにもご注目いただきたい)。その最大の理由は生前のピアソラと共演していたタンゴのミュージシャンと共演しているからだ。しかし私が疑問に思えてならないのは、ヨーヨー・マの演奏するピアソラの代名詞となった「リベルタンゴ」の演奏は、ピアソラが80年代にライヴで残した録音と比べるとあまりに退屈ではないかということだ。テンポが遅く、パーカッシヴ(打楽器的)な要素も弱いので熱狂度が物足りないのだ。  もちろん、ここまで語ってきたように、ヨーヨー・マのピアソラも否定するつもりはない。リベルタンゴが代表曲であるという、これまた「誤解」を含めてピアソラを世界へ広められたのは、それ相応の魅力があったからだろう。だが、仮にこれがタンゴとしては良いのだとしても、ピアソラに求めるものが“熱量”だとしたらヨーヨー・マの「リベルタンゴ」はつまらないという感想になってしまうのは仕方ない。何が言いたいのかといえば、タンゴ側だけの価値観でピアソラの良し悪しは判断できないし、するべきではないということだ。それぞれのジャンルやリスナーごとにピアソラのどの部分に魅力を感じるのかが違う……という至極当たり前の理由であることは言うまでもない。  そして小松氏も著書ではあのような発言をしているが、YouTubeにアップロードされている彼が編曲・演奏したブルックナーの交響曲第8番を聴いてみると、果たしてクレーメルのことを責められるのかと思えてならない。小松氏が偏愛する「ブルックナー」とクレーメルの「ピアソラ」は相似関係にあるかのようにみえてくる。  ...

「本棚の前で音楽と……」~音楽ライター・小室敬幸が誘う読書ノススメ~ 【第4回:『クラシック名曲「酷評」事典』の酷評は、真っ当な音楽批評である!? 】

「本棚の前で音楽と……」~音楽ライター・小室敬幸が誘う読書ノススメ~ 【第4回:『クラシック名曲「酷評」事典』の酷評は、真っ当な音楽批評である!? 】

  音楽ライター・映画音楽評論家の小室敬幸氏が “今、読むべき1冊” を、音楽を愛するあなたにお届けします。第4回は、音楽批評についてです。   100年前の『アンサイクロペディア』……としての『悪魔の辞典』    いきなりだが『アンサイクロペディア』というWEBサイトをご存知だろうか? 2005年から運営されているウィキペディアのパロディサイトである。例えば「音楽」という記事を検索して、最初の見出し“概要”を読んでみると「音楽は、人間が開発した依存性のある薬物の中で最も広く蔓延し、極めて強い作用を持つ危険ドラッグの一つである」という書き出しになっており、該当の事物を風刺するような視点やブラックユーモアでもって記述されている。ウィキペディア同様、特定の著者がいるわけではなく、誰でも編集が可能な「フリー八百科事典(※八百科は、嘘八百に掛かっている)」だ。   ▲アンブローズ・ビアスの肖像 (出典:Wikimedia)    こうした辞書・事典パロディの古典とされているのがアメリカのジャーナリスト、アンブローズ・ビアスによる『悪魔の辞典 The Devil's Dictionary』(1911)である。日本では筒井康隆ほか、様々な人々によって訳されているので、読んだことはなくても存在は知っているという方が一定数いるに違いない。例えば岩波書店から出版された邦訳で「ピアノ」という項目を引いてみると「性こりもなくやってくる訪問客を取って押えるのに使う客間用の道具。これを操作するには、この機械の鍵盤を下へ押し下げると同時に、聞いている奴の気を滅入らせさえすれば、それでよい。(西川正身 訳)」と書かれている。  うーむ、なんだか分かるようで分からない、意味を掴みきれない文章だ。英語の原文にあたってみると前半は「A parlor utensil for subduing the impenitent visitor.」となっている。先ほど引用した邦訳ではsubduingを“取って押える”と訳しているのだが、「(ピアノで)取って押える」という表現はどうにもピンとこない。どちらかといえばSubduingを「制圧する」というニュアンスに捉え、「ピアノ〔の演奏〕は不都合な来客さえ黙らせることができる」という主旨の文章と理解すべきではないか。  一方、原文の後半をみてみると「It is operated by...

「本棚の前で音楽と……」~音楽ライター・小室敬幸が誘う読書ノススメ~ 【第3回:指揮者が語る、指揮者について語る音楽書】

「本棚の前で音楽と……」~音楽ライター・小室敬幸が誘う読書ノススメ~ 【第3回:指揮者が語る、指揮者について語る音楽書】

  音楽ライター・映画音楽評論家の小室敬幸氏が “今、読むべき1冊” を、音楽を愛するあなたにお届けします。第3回は『小澤征爾さんと、音楽について話をする』『マエストロ・バッティストーニのぼくたちのクラシック音楽』といった「指揮者が語る、指揮者について語る」音楽書を紹介いたします。   「実際に音を出しているのはオーケストラなのに、指揮者でそんなに変わるの?」 これまでの人生であまりクラシック音楽に触れてこなかった人にとっては、当然の疑問のようだ。人生の折々で似たような質問を投げかけられた。ちなみに今の私は「スポーツチームの監督のような存在。いくら能力の高い選手が揃っていても、監督の采配が悪いと実力を発揮できないでしょ? その逆も然り」と答えることにしている。本番の采配だけでなく、ビルダーとしての能力が求められる点も指揮者と監督は似ている。  指揮者によって演奏解釈がどれほど異なるかは、同じ楽曲を違う指揮者で――それもロマンティックなフルトヴェングラーと古楽のアーノンクールのように、対極に位置する指揮者を――聴き比べることで、誰の耳にも明らかになるだろう。 フルトヴェングラー     アーノンクール    だが「何故そのように違う解釈に辿り着いたのか?」という疑問に(クラシック音楽オタク的な聴取体験をもとにした帰納的回答ではなく)答えるためには、その指揮者の思想や思考過程を追う必要があるので案外と厄介だ。弟子に教え継がれている口伝の情報も大事だが、一般の音楽ファンが気軽に触れられるのは指揮者が残した著作になるだろう。     指揮者が語る    指揮者本人が指揮について語った本を大きく分類すると、おそらく3つに分けられるのではないか。  1つめは、バトンテクニック(指揮の振り方)を具体的に解説したもの。最も有名なのは、小澤征爾をはじめ国内外で活躍する指揮者を数多く育てた齋藤秀雄の『指揮法教程』(音楽之友社,初版1956年)だ。日本では今もこれを教科書として指揮のレッスンをしている先生が多いのだが、実際に指揮を習うのでなければ特に読む必要はないだろう(指導してくれる先生がいないと理解しづらいという問題もある)。  2つめは、自らの思想を抽象的に語ったもの。フルトヴェングラーの『音楽を語る』(河出書房新社)や、チェリビダッケの『増補新版 チェリビダッケ 音楽の現象学』(アルファベータブックス)あたりが代表例だろう。結論からいえば、ファーストチョイスに一番向かない本で、その指揮者のことを理解した上でないと読み解いていくのは困難なのだ。そういう意味で、例えばフルトヴェングラーについて理解を深めたいなら、まずは第三者が書いた伝記を参照すべきだ。  3つめは、自らの経験をシェアしていくもの。自伝やエッセイのなかで語られる音楽論も多くはこれに分類される。最も豊富に残されたこのタイプのなかで、私が一番衝撃を受けたのはサー・エードリアン・ボールト(1889〜1983)の『指揮を語る』(誠文堂新光社)になるだろうか。日本語訳が出版されたのは1970年と古い本ではあるのだが、指揮姿が映像の遺されていない作曲家のエルガーや伝説の指揮者ニキシュについて語っている内容などが非常に興味深い。19世紀末に生まれたボールトの世代と、それから10〜20年後に20世紀になってから生まれた指揮者では、指揮法の考え方にかなり断絶があるのではないか等、考えさせられることが多かったため、今も印象に残っているのだが、いかんせん絶版になってから久しいので図書館でお探しいただくしかない……。  その他に、学者のようなスタンスで研究成果をもとに演奏法を論じた、アーノンクールの『古楽とは何か――言語としての音楽』(音楽之友社)、『音楽は対話である モンテヴェルディ・バッハ・モーツァルトを巡る考察』(アカデミア・ミュージック)のような例もあるが、これは指揮者による著作というよりも、(指揮者以外も含めた)古楽の演奏家の文脈にあるものと捉えた方がよいだろう。      ここまでお読みいただければ分かるように、3つめにご紹介した「自らの経験をシェア」するタイプの指揮者の著作が、多くの人にとっては最も読みやすいはず。現在も手に入れやすい本のなかでお薦めしたいのはまず、小澤征爾×村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮文庫)だ。音楽書としては異例の大ヒット――それは音楽書ではなく村上春樹本として売れたからなのだろうが――になり、現在は文庫版(追加の文章が掲載されているので、文庫版および電子版を推奨!)で手軽に購入できる。...

「本棚の前で音楽と……」~音楽ライター・小室敬幸が誘う読書ノススメ~ 【第2回:音楽家の伝記 】

「本棚の前で音楽と……」~音楽ライター・小室敬幸が誘う読書ノススメ~ 【第2回:音楽家の伝記 】

  音楽ライター・映画音楽評論家の小室敬幸氏が “今、読むべき1冊” を、音楽を愛するあなたにお届けします。第2回は『作曲家◎人と作品シリーズ』『ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命』『音楽家の伝記 はじめに読む1冊 小泉文夫』といった音楽家の伝記について読む際の注意点やその他お薦めの作品を紹介いたします。    通常の本棚に加え、窓枠にあわせてオーダーメイドしてはめ込こんだ本棚に、デスクの上には書籍を横に積み上げるように作られたブックタワー。サイドテーブルの上には現在仕事で使う本や献本されたばかりの書籍が積まれたまま……。我が家を圧迫する音楽書の一部である。実際に数えたわけではないが、占める割合で最も多いのは、伝記・評伝のたぐいであると思われる。理由は単純。私が仕事として、コンサートやアルバムのプログラムノートを執筆しているから。曲目解説の文章を書く上で、その曲の「楽譜」と作曲者の「伝記」は必須の資料なのである。     伝記とは何か?    「楽譜」の違いやその選び方については以前の連載で様々な角度から光をあてたので、そちらをあたっていただくことにしよう。今回、話題にしたいのは「伝記」の方だ。多くの方が伝記と聞いて真っ先に思い出すのは、子どもの頃に読んだ偉人伝だろうか? 小説なのか漫画なのか、とられている表現形態がなんであれ、昔ながらの子ども向けの偉人伝は基本的に、その人物のポジティブな面を中心に描いてゆく。このスタンスは大河ドラマが近い。たとえば織田信長や豊臣秀吉が主人公であれば当然、明智光秀は基本的に悪役にならざるを得ないが、長谷川博己演じる光秀を主人公とした2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では、本能寺で謀反を起こされる信長側に非があることが強調されていた。  だが大河ドラマや歴史小説ならともかく、伝記とは本来そのようなものであってはならない。誤解なきように言っておくべきだろう。子ども時代に多くの人が読んだであろう偉人伝は、伝記という体をとった歴史小説・歴史漫画だったのだ(昨今は、そうではないものもあると伝え聞くが、ここでは深追いしない)。本来、伝記というものは記述される各々の情報が、どれほど確度が高い内容なのか、読み手に分かるように記さねばならないからだ。物語・読み物としての面白さは伝記にとっても大事だが、最優先すべきことではない。そこが小説や漫画と異なる。  そんなこと当たり前でしょ? そう思われるかもしれない。だが、本人が記した自伝・自叙伝、親族・関係者の証言となった途端、無批判に信じだす人々のなんと多いことか。読み物として面白くするため、記憶違い、都合の悪い事実の隠蔽、捏造、等々……。理由はなんであれ、自伝や証言は一次資料のひとつに過ぎない。批判的な目線で信頼性の検証がなされた上で、複数の資料を組み合わせながら当該人物の人生が文章で再構成されてゆく。これが伝記のあるべき姿であろう。   ▲『フォルケルによる伝記の表紙 (出典:Wikipedia)   作曲家の伝記とその注意点    クラシック音楽の世界で「伝記」といえば、まず筆頭にあがるのは作曲家を対象にしたものだ。作曲家の伝記が書かれる機会が増えてゆくのは18世紀後半のこと。いくつか例を挙げると、1760年にはジョン・メインウェアリング(1735-1807)が1759年に亡くなったヘンデルの伝記を匿名で出版。ヘンデルの伝記は1785年にもチャールズ・バーニー(1726-1814)よって出版されている。  こうした昔の伝記でとりわけ有名なのが、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685〜1750)に関するものであろう。亡くなった4年後には、ヨハン・セバスティアンの次男C.P.E.バッハらによる『故人略伝』(1754)という文章が、死後52年を経た1802年にはより本格的な伝記であるヨハン・ニコラウス・フォルケル (1749-1818)が出版した『ヨハン・セバスティアン・バッハの生涯、芸術、および芸術作品について。心の音楽芸術の愛国的賛美者のために Ueber Johann Sebastian...

「本棚の前で音楽と……」~音楽ライター・小室敬幸が誘う読書ノススメ~ 【第1回:『現代音楽史――闘争しつづける芸術のゆくえ』】

「本棚の前で音楽と……」~音楽ライター・小室敬幸が誘う読書ノススメ~ 【第1回:『現代音楽史――闘争しつづける芸術のゆくえ』】

  音楽ライター・映画音楽評論家の小室敬幸氏が “今、読むべき1冊” を、音楽を愛するあなたにお届けします。第1回は、第35回ミュージック・ペンクラブ音楽賞(研究・評論部門)を受賞した沼野雄司著『現代音楽史――闘争しつづける芸術のゆくえ』(中央公論新社刊)です。    研究者ほどではないと思うが、音楽ライターという仕事柄、音楽に関する書籍に囲まれて日常を過ごしている。以前ならば頻繁に利用する書籍以外は当時勤務していた大学の附属図書館で借りていたのだが、コロナ禍になってからは図書館が長期にわたって閉まってしまうことも多く、全て自宅で完結するように資料を買い集めるように方向転換したからだ。昔は大型の書店に足繁く通っていたが、現在はAmazonを中心に、もっぱらインターネット通販頼りとなってしまった。それまで使ったことのなかったメルカリで絶版となった書籍を探すことも増えている。  蔵書が急激に増えて部屋を圧迫していったため、何の気なしに計算してみると2021年の1年間、Amazonだけで(音楽書以外も含めて)45万円ほど書籍を購入していた。他のWEBサイトで購入した本もあるし、他にもCDやDVD、Blu-rayなども多数購入しているので、働いて稼いだお金で(長期的な目線で)仕事に必要な資料を買い集めているような状況となっている。更には仕事の一環で献本も多数いただくため、積ん読は増える一方だ。  そんな有様なので一冊を通読する場合は流し読み、精読する場合は書物仕事に必要な部分だけを取り出して……という形の読書が普段は多くなってしまうのだが、久しぶりにメモしながら(約18000字)、一冊丸々をじっくりと楽しみながら読んだ本がある。それが今年3月に、第35回ミュージック・ペンクラブ音楽賞(研究・評論部門)を受賞した沼野雄司 著『現代音楽史――闘争しつづける芸術のゆくえ』だ。  発売は2021年1月。その直後に購入して流し読みはしていたのだが、今年4月16日に日本最大級の読書会コミュニティ「猫町倶楽部」で本書を課題本として扱うので、しっかりと時間をかけて読み直したのである。猫町倶楽部については次回以降の連載で触れることとなると思うので、ここではこの『現代音楽史』という本がいかに待望されたものであったかを語ってみたい。     音楽史で「現代音楽」はどのように扱われてきたか?   『現代音楽史』のあとがきは、次のように始まる。    現代音楽史を書こうとした動機はいくつかある。  まず類書がほとんどないこと。日本語で書かれた書物で二十一世紀までを含めて通観できるもの、それもある程度コンパクトなものが必要だと考えていた。実際、いまだに柴田南雄『現代音楽史』(1967初版)を参照する人もいると聞くので(確かに名著ではあるが)、いくらなんでも情報や音楽史観をアップデートしなくてはならない。  今一度、当たり前の事実を強調しておいた方がよいだろう。これは“2021年”に出版された書籍のあとがきである。類書の筆頭格に挙げられた書籍が半世紀以上前のものであることに改めて驚くしかない(ちなみに1967年といえば武満徹の代表作にして、音楽の教科書にも掲載された、いわば日本を代表する現代音楽作品《ノヴェンバー・ステップス》が作曲・初演された年である!)。  もちろん1967年以降に、類書が一切発売されなかったわけではない。そもそも現代音楽に特化せずとも、「西洋音楽史」と題された書籍のなかでも20世紀まで取り扱われることが一般的だ。日本で最も多くの音楽学者から支持されている音楽史であろうグラウト/パリスカ著『新 西洋音楽史』(音楽之友社, 1998〜2001/訳者まえがきに2007年追記あり)は、1996年に出版された原著“A History of Western Music”の改訂第5版を翻訳したもの。上・中・下巻あるうちの下巻の後半で20世紀音楽に頁を割いているのだが、ヨーロッパの作曲家を取り扱った項目ではW. ルトスワフスキ(1913〜94)の交響曲第3番(1983)で、アメリカの作曲家を取り扱った項目ではD. デル・トレディチ(1937〜 )の《ファイナル・アリス》(1975)で締めくくられている。つまり、1980年前後までしか歴史が綴られていないのだ。  この「1980年」という年代は、西洋音楽の歴史を記述しようとする時、ひとつの壁となっているように思われる。2020年8月に出版された金澤正剛『ヨーロッパ音楽の歴史』(音楽之友社)のあとがきでは「若干の例外はあるものの、ほぼ一九八〇年代までを書いたところで筆をとどめた。それ以後の出来事はいまだ「歴史」として判断できかねると感じたからである」と記されている。日本音楽学会の会長などを歴任した金澤氏が、何故このような判断をしたかといえば、この数十年のあいだに「現代音楽」についての認識がかなり変わってしまったからだとしている。多くの人々によって共有されるような認識が得られるまでは、歴史として記述されるべきではないという判断なのだろう。...

そもそも「楽譜」とは何か? ~その2:歴史の変遷から辿る【演奏しない人のための楽譜入門#20】

そもそも「楽譜」とは何か? ~その2:歴史の変遷から辿る【演奏しない人のための楽譜入門#20】

この連載も遂に最終回。最後は、前回に引き続いて「楽譜」というものを改めて検討していきます。その1では「楽譜 music, music paper」という言葉を出発点にしましたが、今回は楽譜の成り立ちを歴史に沿ってみていきましょう。その過程のなかで、前回の記事で積み残した「五線譜の起源」と「オックスフォード大学において、五線譜が植民地主義的とみなされるようになったのは何故か?」(イギリスのテレグラフ紙に掲載された「オックスフォード大学の教授が“脱植民地化”を目指し、記譜法〔Musical notation〕に“植民地主義”の烙印を押す」というニュースから派生した話題です)という2つの事柄にも答えていきたいと思います。   言葉と音を結びつけ、音の高低を記録する   (出典元: Wikipedia)      楽譜の起源を遡っていくと「セイキロスの墓碑銘」のようなものに辿り着きます(これ以前にも断片的に残された旋律であれば現存していますが、「セイキロスの墓碑銘」は短くとも欠損がないため、代表例として挙げられることが多いのです)。時代については諸説ありますが、おおよそ1世紀前後の円柱型の石碑で、下に示したようなテキストが刻み込まれています。   (出典元:Wikipedia)   ギリシア語の詩の上に別の文字と記号が書かれていますが、これが今から2000年ほど昔の楽譜なのです。現代の五線譜に落とし込むと下の譜例のようになります。つまり、これら2つを対応させると、ギリシア文字の「C」がラ、「Z」がミ、「K」がド♯、「I」がレ……といったように音を示しており、その上に書かれた記号については、例えば「―」で音の長さが2倍に――つまり、基準の拍が8分音符だとしたら4分音符になり、「┘」で音の長さが3倍になることが分かります。ここでポイントとなるのは、高いミは「Z」、低いミは「┐」といったように、オクターヴ違いの音は異なる文字で表現されています。明らかに現在とは違いますよね。   (出典元:Wikipedia)    このように最初期はアルファベットと記号の組み合わせで旋律を記録していたのですが、9世紀以降に楽譜化(記譜)されたといわれるグレゴリオ聖歌の初期楽譜になると、歌詞の上に断片的な曲線が書かれるケースが使われたりしています。これは前の音から次の音へどのくらい音高が変わるのかが示されており、旋律の動きを記号化した楽譜をネウマ譜と呼ぶようになります。そしてアルファベットよりもネウマによる記譜が主流となっていくのです。   (出典元:Wikipedia)   11世紀以降になると、音の高さの基準となる譜線が用いられるようになる機会が少しずつ増えていき、直感的に音の高さが掴みやすくなります。この譜線を考案したのが、グイド・ダレッツォ(991/2頃~1033以降)という修道士でした。下の譜例は12世紀頃のネウマ譜なのですが、譜線の数が一定していないことが分かるかと思います。譜線の左側には「F」のような記号が書かれていますが、これがヘ音記号(F cref)の原型になったもの。つまり、この線の上に来る音符が「F(ファ)」であることを示しています。   (出典元:Wikipedia)    ...

そもそも「楽譜」とは何か? ~その1:言葉の意味から辿る【演奏しない人のための楽譜入門#19】

そもそも「楽譜」とは何か? ~その1:言葉の意味から辿る【演奏しない人のための楽譜入門#19】

   これまでの連載で当たり前のように取り扱ってきた「楽譜」について、改めてそれがどのようなもので、音楽とどう関わってきたものなのか? いま一度、今回の連載では考え直してみたいと思います。楽譜について考えるということは、ヨーロッパで発展してきた音楽について考えることと、ニアリーイコールといっても過言ではありません。何故なら、楽譜は英語に訳せば「music」もしくは「music paper」等となるからです。というわけで、まずは「音楽」とは何かという話に一旦立ち戻っていきましょう。   「音楽 music」という言葉の語源    西洋由来の「music」という概念が、日本で「音楽」と訳され、使われるようになっていくのはやはり明治以降とされています。「音を楽しむと書いて、音楽」といったような言説を様々なところで目にしますが、語源に従えばこの理解は正しいとはいえません。中国語では「音」は声、「楽」は楽器のことを指すため、歌と楽器の演奏をあわせて「音楽」という言葉が形作られているのです。「楽」という漢字は「楽しい」という意味で使われていません。  では、英語の「music」という単語はどのように生まれたのでしょうか? 「music」が初めて辞書に載るのは13世紀なのですが、これはフランス語の「musique(ムジーク)」が輸入されたものでした。このように順々にさかのぼっていくと、古代ローマで使われていたラテン語の「musica(ムジカ)」、そして最終的に古代ギリシア語「mousikē(ムシケー)」にまでたどり着きます。  ギリシア神話には、神々の長であるゼウスの娘で、文芸・音楽・舞踊・歴史・天文などを司る女神たち「ムーサ Musa」(※複数形だと「ムーサイ Musai」、英語に訳せば「ミューズ Muse」)がいて、彼女たちの「技 tékhnē」のことを「ムシケー mousikē」と呼びました。この「ムシケー」という言葉には、文芸なども含まれていましたが、前述した「musica(ムジカ)」のようにラテン語以降は他の芸術を含まずに「音楽」だけを表す言葉に細分化していったのです。     「楽譜」を英語でいうと?    現在、英語の「music」が指し示す範囲は、「音楽」そのものだけでなく…… 楽器や音声によって生じる楽音,一つ一つの楽曲 (a piece of music),それらを記録する楽譜や楽曲集,また音楽の鑑賞力や音感を指す.鳥や川など音楽的な美しい響き,快い調べなどもいう. 『英語語義語源辞典』(三省堂, 2004)より引用  ...

なぜ、完成した後も楽譜に手を入れ続けるのか? ~改訂癖のある作曲家たち【演奏しない人のための楽譜入門#18】

なぜ、完成した後も楽譜に手を入れ続けるのか? ~改訂癖のある作曲家たち【演奏しない人のための楽譜入門#18】

   クラシック音楽にある程度触れていらっしゃる方なら、曲名のあとにカッコ書きで(改定稿)(改訂版)(○○○○年版 or 稿)といったような表記をご覧になったことがあるはず。あるいは、(○○○○/○○年)といった感じでカッコ書きによって作曲年が付されている時、スラッシュのあとに表記されている数字は多くの場合、改訂された年を指しています。そこから改訂が施されている作品だということが分かるのです。こうした視点で色んな作品を眺め返してみると、完成した後に再度手を加えられた楽曲は案外と多いことに気付かされます。この「改訂 revision」という行為と、楽譜の関係について今回は深堀りしてみましょう。  なお、手書き譜や出版譜に修正を書き入れた楽譜については「稿」(英:version/独:Ausgabe)、第三者による浄書や校訂を経て出版された楽譜については「版」(英:edition/独:Fassung)と呼び分けています。 問題視されて議論になる改訂と、そうではない改訂……何が違うの?    「改訂」の問題が頻繁に取り沙汰される代表的な作曲家といえば、 アントン・ブルックナー(1824~96)でしょう。一方、同時代のウィーンで活躍していた ヨハネス・ブラームス(1833~97)は対照的に、ピアノ三重奏曲第1番 ロ長調 Op. 8(1853~54/89)などの一部の例外を除いて、改訂稿が話題になる機会は少ない作曲家といえます。両者最大の違いとなるのが、どの稿を演奏すべきかの判断が難しいという点です。   ▲アントン・ブルックナー(1824~96) (出典元:Wikipedia)    これまでの連載のなかでもたびたび説明してきたように、自筆譜に忠実であるだけでは不十分で、その後の経過も含めて作曲家自身の最終判断を追い求め、それを楽譜に落とし込む……というのが現代で重要視される「原典版」という“思想”でした。例えば前述した ブラームスのピアノ三重奏曲第1番 ロ長調 Op. 8を演奏する場合、ブラームスの最終判断にあたるのが1897年の改訂稿であることは自明であるため、研究や比較目的でもない限り、初稿(……に基づく1854年のジムロック版〔=初版〕など)はほとんど演奏されません。ブラームスの場合、改訂されていても初稿が破棄されて現存していないことが多い……という事情も絡んでいます。  ところがブルックナーの場合、最終判断がどこにあったのか?……という点について、専門家のなかでも大きく意見が割れてしまうのです。(※正確さを徹底しようとすると話がややこしくなってしまうので、ここでは大雑把な説明に留めておくことにします。)  ブルックナーの交響曲は、作曲者の存命中や亡くなって間もない頃から第三者(主に指揮者)が楽譜に大きく手を加えて演奏したり、出版(後に「改竄版」と呼ばれることも……)したりすることが珍しくありませんでした。これらを正式な改訂とみなさないのは当然だと皆さま納得されるかと思いますが、なんとブルックナー自身が手を加えたものであろうとも、それは周囲にいた指揮者らに強いられてであって、作曲者自身の本意ではなかったのではないか?……という見解をもつ人々があらわれてくるのです。  そうした人々が中心となって1929年に国際ブルックナー協会が設立され、「原典版」が出版されはじめます。編集の主幹となったのはロベルト・ハース(1886~1960)で、彼が校訂した楽譜が「ハース版」と呼ばれているものです。ブルックナーの最終判断を求めて、原則1曲につき1つの版を出版するという方針をとっていました。そのため、ハースの主観的な判断によって、異なる時期の改訂要素が混在する版が生まれることもありました。  ナチスと関係が深かったハースは戦後に追放されてしまい、今度はレオポルト・ノヴァーク(1904~91)が編集主幹を務めるようになります。ハースによる主観的な編集方針に批判的だったノヴァークは客観性を徹底。複数の初稿・改訂稿が存在する交響曲の場合は、すべて出版する……という方針がとられました。とはいえ、多くの指揮者は(改竄版とみなされたものは除き)最終的な改訂を選ぶのが一般的ですから、これで稿・版の問題も万事解決……かと思いきや、そうもいきません。  朝比奈隆(1908~2001)やギュンター・ヴァント(1912~2002)を筆頭に、ブルックナーを得意とする大物指揮者にハース版の根強い支持者がいたり、ノヴァーク版における判断が最新研究では覆されたり(第7番 第2楽章のシンバルの有無について、その結果、ハース版と同じに!)と、とにかく話は一筋縄ではいきません。  ...

《未完成》はシューベルトだけじゃない!未完作品の楽譜事情 ~ベートーヴェンの交響曲第10番を補筆する!?【演奏しない人のための楽譜入門#17】

《未完成》はシューベルトだけじゃない!未完作品の楽譜事情 ~ベートーヴェンの交響曲第10番を補筆する!?【演奏しない人のための楽譜入門#17】

   「ベートーヴェンの交響曲第10番」――といえば、19世紀の名指揮者ハンス・フォン・ビューローがブラームスの交響曲第1番をベートーヴェンになぞらえて賛辞を贈った言葉として知られています。ところが20世紀の後半になってから、ベートーヴェンが遺したスケッチをもとに《交響曲第10番 変ホ長調》を完成させてしまった猛者があらわれました。今回は、こうした作曲家が生前に完成することのなかった作品に関する楽譜をご紹介してまいりたいと思います。 ベートーヴェンの交響曲第10番は、本当にブラームスっぽい!?  ベートーヴェン(1770~1827)の交響曲第10番を完成させたのは、イギリス人のバリー・クーパー(1949~ )という人物です。バロック時代の英国で作曲された鍵盤楽器のための音楽を研究して博士号を取得した音楽学者でありながら、ベートーヴェン研究にも従事。彼自身が作曲家としての顔も持っていることから、このプロジェクトを遂行することにしたのでしょう。  もちろん、残されたスケッチをもとにして無闇矢鱈に作曲したわけではなく、信頼に値する人物として知られるヴァイオリニストのカール・ホルツ(晩年のベートーヴェンの秘書も務めた)が、ベートーヴェンがピアノで演奏する交響曲第10番を聴いたという具体的な証言などをもとに、スケッチを推定。書き残された指示をきちんと反映しながら、第1楽章だけが1988年に復元(?)され、まずはウィン・モリス指揮のロンドン交響楽団によって録音されました。    この音源は各種ストリーミングサービスで配信もされているのですが、実はオススメできません。というのも、序奏のアンダンテを2倍にしたテンポで、主部のアレグロは演奏すべきと考えたクーパーはそのように楽譜にメトロノーム記号を書き入れていたのですが、これは明らかに遅すぎるのです。クーパーの指示に従ったモリスが20分で演奏しているのに対して、後の録音では14~15分ほどで演奏されています。現在、楽譜はウニフェルザル社から新たな改訂を施したバージョンが2013年に出版されているのですが、クーパー自身の判断でアレグロのメトロノーム記号は、もう少し早いテンポに修正されました。  オススメしたい録音は、ダグラス・ボストック指揮のチェコ室内フィルハーモニー管弦楽団によるもので、かなりベートーヴェンらしい雰囲気を堪能することが出来ます。一方、比較対象として面白いのがクリストフ・ケーニヒ指揮のソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルクによるもので、少し重量感が加わることで、まるでブラームスの交響曲第1番のようにも聴こえてくるのです。日常的にオーケストラで演奏されるレパートリーにはなり得ないと思いますが、妄想しながら聴くには充分楽しめる作品といえます。   シューベルトの未完成は、1曲じゃない!?    未完成作品で最も知られたものといえば、やはりシューベルト(1797~1828)の交響曲第7番 ロ短調――通称《未完成》でしょう。通常はシューベルト自身が完成させた第1~2楽章だけで演奏されていますが、本来書かれるべきであるはずの第3~4楽章も演奏できるようにしようと考えた例が、これまでにも数多く存在しています。  第3楽章については、シューベルトが残した30小節分の楽譜があるのでそれをもとに補筆(残りの部分をシューベルトのスタイルに沿って、想像で補填)し、全く作曲された形跡のない第4楽章については、《未完成》の翌年に書かれた劇音楽《キプロスの女王ロザムンデ》D 797のなかの1曲、同じロ短調の調性による〈間奏曲第1番〉を転用するというやり方が主流です。こうした楽譜は演奏者自身が手掛けることも多いため、未出版だったりもするのですが、第3楽章だけに関しては指揮者フローラン・オラールが補筆したバージョンがシコルスキ社から出版されています。  なおシューベルトは、他にも未完成作品が多いことで知られており、他にも補筆の試みがなされています。交響曲では、ニ長調のD 936 Aという作品も様々な人により補筆の試みがなされていますが、そのうちで最も変わっているのがイタリアの現代音楽の作曲家ルチアーノ・ベリオ(1925~2003)による補筆です。  何が特殊かといえば、元の部分と馴染むように修復するのではなく、陶器の金継ぎのように新しく書き加えた部分の異質さを味わうという、かなり独特なやり方をしているのです。ベリオはこの作品に《レンダリング》(日本語に訳せば「演出」「解釈」「翻訳」「完成予想図」という意味)と名付け、ウニフェルザル社から出版されました。この楽譜には、シューベルトのスケッチも併記されているので、ベリオが何を書き足したのかが一目瞭然で分かるようにもなっています(ちなみに、他にもベリオはプッチーニの歌劇《トゥーランドット》で独自の補筆版を作成しています)。   ▲ルチアーノ・ベリオ: レンダリング 第3巻(英語,独語)/Wimmer & Schmidinger編   ――未完成作品を補筆した「成功作」と「今後の期待作」  ...

楽譜から辿る演奏の痕跡 ~グールド、ショパン、ブラームスはどんな演奏をしたか?【演奏しない人のための楽譜入門#16】

楽譜から辿る演奏の痕跡 ~グールド、ショパン、ブラームスはどんな演奏をしたか?【演奏しない人のための楽譜入門#16】

      前回は、Sheet Music Storeで購入可能なグレン・グールド(1932~1982)に関する楽譜を中心に取り上げ、あまり知られていない作曲家としての側面をご紹介して参りました。 今回は、取り上げずに残してあった残り1冊(Glenn Gould's Goldberg Variations: A Transcription of the 1981 Recording)をスタート地点にして、「演奏」の痕跡を辿れる楽譜をご紹介していきましょう。 グレン・グールドの演奏を楽譜に書き起こす    まずは、前回取り上げられなかったグレン・グールド絡みの残り1冊から始めてまいりましょう。書名は“Glenn Gould's Goldberg Variations: A Transcription of the 1981 Recording”――日本語に訳せば『グレン・グールドのゴルトベルク変奏曲:1981年録音のトランスクリプション』になります。J.S.バッハのゴルトベルク変奏曲といえば、グールドの代表的なレパートリーのひとつで、キャリア初期の1955年録音と、晩年の1981年録音がよく知られています(その他、ライヴ盤も発売されています)。  「トランスクリプション transcription」という言葉は通常、クラシック音楽においては管弦楽曲や歌曲などをピアノに編曲した楽曲に用いられます。ただし、今回の楽譜に関していえば「編曲」ではなく「文字起こし」というニュアンスが近いといえるでしょう。というのもこの楽譜、見開きの左ページ(偶数頁)にはバッハが書いたオリジナルの楽譜が、右ページ(奇数頁)にはグールドがどのように演奏したのか、装飾やアルペジオ(分散和音)を記号ではなく、具体的な音符とリズムで記譜しています。この右ページを、グールドの録音を聴きながら「文字起こし」をするように、音符を書き起こしていった楽譜なのです。  更に、どのようなアーティキュレーション(スタッカートやテヌートなど)で弾いているのか?...

楽譜から眺めるグレン・グールドの世界【演奏しない人のための楽譜入門#15】

楽譜から眺めるグレン・グールドの世界【演奏しない人のための楽譜入門#15】

 亡くなってから40年近く経つ2020年においても、ピアニストグレン・グールド(1932~1982)の人気は揺らぎそうもありません。 日本では批評家の浅田彰や、作曲家の坂本龍一といった著名人に偏愛されたことで、クラシック音楽のリスナー層を超えて愛好されるようになっていきました。かつては賛否が大きく分かれたバッハの録音も、長らくビギナーのファーストチョイスに挙がるような定番の名盤であり続けています。  わずか31歳でコンサートにおけるライブパフォーマンスに終止符を打ち、以後はレコードなどのメディアを通して演奏を発表してきたことは、グールドという音楽家を象徴する逸話として積極的に伝聞されてきました。ところが、それに比べるとグールドが作曲家・編曲家として手がけた作品は、熱心なクラシック音楽ファンやグールドマニア以外には知られていません。特にこの連載のテーマである「楽譜」を通してみると、グールドのあまり知られていない側面がみえてくるのです。  Sheet Music Storeで検索してみると、このサイトで購入可能なグレン・グールドに関する楽譜が数件ヒットしますので、これらを中心に書かれた順番でみていくことにしましょう。  ​​​​​ ピアノ・ソナタ    まずは1948~50年(16~18歳頃)にかけて作曲された《ピアノ・ソナタ Sonata for Piano》 です。緩徐楽章となる第2楽章までしか完成していないため、未完作品として扱う場合もありますが、2003年にショット社から出版されています。 (ちなみにエミール・ナウモフ Émile Naoumoffの演奏がCDになっていますので、気になる方は検索してみてください。)  解説によればパウル・ヒンデミットのスタイルで作曲された作品とされていますが、特に意識されているのは ヒンデミットのピアノ・ソナタ第3番だと思われます。 というのもグールドのピアノ・ソナタの第1楽章の半ば以降、執拗に繰り返される旋律は、ヒンデミットのピアノ・ソナタの第4楽章「フーガ」の主題が元ネタになっているであろうことが、楽譜から確認できます。実際、この頃にヒンデミットのこのソナタを演奏した記録も残っているので間違いないでしょう。  しかし、曲調はヒンデミットにそっくりと言えません。敢えていえば、グールドの意外な録音レパートリーとしてマニアには知られている プロコフィエフ のピアノ・ソナタ第7番《戦争ソナタ》に近い雰囲気にも思えるのですが、この曲を書いた時点でグールド青年はプロコフィエフのソナタを意識していたのでしょうか? 確かなところは分かりませんが、この頃のグールドの演奏曲目を調べると別の可能性が浮かび上がってきます。  グールドは1951年に、チェコ出身のカナダの作曲家オスカル・モラヴェッツ(1917~2007)の作曲した《幻想曲 ニ短調》(1947) を演奏しているのですが、この曲がどうやらプロコフィエフから強い影響を受けているようなのです。 こうしてピアノ・ソナタを作曲する際、モラヴェッツ作品を通して間接的にプロコフィエフの影響下にあったことが分かると、 後にプロコフィエフの《戦争ソナタ》を録音したことが、それほど突飛に思えなくなるのです。  ...